>>437 自分の発言に責任を持て、ってことだよw
君と謂い在家と謂い、
その場凌ぎの口からでまかせを連発して、自分の誤りを隠蔽するのに必死なれば、
過去の発言を掘り返されるのは、さぞ嫌なことだろうw
思いつきだけで言葉を並べるから、整合性が取れず、掘り下げた考察にならない。
勿論、対話(議論)にもならないw 取り繕いに取り繕いを重ねるから、
どんどんどんどん支離滅裂になる。そして、矛盾のミルフィーユの完成だw
以前、翻訳・原典絡みの流れで、
「現代人が現代的知見で論理的整合性を持って読めればそれでいい」という(無茶なw)発言をしていたが、
100万歩譲ってそれを許容したとしても、
【貴方自身の発言や主張、考察が、論理的整合性を有していない】以上、何の説得力もありませんwww
*(ちなみに私は、釈尊を「同じ人間だった」と見てるから、その人物像に多くの欠点をも見るよw
(ここまで行くと(現代人の)勝手な推測ではあるがw)、どちらかと言えば舎利弗や阿難の方が、
「求心的位置に立つ者」「痒い所に手が届く気配りをする者」「原則のゴリ押しをしない者」等
としての素養はあったと思うぞw (摩訶迦葉なんかは逆に、御釈迦さんの厳しさを色濃くしてるだろうし、
提婆達多は、潔癖さが、より濃いキャラだったのだろうよw
また45年間もあれば、齢を重ねることとなれば、人柄も変わってくるだろうよw)
>>438 wwwww
>【苦は】、人間の生存の維持に必要不可欠な心的現象であり
「貧」「飢え」「肉体的苦痛」「死」等、これらは≪【必要不可欠な】【心的現象】≫なわけですね?w
また、
>生きている限りそれを滅することは出来ず、【滅してはならない】もの。
特に「貧」や「肉体的苦痛」に関してとなりますが、これらも無くしてはいけないんですね。
病人は苦しみ続けなければ(病気のままでいなければ)ならないんですね?
貧者は貧しいままでいるべきなんですね?
笑わしよるw ノシ