>>599 >主イエスの霊魂は、父神からくる霊魂なんです。
>神は分割されるものではないからここそ、父なる神は、神の霊魂であり
「父神からくる」という表現は誤りだ。霊魂が分けられることなく、
株分けされることなく、そのまま全体が宿った、ということは
「父神」そのものが肉体をまとってイエスになった、という事。
「aはb【から】くる」という表現は、aとbが別の存在である時に成り立つ。
「空母から海兵さんが来た」とは言っても「空母から空母が来た」とは言わない。
>神の生命です、だからこそ、イエスは神エホバを、ご自分の{父」と何度も
>呼ばれたし、神エホバは、キリストを、ご自分の「子」と呼ばれたのです。
「だからこそ」の前後が繋がっていない。神の霊魂、生命であることで「父-子」という関係性が成り立つのは、
霊魂や生命が神から創造された場合(創造する側とされる側は別存在)、
両者の間で精神的な関係性がある時(人間で言えば養子と里親など)である。
スウェ教の場合、エホバにとって、イエスは「状態(様態)を変えただけの自分自身」であるため、
「父-子」という関係性が成り立たない。
スウェ子も、スウェデンボルグの書き物以外で、「自分自身を父と呼び、自分自身を子と呼ぶ」例を
見たことはないはずだ。あったら出してみてくれ。