仏教 議論スレッド その2

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  ※つまり、
   《そこに確かに、〔「生命」現象〕が現れていることが観察された》としても、
   《【何が】【〔「生命」現象〕を現しているのか】、
   【どのようなメカニズムで】【〔「生命」現象〕が現れているのか】、
   は、(多くの情報の蓄積・精査・分析による)【推測】や【見做し】にしかならない》。
   《現代科学の知見は、そうした情報の蓄積と推測により、
   たとえば『「心(心的現象)」なら「脳の活動」だと見做している』し、
   『〔「生命」現象〕なら、生化学的に説明がされ、霊魂や神などを持ち込んではいない』。
   【そうした「知り得ない・不可知な何ものか」(たとえば『生命』)など持ち込んでいない】。

   だから、
   【『〔「生命」現象〕を現している何ものか』として『生命』を持ち出すこと】は、
   【『霊魂』等を持ち出すこと】と、【構図上同じである】と指摘されている。

   古代人は、【〔「生命」現象〕の現れを『霊魂』等による】と【見做し】、
   御隠居は、【〔「生命」現象〕の現れを『生命』による】と【見做し】ているわけだ。


  よーするに【仏教・宗教関係なしに】、
  「御隠居の論立ては、強引且つ独善的妄想に過ぎない。矛盾だらけ」と言い得るわけさ。