【論点】  キリスト教  【議論】

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1神も仏も名無しさん
キリスト教に関するハイレベルのテーマを議論するスレです。
たとえばグノーシス、スウェデンボルグ、ミトラ教などであり、
キリスト教を豊かにし、深めることが目的です。
2つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/20(土) 11:34:42 ID:oN055xBv
2get
3のぞみちゃん ◆1XjRibJyX. :2010/03/20(土) 12:02:51 ID:qmlEklsC
>>2
つきみにハイレベルは無理と思う。。。


>>1
> キリスト教に関するハイレベルのテーマを議論するスレです。
4神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 12:29:25 ID:iEJWkSmj
テーマがハイレベルであればいい。議論の中身は問われないのでしょう。
ブラバッキーとかシュタイナーとかもハイレベルになると思う。
5神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 13:43:41 ID:e80keDjM
キリスト教の議論はもっとテーマをしぼったほうがいいんじゃないか

6神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 18:30:46 ID:7ke/VZZ6
表面的にはスエデンとかグノーシスとかを論じるけど、
つきつめればキリスト教そのものがまな板にのっている感じですか。
7神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 18:43:48 ID:7ke/VZZ6
>>5
人気がありそうなら単独スレに移し、
ここではそれ以前の、気になるテーマを話したらどうでしょうか。
8飯塚豊:2010/03/20(土) 18:53:38 ID:mJrxnB5c
ストア派を排斥せよ
TOP OF THE POPS
拡声器で大ヴォリュームで歌う
無益な教切ならば
キェルケゴールを読む
いい加減にしろ!
商業主義よ!
聖教新聞引き裂いて
俺の立場は何時でも奇跡を起こす
無益な教説よ
我らは地球を破壊するぐらいの大ヴォリュームで
三日後の復活に生きようぜ
奴らが生存のたうち回ってる間に
奴らで釣りしようぜ!!!!!!!!!
9神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 19:02:34 ID:7ke/VZZ6
神がいるのかいないのか、これはすでに単独スレで議論されている。
 
しかし神がいる場合、その神はビッグバンの前からいるのか、
ビッグバンによって誕生したのか、
これはまだ議論されていないでしょう?
 
神がビッグバンの前からいるなら、
グノーシスや新プラトン主義の言い分もわからないではない。
10神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 19:42:31 ID:7ke/VZZ6
神がビッグバン以前からいたら何が問題かと言えば、
神がこの世を創造したはずなのに、この世に悪がはびこっていることだ。
 
この悪の起源はどこにあるのか。
神は全能なのだから、その起源は神にあるともいえる。
ゆえに、この世を創造した聖書の神は悪であり、この世は悪であり、
あの世にいる至高神(一者)こそ、本当の神である。
 
これがだいたい、グノーシス、新プラトン主義だろうか。
キリストを設定するのがグノーシス、キリストを設定しないのが新プラトン主義
11神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 20:00:22 ID:7ke/VZZ6
ユダヤ教、キリスト教では、この世の悪を説明するために、
アダムとイブの失楽園を用意している。
 
しかしこの話には無理があると思う。
神は全能なのに被造物に無視されてしまう → ありえない。
12神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 20:09:41 ID:WRNhsW9c
>>9
少なくとも通常のユダヤ・キリスト教では神は初めから存在していた、ということに
異論を唱える人はいないんじゃないか?

>>10
新プラトン主義では一者からの流出過程の最低位あたりが悪として規定されるようなもの
なんじゃない?例えば行き過ぎた肉欲とか。その意味では善悪二元論ではないと思う。
13神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 20:16:08 ID:7ke/VZZ6
神がこの世を造ったという考え方は一般的である。
かりにそうだとすれば、この世には悪が存在するわけだから、
神のなかに悪が存在するのではないか、ということになってしまう。
 
神は悪をも抱えた存在なのか。
グノーシスも新プラトン主義もキリスト教もスエデンボルグも、
無意識にせよ、そのように想定していると思う。
14神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 20:28:46 ID:7ke/VZZ6
>>12
神は最初から存在する、ユダヤ・キリスト教もその通りだと思います。
 
確かに、グノーシスと新プラトン主義は、善と悪の二元論と言うより、
精神と物質、霊と肉、あの世とこの世のような二元論でしょうね。
かじり始めた未熟者なのでどんどん突っ込んでください。
15神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 20:41:51 ID:WRNhsW9c
>>14
いや、少なくとも新プラトン主義はすべてにおいて一元論で
精神と物質等の差異は流出の高次か低次かの相対的なものだと思うよ。
ちょうど光源から遠ざかれば遠ざかるほど暗闇に近づくようなもので。

逆に一元論(一神論ではなく)を取らないユダヤ・キリスト教における
悪の起源のほうが議論の対象としては面白いんじゃない?
16神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:26:27 ID:7ke/VZZ6
それではユダヤ・キリスト教における悪の起源にしましょう。
これに関してはヤコブ・ベーメが一元的に追求しているようです。
 
彼は世界の始まりを<虚無>と想定し、虚無が自己展開をし、
天使界 → 大地の創造 → 人間の創造となるという。
  
天使界には二種類の天使(怒りの暗い火、愛の明るい火)が創造される。
天使は自由意志を持っているが、怒りの暗い火である天使(ルシファー)が
自由をマイナス方向にむける → これが悪の起源であると。
 
ベーメにとっては虚無が神であり、この虚無という一元から、
善悪二元の天使に展開し、悪の起源を説明しようとする。
しかしその展開過程がすっきりしない。無理がある。
17神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:38:33 ID:7ke/VZZ6
マイスター・エックハルトは、
「神は原初、無であった。しかしこの状態では安らげない。」という。
これはベーメと同じ神認識・宇宙認識である。
18神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:51:29 ID:7ke/VZZ6
神が最初から存在し、神がこの宇宙を創造したと仮定すると、
神に悪が内在しているという矛盾が生じてしまう。
 
この矛盾を解決するには、神とこの宇宙を切り離す必要がある。
そのためにはどうしたらよいか。
神はビッグバンのときに、この宇宙と共に双子のように生じた、
と仮定すればよいのではないだろうか。
 
神は命であり、この世は命の器である。
19神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 22:02:18 ID:7ke/VZZ6
ビッグバンのときに、虚無が、神と物質とに分かれる。
この世は三次元に物質として誕生する。
神は四次元に命として誕生する。
 
神は時間を超越する存在であり、誕生した瞬間に、
永遠に存在するものとなる。永遠の昔から存在しているのである。
20神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 22:13:59 ID:WRNhsW9c
>>16
いやあ、思いっきり強引な悪の起源論だという気がするなあw
虚無からいきなり天使界はないだろ、とw

俺はユダヤ・キリスト教はそもそもが複数の伝承からなる神話群を
含んでるから当初から矛盾の塊だと思ってるんだよね。
それを神学的になんとか体系付けようとしてきた。
だから傍目から見るとどうしても「それちょっと無理じゃね?」って
思える部分をたくさん含んでる。

まあそう言っちゃ元も子もないので敢えてユダヤ・キリスト教に沿って
悪の起源を考えると、やっぱり神が人間に自由意志を与えた、というところに
帰着するような気がするんだよね。その自由意志によって神の命令に逆らったというのが
悪の起源だ、と。キリスト教ではイヴを誘惑した蛇はサタンということになってるらしいけど
じゃあサタンさんはどっから出てきたのか、と。

それこそルシファーであれベルゼブブであれ自由意志の存在を前提にしないと
悪の起源は説明できない。

結局、神=全き善、その神の命令に背く行為=悪、という規定。
神の被造物である人間に悪が生じたのは、まさに自由意志による神命への背きである、と。
21神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 23:03:13 ID:7ke/VZZ6
>>20
まったくもって正論ですね。すんなり読めました。
 
ベーメの話はもちろん、虚無から天使創造まで一挙に進むのではなく、
悪の起源としては天使(ルシファー)の離反ということです。
それから天使にも自由意志が与えられている。
 
神を全き善とすると、その被造物も全き善であり、
自由意志に関係なく悪は生じないだろう、というのが当初の疑問です。
悪を思いつく動機がない。
サタンの誘惑だとすれば、サタンを造った神に責任が生じる。
神の中に悪が存在していることになる。
22神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 23:23:36 ID:7ke/VZZ6
ビッグバンで神とこの世とが共に双子のように誕生したなら、
神を全き善として想定することも可能になる。
 
神(命)とこの世(物質)とは相互に依存しているのであり、
どちらかひとつでは存在しないし、逆に融合してしまうこともできない。
命は何重ものベールに包まれてこの世に奇跡的に生まれる。
本質としては、命や物質は善でもないし悪でもない。
23神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 23:36:24 ID:7ke/VZZ6
では悪の正体は何かと言えば、肉体の<死>だろうと思う。
器としての肉体に宿った命は、肉体の<死>を悪と受け取ることで
悪が生じるのではないだろうか。
 
悪があるということは、善が想定されているのであり、善とは<命>。
こうして、神(命)は善であり、この世(物質)は悪になる。
あれっ、これってグノーシス? 
24神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 23:51:01 ID:7ke/VZZ6
神はビッグバンで誕生した
 
神(命)とこの世(物質)を区別する ・・・ 最初から二元論
神は唯一 ・・・ 創造神以外に、至高神を想定しない
この世は命の器であり、神の相手であり、この世なくしては神も存在しない
 
グノーシスとは違うよね
25神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 08:10:35 ID:yvDt9zK9
>>8スウェーデンボルグは霊界日記にこう記した
パウロは最悪の使徒だ
そして神の御名によって悪霊から護衛されているとも


26神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 08:28:32 ID:yvDt9zK9
霊『神』と水『魂』と血『体』が三位一体ならば
復活で聖霊になる
カリスマ『霊的賜物』はもう古い
弱さのうちに復活で生命が宿るなら
飯塚さんは学会批判はしない方がいい
愛『神』でもってハムラビ法典でもない
預言する賜物もわかるけど異言を使う事も必要だ
ヒルティの幸福論が云うように
貴方は40代過ぎたら幸せだろう
プラトン的イデアより神の奥義は
終わりのラッパとともに朽ちる物が朽ちない物に変えられる
イエス・キリストの後の世の復活は
信じる人と信じない人がいる
27神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 09:09:39 ID:yvDt9zK9
三位一体ならば確かにビックバンで神も誕生する
肉の死が神の死でもある
意志『魂』の死から一歩進んで
聖書の規定では神『霊』はアルファでオメガだ
旧約聖書の規定では天地創造神
『最初に言葉ありき』が有名だ
世の終わり『永遠の生命』を説いても
肉に依存する霊と肉の分裂霊か肉か
魂の復活は信仰に肉を従わせたときの
バビロン『世』の価値の終わりにあるのでは
28神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 11:36:17 ID:roFO6CFN
グノーシスの定義をしておこう。
1966年、グノーシスの国際学会での提言(筒井賢治『グノーシス』より)
 
@ 反宇宙的二元論
  この宇宙は劣悪な創造神が造ったもので、この創造神は善なる至高神と
  対立的な関係にある。
 
A 人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信
  人間は創造神の造ったものであるが、その中に、至高神に由来する要素が
  わずかだけ閉じこめられている。
 
B 人間に自己の本質を認識させる救済啓示者の存在
  人間はAに気付かないでいるが、至高神から使いがやってきて、人間に
  自分の本質を認識せよと促す。キリスト教の場合はイエス・キリスト
29神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 12:10:02 ID:roFO6CFN
 <新プラトン主義>
@ 超知性的な最高始元「一者」を設定している
A イデア界において「ヌース」と「魂」を区別している
B 流出説を承認している
C 我々の魂の最高始元との合一の可能性を承認している
 
「一者」からの流出は「ヌース」から「魂」を経て、段階をふんで「質料」に行き着く。
「質料」の中でも一番最低な状態とは「闇」であり、それは「光の欠如した状態」である。
「悪」は、こうした欠如した状態の便宜上の呼び方である。
 
「イデア」・・・プラトンは物質世界、現象世界のうえにイデア界(叡智界)を想定する
「一者」 ・・・新プラトン主義が想定した、イデア界以上の究極の原理 
「ヌース」・・・知性、精神、理性。イデアを認識するための理性的能力のこと
「質料」 ・・・物質的な存在
30神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 12:43:42 ID:roFO6CFN
その定義から、グノーシスは善である至高神を頂点にする一元論である。
それなのに創造神という悪が存在している。 → 二元論
 
新プラトン主義も同じであり、究極の「一者」から流出する一元論である。
それなのに光のとどかない闇(悪)が存在している。 → 二元論
 
どちらにも一元論と二元論を混在させている誤りがある。
31神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 13:02:07 ID:roFO6CFN
グノーシス、新プラトン主義の問題はまだある。
悪を清算したところの、善なる至高神、究極の「一者」とは何なのか。
 
ヤコブ・ベーメが言うところの<虚無>ではないのか。
悪と無関係の純粋の善は、善とは言えないものになってしまう。
空? 空とはちがう。それは<虚無>だろう。
だれも<虚無>を神だなどと思わない。
32神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 16:37:39 ID:hrg519v6
神(命)と物質が区別できるなら
この世は二元論であり、最初から二元論で説明できるだろう。
 
生物の存在しない宇宙は死の世界でしかない。
ここに神の命が降り注ぎ、無数の生物、命ある固体が誕生する。
 
人間とは物質に命が宿った存在である。
人間は最初から、命と物質の二重性のなかに置かれている。
創世記には、神はドロ人形を造り、そこに命の息を吹き込んだとある。
3320:2010/03/21(日) 16:56:40 ID:9PO4I+OP
>>21
ども。

> 神の中に悪が存在していることになる。

俺の考えはちょっと違って、聖書に明示的に書かれていようがいなかろうが
人間であれサタンであれ神の被造物であることを前提にすれば
自由意志の存在を想定しないと「神=全き善」から「悪=神命への背き」が生じる余地はない、
というもの。だから「神の中に悪が存在していた」というのとはちょっと違う。
つまり自由意志による神命への背き自体が、善ではないもの、すなわち悪、ということ。
裏を返せば聖書に記述されているアダムとイヴの神命への背き自体が自由意志の証明に
なってるんじゃないかな。

ということで自由意志と悪は聖書的には不即不離の関係にあるって考えてるわけね。
34神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 17:05:58 ID:9PO4I+OP
>>24
神をビッグバンで誕生させるのはどうなんだろうねw
ユダヤ・キリスト教の考えからすれば受け入れられないものだろうし
逆に現代科学の考えからすればわざわざ神を誕生させる必要はないだろうし。

俺は生命っていうのは、
1. 自己複製
2. 変異
3. 代謝 
の3つの要件を満たしている物質だと思ってるから命と物質に区別はつけてないんだよね。
もちろんこの3つの特徴は物質の進化(宇宙の進化)の中で生じたもの。
だから一部のクリスチャンが主張しているような現代科学とキリスト教の融和っていうのは
少なくとも原理的にはあり得ないと思ってる。
35神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 17:07:09 ID:hrg519v6
命が物質に宿る? そのためには、
想像できないような神秘的なワザ、プロセスがあるのだろう。
 
そのなかに、物質に植えられた命が根付くかどうかという問題がある。
自分という個体を愛し、物質を愛さなければ根付かない。
こう推理すれば、個体の土台は自己愛にある、と言っていいだろう。
 
どの生き物も自己愛によって生きている。
自己愛が悪なのではない。それがなければ物質に命が宿らない。
神によって自己愛を持つように造られているのだ。
36神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 17:13:44 ID:9PO4I+OP
>>28-29
これは勉強になるなあ。

