仏教 議論スレッド その3

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>>462
> 意識の焦点(ピント)がどの階層次元に集約しているかです。
ですからw
「意識」とは『現象界内の【存在】』であって、無為なるものであることはありえません。
どこにピントが合おうが、「意識」「意識的なもの」と見る以上、
【それら全て現象界内のこと(事象(→法))】です。

> 凡夫は肉体も自己意識も現象界に縛られていますが、けれども仏陀は異なる。
> ブッダの意識はニルヴァーナに留まっており、何ものにも妨げられることがなく、
「涅槃」と「意識」とがそこに存在することになります。
そのようなことはありえません。ウダーナ8:1、8:2、8:4をよく読んでください。
(後期大乗の「一如」「帰一」というニュアンスですか? ならば30センチほど歩み寄っても良いですが・・w)

> 肉体死(崩壊後)にも影響なく、そこに留まり続けるのです。
「色」無き「意識」なぞ(仏教では)あり得ません。
ましてや、【そこに】留まり続けるなぞ、断じて認められる筈がないでしょう?www
(中後期大乗の「法身」も、貴方のように捉えたら、縁起馬鹿が、悲嘆して号泣しちゃいますよ?w)
 *(この(大乗的)「法身」も、上で述べてきたような「涅槃」と同質の在り方のもの、と見るべきなのかもしれません。)

>>463
> >「【現象界から】どこかへ」というものではありません。
>  誰もそんなことはいってない(述べてこともないです)w
いやいやいやw
そうとしか見做せないでしょう?貴方の発言はwww

> ヒンドゥー及び神智学徒、或いは精神世界やニューエージの人々は全部、普通に分かりますよ、コレで。
そんな、「私以上のw」外道による理解に、どれほどの意味がありましょうや?w

> 何も、別の場所という意味ではないから!これは意識階層、レベルの違いをいうのです。
それはそれで構いませんが、それらも全て【現象界内のこと】です。