仏教 議論スレッド その4

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287神も仏も名無しさん
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1276657363/17
>対立する経典であり、両立は不可能
(法華経に関する見解はともかくw)、
縁起一代は、法身仏が応身仏として世に出た(五蘊の結実があった)、ということを認めそうだがなw
彼の場合、
「縁起という理(ことわり)」(≒おしえ、法)を身体(≒その本質)として「法身」とする感じになるのか、
また、「(応身仏の)五蘊の結実」の理由(→その主たる因、縁)をどこに見るかはわからんが。

いずれにしろ、「縁起する諸法」という大海(≒法界)に生じた或る一つの(一際大きな)波を
「応身の仏」として受け止めることは不可能ではない。
大日如来を、大海(法界)の“名称に於ける具現化”とするならば、
数多の応身仏は、個々の波(縁生した五蘊)の中でも、
特に衆生済度の働きを為すもの・法を説いているものの“名称に於ける具現化”と見ることが可能なように・・。

彼は、(主に「空観」の面で、或いは縁起観が「徹底していない」という点で(?))
パーリ仏教は見解が低いと言った。
同様に、この件に関しても、「法身」という考え方を認められないのは、
(若干の)レベルの低さと見るのではなかろうか。

(以上、推測w)