>>32
> 神(命)と物質が区別できるなら
> この世は二元論であり、最初から二元論で説明できるだろう。

ユダヤ・キリスト教の世界観では物質も神の被造物になるんだろうから
そこはユダヤ・キリスト教とは違うところだね。


> ここに神の命が降り注ぎ、無数の生物、命ある固体が誕生する。

これは聖書的にも融和性がある考えかも。
37神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 17:50:40 ID:hrg519v6
>>33
創世記からは、自由意志によって神命にそむいたから悪なのではなく、
そう仕向けられたような印象を受けます。
神は全能なのだから、アダムがそむくことを予見していたはず。
  
予定説とも関係し、自由意志のテーマは難しいですね。
少し考える時間をください。
38神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:01:04 ID:hrg519v6
>>34
命の3つの要件はわかるが、命と物質を区別しないのは不可解ですね。
物質から命はどうもがいてもできないでしょう。
39神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:18:30 ID:hrg519v6
>>33
神は全能なのだから、アダムが命令にそむくこともわかっていたはず。
だとすればアダムに自由意志があったのかどうか。
釈迦の手のひらの孫悟空かもしれない。
 
自由意志は見せかけであり、実際には予定説ではないでしょうか?
40神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:20:19 ID:OM+qmQQs
ハイレベルより聖職者による性的虐待を撲滅するにはどうするか考えろ
41神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:33:05 ID:hrg519v6
>>40
間接的につながっていると思う
ほんとうのキリスト教が明らかにされたら → 性的虐待も撲滅される
42神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:38:37 ID:9PO4I+OP
>>37
なるほどね。
キリスト教スレでこういうこと言っちゃうのはやや反則気味なんだけど
俺は聖書を整合的に読むのは無理がある、と思うんだよね。
たしかに全知全能の神であればアダムが背くことを予見していた、
それゆえアダムが自由意志によって背いたのではなく神によって背くよう仕向けられた、
というのがより整合的な読み方になるけど、はたして創世記記者・編者が
そこまで考えて記したのかは大いに疑問。

アダムとイヴの物語は死と労働の起源を古代ユダヤ民族が神話的に説明したものなんだと
思う。なぜ人間は死ななければならないのか、なぜ辛い労働をしなければならないのか、
といった素朴な疑問に対する神話的回答。それを神の創世神話の一環として
経典編さんの際に取り込んだものなんじゃないかな。
しかも伝承資料は目的や意図、及び時代を異にした複数の記者・編者・集団によるもので、
例えばアダムとイヴの物語のように相矛盾する神話を聖書の中に併記してるのは、
そういった複数の集団の政治的な調整・妥協の産物であったというような説も
批判的な聖書学の中では一般化してるみたいだしね。

もちろんこういった考えとは真っ向から対立する考え(聖書の無誤・無謬性を前提にするものなど)
もあるわけだから、聖書の解釈っていうのは本当に難しいね。
43神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:38:52 ID:hrg519v6
自由意志があるから悪が生じた、ということであれば、
自由意志を与えなければいいわけですよね?
神はなぜ自由意志を与えたのか。
44神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:42:55 ID:9PO4I+OP
>>38
うーん、この辺は考え方の違いだから溝を埋めるのは難しいかな。
生物学・生命科学に沿った生命の捉え方と、そうではない捉え方。
どちらが正しい・間違っているっていうんじゃなくて立場の違いみたいなものだと
思うよ。例えば俺の場合は逆に物質から区別された生命というのは不可解になってしまう。
45神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:44:38 ID:9PO4I+OP
>>39
そうかもしれない。すべては神の筋書き通りというのも否定はできないね。
よくは知らないけど自由意志を否定するキリスト教の宗派なり神学者なりも
いるんじゃないかな。
46神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 18:52:45 ID:9PO4I+OP
>>43
あくまでも憶測の域を出ないけど
神が人間に自らの意志で善を目指すことを良しとされた、っていうんじゃダメ?
もちろん神が全知全能であれば、なんでそんなかったるいことをわざわざ
しなきゃらないの?ってなっちゃうけどね。
一応神は自分に似せて人間を作った、ということは神に自由意志がある限り
人間にも自由意志を与えた、って言えないこともないんじゃない?
47神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 19:04:30 ID:hrg519v6
>>45
予定説ではカルヴァンが有名ですよね。
 
自由意志もわかるのですが、最近は予定説のほうに傾いています。
その理由は霊魂です。霊魂は、命の始まりであり、形をもった命です。
その霊魂が、人間の思いをすべて知り、すべて保存している。
だから予定説であり、実はこれが「命の書」なのです。
48神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 19:13:41 ID:9PO4I+OP
>>47
カルヴァンっていうとどうしても資本主義との関連を連想しちゃって
神学的な側面についてはよく知らないんだけど
カルヴァンって完全に人間の自由意志を否定してるの?
いや、おそらく徹底的に人間の自由意志を否定した神学体系のほうが
聖書的にはより整合性があると思って。

> その霊魂が、人間の思いをすべて知り、すべて保存している。
> だから予定説であり、

ここのところの論理展開がちょっとよくわからないから
もう少し詳しく説明してもらえるとありがたいです。
49神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 19:34:52 ID:hrg519v6
>>46
何が善なのか、これが問題なのだけど、
神が地上の個体に用意したのは<自己愛>という思い。
 
この自己愛はキリスト教で否定されるべきものです。
自己愛が悪、しかし自己愛を否定したら地上で生きられない。
 
この地上の生き物は、神の似姿とか鏡像のようなものです。
自己愛によって、神は自分自身を地上に表現している。
これが神の善では?

しかしその神に従えば、自己愛という悪に落ち込んで行くしかない。
それを救うために、イエス・キリストがやって来た?
50神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 20:06:54 ID:hrg519v6
>>48
解説書程度ですが、カルヴァンによれば、
救われる者も、捨てられる者も、最初から決まっている。
 
神は命であり、その命が物質界に降りてくるとき、命は明確な形を持つ。
神は大海である。しかし個体は水滴のようなものである。
その水滴が霊魂であるが、その霊魂には神に似た不思議な能力があり、
人間の精神も肉体もここから生じてくる。
 
仏教で言うアラヤ識や根本識のイメージだろうか。
51神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 21:29:01 ID:hrg519v6
>>48
というか、霊魂の存在を信じていないでしょう?
霊魂を信じられないと予定説を理解できないかもしれない。
 
神の命 → 霊魂 → アラヤ識 → マナ識 → 意識 
と展開し、物質のなかに命が宿る。
 
これがグノーシス、新プラトン主義で「流出」と言われる現象であり、
神の命がこぼれ落ちることで物質界に人間が誕生します。
52神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 21:46:45 ID:9PO4I+OP
>>49
> 神が地上の個体に用意したのは<自己愛>という思い。

自己愛のみじゃなくて自己愛も含む、ってことだよね?

人間が地上で生きていくために、神は人間に自己愛も含んだ人間性を与え
それが悪の淵源になっている。その悪から人間を救うために使わされたのが
イエス・キリストである、ということかな?自己愛が神の表現というのはよくわからないけど。
53神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 21:51:09 ID:9PO4I+OP
>>50
ども。

仏教まで持ち出されるとさらに混乱してしまうw
その霊魂の時点ですでに救われる者・救われない者が定まっている、
ということかな?
54神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:01:41 ID:hrg519v6
聖霊によって救われるのはなぜ困難なのか。
  
これは当たり前の話であり、神は
人間が簡単に自己愛から離れないようにしている。
そんなことを予定していないのである。
 
人間は試練によって砕かれないと自己愛から決して離れない。
神によってそういうふうに造られている。 
 
しかし聖霊を受けるには自己愛を離れなければならない。
だから難しいのだ。
55神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:02:46 ID:9PO4I+OP
>>51
> というか、霊魂の存在を信じていないでしょう?

信じていない、というよりもわからない、という感じかな。
ただ俺の場合は自分で何かを論理構成していく時には
できるだけ論理的な整合性だけじゃくて実証的な整合性も
考えるくせがあるから、その意味では霊魂の存在を前提にして
考えることはないと思う。
たしかにそうなるとそういった論理展開を理解するのは難しいかもね。
56神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:20:54 ID:hrg519v6
>>52
大筋でそんなことかと思います。
 
>自己愛が神の表現というのは 
生き物を地上に存続させるためには自己愛が欠かせない。
そして生き物によって神が表現されている。
生き物の世界は、鏡に映した神の姿のようなものですか。
 
パウロのローマ書1.20
神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
これを通して神を知ることができます。
57神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:29:08 ID:hrg519v6
>>53
霊魂の時点で決まっている。しかし実際には、
救われるのか救われないのかわからないから、救われると思って努力する
しかないのだろう。過ぎ去ってから明らかになる。
58神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:37:18 ID:hrg519v6
>>55
若いときの苦労は買ってでもしろ、というのは、
試練によって心を砕かれ、聖霊体験をするためではないかと思う。
霊魂体験は瞑想でしょう。
59神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:42:38 ID:9PO4I+OP
>>56
なるほど。

> パウロのローマ書1.20
> 神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
> これを通して神を知ることができます。

これ、そういう観点から読んだことはなかったので、そういう解釈もありなんだな、と
ちょっと感心。

>>57
俺みたいな俗人は決まってるなら努力はしないで、どうせ決まってるなら
なるようにしかならないや、ってなっちゃうけどねw
ちなみにカルヴィニズムが勤勉と蓄財に結びついたのは
自分が救われる予定の者だということをみんなが競って世間に示そうとしたからだったらしいw

>>58
瞑想か… そういえば全くやったことがない…
60神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 22:49:49 ID:hrg519v6
>>59
予定説の例としてヨブ記もあげられるかもしれない。
神に許されたサタンが、ヨブをどん底に落として左右する話ですよね。
個人の努力や自由意志を超えた力が働いている。
61神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 23:13:28 ID:9PO4I+OP
>>60
なるほどねえ。ヨブ記を読んだときは「これってちょっと酷くね?」くらいしか感じなかったw
ちょっと真面目に言うと、誠実で立派な人がなぜ悲惨な目に合うことがあるか、という疑問に
対する聖書の回答という感じで読んでた。
それでも最後はちゃんと裕福になって、世の中の不条理をもっとユダヤ教的な叡智で
斬り込んでくれるのかと思ってたから、えらく失望したのを覚えてる。え、これでおしまい?って
感じで。

どうも旧約ではコヘレトくらいしか感銘を受けたものがなくて…
ラビにでもついて学ばないとヘブル語聖書の叡智は紐解けないのかもね。

62神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 15:27:35 ID:HDE6spTP
>>61
コレヘトには諸行無常の響きがありますね。
この書の12.7に「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。」とあり、
まったく同感です。しかし12.6「白銀の糸は・・・砕けて落ちる。」の意味が
いまだによくわからない。死の瞬間を描写したのか。
 
旧約は興味深いけど、分量が多くて簡単には読みきれないですね。
個人的にはヨブ記が一番好きです。
しかし確かに、最後の<結び>は少し安易な感じがする。
誰かがつけたしたような印象がある。
63神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 18:30:04 ID:NwNfrOjP
キリスト教は、一元論なのか二元論なのか、はっきりしないもどかしさがある。
創世記の冒頭には「初めに、神は天地を創造された。」とある。
ではその神は、いつ、どこで、どうやって誕生したのか。
それが語られていないのだ。
 
神が、永遠の昔から存在したというなら、神は虚無である。
しかし聖書を読み進めていくと、神が霊であったり命であったりもする。
神が霊であるなら、神はどこかで物質(チリ)と分かれたのだ。
分かれることによって神になった。
64神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 18:41:49 ID:NwNfrOjP
神という一元論で世界を説明するのか、
神と物質という二元論で世界を説明するのか、
 
これは真偽を判定するリトマス試験紙のようなものである。
65神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 18:53:21 ID:NwNfrOjP
天も地もない。何もない状態とは虚無である。
そこに神がいたとしたら、その神は<虚無>である。
神が虚無? そんな主張はウソだろう。
66神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 19:20:50 ID:NwNfrOjP
聖書に一元論のような記述が散見するのは、
ビッグバンや進化論を知らなかった時代のせいだと割り引こう。
神を霊、命とする発想は二元論である。
 
神は霊であり命である。だからこそ神は人格神なのであり、
だからこそ神は見え、神に触れることができ、神の声が聞こえるのである。
ただ単に、幽霊のように存在するわけではない。
67神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 19:46:55 ID:NwNfrOjP
一元論的な印象を受けるのは、神智学・人智学だろうか。
 
神智学はブラバッキー(1831〜1891)の降霊術に始まるオカルト
シュタイナー(1861〜1925)は神智学から離れて人智学を提唱する
 
ブラバッキーについてはオカルトが入り口であり、
シュタイナーについてはシュタイナー教育が入り口になるのではないか。
   ・・・シュタイナー教育については批判が多い。
68つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/22(月) 20:40:43 ID:Bx+Z9+9O
>>65
「運動」のない世界で実存としての何かが存在しえるか?
これは3次元の限界。それ以上の認識は不可能だよ。

>>66聖書は究極は一元論。神・霊・真理などを阻むモノとして、
霊に対する肉のような対立項を設定したにすぎない。
それを二元論と誤解すると、サタンや悪霊とかが、信仰を阻むものとして
利用される。
キリスト教系新興宗教は全て二元論だ。
69神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 21:09:44 ID:PhgJ6Sln
始まりって何だろうね?
無から有の始まりなんて、妄想じゃないのかね?
神なんて必要あるのか?
70つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/22(月) 21:33:06 ID:Bx+Z9+9O
始まりは、時間が流れ始めた時。つまり空間が生まれた時。
それ以前は時間も空間もない、つまり無だね。

神が必要かどうか?神話の神は必要ない。
71神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 21:46:36 ID:1YXSXhti
>>68 
>「運動」のない世界で実存としての何かが存在しえるか?
>これは3次元の限界。それ以上の認識は不可能だよ。
 
神はこの世と関係しあうことで存在している。
人間は神の分霊であり、それゆえに神の認識は不可能ではない。

>聖書は究極は一元論。神・霊・真理などを阻むモノとして、
>霊に対する肉のような対立項を設定したにすぎない。
>それを二元論と誤解すると、サタンや悪霊とかが、信仰を阻むものとして
>利用される。
 
霊と肉の対立は二元論です。一元論と二元論の混在が問題なのです。
 
>キリスト教系新興宗教は全て二元論だ。
 
具体的に、どう二元論なのですか。
72神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 21:51:15 ID:1YXSXhti
>>69
無から有が始まった・・・これがビッグバン仮説ですか。
神や信仰が必要ないと思うのはその人の自由です。
73神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 21:53:27 ID:nwv1RDti
>>62
ども。
そうそう。その諸行無常の響きがたまらないんですw
12:6についてちょっと調べてみました。
どうやら62さんのおっしゃるとおり、死の瞬間を描写したもののようです。
同じ死の瞬間にしても、大まかに言って二通りくらいあるみたい。
一つは、4つのオブジェクトで人体の終焉を象徴した、というもの。
具体的には、銀の紐が脊髄、金の鉢が頭(脳)、水差しが心臓、滑車が胃または血管、
の象徴。
もう一つは、人体の象徴ではなく重要な物の破壊によってこの世での人生の終焉を表した、
というもの。
(調べたのはBible Knowledge Commentary, Nelson New Illustrated Bible commentary,
Expositor's Bible Commentary です。)


> しかし確かに、最後の<結び>は少し安易な感じがする。
> 誰かがつけたしたような印象がある。

前にも書いたけど、どうしても聖書、特に旧約は複数の作者なり集団なりによる
執筆・編纂があったように思えてならないんだよなあ。しかも宗教的な意味での
政治的意図による後の追加・改変が加わってるように思えてならない。
だから福音派の人たちが言うような聖書の無誤・無謬性は、それはないでしょ、って
思ってしまう。
74つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/22(月) 21:53:52 ID:Bx+Z9+9O
だからね、霊と肉は二元ではなく、霊一元を阻む肉でしかないんです。

キリスト教系新興宗教はサタンの影響を強調します。
病気、貧困、不信仰(今日は疲れてるから教会行きたくないな。程度)
をサタンによって説明します。
75神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:07:37 ID:1YXSXhti
>>73
「銀の糸は・・・」の意味、やはり死の暗喩でしたか。
何か厳粛な印象ですものね。
 
聖書の読み方は難しいですね。
距離を持って読み、よくわからないときは放置することにしています。
76神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:16:15 ID:1YXSXhti
>>74 
>霊一元を阻む肉でしかないんです。
この意味がよくわからない。対立しているから阻む、のではないのですか。
対立物と言うほどじゃないということですか。

>キリスト教系新興宗教はサタンの影響を強調します。
>病気、貧困、不信仰(今日は疲れてるから教会行きたくないな。程度)
>をサタンによって説明します。
 
神とサタンの対立、という二元論ですね。
しかし神がサタンを造ったとすれば、一元論に吸収されてしまうのでは?
77神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:25:24 ID:1YXSXhti
>>73
4つのオブジェクトによる象徴のほうがいいですね。
大切な命が壊れてしまった、という残念な思いが伝わってきます。
78神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:35:04 ID:nwv1RDti
すんません。俺だけかもしれないけど、一元論・二元論の定義がいまいち判然としない。
一元論というのは、ある一つのモノによって統一的にすべてを説明するものでしょ?
例えばデモクリトス(原子)、マルクス(一応物質)、バークリー(観念)、ヒューム(知覚)、
スピノザ(神=実質的に物質)など。
二元論っていうのは全く異なる原理の二つのものによって全てを説明するもの。
例えばデカルト(精神と物質)。まあ大雑把に言えばこういうことだよね?

