>>765 爺へ
いくつかの点で、日顕宗信者の見解について質問する。
・『貫首が己義を構えたら「お諌め申し上げる」これが弟子(
>>765)』とあるが、その弟子の「お諫め」を貫首が聞き入れなかった場合、その弟子たちはどうするのか?
・かつて日顕は、『血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなす』と述べたが、この言葉通り、唯授一人の血脈は信心の血脈を根本とするのか?否か?
・「正統性は血脈相承で担保される(
>>631)と述べておきながら、「血脈は遥か上代に断絶している(
>>661)」と書いてあるが、それでは現宗門が極めて重視する唯授一人の血脈には、どのような意味があるのか?
・時の貫首が「仏法に相違して己義を構え」た場合、その貫首は“法華経の敵”か?否か?
・曾谷殿御返事に「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし、但し 師なりとも誤ある者をば捨つべし又捨てざる義も有るべし世間・仏法の道理によるべきなり」
とあるが、時の貫首(法主)だとしても、捨てるべき場合もあると考えるか?
もし、捨てるべきときもあるというのであれば、それはどういう場合か?(極力、具体的に説明してほしい)
最後に、爺個人に対する質問。
『もうこの「日顕宗」スレはお役御免(
>>670)』と書き込みながら、その後も懲りずに書き込み続けるという「ウソ」をついたのは何故か?