仏教 議論スレッド その3

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284神も仏も名無しさん
>>262
また、(いつかツッコまにゃならんかな・・と思ってはいたがw)、
自分で引用しておきながら
なぜ >『われわれにとっての世界は現象界のみである という一文を無視する?
なぜ >仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる という一文を無視する?
また、沙門果経は読んだのか?

また、
> 存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、
> 部派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
> この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、
> 原始仏教とは違った性格のものとなった。(p143)(→p130)
この数行後に、
 『原始仏教では「【いかに】あるか」{(→諸法の在り様(→縁起性であること))}
 「いかにあるべきか」{(→比丘・阿羅漢の(社会的在り方・心構え))}のみを問題としたが、
 部派仏教では「【何が】【ある】か」という存在論を問題とするようになった。
 云々(以下も続けて読んでみろw)』
とある。ここも無視か?
 ※ “【”“】”や、“{ }”内の文は、引用者が挿入。

また、
版が違うのでページは13〜15頁程足した数字にしてもらうと良いだろうが、
p132三科各説:B十二処:(12)法処:法処の内容中の
(d)無為法の項(本文よりフォントサイズ小)も読んでみろ。