すべては神の被造物、と言った場合、神と被造物の二元論なのか
被造物は神由来だから一元論なのか?
新プラトン主義というかプロティノスなんかでは一元論の立場だけど、他はみんな二元論?
79神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:42:50 ID:nwv1RDti
>>77
うん。ただやっぱりそういう解釈に何か具体的な根拠があるわけでもなさそう。
古代ユダヤ民族は脊髄を銀の紐で表す習慣があったとか、そういう資料のようなものがあれば
もっと確度は増すんだろうけどね。

解釈って、書き手の意図あるいはその背景的文化を読み解く立場と
読み手の側の創造的解釈って立場があるだろうから
後者の立場をとれば、いろいろと矛盾や不可解な部分を含んだ旧約聖書って
様々な知恵を導き出すにはもってこいなのかも、とふと思った次第。
80神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:46:47 ID:1YXSXhti
>>78
前半は同じように理解しています。
 
すべては神の被造物、と言った場合は、
被造物は神由来だから一元論になるのではないでしょうか。
グノーシスも一元論(至高神と創造神とをつなぐ神話が重要になる)
 
プラトンは二元論でしょう。精神と物質の対立を想定しただけ。
聖書ははっきりしない。二元論のほうが優勢に思う。
81神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:55:47 ID:nwv1RDti
>>80
ほうほう。
プラトンは精神と物質というより本質と仮象だからなんだか微妙w
プロティノスは光源と光の関係だから一元論(暗闇は言い換えれば無)じゃない?
たしかに聖書はなんだかよくわからないね。さっきのコヘレトの文章みたいに
一方は土に返り一方は神の元に返るわけだから二元論的だしね。
82神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 22:58:23 ID:1YXSXhti
>>79
個人的には納得しました。感謝です。
それにしても注解書を3冊も持っているのですか。すごいですね。
 
宗教は趣味なので、かってに想像して遊んでいる方です。
コレヘトもよかったけど、旧約外典のシラ書もなかなかよかったです。
こういう書は若いうちに読むべきですね。箴言は難しい。
83神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:07:07 ID:1YXSXhti
>>81
それほどの知識はないので、けっこういい加減な話をしています orn
プラトンはだいぶ前に読んだのでほとんど忘れたが、本質と仮象でしたか。
後ろから光を当てられ、その影を見ている、という話を覚えている。
84神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:14:55 ID:nwv1RDti
>>82
俺もクリスチャンではないので、そんなに深く勉強してるわけじゃないです。
注釈書3冊というよりソフトウェアの形式で持ってるものだから
何十冊っていう感じ。でも全くの宝の持ち腐れで、さっきみたいな機会がないと
ほとんど使用しないんですよ、これがw

旧約の外典はまだ読んでないから、そのうち暇を見つけて読もうかな。
シラ書か。覚えておきますね。

>>83
もちろん俺も知識ないので、かな〜りいい加減なこと言ってると思いますですw
85神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:26:30 ID:1YXSXhti
新プラトン主義はもちろん一元論ですね
ヘーゲルも一元論(正反という対立を認めているのに合で一元論)
  
二元論を説いているのは何でしょうかね。
ミトラ教やゾロアスター教?
マニ教はグノーシスなのに二元論?
86神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:38:03 ID:rIu/p1jh
高エネルギー真空の崩壊がビッグバンだとしたら、ただの変換。
無から有なんて訳の分らないものではない事になる。
87神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:51:32 ID:1YXSXhti
>>86
言葉にするとわけがわからなくなる。認識の限界を超えているのかも。
無から有、その中心にあるのがビッグバン。
合(虚無) → 正(神) → 反(物質) という展開をしているのか。
88神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:53:26 ID:iVQMFdzk
>>87
認識の限界と存在の有無は一致しない。
正と反の定義がおかしい。
89神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 23:58:17 ID:1YXSXhti
>>88
ばれたか。すまん orn
90神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 17:40:28 ID:rd9cjjbh
プロテスタントが異端であるという根拠を挙げておきます。

・初代教会から続く伝統的な七つの秘跡が無い。

・初代教会から続く正統的な使徒継承が無い。
 使徒継承とは司教の存在を意味する。
 分派には司教がいない。

・司祭を叙階できるのは司教のみである。
 按手による権能は使徒の後継者である司教のみが有する。

・伝統的に認められていた正典を、
 身勝手な独断により聖書から除外したのが分派。
 カトリックとプロテスタントでは聖書の巻数が違う。
91神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 17:44:32 ID:F8eTyTfu
教会で扱われる音楽には何か効果があるのか
仏教的なパーカッションにアジア人である日本人は共感する気がする
92神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 17:54:45 ID:2LREcwmi
>>90
カトリックからの提案ですか。
どれも大きなテーマであり、機会があれば順次論じたいですね。
93神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 18:02:56 ID:2LREcwmi
>>91
欧米人と日本人の感性は異なっていますよね。
日本人は、キリスト教より、旧約のユダヤ人に近いかもしれない。
水や塩で清め、戦争があれば敵将の首を切る。
94神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 18:28:15 ID:2LREcwmi
わき道にそれ、信仰義認と予定説の違いを明確にしよう。
 
信仰義認は、行いに関係なく、信じれば救われると主張している。
これに対して予定説は、救いには行いも信仰も関係ないと主張している。
 
信仰義認は予定説を受け入れられない。
しかし予定説は信仰義認を受け入れられる。予定説>信仰義認
95神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 18:55:11 ID:2LREcwmi
予定説は自由意志を否定する。
 
理由・・・自由意志で救いが得られるなら神の恩寵が成立しない。
神の恩寵は、神に発し、神に帰せられるべきものである。
人間が参加する余地はまったくない。
96神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 19:07:04 ID:Jjkw4YSQ
あらW
これ  ID:rd9cjjbh雹ぐるんさんなんですか?W

http://www.img5.net/src/up10862.jpg
97神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 19:22:11 ID:2LREcwmi
少なくても「救い」に関しては、
神は自由意志を否定しているように思える。なぜ?
 
神がビッグバンによって誕生したからだろう。
虚無が虚無であることを拒んだときにビッグバンが発生した。
そのとき、神と宇宙とが同時に、双子のように誕生した。
 
そのために神も物質も虚無を選択する自由がない。
神は神であり続け、物質は物質であり続ける。
破滅して虚無に帰ろうとする選択肢が最初から存在しないのだ。
 
神にも自由意志がない。人間に自由意志があるはずがない。
98神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 19:39:48 ID:2LREcwmi
神がこの世で、自然法則を超えて干渉できないように見えるのは、
神も完全な自由意志を持っていない証拠だろう。
 
自然法則を無視した奇跡はマユツバ
99神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 20:05:19 ID:rd9cjjbh
>>90 追加

鬼畜米英はプロテスタントの国であり、
北米大陸の先住民を虐殺したのは分派のプロテスタントです。

分派は、大聖人も極悪人も同列に評価する霊的共産主義です。
異端者の悪平等にはゾッとする嫌悪感があります。
福音を知らない人は幼児でさえも救われない、と
主張する分派は異常なのです。
100神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 21:54:22 ID:tCbGu28s
人智学を提唱したシュタイナーは、ユダヤ人、中国人、日本人、アボリジニ、
アメリカ・インディアンを、これ以上発展する見込みのない退廃人種と決めつけ、
アーリア人種が世界を指導し、黒人やアジア人を教育すべきだとした。
 
シュタイナーの370巻にものぼる著作集の中には、黒人やアジア人を蔑視し、
からかうような記述が数多くあり、確信的な人種差別思想であるとする批判が
近年欧州各国の政府機関やマスメディアから頻繁に出されている。
101神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 22:21:37 ID:tCbGu28s
神智学には根本人種という考え方があり、
第一根本人種から第七根本人種へと順次進化していくという。
日本人は第四根本人種になり、アーリア人は第五根本人種に分類される。
つまり日本人はアーリア人より劣っている、という差別思想である。
 
この差別思想は人間の構造からも主張される。人間は魂を
肉体→エーテル体→アストラル体→メンタル体へと進化させている。
このレベルで言えば、日本人はアストラル体であり、
アーリア人はその上のメンタル体らしい。
102神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:17:51 ID:tCbGu28s
アボリジニ、アメリカ・インディアンの迫害には欧米の差別思想がある。
この思想はキリスト教に由来するのかもしれない。
キリスト教徒である自分たちは救われている、という選民思想である。
 
神智学や人智学は、
近代になってキリスト教が魅力を喪失していくことへの危機感から、
意図的に作られたような感じがある。
普遍性を建前に差別の延命を謀っているのかもしれない。
103中山車:2010/03/23(火) 23:25:24 ID:I9bvwq+T
ノアの子に黒人も黄色人種もいないからだよ

つまり人間じゃないって認識なんじゃないかな
104神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:29:28 ID:k4RFhQM7
>>70
>始まりは、時間が流れ始めた時。つまり空間が生まれた時。
>それ以前は時間も空間もない、つまり無だね。

神霊界は時間も空間も我々の時空とは異なっていると伺っております。
つまり神界の頂点におられる至高神は時間・空間を超えた存在であり、
まず三次元界の時間を創り、次に空間を創られ、子の神々を創造された。

次に子の神々は地球や生物、人類を順番に創造されます。

人の創造にあたって、神の分霊ともいうべき「光の箇所」を与えますが、
それでは善一途で神と変わらず、ある理由があって「闇の箇所」も人に
宿します。神の経綸の一環でしょう。
換言しますと、アダムは完成品ではなく、光と闇との調和を保った存在が
完成形と言うのかも知れません。

闇の箇所は自己愛、欲望を生み出しますが、努力して向上を目指すのも
欲があるからです。
アスリート、芸術家、科学者などは自己実現欲の強い現われでしょう。
高度な科学文明を建設するのも上位の欲が必要です。

神の似姿として創られた人は既に霊と心と体が三位一体となっておりますが、
そのことに気付いておりません。

「内なる神」に気付けとイエスは説き、法華経は内なる仏性を説き、それを
悟った者が天国の住人「完全なる人間」、「仏」であり、涅槃に至った境地か
と存じます。

以上、私の信仰表明にて失礼します。
105神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:33:12 ID:k4RFhQM7
>>104
>次に子の神々は地球や生物、人類を順番に創造されます。

詩篇82章に複数の神々や神の子の記載があるような。

詩82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、裁きを行われる。

詩82:6 私は言う、「汝らは神だ、汝らは皆いと高き者の子だ。」
詩82:7 「しかし、汝らは人のように死に、もろもろの君の一人のように倒れるであろう」。

複数の神々が出席される会議のことが説かれているように読めます。
または「人は神だ」と読めますね。
106神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:51:27 ID:k4RFhQM7
>>93
>欧米人と日本人の感性は異なっていますよね。
>日本人は、キリスト教より、旧約のユダヤ人に近いかもしれない。

ユダヤ教のラビ達が日本神道を調べておりますことは結構有名です。
ソロモンの時代のユダヤ教と古神道に共通点が多いので、イスラエルの
消えたレビ族(祭祀担当)が日本に逃げてきたのではないかということの
ようです。

実際、伊勢神宮の多くの灯篭にはダビデ紋章が描かれておりますね。
伊勢、イッセはエッセネと発音(言霊)が似ておりますし。

また最近のヒトゲノムの研究成果の一つに、日本人には世界中の人々の
遺伝子が見られる稀有な国だということです。
超古代に日本から世界に広がったという仮説も立てられます。
レビ族が故郷に帰ってきたと。

まあ、旧約に出てくるユダヤ人は白人ではなく、小アジア系だったという
説もありますね。
107神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:51:52 ID:tCbGu28s
>>103
>つまり人間じゃないって認識なんじゃないかな
一言でいえば、そういうことでしょうね
>>104-105
在家氏ですか。文章に特徴があるのでばればれですね。
108神も仏も名無しさん:2010/03/23(火) 23:54:45 ID:k4RFhQM7
>>107
この板では皆さん名無しが多いからです。
109神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 00:14:35 ID:VoG1kcvr
>>90
>プロテスタントが異端であるという根拠を挙げておきます。
>・初代教会から続く伝統的な七つの秘跡が無い。

☆異端と正統と真の弟子
「異端」という言葉は自称「正統」が作り出した造語ですので
ナンセンスですね。

「いずれがイエス様の真の弟子が多いですか?」または
「いずれが聖霊のみ働きが活発ですか?」と質問したら
より公平な回答が得られるかと存じます。

真の弟子については、初期教父の聖エイレナイオスの証言が
参考になりますので再掲します。「異端」反駁の著者ですし。
「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、
人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))
110神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 07:58:10 ID:ktH10yuN
比喩的な表現や慣用句を理解せずに、
聖書の御言葉を、
字義どおり、語義どおりに
そのまんま受け取る馬鹿がプロテスタント福音派。
111神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 09:43:00 ID:1V9gWv75
>虚無が虚無であることを拒んだときにビッグバンが発生した。

言葉遊び出宇宙は生まれたか?
112神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 09:45:13 ID:GMw3RHFO
>神がこの世で、自然法則を超えて干渉できないように見える

すげーな。物理学者もまだ知らない自然法則をよくご存知な>>98
113神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 19:27:47 ID:W/1030tz
>>111
話が逆。宇宙の始まりを言葉で表現したらですね。
>>112
神が自然法則を超えたという具体例を知っている?
114神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 19:35:38 ID:W/1030tz
人間には自由意志があるのかないのか
115神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 21:23:56 ID:Vl4qj2jE
スエデンボルグは、人間には自由意志がないのに、
自由意志があるかのように生かされている、というようなことを書いていた。
 
その理由は、自由意志で行動していると思わなければ、
その結果に対する責任を感じることはなく、改良されることもないからだと。
 
いまのところ、これが正解のように思える。
116神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 21:37:35 ID:Vl4qj2jE
>>104 
>神霊界は時間も空間も我々の時空とは異なっていると伺っております。
>つまり神界の頂点におられる至高神は時間・空間を超えた存在であり、
>まず三次元界の時間を創り、次に空間を創られ、子の神々を創造された。
 
子の神々とは具体的にどんな名前になりますか。
いざなぎや、いざなみも含まれますか。
117神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 22:13:39 ID:Vl4qj2jE
至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
 
