仏教 議論スレッド その4

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48神も仏も名無しさん
>>21
何やらわからんイメージが生じるのは、≪『名前』が付くから≫だよ。
以前、触れたことあったかもしれんが、(レス探せなかったw)
たとえ「実体」がなくても、「存在」しなくても、(この場合、実在論的意味でのものだが)、
≪【名前が付くことで】【『それ』が】【『ある』】と考えられてしまう≫ということ。
(こうした思考の癖を利用して≪名前を付けることで、
 『それ』を『存在せしめる』『あたかも「存在」するかのように語り続ける』こと≫も可能だ。)
スパゲティモンスターもそう。ウルトラマンもそう。
そしてそれは、「概念」についても生じ得る。スパゲティモンスターにしてもウルトラマンにしても、
「概念として」「想像上の像(虚像)」としては『ある』と言い得る。
無条件な場合であれば、たとえそれが「大きな矛盾を孕む『存在』」であったとしても、
思考可能な限りは『ある』。
だが、そこに条件が付いた時、(ウルトラマンで言えば、たとえば世界観等)、
《【これこれこの条件に於いては】『ない』と見做すべき》事例が生じる。
今の流れでいけば、その一例が「涅槃」だ。ある条件(枠組み)の上で『ある』と言われるものの例だ。
 *(余談ながら(涅槃とは別件として)、その意味でも、「名色」(【nAma】-rUpaというカテゴライズは秀逸だと思う。)

勿論、この条件に、『論理的整合性』を持ってくることがあってもいい。
『物理的、或いは科学的観測が可能なもの』を持ってきてもいい。
或いは『(自分の)琴線に触れる』という条件があってもいい。
『恐れを抱かせる』という条件、『高揚してくる』という条件があってもいい。