「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
118神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 22:25:44 ID:Vl4qj2jE
>>104
>人の創造にあたって、神の分霊ともいうべき「光の箇所」を与えますが、
>それでは善一途で神と変わらず、ある理由があって「闇の箇所」も人に
>宿します。神の経綸の一環でしょう。
 
その「闇の箇所」とは何であり、わざわざ悪を与える理由は何ですか。
善である神に、与えるべき悪があったのはなぜでしょうか。

>換言しますと、アダムは完成品ではなく、光と闇との調和を保った存在が
>完成形と言うのかも知れません。
 
神はなぜアダムを完成品にしなかったのですか。
119神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 22:34:09 ID:L54VN1kH
イヤミなやつだから
120神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:16:43 ID:TQFugbOW
グノーシスによれば、聖書の神は偽神であり、この世は失敗作らしい
121神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:23:39 ID:TQFugbOW
現代の脳科学は、意志の形成過程を明らかにしつつあるという。
予定説にとっては有利な展開になっている。
122神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:43:01 ID:tvcGSrow
隣のキリスト教板ではほとんど無視された内容を再掲します。

>神自身が人間としての弱さと極限の苦しみを味わったという犠牲
>約束されていた「聖霊」の降臨の成就、そして12弟子らによる証しが真実であること

イエス様が神ならば十字架の処刑、ゲッセマネでの祈り「この杯」は簡単に回避
できましたよ。
「神の預言者」だったから、ご自身を遣わした神(天の父)の思し召しに従った
のでしょう。

神の預言者を軽く見ないで下さい、皆さん命を失うことは恐れませんよ。
エリアの生まれ変わりの洗礼者ヨハネも斬首を予知して恐れなかったかと思います。
もしイエス様に不本意があったとしたら、「自身が贖いの子羊」だと利用される
ことを予知されたからではないでしょうか。

根拠は福音「良い種に良い実、悪い種に悪い実」は「因果応報の法」でしょう。
ガラテヤ人への手紙6:7でも、「人は自分で蒔いた物を、刈り取ることになる。」
更にエッセネ派(多分、イエス様が誉めた洗礼者ヨハネ所属)は人の代わりに
動物を生贄にするのは認めていなかったです。

また聖霊ですが、聖エイレナイオスの証言にもありますように、彼の時代までは
イエス様の「真の弟子」達に降下して、癒し、悪霊を追い出し、死者も生き返らせる
という奇跡が続出しておりました。

あれから、わずか2千年しか経っておらず、神経綸から見れば瞬きするほど。
神様もイエス様も聖霊も何ら変わらず活動しておられますが、聖霊による奇跡
はどこへ行ったのでしょうか?

もし、教会内で聖霊の働きが見られなくなったとしたら、エイレナイオスと
ニケーア会議以降に何かが変わってしまったのだと推論することが自然かと
存じます。
123前世は一在家:2010/03/25(木) 00:09:42 ID:l3/QPSTp
>>117
>至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
>「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」

複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。
>詩82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、裁きを行われる。
>詩82:6 私は言う、「汝らは神だ、汝らは皆いと高き者の子だ。」

また死海文書に含まれる世界最古の旧約聖書でも申命記に「神の子ら」という
複数の神的存在が明記されております。

古来神様は預言者に対して「私は唯一絶対神である」と告げられたと伺って
おります。これは神々の方便の一つだそうです。
もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
などするでしょうか。

>>116
>子の神々とは具体的にどんな名前になりますか。 いざなぎや、いざなみも含まれますか。

神の御子達の名前は旧約では出てこないようです。
グノーシスでは、イエスとかソフィアとかいう御子の名前が登場しますが。
124前世は一在家:2010/03/25(木) 00:24:29 ID:l3/QPSTp
>>118
>>換言しますと、アダムは完成品ではなく、光と闇との調和を保った存在が
>>完成形と言うのかも知れません。
> 
>神はなぜアダムを完成品にしなかったのですか。

善一筋で欲のないアダムは神と変わらない存在だったからでしょう。

大芸術家の神はこの3次元界を創られた際に、この物質界での神の
如き存在(人)が地上に物質でエデンの園を顕現することを望まれたと
伺いました。

物質界での高度な科学技術を開発する為には全く欲のないアダムでは
完成形ではなかったようですね。
かと言って闇の箇所が増大した科学者では人類と地球を滅ぼしてしまい
ますから、光と闇との調和が重要です。

私の話の中には聖書にも仏典にもないことが含まれておりますが、皆様の
智恵と内なる神性にて認識願います。
125紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/25(木) 00:36:50 ID:GJmT5T2r
にしても、どう考えたら「オーマイゴッド」なんて馬鹿げた口が聞けるんだろ。
お前の神はキリストじゃねぇのかよ。

「苦しい時の神頼みはみんなするが、
うれしい時に神に感謝するのはみんな忘れている」〜マーフィーの法則

こういうプロ市民はキリスト教徒のフリをしているだけのクズだろう。
賠償金ボッたくるのが奴らの狙いだからな。

「強欲なトヨタよ、恥を知れ!」 ブレーキが効かなくなるも「神の力」で減速して助かった女性、米公聴会で証言
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1428305.html
126神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 18:04:08 ID:fBYgzuVU
>>122
イエスが神ではないという主張にはおおよそ同意です。
しかし聖霊については、まず聖霊を定義するべきではないでしょうか。
そうしないと話が混乱すると思う。
127神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 18:20:16 ID:DDPDGlkm
あらW
これ チチモミのID:rd9cjjbh ID:ktH10yuN雹ぐるんさんなんですか?W

http://www.img5.net/src/up10862.jpg

128神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 18:27:16 ID:fBYgzuVU
>>123 
>複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。
 
詩篇82は、81から続く<詩>です。詩であって事実ではありません。
 
詩篇81・・・
あなたの中に異国の神があってはならない。
あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
わたしが、あなたの神、主。

詩篇82.1〜7 
神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。・・・
わたしは言った。「あなたたちは神々なのか。皆、いと高き方の子らなのか」と。
しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
129神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 18:34:24 ID:fBYgzuVU
>>123 
>また死海文書に含まれる世界最古の旧約聖書でも申命記に「神の子ら」という
>複数の神的存在が明記されております。
 
死海文書は読んでません orn

>古来神様は預言者に対して「私は唯一絶対神である」と告げられたと伺って
>おります。これは神々の方便の一つだそうです。
>もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
>などするでしょうか。
 
これは論理的に成立しないでしょう。
全知全能なる神が複数いたら、全知全能ではなくなるのでは?
A神とB神で意見対立が生じたらどうなります。
神が複数いることはありえません。
130神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 18:54:11 ID:fBYgzuVU
>>12 
>善一筋で欲のないアダムは神と変わらない存在だったからでしょう。
 
それでいけないのはなぜですか。

>大芸術家の神はこの3次元界を創られた際に、この物質界での神の
>如き存在(人)が地上に物質でエデンの園を顕現することを望まれたと
>伺いました。
 
であればなおさら、アダムを神のごとく造るべきだったでしょう。
神が創造に失敗した理由がよくわかりません。

>物質界での高度な科学技術を開発する為には全く欲のないアダムでは
>完成形ではなかったようですね。
>かと言って闇の箇所が増大した科学者では人類と地球を滅ぼしてしまい
>ますから、光と闇との調和が重要です。
 
要するに全知全能なのに失敗したわけですよね。その理由が不明。
それに光と闇との調和もよくわかりません。
 
>私の話の中には聖書にも仏典にもないことが含まれておりますが、皆様の
>智恵と内なる神性にて認識願います。
 
こういう場所では、共通語で話すべきだろうと思います。
そうしないと議論にならないかも。
131神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:09:00 ID:fBYgzuVU
ウィキの「自由意志」も難しい。難しくて理解できない。
これが深遠なる哲学なのかという感じ。
多くの哲学者が脳みそを絞ってきた古いテーマなのですね。
132神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:44:36 ID:p+gXK1IY
>>131
自我の存在と自由意志は切り離せないんです
133神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:49:41 ID:fBYgzuVU
「自由意志」の背後には虚無が控えている。
 
虚無と言えば、ニーチェ、サルトル、カミュなどですか。
世界は「不条理」 という考え方でしょう。
つまるところ神の否定
134神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:51:23 ID:p+gXK1IY
人それぞれに課せられた決定論(宿命)を背負い
そこからどう脱却していくのかということです。
自由意志とは重き荷(宿命)を背負いながらその苦
に打ち勝つ為の神から与えられた最大の武器なのです
135名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 19:54:28 ID:p+gXK1IY
マイスター・エックハルト

神性の無です。
神とは存在ではなく認識という次元なのです
136神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:57:46 ID:fBYgzuVU
>>134
人間が決定論(宿命)の下にあるなら、そもそも自由意志がありえない。
神が与えた宿命に対抗することは神への反逆でしょう?
そんな武器を与えるはずがないし、
与えられたとしても神に勝てるわけがないと思う。
137神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:02:46 ID:fBYgzuVU
>>135
エックハルトはそのような理解をしたようですね。
でも個人的には誤っていると思う。
 
神とは「在りて在る者」、存在するものです。
無ではありません。
138名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:06:21 ID:p+gXK1IY
>>136
宿命はあっても運命は変えられるのです。
自由意志とは神への帰依して宿命と立ち向かう
強さの為に発揮されるものなんです
139神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:11:21 ID:C24lG64z
>エリアの生まれ変わりの洗礼者ヨハネも斬首を予知して恐れなかったかと思います。

ヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250802938/l50
この事については↑のスレで言い尽くしてあるので御覧下さい。

>もしイエス様に不本意があったとしたら、「自身が贖いの子羊」だと利用される

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/575

>根拠は福音「良い種に良い実、悪い種に悪い実」は「因果応報の法」でしょう。
>ガラテヤ人への手紙6:7でも、「人は自分で蒔いた物を、刈り取ることになる。」

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266627900/142

>また聖霊ですが、聖エイレナイオスの証言にもありますように、彼の時代までは
>イエス様の「真の弟子」達に降下して、癒し、悪霊を追い出し、死者も生き返らせる
>という奇跡が続出しておりました。

エクソシストは実在します。

>あれから、わずか2千年しか経っておらず、神経綸から見れば瞬きするほど。
>神様もイエス様も聖霊も何ら変わらず活動しておられますが、聖霊による奇跡
>はどこへ行ったのでしょうか?

バチカン公認のものは「以降も」一応ありますね。というか普通のクリスチャンは聖霊を
単なる奇跡使用のためのエネルギー源だとか媒介だとは考えていないと思います。
140名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:11:32 ID:p+gXK1IY
>>137
ひたすら神性の無です
純然たる神は無であり

知性認識されるもので存在そのものではありません
しかし神は神の偉大さ故 個々に表現せずにはおられないのです。
141神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:11:53 ID:fBYgzuVU
>>138
イスラエルのことですか。
ヤコブはももの関節をはずして神に勝ちましたものね。
142名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:15:38 ID:p+gXK1IY
マイスター・エックハルト
『神は存在する故に認識するのではなく、
        認識する故に存在すると考える』
143名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:19:36 ID:p+gXK1IY
『知性認識は神の形相をもつと言い得る。何故ならば
        神そのものは知性認識そのものであり、存在ではないからである』

と言っているということは
神とは存在するのか存在しないのか?
という次元ではなく知性認識できるかできないかという問題だということなのですよね。
144神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:20:30 ID:fBYgzuVU
>>142
その考え方は誤ってます。
認識を優先するのは、仏教の唯識ではないでしょうか。
145名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:23:11 ID:p+gXK1IY
>>144
その上です。
仏陀は存在する二極の対立から脱却は説きましたが

アートマンは説きませんでした。
146神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:25:02 ID:fBYgzuVU
認識は、認識対象があって初めて可能になります。
無は認識できません。
何もないものを認識できると思うのは妄想です。
147神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:28:41 ID:fBYgzuVU
>>145
無からの天地創造をイメージできますか。
具体的にどうイメージしますか。
148神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:30:12 ID:C24lG64z
>複数の神々がいないとなれば詩篇82章に反しませんか。

>>128さんが引用されたように(原型はどうであれ)唯一神論と調和化されてますね。
ちなみに>>141さんの紹介内容も旧約聖書中で調和化済みです。
ホセア書12章5節では天使ということになっています。

>これは神々の方便の一つだそうです。
>もし「実は私以外にも神が存在するのだ。」と言えば、預言者は命がけで布教
>などするでしょうか。

そのために費やされる人生、命の重みをわかっているのですか?
あなたこそ「預言者を軽く見」てるのではありませんか?
彼らを神々の計算に利用させているではありませんか。否定していた
「複数の神々」の掌上で操作されている、と知ったら彼らはどれだけ屈辱に思うでしょうか。
149名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:33:38 ID:p+gXK1IY
>>146
それは個人個人の技量によるものです。
が、認識対象が粗雑なもの例えば目に見えるもの。
これが信仰の対象としての偶像を利用したもの

心が成熟されていくと認識の対象物が微細なものでも
認識できるようになり
ついには対象がなくても認識できるようになります。
これが最高の知性認識なのです。

ここに辿りつく自由意志を人間はだれでも備えています。
すでに与えられている人間の特権ですね

150神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:38:09 ID:fBYgzuVU
>>149
よく理解できないのですが、中願派の「空」のことですか。
151名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:40:21 ID:p+gXK1IY
>>147
『天地創造』 当事の人間としては最高の想像力ですね。
しかし 最高の知性認識は言語表現を超越しています。
そしてイメージも、今の人間の方がはるかに豊かです。
創世記なんかよりもっと凄いSFXのシナリオがいくらでも存在します。
人のイメージを遥か上をいくのが神なのです。
152名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 20:44:46 ID:p+gXK1IY
>>150
では話をキリストの御言葉から紐解きますと

復活したキリストが、弟子のトマスに
『あなたは(復活した)私を見たので信じたのか?
見ないで信じるものはさいわいである』
                             ヨハネ:20−29

と言われたことは、目に見なくても事実を認識する
最高の知性を育てよとの教えでもあります。
これができるのは、人間の心が感覚の限定と理性の限定を超える
この特異な能力を持っているということです。
現世の諸々の事物に目を奪われること無く
この自由意志でこの知性認識を磨きなさいとの  お教えですね。
153神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:59:41 ID:fBYgzuVU
>>151-152
聞き方が悪かったけど、無から物質が現れるプロセスを聞きたいのです。
物質が現れないと天地創造も不可能ですよね。
154名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 21:10:16 ID:p+gXK1IY
>>153
天地創造に拘っていますね。
まー 一応聖書の言葉ですから軽視はできませんけど・・

エックハルトの言葉を引用すると
神と考えられるような神は真の神ではなかった。神を神と考えている限り、
「我」性の引力圏内である。むしろそのような神によって「我」性の方が益々ふくらむのである

『 神との合一 』とは天地創造という話とは異次元なのです。
つまりは天地創造も人間そのものの我性の圏内だということです。
155名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 21:15:48 ID:p+gXK1IY
>>153
まー  無→意思→音(言葉)→物質
じゃないですか?

156神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 21:34:11 ID:fBYgzuVU
>>154-155
神が人間を創造したから、人間は神にたどり着けるのだと思う。
これがエックハルトで「神の合一」と表現されのでしょう。
しかしそれが「無」であることはない。
あなたは自分で神が「無」であることを確かめましたか。
 
それからもうひとつ、無 → 意思 → 音 → 物質なら、
物質にも意思がある? あるいは人間に意思がある?
→の順序から言えば、物質や人間には意思がないように見えます。 
157名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 21:41:21 ID:p+gXK1IY
>>156
創造論は当時の人達が造った最高の神話ですからね。
宗教哲学科学が全てまとまらないと最高の知性認識には
たどり着けません

あと物質は意思の残骸です。
人間は単なる物質ではありません 自由意志のある神の最高の作品ですからね
158神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 21:48:54 ID:fBYgzuVU
>>157
究極的に無であるということは、人間存在の本質は無であるということと同じ。
無である存在の自由意志もやはり無。
これって不条理の哲学、サルトルやカミュの考え方ですよね。
159名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 21:56:31 ID:p+gXK1IY
>>158
ここに不動なる永遠の安息、平安、寂静があるのです。
永遠の命とは被造物すなわち無.
供給される側から供給するものになるということです。
160神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 22:01:12 ID:fBYgzuVU
>>159
永遠の命ではなくて永遠の無ではないですか
それは無神論ですよ
161名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 22:09:06 ID:p+gXK1IY
>>160
いいえ無神論じゃありませんよ
究極の神との合一です
無を否定するところに我性の引力が働いてしまい
純然たる神を見失う結果を招くのです。
162前世は一在家:2010/03/25(木) 22:15:17 ID:ejKEzSI1
>>117
>至高神のほかに複数の神々がいるとなれば十戒の第一に違反してませんか。
>「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」

>>128
>詩篇81・・・
>あなたの中に異国の神があってはならない。
>あなたは異教の神にひれ伏してはならない。
>わたしが、あなたの神、主。
>
>詩篇82.1〜7 
>神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる。・・・

神霊界に複数の神々が存在し、それぞれが教団(異教)を従えていると
柔軟に解釈すれば、なんら不思議でなく矛盾もございませんね。

日本神道の神々と仏教の神々とが戦って、後者の守護力が勝って
日本に仏教が広まったという歴史もありますので納得です。

エホバが「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
と言われた時は、多神の中で一神を信ぜよという意味だったことに
なります。
アラーが「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」
と言われた場合も同様でしょう。

なんだか数千年間続いた多神教と一神教との争いが空しかったことの
ようですね。
163前世は一在家:2010/03/25(木) 22:16:04 ID:ejKEzSI1
>>130
>要するに全知全能なのに失敗したわけですよね。その理由が不明。
>それに光と闇との調和もよくわかりません。

そうですか、「全知全能」をネタに一つお話をします。

昔々、神様Aと神様Bがおられ、一人の男に語りかけました。
神A「私は全知全能の神である。私以外に神はいない。」
神B「あなたは私の起こした奇跡を見て全知全能だと思っているが、
実は全知全能という神はいないのです。」

神A「全知全能の神は七日間で世界を創造したのである。」
神B「世界の創造には神代暦で7代もかかったのです。」

神A「神の似姿として最初の人のアダムを創造した。」
神B「神の子、人を創造するまでに失敗も多く、馬や猿なども創りました。」

さて、この一人の男は神様Aと神様Bのいずれを信じますか?
それとも両方とも信じませんか?

このお話のポイントは「全知全能」は、神の預言者への神様の自己申告だった
ということです。

「光と闇との調和」の法については、ある賢人が「正反合一」とかいう言葉で
別の表現をしましたね。
164神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 22:18:29 ID:fBYgzuVU
>>161
そういった究極の神、無との合一をはたしましたか。
それとも本の受け売りですか。
165つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/25(木) 22:27:48 ID:HQUTnVH5
神と人間のキャパの違いを思うと、合一。並列化は無理。
神の一部と繋がる。
個々の器によって受け取る。
そういう感覚というか体験ですね。

神に包まれたという感覚は理解できますが、それは合一じゃないですね。
166名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 22:31:24 ID:p+gXK1IY
>>164
うん修行中です。
全てのことに決して揺れない心になるためのね。
無 不動心とは悲しみや不安という感情に
自分自身が引きずり込まれない
ためのもの
イエスや仏陀のように慈悲深さを伴わうものです
167名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 22:32:39 ID:p+gXK1IY
>>165
それは今生での自分の技量の
限界を見極めているのでしょうか?
168つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/25(木) 22:40:35 ID:HQUTnVH5
>>167
いいえ、どこまで行けるかわかりません。
しかし、肉の思いを抱えながら神と完全な合一は僕の器では無理です。
ですから、弱い自分を主に委ねる。その恵みに感謝します。
弱いからこそ、不完全であるからこそ理解し体験できる恵みです。
169名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 22:42:16 ID:p+gXK1IY
エックハルトのこの言葉は素晴らしい

神がお前に神の賜物を与え給うにせよ、与え給わぬに
                     せよ、お前は安らかに満足しなければならない

無しで済ますということは、それを受けないという仕方で受けることである。
「その時一体何の不足があり得ようか。そして確かに、受けることによって
よりも無しで済ますことによって一層本来的に神を受容するのである」

170名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 22:44:33 ID:p+gXK1IY
>>168
>肉の思いを抱えながら
誰でもあります。
しかし脱却を目指して進むなら
必ずその努力に報いてくれることを
僕は信じています。
171つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/25(木) 22:53:00 ID:HQUTnVH5
>>170
君は談話室のレスのような肉の思いと本気で戦う必要がある。
172名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 22:56:08 ID:p+gXK1IY
>>171
戦う必要などないのさ、 実はね。
手綱をもって手なずければいい

173神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 22:57:46 ID:fBYgzuVU
>>169
今も昔も最初に神がいたことになっているから、
エックハルトのように究極に無を想定するのはやむをえないと思う。
ヤコブ・ベーメも同じように考えている。
二人とも神秘体験があり、何らかの真実を語っているのでしょう。
174名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/25(木) 23:02:26 ID:p+gXK1IY
究極の知性認識は神性の無です。
空気も食も真の自己存在には不要です。
この体感を確固たるものにするための修行は
愉しい道なのです。
175神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 23:06:09 ID:fBYgzuVU
人間は実は食べないで生きていられる、
という本を読んだことがある。がんばってください。
176前世は一在家:2010/03/25(木) 23:22:00 ID:qP1owQrQ
>>139
>ヨハネはエリヤの生まれ変わりではありません。

 『[我汝らに告ぐ。エリアは既に来たれり。然れど人々はこれを知らず、反って
心のままにあしらへり。 かくの如く、人の子もまた人々より苦しめらるべし。]
ここに弟子たちパプテスマのヨハネを指して言い給 ひしなるを悟れリ。』
(マタイ17章12〜13節)

イエス様は洗礼者ヨハネを「人の子としては最も偉大」だと絶賛され、
彼の水の洗礼も進んで受けておられます。
モーゼも人の子ですから、モーゼを含むすべての預言者達よりも偉大な
洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。

因みに洗礼者ヨハネはパリサイ、サドカイ派を「まむしの子孫」と罵倒して
洗礼を拒絶しておられますので、その他の彼の特徴も含めてエッセネ派の
可能性が高いと研究者達から見なされております。

そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。
もしイエス様が元はエッセネ派であれば、「過越しの子羊」にされることは
どれだけ屈辱的であったことかと推察しております。

命が惜しくてゲッセマネで祈られたわけではないと仮説を立てております。
177神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 23:36:44 ID:C24lG64z
>洗礼者ヨハネはエリアの再来であっても不思議ではないと認識しております。

だから、そうみなされていたのであって「生まれ変わり」とは見られていない、と書いてます。

>そして、エッセネ派は動物の生贄は一切認めないことが特徴です。

この件については真偽も出典もわかりませんが、仮に事実だとしてもその発想は理解できます。
彼らは社会から離れ厳しい自力修行をしてました。こういう人々の間で
「自分のことは自分で面倒見ろ」方式の思考が育まれるのも頷けます。
ここで再度http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266627900/142を提示します

仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。
彼らはエッセネ式修行に意味を見出さず、社会に出て他者の重荷を背負うことを選んだのだと思われます。
178前世は一在家:2010/03/26(金) 06:33:08 ID:HYNS2+sA
>>177
>仮にイエスやヨハネが元エッセネ派だとすると、彼らはエッセネ派を脱退したと考えます。
>新約聖書では、律法学者ですらある部分は評価されているのに、エッセネ派は言及さえされていません。

エッセネ派は仏教に喩えると上座部(小乗)に近いかもしれません。
一方、衆生済度に立ち上がられたイエス様らはご指摘の通り大乗に似ております。

また新約を編纂し正統化した権威は「マムシの子孫」と罵倒されたパリサイ派、サドカイ派でなかったでしょうか。
そうであればエッセネ派は記載されないと推察します。

また、近年の研究成果の中で、最後の晩餐のあった2階建てはエルサレムのエッセネ派本部に近いという報告もあるようです。
イエス様は以前にもその会場を利用していたことが新約からも読み取れるでしょう。
179神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 08:00:47 ID:+GYXK6ko
>また新約を編纂し正統化した権威は「マムシの子孫」と罵倒されたパリサイ派、サドカイ派でなかったでしょうか。

どう考えてもクリスチャンです。

>そうであればエッセネ派は記載されないと推察します。

「そうであれば」の前後が全くつながっていません。
180神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 18:03:22 ID:rw4JdpsM
>>162 
>神霊界に複数の神々が存在し、それぞれが教団(異教)を従えていると
>柔軟に解釈すれば、なんら不思議でなく矛盾もございませんね。
 
教団があるのは人間界ですね

>日本神道の神々と仏教の神々とが戦って、後者の守護力が勝って
>日本に仏教が広まったという歴史もありますので納得です。
 
信者である人間同士の争いですね
181神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 18:11:47 ID:rw4JdpsM
>>162 
>エホバが・・・
>アラーが・・・
>なんだか数千年間続いた多神教と一神教との争いが空しかったことの
>ようですね。
 
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
どれも旧約の創世記を聖典にし、同じ神を信仰しているのだから、
複数の宗教になっても多神教とは言いません。
182神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 18:27:11 ID:rw4JdpsM
>>163 
>このお話のポイントは「全知全能」は、神の預言者への神様の自己申告だった
>ということです。
 
単なる人間が「自分は神だ」と言っても説得力がないですね。
なかにはだまされて信じる人間もいるでしょうけど。
しかしそういう話ではなくて、
真実の神が複数存在したら、論理的に矛盾しませんか、という質問です。

>「光と闇との調和」の法については、ある賢人が「正反合一」とかいう言葉で
>別の表現をしましたね。
 
ある賢人とはだれのことですか。
それから、闇とは光の欠如であって、光の反対ではないのです。
光と闇は、調和も合一もしないように思いますよ。
183神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 18:29:09 ID:5Nwxo5xL
消えろ盲信者。
184神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 19:18:48 ID:rw4JdpsM
人間には自由意志かあるのか、ないのか。
  
このテーマは、キリスト教ばかりでなく、
イスラム教やユダヤ教でも議論されている一大テーマのようですね。
個人的には自由意志を否定する予定説に傾いている。
185神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 19:54:26 ID:nmb8UI8w
聖書には預言者が登場する。そしてイエスは終末を預言する。
これらを信じるのは、自由意志を否定し、天命を受け入れることである。
自由意志を主張したら、預言者も終末預言も成立しないからだ。
神の約束とはそういうことである。
 
聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。
186神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 20:20:03 ID:nmb8UI8w
しかしヨナ書は<自由意志>を思わせる。
 
ヨナは「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる。」と預言する。
ニネベの人々は神を信じ、悪の道を離れた。神は災いを起こすのをやめた。
神は、人間の思いと行いを見て、預言を撤回したのである。
 
福音書では、ヨナ書によってイエスの三日後の復活が説明されている。
なぜヨナ書なのか、カンのいい人はすぐにわかるだろう。
終末預言がはずれる可能性を示唆しているのだ。
187神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 20:39:20 ID:nmb8UI8w
ヨナ書は作り話である、ニネベは内陸の都市だから。
クジラの腹から三日後に吐き出されたという話も荒唐無稽だが、
ニネベ周辺にクジラ自体がいないのである。
 
この作り話から取材し、三日後の復活を説明したのは失敗だったと思う。
作り話に取材した作り話、三日後の復活の信憑性を危うくするからである。
それでもヨナ書なのは、終末預言の意味をわからせたいからだろう。
 
ということで、預言を覆したという自由意志は作り話でした。残念。
188神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 20:49:03 ID:nmb8UI8w
イスラム教の信仰条件に、<天命>を信じるという項目がある。
六信五行は、唯一神の宗教をうまく要約していると思う。 
  
六信・・・アッラー 天使 啓典 預言者 来世 天命
五行・・・信仰告白 礼拝 断食 喜捨 巡礼
189神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 21:27:07 ID:nmb8UI8w
キリスト教としてはイエスの復活に重点があり、
ヨナ書の三日後については、ほとんど語られていないのではないだろうか。
しかしヨナ書によれば、イエスはヨナであり、預言をはずしてしまう。
イエスによって、神を信じ、悔い改めれば預言は成就しない。
 
こう考えると、福音の読み方は二通りあることがわかる。
@ 終末は確実であり、終末後の救いに希望を抱きつつ死者の如く生きる。 
A 終末預言から離れる。自分の問題として、神を信じ、悔い改める。
190神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 21:41:44 ID:nmb8UI8w
自由意志は難しいので、昨日のエックハルトにもどりますね。
 
神を<無>とするか、神を<命>にするかは重要である。
なぜなら、神探し、自分探しの方向が異なってくるからである。
 
神を無とするなら、自分を無とすることが目的になり、それが試みられる。
たとえば、過酷な修行であり、終日の瞑想である。
 
神を命とするなら、命を知ることが目的になり、修行や瞑想は退けられる。
そうではなくて日々の生活の中に命を探そうとする。
191思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/26(金) 21:54:45 ID:2FHAQDi4
ある経験がありイエスを信じるようになり、義捐金や人々のあやまちをゆるすよう努め、肉の欲・目の
欲・持ち物の誇りを楽しんでいた頃・・・・・実際に人格神と対話した(本当のことである)

【わが神】
―わたしが空腹のときに食べさせ〜旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて〜そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―
―イエスはさまざの病苦と〜貧しい人々は福音を聞かされている―

 神(創造主)は貧しい人々を助けることを望まれているのではなく、「わたしの兄弟のように、衣
 食があれば足りる」ような暮らしの人々を望まれている。そういった質素な暮らしの人々が、空腹
 のときに食べさせたり宿を貸したりすること。

 神が創造されたのは、森や林など大自然である。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努
 めない人々は、天国で神と暮らすことはできない。

 楽しみとしてゆるされるのは大自然で、貧しく最も小さい者となるか、肉の欲を捨て貧しい人に食 
 物をめぐみ、死後も神とともに暮らせる人々を、全世界探し求められている。

192思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/26(金) 21:55:43 ID:2FHAQDi4
【あなたがたの父なる神】
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―
―もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである―
―悪魔はイエスを〜世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あ
なたにあげましょう。それらはわたしに任されていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから―
 
 聖霊に満ちて荒野・・・神が創造された自然を楽しむより、富や権威や栄華を得るためにあくせく
 すること、衣食があれば足りるような心得て暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ようと
 する人々を善いこともするが、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」にした。

神が言われるには、富・自分の権威・栄華・肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ようとする人々を、
「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「土に帰る」天国で神と一緒に暮らすことができず、「地で生き
続ける」全世界どこに生まれるかわからない「旅をさせる」と言われ、神の敵の者であると。

 信仰が深いと思いながら、わたしの兄弟のように貧しくもなく、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
 捨て去ろうと努めない人々は、天国に入ることはできず、地(下界=この世)に閉じ込められ、さ
 ばきの時まで、地で生き続ける。=既に裁かれている。
193思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/26(金) 21:58:31 ID:2FHAQDi4
【奥義】
天国は―この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたが
たがたにできない事は、何もないであろう―という言葉が真実となり、そこに入るのは「わたしの兄弟」
のように、「肉の欲・目の欲・持ち物の誇りが一切満たされない状態」か、信仰に熱心で、それらを取り
除かねば、永遠の国に入ることはできない。

後になる人々は、「何一つ正しいことはない」「誇るな」として、神に対して罪の者でしかない。
聖霊=神が創造された自然、わたしの兄弟とわたしの兄弟にいつ施し与えたか、衣食があれば足り、肉
の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ったイエスを尊敬・正しい存在と讃美して、世を支配する天上に
いる悪の霊を讃美せず、

―「人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。この奥義は大きい―
―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、そ
の言葉どおりになるであろう―

 神に救われるのは、わたしの兄弟、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努める人々だけで
 あると。その他の人々は、神に対して全く信仰のないようなつもりで誇らず、世と妥協せず、御言葉
 を受け入れるなら、世で救われる。

―あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう―  神が望まれるのは完全な世界に生ま
れることで、不完全なこの地の人々も、完全な者をよしとし、人であることを誇らないならば、地の者
も救われる。善いことをしても、神に対して(しました)と少しでも思ってはいけない。
194神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:26:33 ID:nmb8UI8w
>>191-193
神が命であれば、神は喜怒哀楽のある人格神であり、
神を見、神の声を聞き、神に触れることもあるのだろうと思います。
味がすることはあっても、匂いを嗅ぐということはない。
195神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 23:42:30 ID:YvcJx7NT
前半は結構良スレだったのに
なんか最近変な方向に行ってる。。。
196前世は一在家:2010/03/27(土) 07:45:25 ID:y6NKBC3E
>>182
>ある賢人とはだれのことですか。
>それから、闇とは光の欠如であって、光の反対ではないのです。
>光と闇は、調和も合一もしないように思いますよ。

正確には「正反合」を説いた賢人とはヘーゲルのことです。

(解説)
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)
ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。

(私見)
人は己のうちに光の個所(神性)と闇の個所(欲心)という矛盾を含んでおり、互いに対立しあいますが、その対立の中で生活をしております。

譬えますと、美味しい善哉もその成分に甘い砂糖と辛い塩という矛盾を含んでおりますが、互いに結びついて成立しております。
197前世は一在家:2010/03/27(土) 08:04:20 ID:y6NKBC3E
>>181
>ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、
>どれも旧約の創世記を聖典にし、同じ神を信仰しているのだから、
>複数の宗教になっても多神教とは言いません。

同じ神を信仰しているから「一神教」という定義のことですね。

私が詩篇 81-82の啓示から指摘したことを下記に整理します。
・詩篇の啓示の主は旧約の神様だとします。
・旧約の神から見て異国の神々が存在します。
・その事実は「汝らは神なり」という言葉が証明します。
・ある時神々の会合がありました。
・旧約の神は、他の神々は全て自分より劣ると評価されました。

これも神様から預言者への自己申告であり、本当に旧約の神が
一番上位なのかは人には分からず、ただ信じるのみです。
私はグノーシス主義者ではありませんが、旧約の神の他に
複数の神が存在するという神学では一致しております。

換言しますと、旧約は「一神教」ですが、数箇所に「複数神」に
関する啓示が含まれております。

神界でも人智では図り難い、神々の競い合いがあるようですね。
多分、他の神々も預言者を遣わして「私以外の神を信じてはならない」
との啓示をおろされていると推察します。
198前世は一在家:2010/03/27(土) 08:27:33 ID:y6NKBC3E
>>185
>聖書は、天命論、宿命論、予定説を前提にして成立している。

ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)

ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
伺っております。

例えば、家族で車に乗ってディズニーランドへ旅行に行くのが
「天命」で決まっておりましても、行き方「宿命」はある程度
決まっておりましても、車中でどのように過ごすのか「運命」は
自由意志次第でしょう。

例えば、終末の訪れが「天命」で決まっておりましても、どのような
大災害がどれだけの規模で起きるのか「宿命」はある程度決まって
おりましても、生き残る側なのか滅びる側なのか「運命」は自由意志
次第でしょう。

「自由意志」はあります。
その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。
199思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/27(土) 09:34:28 ID:nrqU0D4g
【神様 言葉を語られる】
自分にとって最大の出来事。

神様は、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪りながら、少々、貧しい人々などをあわれんで義捐金などを
しても、神様に信仰がありとされない。「わたしの兄弟」のように、信仰により「肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを捨て去ろうと努め、衣食があれば足りるような心得の暮らし」で、空腹の人々に食べさせ、宿
を貸したりすること。
「わたしの兄弟のように最も小さい人々や肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろう」とする人々は、
「土に帰らず」神様に逢い、私と暮らせる者となれると。

神様が創造されたのは森や林などの大自然で、永遠の命のために楽しみとしてゆるされたのは、自然を楽
しむくらいで、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りではない。信じながら、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
満たそうとすると、強い勢いで叱られる。
200思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/27(土) 09:35:16 ID:nrqU0D4g
【滅びの悪魔・悪霊】
神を信じながら、(平和でよい世の中だ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを満たせる幸せな世の中だ)
(人々のあやまちをゆるすように努め、隣人を愛するように努めるようにすればよい)(宗教は道徳的な
ことを教えているだけ)と思って暮らしていた時、神様は言葉を語られた。

富や権威や栄華を得ようとすること、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りを貪ろうとする世は、神様の支配ではない、悪魔の支配であると。
そして人々は、「神の左」「地の奴隷」「悪魔の子」「呪いの子」となって、「土に帰り」再び「地で生
まれ」、最後には滅ぼされ、永遠に神様に逢えることはない者となると。

善いこともすれば、悪いこともしでかすかもしれない「そのままの人」として、地で生き続ける。

 いくら道徳的に正しいようなことを心に抱いても、世と肉欲をもって神様を信じること、神様に忌み
 嫌われている。
201思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/27(土) 09:36:33 ID:nrqU0D4g
【肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを全て捨て去ることができない人々】
「からし種一粒ほどの信仰もない」人々のように、信仰の浅い者と強く心得、「何一つ正しい者ではない」
「誇れない者」として神様の言うことを聞き、

―わたしが空腹のときに食べさせ〜旅人であったときに宿を貸し〜『主よ、いつ、わたしたちは、あな
たが空腹のであるのを見て食物をめぐみ』『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにした
のは』
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて〜そのあいだ何も食べず―
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―

 いつもそのように望まれている方がいらっしゃると心得、イエスを尊敬・正しい者と讃美し、その
 うえで御言葉を善いと受け入れ、地で生き続ける人々も幸福となる。
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ―という言葉を受け入れようと努め
ても、神様にとって、悪魔の子から、やっと人らしくなった程度。

世の終わりには、世から出たものを完全に離れ、神様のみに従わないといけない。

202神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 12:47:51 ID:mdTZgRqk
猿は猿です!って御言葉があるって言ってた
(きゅー約聖書っていうらしい)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10146637
203神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 13:36:34 ID:nM5hphqQ
>>196 
すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。
 
砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
これらは己のうちにある矛盾ではありません。
弁証法を誤解していますね。
204神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 13:43:30 ID:nM5hphqQ
>>197 
在家氏は多神教を信じている、ということですね。
205神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 13:59:14 ID:nM5hphqQ
>>198
天命、宿命、運命に区別し、
段階的に、決定論と自由意志を両立させる考え方ですね。
 
しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
死ぬことに変わりないからです。
 
マタイ10.30
「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」
206神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 14:22:57 ID:nM5hphqQ
人間の五感は、見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる、である。
この五感は、より根源的なものという観点から、順序をつけられそうである。
 
たとえば、触れる → 見る → 聞く → 味わう → 嗅ぐ 
嗅覚の退化は、嗅覚から離れることによって二足歩行が可能になったことに
関係している。こういった理由から、神を見ても、神を嗅ぐことは
ありえないのか。いやもともと神に匂いがないのだろう。
207神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:28:24 ID:gV/OS7GS
五感は一定程度生存に必要な範囲で限定的に発達したものに過ぎないのではいか?
基本性能の範囲にも偏りが有るし、精度や分解能も到底十分ではない。
感覚情報自体、神についてどうこう言えるようなレベルの代物だろうか?
208神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:05:05 ID:Gw4GG0Oe
>>207
スエデンボルグではないが、自然的な感覚は粗雑です。
しかし霊的感覚が存在し、しかも日常的に体験しています。
何かを話すときは、一瞬のひらめきをたよりに、次々につむぎ出されます。
この一瞬のひらめきが霊的感覚のレベルなのだと思います。
209神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:28:45 ID:Gw4GG0Oe
>>198 
>ユダヤ教の三大宗派の中でもエッセネ派は一番予定説、つまり
>「神の経綸」(青写真)を強く信じておりました。
>(死海文書の宗規要覧を調べた学者の見解です。)
 
エッセネ派を根拠にしなくても間に合うでしょう。

>ただし、天命・宿命・運命の中で運命は人の意思で変えられると
>伺っております。
 
自由意志の問題を理解していますか。
どんな領域で、なぜ自由意志が問題にされているのでしょうか?
 
>「自由意志」はあります。
>その根拠は「人は神性を宿した神の子」だからです。
>子に自由意志が無ければ親にも自由意志が無いことになりますからね。
 
人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
時と場合によっては、人間と神とが衝突します。
210神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 18:21:36 ID:Gw4GG0Oe
聖書にはいくつも気になる記述がある。創世記15.17もそのひとつ。
これはいったい何ですか。どなたか教えてください。
 
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と松明が
二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。
211前世は一在家:2010/03/27(土) 18:43:47 ID:Bk6BIdba
>>203
>すでに指摘したように、闇は光が欠如した状態です。光と闇は対立してません。
>したがって、光と闇が調和することも合一することもありません。

死海文書の宗規要覧では、人には光の箇所と同時に闇の箇所を宿し、
だからいかなる義人も罪人であると記載されております。
(逆にいかなる罪人も義人になり得ます。)

>砂糖と塩も同じであり、在家氏が(解説)で書いているように、
砂糖が欠如した状態が塩ですか? 塩が欠如した状態が砂糖ですか?
砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。

さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。
小学校で習うような秒速何万キロで直進する「光」や、光の影にできる
「闇」とは異なる意味だと解釈しております。

「神は光なりき」と言った場合、秒速何万キロで移動して静止できない
光をあなたはイメージされますか?
私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
または燃えさかる炎のような智生体でしょうか。

また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
だと思料しております。
212前世は一在家:2010/03/27(土) 18:54:40 ID:Bk6BIdba
>>205
>しかしこの考え方には欠点があります。天命(旅行先)で死ぬのも、
>宿命(途中ルート)で死ぬのも、運命(車の中)で死ぬのも、
>死ぬことに変わりないからです。

天変地異で死ぬことも、寿命で死ぬことも、自殺することも
死ぬことに変わりないのですか?
殉教される方も大勢の人々を助けて死ぬかたもおられます。

死んで終わりという唯物論者ならばそうかも知れませんが、これらの
死に方はカルマ、罪の量がまったく異なっていることがお分かりかと
存じます。

仏教では来世の姿や境遇が、キリスト教でも天国・煉獄・地獄の
往き先が異なってくるかと存じます。
213神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 18:58:34 ID:YleklZho
>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。

何で小学校から幼稚園に退行するんですか?
214前世は一在家:2010/03/27(土) 19:00:10 ID:Bk6BIdba
>>209
>人間に自由意志があったら、神の自由意志を侵害できませんか。
>時と場合によっては、人間と神とが衝突します。

子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
ことではないでしょうか。
完璧な親はいないということを前提にしております。

私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告されて
おられます。
215前世は一在家:2010/03/27(土) 19:44:29 ID:Bk6BIdba
>>213
>>私は神々しくて直視できないほどの光の集合体をイメージしております。
>何で小学校から幼稚園に退行するんですか?

そうですか。
シバの炎の中で神を見たモーゼも似たようなインプレを感じたかと
思います。
かのモーゼでさら眩しくて土下座しておられませんでしたか。
216神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 11:41:35 ID:qz62zcgq
>>211 
>死海文書の宗規要覧では・・・
 
死海文書やエッセネ派を持ち出しても根拠になりませんよ。
自慢じゃないけど、何しろ知らないのだから。

>砂糖と塩とは元々異質で味覚上では甘いと辛いとで対立します。

だから、砂糖と塩、甘いと辛いは、弁証法の対立ではないのです。
ちなみに、甘いと辛いのほかに、まずい、渋い、苦いなどがあります。
217神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 11:46:59 ID:mvWMma65
まずい??
218神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 11:52:01 ID:qz62zcgq
>>211 
>さて「光の箇所」とは聖霊のようなものかとイメージしております。

前にも言ったと思うけど、まず聖霊を定義しないと混乱します。
小学校で習う「光」ではなくて、光の集合体のことだと言われても
いったい何のことかさっぱりわかりません。
219思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/28(日) 11:58:26 ID:P1l2DKAn
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ― そういった言葉を戒めとして受け
入れ、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りは、それほど問題ないものとして暮らしていた。

【神様は心の内も行動も全て知っておられる】
「信仰に足りないことがある。肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努め、衣食があれば足りるよ
うな暮らしをせよ。」「神と富とに兼ね仕えることはできない。豊かな生活のため、肉の欲や持ち物を得よ
うとして、あくせく働いてはいけない。」と。

 母が写真をプリントしてほしい、自分がプリンターで印刷しようとした時も、デジタルカメラで写真を
 撮ろうとした時も、何を食べようかといって喜んで買い物をする時も、スポーツ観賞や映画鑑賞、TVを
 観ることですら、神様はそれらから離れるよう強く望まれている。

今まで気にもしなかった
 ―聖霊に満ちて〜荒野〜そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―
生活にゆとりのある者が人助けをして神に信仰があると思う誤った見解
 ―わたしが空腹のときに食べさせ〜『主よ、いつ、わたしたちは』〜『わたしの兄弟であるこれらの最も
 小さい者』―
220神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 11:58:53 ID:qz62zcgq
>>218
まずいはなかったか orn
 
>>211
>「神は光なりき」と言った場合・・・
 
「神は光なりき」の出典を教えてください。
 
>また一神教も多神教も汎神教も視点が違ったり、定義の仕方が違うだけ
>だと思料しております。
 
そんなことはありませんよ。
キリスト教の唯一神と、ギリシャ神話の神々は違うし。
221思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/28(日) 11:59:28 ID:P1l2DKAn

【神様に言われて知ったこと】
自分の見解(最も小さい者は気の毒だから助けなさい)ではなく、
最も小さい者のほうが罪はなく、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去って生きれば天国に入り、神様に
逢い一緒に暮らせる。あなたも、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去るよう努め、衣食があれば足りる
ような心得で暮らし、わたしの兄弟である最も小さい者を助け、土に帰ることなく天国に入れる者となりな
さい。

神様が創造されたのは、森や林・川や海・空や太陽や月などの自然で、人の欲の物ではないと。楽しみとし
てゆるされたのは、自然を楽しむくらいである。

《信仰の深いふりをして》
信仰の深いふりをして、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問題ないと思い込み、また、神を信仰しよう
とする人に、それらのことは何も問題ないという人を非常に心配されている。神様の敵となってはいけない。

 ―わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海
 の深みに沈められる方が、その人の益になる―

 愛に反する行為を戒めないと同様、信仰の深いふりをして肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろう
 と努めない人々は、神様は敵意を抱かれ、怒っていらっしゃることを知っている。

222思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/03/28(日) 12:00:58 ID:P1l2DKAn
【その他の人々は悪魔の子か】
富や権威・栄華を得ることにあくせくし、衣食があれば足りるような心得で暮らさず、肉の欲・目の欲・持
ち物の誇りを得て暮らす人々、善いこともするが、悪いこともしでかすかもしれないそのままの人。
神の左・地の奴隷となって、地で生き続け、最後には患難に遭い滅ぼされる。肉欲を捨て去ろうとせず信じ
る人々は、天上にいる悪の霊を礼拝しているのであると。

【からし種一粒ほどの信仰もない・神に対して犯罪人(罪人)】
何ひとつ正しいことはない・誇るな。
―聖霊に満ちて〜荒野〜そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―

 神が創造されたのは自然である。衣食があれば足り、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去られた。
 わたしの兄弟。いつ、空腹のときに食物をめぐみ・・・イエス・キリストを正しい・尊敬・讃美。

神に対して犯罪人(罪人)は、世と自分のことを絶対正しいとしてはいけない。本当は天国のため、神が創
造された自然を楽しむくらいはゆるされ、衣食があれば足りるような暮らしでないといけないと。悪魔では
なくイエスとつながっていること。

―自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ― 善い行為だけでは誰も神に義とされない。善い正しい神様
が存在し、地の者は何ひとつ正しいことはないと知ってから、御言葉を戒めとして受け入れ救われる。
「地の者は愛」であると。肉の欲に満ちることではなく、聖霊に満ちることをよしとしなさい。イエスを讃
美し続けなさい。神様はまた地に来ると。その時責め立てに遭わないようにしておきなさいと。
223神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 12:08:03 ID:qz62zcgq
>>212 
「生きる側」と「滅びる側」で説明したのは、在家氏です。>>198
 
それからカルマの話を持ち出していますが、カルマの法則こそは決定論。
自由意志とカルマの法則を同時に説いたら自己矛盾です。
224神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 12:14:26 ID:qz62zcgq
>>214
>子が成長して親と意見が対立するのも、また親にとって嬉しい
>ことではないでしょうか。
>完璧な親はいないということを前提にしております。
 
神と人間を、親子の関係でとらえてはだめでしょう?
親と子の関係は、人間と人間の関係です。

>私の譬え話では神様Bタイプは全知全能ではないと自己申告・・・
 
神なのに全知全能ではない? 
ではその神は、何ができて何ができないのですか。
225神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:48:11 ID:PdSt8zrq
>>218
脳がユルいんだから追及しちゃ駄目w
雰囲気だけでボケ〜っと思ってるだけで、全然理詰めで考えられないのw
226預言者:2010/03/28(日) 16:22:06 ID:5Jd2wmuA
もうすぐサタンがあらわれる。
サタンは、キリストそっくりな姿をしている。
最初のうちは、平和の使者としてふるまい
ノーベル平和賞を受賞する。
ヨーロッパ連合の軍事総統にえらばれ、権力の座につく。

権力をもったとたん、恐怖政治をしき、
全人類に「獣の数字」をつけ、コンピューターで
全人類を奴隷化する。
宗教戦争をひきおこし、ユダヤとイスラムの全面戦争を画策する。
悪魔の軍団(ニセ救世主の十字軍)を組織し、
世界を征服する。
世界中の都市で死体の山ができる。

ヨーロッパ連合が、中国を侵略し、
かつてなかった戦争をひきおこす。
その先の運命を知りたければ、予言書を読め。
227神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 16:25:13 ID:fJIkbYnn
ソース出せ
228預言者:2010/03/28(日) 16:38:22 ID:5Jd2wmuA
世界中に予言書は存在する。
229前世は一在家:2010/03/28(日) 17:54:19 ID:kZb39W0+
>>218
>前にも言ったと思うけど、まず聖霊を定義しないと混乱します。

私も聖霊はよく分かりませんが、「鳩のように舞い降り」「舌のように降下」
してくるという記述から光速や音速でなく、ゆっくり動くようです。
掌から聖霊による洗礼(バブテスマ)で癒すという記述から、オーラとか
「気」と呼ばれるものに似ているように思います。
以上、神やイエス様や十二使徒達がまとっていた「気」のようなものだと
私は思っておりますが、新約や旧約での他の記述(表現)をご存じの方々は
ご紹介いただければ幸いです。
230前世は一在家:2010/03/28(日) 17:56:56 ID:kZb39W0+
>>220
>「神は光なりき」の出典を教えてください。

貴兄はクリスチャンではないのでしょうか。それでは一部を紹介します。
(ヨハネ伝)
1:8 彼(ヨハネ)は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、真の光で、世に来てすべての人を照らすのである。
12:46 わたしは光として世に来た。
(ヨハネ書1)
1:5 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、
 神は光であり、神には闇が全くないということです。
(詩篇)
84:11 主なる神は日です。
(エゼキエル書)
11:22 時にケルビムはその翼をあげた。輪がそのかたわらにあり、イスラエルの神の栄光がその上にあった。
11:23 主の栄光が町の中からのぼって、町の東にある山の上に立ちどまった。

参考(出エジプト記)
3:2 主の使は、しばの中の炎のうちに現れた。彼らを見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。
231前世は一在家:2010/03/28(日) 18:20:24 ID:kZb39W0+
>>223
>それからカルマの話を持ち出していますが、カルマの法則こそは決定論。
>自由意志とカルマの法則を同時に説いたら自己矛盾です。

カルマの法、輪廻の法などは「因果の法」を前提にしておりますね。
イエス様も釈尊もともに「悪因悪果、善因善果」と説かれておりませんか。

皆さんが悪因を積むのか善因を積むのかは、自由意志に託されております。
もし悪因を積むことが決定論で決まっていれば、イエス様も釈尊も説法される
必要はなかったことと思料します。
232前世は一在家:2010/03/28(日) 18:21:59 ID:kZb39W0+
>>224
>神なのに全知全能ではない? 
>ではその神は、何ができて何ができないのですか。

>>163にて、既に譬え話でご説明しております。
神が全知全能だとどうして貴兄は思われましたか?
聖書にそう記載されてましたか?
もし、そうならば聖書は神からの啓示ですから、神様の預言者への
自己申告となりますよ。
コーランもまた、神からの啓示で同様でしょう。
233神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 18:33:32 ID:TZ/Y1685
>>232
自己申告でもかまわない。
だとすると聖書の大半は自己申告だから
その自己申告が正しくないとするなら
(つまり全知全能は嘘だとするなら)
聖書は論拠としての正当性を失うね。
234前世は一在家:2010/03/28(日) 18:57:54 ID:kZb39W0+
>>225
>雰囲気だけでボケ〜っと思ってるだけで、全然理詰めで考えられないのw

エイレナイオスの師であったユスティノス(165年頃没)は、ストア派、
ピュタゴラス派、プラトン派の哲学の師に学んで失望を繰り返しました。
そして最後に彼は、人間の精神はそれ自体、真実を発見する力を持たないと
結論して落胆しました。

ある日、彼は浜辺で老人に会い、「哲学者よりも古い人々で義人であり
聖霊によって語る預言者達がいて、彼らは論理的な論証はなどはせん。」

それを聞いたユスティノスは哲学を捨てて、洗礼を受け、後に初期の
教父と呼ばれるようになったそうです。

以上のお話でお伝えしたかったことは、ご自身でお分かりかと存じます。
235前世は一在家:2010/03/28(日) 19:00:56 ID:kZb39W0+
>だとすると聖書の大半は自己申告だからその自己申告が正しくないとするなら

正しいか否かは、聖書の教えを実践した結果を順次検証していくことですね。

これは仏教や他の信仰でも共通するアプローチです。

236神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 19:09:47 ID:TZ/Y1685
>>235
個人の実践・信仰のあり方として、それは尊重します。
でも相手が誰かも分からない掲示板では
客観性を伴わない個人の実感を根拠とした議論は
成立しないでしょ?
237神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 21:08:30 ID:Gi8ynPSe
>>229 
>私も聖霊はよく分かりませんが、「鳩のように舞い降り」「舌のように降下」
>してくるという記述から光速や音速でなく、ゆっくり動くようです。
>掌から聖霊による洗礼(バブテスマ)で癒すという記述から、オーラとか
>「気」と呼ばれるものに似ているように思います。

光ではなく、オーラや気のようなものなのですか。
かなりいい加減な聖霊ですね。 聖霊から論じた >>122 は何だったの?
238神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 21:15:25 ID:Gi8ynPSe
>>230
「神は光であり、・・・」はヨハネ書1でしたか。
 
しかし、聖書の冒頭1.3には次のように書いてある。
 
「神は言われた。光あれ。こうして光があった。」とある。
239神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 21:26:27 ID:Gi8ynPSe
>>231 
>カルマの法、輪廻の法などは「因果の法」を前提にしておりますね。
>イエス様も釈尊もともに「悪因悪果、善因善果」と説かれておりませんか。
 
悪因悪果、善因善果は前提と言うより、カルマの法則の中身ではないでしょうか。
カルマという言葉自体は「行為」ということかと。

>皆さんが悪因を積むのか善因を積むのかは、自由意志に託されております。
>もし悪因を積むことが決定論で決まっていれば、イエス様も釈尊も説法される
>必要はなかったことと思料します。
 
現世が来世を決める。現世は過去世によって決められる。
ということであれば、人間は因果の鎖によって縛られているのであり、
その鎖から自由ではありえない、という話です。
カルマの法則とは決定論です。
240神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 21:26:30 ID:rt++NJro
>>238
光が光として進めるようになるのは宇宙が始まってからだいぶ経ってから

宇宙の晴れ上がり(うちゅうのはれあがり、Transparent to radiation)は、ビッグバン理論において宇宙の始まり以来、初めて光子が長距離進めるようになった時期を指す。これはビッグバンからおよそ38万年後であるとされる。
241神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 21:30:45 ID:Gi8ynPSe
>>240
ビッグバンによって神が誕生したとすれば理解できます。
光は神自身ではなく、神<の>光なのでしょう。
242神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 21:49:08 ID:Gi8ynPSe
>>232 
>>神なのに全知全能ではない? 
>>ではその神は、何ができて何ができないのですか。

> >>163にて、既に譬え話でご説明しております。
 
全知全能の神はいない、と言っているのはわかる。
しかしそういった神に、何ができて何ができないのか不明です。
あの譬えでわからせようとするほうが無理でしょう。

>神が全知全能だとどうして貴兄は思われましたか?
>聖書にそう記載されてましたか?
 
ヨブ記42.1〜2
ヨブは主に答えて言った。
あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
243名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/28(日) 23:24:33 ID:GhuHcuaY
まぁまぁ ラチのあかん議論を続けていますねぃ
パブテスマも我執からの脱却が無ければ無意味です。
エックハルトは言っています。
我性から脱却すれば 内なる神はもはやその力量を外に
出さずにはいられない。  とね
つまりなんですな。
パブテスマより我性の脱却が先なんですよ
244名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/28(日) 23:28:08 ID:GhuHcuaY
しかし大切なことがあります。
自我も神を求める自我でなければいけません
ですから自我がなくなっては神を求めることができませんので
すなわち自我は神を求めることだけに発揮せねばいけません  
ということなのです。
245神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 10:48:10 ID:Cz9Aa141
>>244
信仰は自主性の放棄および他者からの制約の受け入れにより精神と行動の安定は得られるが、他方で多様な可能性を過剰に抑圧する効果もある
信仰しか見ない立場ではみずからバランスを取るのは難しい
246神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 18:20:01 ID:YCFOFUDS
>>243-244
無との合一が主張されていないので、だいたい理解できました。
まあ、多少の行き過ぎがないと、真実に到達できないということもありますね。
 
在家氏とのやり取りは、楽しみながら学ばせてもらっているのです。
ていねいに応じてくれる在家氏に感謝してます。
247神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 18:47:40 ID:YCFOFUDS
高橋信次は物質とエネルギーの二元論を主張している。
高エネルギーが神であり、宇宙意識であり、
この宇宙意識との合一を目指すことが生きている目的になる。
ビッグバンではなく、循環宇宙を想定している。
248神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 19:07:14 ID:YCFOFUDS
エネルギー → 物質 → エネルギー → 物質 
神=宇宙意識(高エネルギー) → 霊魂=個人意識(高エネルギー)
 
二元論のようだが、質量とエネルギーの等価原理 E=MC^2 によって、
氏の二元論は結局、一元論に吸収されてしまうのではないか。
宇宙意識と個人意識の合一(梵我一如と同じ)を説いているから、
やはり二元論ではなく一元論なのだろう。
249神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 19:44:25 ID:YCFOFUDS
氏は三次元(この世)以上を九次元まで区別する。
 
九次元・・・宇宙界(高橋信次、釈迦、イエス、モーセなどメシアたち)
八次元・・・如来界(ミカエル=ルター、ガブリエル=カルヴァン、ラファエル、
   ウリエル、レオナルド・ダヴィンチ、シュバイツァーなど400名以上)
   ムハンマドは八〜七の間に位置する。 
七次元・・・菩薩界(宮沢賢治、日蓮、空海、パウロ=親鸞、ペテロ=矢内原忠雄、
   マイトレーヤ、ヘレン・ケラー、達磨など約2万人)
六次元・・・神界(道元、法然、アインシュタインほか約1億数千名)
五次元・・・霊界(人類は兄弟であると自覚する世界)
四次元・・・幽界(この現象界とは比較にならないほど調和した世界)
三次元・・・現象界
 
地獄界・・・ヒトラー、スターリン
250神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 20:10:47 ID:9/FUv1HV
高橋信次はそこまで高位の霊ではない。
善人ではあるが。
251神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 20:17:14 ID:YCFOFUDS
ここには神智学のブラバッキー、シュタイナーなどは出てこない。
しかし神智学は神智学で、五段階に区別して独自の分類を行う。
 
第五段階(より高度な惑星への転生)・・・ジュワル・クール大師
第四段階(十字架での磔刑)・・・イエス ブラバッキー クリシュナムルティ
   サイババ ババジ ラーマ・クリシュナ ラアマ・マハリシ
第三段階(山上での光り輝く変容)・・・ベイリー3.2 リンカーン3.3
第二段階(霊的洗礼)・・・空海 ヒトラー シュタイナー2.2 法然2.4
第一段階(霊的人間の誕生)・・・家康と道元1.5 親鸞1.8 最澄1.9
 
ヒトラーが評価されていることと、
イエスとブラバッキーが並んでいることが気になる。
252神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 20:26:47 ID:YCFOFUDS
>>250
それでは高橋信次を九次元から削除したいと思います。
ウィキ情報であり、おかしなことを言っていたら突っ込んでください。
253神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 20:32:02 ID:9/FUv1HV
でわ指摘するがヒトラーはルシフェルと通ずるほどであり
評価が低い。第3にするべき。
254神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 20:38:55 ID:YCFOFUDS
>>253
それは高橋信次の分類ですね。 
そういえば神智学の分類には<地獄界>がないですね。
255前世は一在家:2010/03/29(月) 21:23:23 ID:DjUKORIE
>>242
>全知全能の神はいない、と言っているのはわかる。
>しかしそういった神に、何ができて何ができないのか不明です。

(ヨブ記)
42:2 あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
42:4 「聞け、私は語ろう。私は汝に尋ねる、私に答えよ。」

もう、貴兄(の内なる神)はご自身で答えを見出しておられますよ。
256前世は一在家:2010/03/29(月) 21:24:09 ID:DjUKORIE
(一服)「無」とか「空」は宗教板で多用ですが。
「空」は「縁起の法」から展開されていると認識しております。
「縁起の法」は「因果の法」と異なり「時間」や「運動」を
含みません。

この板で時々登場する宇宙の始まりのビッグバンと現在と
未来は同時に存在となります。

釈尊が悟られて説かれた法(真理)は「因果の法」です。
天才哲学者の龍樹は著書「中論」の中で「八不」を証明し、
「不去」、「不生」より「時間」も「運動」も無いとして
おります。

私も「中論」を読みましたが、論敵の有部をあて馬にして、
「去りつつあるものは去る」は机上(言語論理世界)では
矛盾していることを指摘し「去りつつあるものは去らず」を
証明しております。

どこまでも机上で空を論じた訳ですので、皆さんの足許の蟻さんを
「去りつつあるものは去らず」と108回唱えながら観察し、
リアル世界にて「時間」も「運動」も無いのか否かを体感すれば
分かります。
257名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/29(月) 21:50:59 ID:+HNukJ4X
>>245
>信仰しか見ない立場ではみずからバランスを取るのは難しい。

そんな理屈無意味ですよ。
要は自己の魂をまとう肉体とこの二元的世界から
いかにして開放し自由になるか。
ということなんですから。

要は魂の開放 自由です
258神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 21:59:24 ID:YCFOFUDS
>>255
右手と左手を交錯して祝福するのがイスラエルの神なのです。
こうされると頭が混乱してしまう。
259神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 22:10:24 ID:Cz9Aa141
>>257
自由になるとどのようないいことがあるのでしょうか
260神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 22:12:54 ID:YCFOFUDS
大工Bはたった7日で家を作った。しかし雨漏りのする失敗作だった。
大工Bはほんとうに大工なのかとみんなから非難された。
しかし大工Bは大工とはこんなものだと居直った。
261神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 22:20:49 ID:YCFOFUDS
>>256
三次元世界には時間と空間があり、四次元世界にはそれらがないのです。
神、四次元世界の存在は、時間を超越し、空間を超越しています。
262名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/29(月) 22:21:48 ID:+HNukJ4X
>>259
あらゆる苦から開放されます
完全なる浄福と甘露を永遠味わうのです
263前世は一在家:2010/03/29(月) 22:46:22 ID:mroIanVw
>>163
>神A「神の似姿として最初の人のアダムを創造した。」
>神B「神の子、人を創造するまでに失敗も多く、馬や猿なども創りました。」

神様Bは人間を創造するまで幾度もトライしました。
今の人間からDNAを98%まで近づけたのがチンパンジーでした。
だからチンパンジーはいつまで経ってチンパンジーのままです。

私は神様Aよりも神様Bを信じております。信仰表明です。
264神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 23:06:26 ID:Cz9Aa141
>>262
>あらゆる苦から開放されます

それは生きていないのと同じです
苦は生きるための警戒信号だからです

>完全なる浄福と甘露を永遠味わうのです

そのような脳がシャブ漬けのような状態が本当の幸せと言えるのでしょうか
265神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 23:10:12 ID:Cz9Aa141
>>263
そういう観点なら人間も失敗作のひとつですが
266名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/29(月) 23:17:07 ID:+HNukJ4X
>>264
何にも依存せずただ神だけを求め
魂の開放に努めるならばこれほどの賜物はありません

真の自由です
267神も仏も名無しさん:2010/03/29(月) 23:34:43 ID:Cz9Aa141
>>266
真の自由かどうかはわかりませんが、全て神に依存した自主性放棄状態でしょう
268名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/30(火) 13:19:58 ID:wYiHl3Od
>>267
自主性? 聞こえはいいんですけど。
自我、自尊心、自己都合といった類の意思が
働いている時点で呪縛の苦しみが付きまといます。
269名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/30(火) 13:23:42 ID:wYiHl3Od
>>267
それと「全て神に依存する」
ということは自主性うんぬんのレベルとはちがいますね。

神に依存するということは、
例えば アシジの聖フランシスコのように全てを捨てる覚悟がなければ
神への依存にはなりませんから。
自分の意思で自己の放棄をせねばなりません。
270神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 14:08:38 ID:xwRtN2Dw
>>268
>自我、自尊心、自己都合といった類の意思が
>働いている時点で呪縛の苦しみが付きまといます。

自我と苦しみは対です
苦しみと生も対です
逃れようとするのが間違い
271神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 14:14:09 ID:EEzooYgm
>>269
>神に依存するということは、
>例えば アシジの聖フランシスコのように全てを捨てる覚悟がなければ
>神への依存にはなりませんから。
>自分の意思で自己の放棄をせねばなりません。

アシジの聖フランシスコレベルで全てを捨てたなどと考えるのは素朴すぎます
自分で考える部分が少しでもあればそこは神への依存ではありません
272神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 18:59:27 ID:t5YrVJJb
高橋信次は、霊魂は<この世とあの世>を<輪廻転生>しており、
<霊魂を向上させること>が人生の目的であると主張する。
 
神智学もよく似ている。霊魂は<輪廻転生>しており、
<霊魂を向上させること>が人生の目的である。
 
高橋信次との違いは輪廻転生する場所である。
神智学では、この地球か、あるいは、地球以外の別の星への転生である。
この世だけであり、あの世を想定していない。
神智学にはあの世がない。
273神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 19:18:33 ID:t5YrVJJb
神智学はあの世を想定しない。
したがって神智学には天使も悪魔もいない。天国も地獄もない。
ただ霊魂の上下があるだけである。
 
ヒットラーはユダヤ人虐殺が評価されている
シュタイナーは神智学を脱退したので評価されない
274神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 19:36:52 ID:t5YrVJJb
神智学では、人間を三重構造とし、特殊な用語で表現する。
 
 <1> 低位我・・・物質界の人間、パーソナリティー
@ 肉体   
A エーテル体
B アストラル体・・・感情体
C メンタル体 ・・・精神体
 
 <2> 高位我・・・魂、個人性
@ コーザル体・・・転生の記憶がある
A ブッディ・・・直観
B アートマ・・・霊的意思
 
 <3> モナド・・・純粋霊、在天の父
@ 聖霊(活動知性) A 子(愛と知恵) B 父(意思と力)
275神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 20:16:55 ID:t5YrVJJb
モナドは純粋霊であり、宇宙の根本粒子として存在する。
ここから宇宙が始まるわけだから、この考え方は明らかに一元論である。
 
高橋信次はエネルギーを基本にする一元論である。
それに対して神智学はモナドを基本にする一元論である。
276神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 22:58:40 ID:4mw6oS11
神智学はあの世を想定しないから天国も地獄もない。
そのかわり、この地上に、天使的な人々、退廃的な人々などを想定する。
 
霊魂は<輪廻転生>しながら、この地上で進歩あるいは退歩していく。
進歩するか退歩するかを決めるのは<カルマの法則>である。 

こうして神智学の重要なキーは<輪廻転生>と<カルマの法則>になる。
277神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 23:14:31 ID:4mw6oS11
純粋霊モナドだけで一元論的に宇宙が成立するなら、
人間の霊魂は神のレベルであって向上する必要性自体がまったく生じない。
それなのに輪廻転生やカルマの法則を持ち出すのは、
どこかから悪が流れ込んだことになる。
 
カルマの法則は決定論だから自由意志は存在しない。
モナドの中に悪が最初から存在していたのか。
神智学も一元論のワナにはまっている。
278神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 23:31:38 ID:4mw6oS11
神智学は特殊な用語で特殊な分類を行っている。
根本人種 >>101 霊魂の五段階 >>201 人間の三重構造 >>274 など。
 
分類が重要なのはわかるが、その基準がまったく不明であり、
なんとか大師の託宣ではオカルトである。
レムリア、アトランティスなどは単なる伝説にすぎない。
279名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/30(火) 23:32:26 ID:wYiHl3Od
>>271
アシジの聖フランシスコが全てを棄きったか
どうかは解かりません。
しかし棄てる覚悟はあったと思います。

ここ重要です。
>自分で考える部分
自分で考え見出すための基準、尺度。
ここが重要なのです。
自分に無色透明な神性の基準がそなわっているかどうか?
そしてそのためにじっくり自分を見つめる時間をさいているのかどうか?
理屈を並べても体感がともなわなければ時間の浪費をするだけです。
280神も仏も名無しさん:2010/03/30(火) 23:46:56 ID:4mw6oS11
>>279
自分がどの程度の人間なのか、それを確かめるには夢がいいです。
夢の中できちんと行動すること、それが大事なのです。
 
白い子猫が後をついてくる。わたしは手のひらに子猫をのせた。
白い成犬がわたしにすりよってくる。わたしはその感触を感じている。
281名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/30(火) 23:56:31 ID:wYiHl3Od
>>280
神様は例えば
10タラント持っている人がそのまま大切に10タラント
保守するよりも
1タラント持っている人が2タラントに増やす人を
我が子だとして喜ばれるのです。
身持ちの豊かさよも、そして事の大小よりも
その{『心』の在りかたをしっかり見ておられるのです。
282神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 00:09:30 ID:5WEeJ/wO
>>281
不思議な体験はけっこうありますね。
でも人に話したものはここでは書けない。身元がばれるから。
結論を言えば「神はいる」ということですか。
神は在りて在る者です。オチ
283名も無きイエスの証と仏陀の法:2010/03/31(水) 00:15:06 ID:TPocSos5
>>282
>神は在りて在る者です
いや神は認識するが故に存在するものです。
ですから否定するものには存在せず
人のその認識の度合いによって神の栄光の響きは違うものなのです。
284前世は一在家:2010/03/31(水) 06:44:05 ID:u+hM8yIQ
>>263
>神様Bは人間を創造するまで幾度もトライしました。
>今の人間からDNAを98%まで近づけたのがチンパンジーでした。
>だからチンパンジーはいつまで経ってチンパンジーのままです。

でも神の似姿は肉体ではなく、霊ということです。
神性(神の霊質)をコピーされております。

よって自由意志が神にあるように、人(神の子)にもあります。
神経綸があるように、人にも運命を変えることができるでしょう。

「神は汝の内にあり」ということを、「人の子(イエス様)は汝のうちにあり」
と説かれていたと記憶しますが、出典は調べておきます。
285神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 17:24:09 ID:e12Ju3Wg
>>283
たとえば命があることは、よほどの変人でなければだれも疑わない。
でもその存在を認識しようとすると認識できない。
認識するがゆえに存在する、とはそのへんの機微を語りたいのでしょう。
286神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 17:53:14 ID:e12Ju3Wg
根本人種という分類は、
神智学の差別思想を示すものとして重要である。 >>101
 
第一根本人種・・・エーテル人種、地球上から消滅している。
第二根本人種・・・これも消滅している。
第三根本人種・・・レムリアにいた人種、黒人系
第四根本人種・・・アトランティスにいた人種、セム族、蒙古族、日本人
第五根本人種・・・アーリア人種、地球上でもっとも進歩した人々
第六根本人種・・・まだ出現していない
第七根本人種・・・この周期の最後の人種。何もわかっていない。
287神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 18:06:15 ID:e12Ju3Wg
この分類 >>286 を見ると、
第一と第二は地球上から消滅してしまった。
第三と第四は消滅した大陸に住んでいた生き残りである。
第五のアーリア人種こそがこの地球の住民である、と主張している。
 
黒人、蒙古人、日本人などは、消えた大陸の人種であり、
滅びてしまって当然の人種にされているのである。
288神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 18:29:32 ID:e12Ju3Wg
輪廻転生とカルマの法則だけでは、
日本人も黒人もそこに含まれているのだろうと楽観的に思ってしまう。
 
しかし神智学は、霊魂の向上から日本人も黒人も除外しているのであり、
この地球上から消滅すべき人種であると定義する。
 
神智学にいた人智学開祖シュタイナーは言っている。
日本人、ユダヤ人、アボリジニなどは、改良の見込みがない退廃人種だと。
 
神智学と人智学が差別思想に汚染されている、ということだけでなく、
日本人ならそんな馬鹿げた話を認めるわけにはいかないのだ。
289神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 18:49:00 ID:e12Ju3Wg
神智学は霊魂不滅とか輪廻転生とかカルマの法則とか、
仏教とよく似た概念を使用する。そこで仏教に近いのかと誤解する。
しかし仏教とは異なる。神智学はあの世を認めない。
 
神智学はオカルトであり、差別思想にまみれている。
290神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 21:41:02 ID:/TitvJX2
★ やはり人間には<自由意志>が存在しなかった。
 
人間は過去と未来の情報によって判断する。
@ 未来の情報・・・未来のことはわからない。
A 過去の情報・・・過去の経験と学習
  瞬時に判断する場合は、過去の情報もほとんど役に立たない。
  時間があったとしても、ぼんやりした情報しか引き出せない。
  なぜなら、@の制約があり、因果の予測が困難だから。
B 結果として実際の判断は、毎回毎回「カケ」のようなものである。
  
自由意志とは、その美名を口実にした、「カケ」の責任転嫁である。
人間は何も知らない未来の責任を取らされている。
291神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 21:48:57 ID:/TitvJX2
>>284 
>でも神の似姿は肉体ではなく、霊ということです。
>神性(神の霊質)をコピーされております。
 
これは正しそうに思える。

>よって自由意志が神にあるように、人(神の子)にもあります。
>神経綸があるように、人にも運命を変えることができるでしょう。
 
これは疑問です。
なぜなら、神は霊だが、人間は霊と肉とを生きているからです。
292神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 23:02:35 ID:VUrFa4AG
自由意志を主張する人たちは、
たとえば、右の道に行こうが、左の道に行こうが、あなたの自由ではないか、
というようなことを根拠にしているのではないだろうか。
 
しかし、少し考えればわかると思うけど、
右の道に何が待ち受けているのか、左の道に何が待ち受けているのか、
それがまったくわからないのである。
 
未来を知らない人間には、どちらも選択できないのがほんとうだろう。
それなら、何もしないで、じっとしているのが正解ではないか。
しかしそれではラチが開かない。だからカケをしながら生きている。
293神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 23:18:03 ID:VUrFa4AG
自由意志がある? そんなものはないのではないか。
人間は四六時中、カケを繰り返しながら未来を切り開いている。
ばくち人生ではないか。
 
こう考えると、自由意志は結果責任を問うための口実、のようにも思える。
社会や共同体の維持のためには結果責任を問う必要があるのだ。
自由意志とは社会的な便宜だと理解することもできる。
 
しかしこういった理解は、問題の本質からそれてしまうような気がする。
それより、ばくち人生の意味をしつこく追求すべきだろう。
それを追求した作品がある。ヨブ記である。
294神も仏も名無しさん:2010/03/31(水) 23:45:02 ID:VUrFa4AG
高橋信次の主張はエネルギーを基本にする一元論である。
霊魂の存在を認め、人間はあの世とこの世を輪廻転生を繰り返している。
その目的は霊魂の成長である。

人間はカルマの法則に支配されている。
<自由意志>によって善を選択することで霊魂は成長する。
そのための方法として、仏教の八正道と、キリスト教の反省(悔い改め)を
提示する。・・・方法論は正しいと思う。
 
一元論が持っている誤り、そこからくる歪みはお約束である。
それは九次元まで設定する次元論、梵我一如的な考えに現れている。
まあ、わりにまともな主張をしている。
295神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 00:00:25 ID:f+02eq/Q
ヨブは正しいと思われることを実践していた。
正しさは、ヨブの判断であり、選択であり、自由意志である。
ヨブは神の道を歩んでいると思い込んでいた。
しかしひどい災難がやってきた。
物語はここから始まる。
296前世は一在家:2010/04/01(木) 00:03:39 ID:qg8Yp5nf
>>291
>これは疑問です。
>なぜなら、神は霊だが、人間は霊と肉とを生きているからです。

人は「肉体有の神の子」だということでしょうか。
297神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 00:04:23 ID:f+02eq/Q
ヨブは自分が正しいと思うことを実践していた。
これは仏教でいう八正道である。
高橋信次の話でもある。
298神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 00:06:56 ID:f+02eq/Q
>>296
その違いは決定的であり、神と人間をわける分水嶺です。オチ
299前世は一在家:2010/04/01(木) 00:18:50 ID:qg8Yp5nf
>>294
>それは九次元まで設定する次元論、梵我一如的な考えに現れている。

横レスですが、4次元の霊界でも幾層も存在します。
この辺りはスウェデンボルグも説かれていたのではないでしょうか。

同じ霊界という括りであっても、一層違うと出会うことはできないそうです。
夫婦や親子兄弟でも霊界では再会することも少ないと伺っております。

換言しますと霊界だけでも低級霊界から高級霊界までで九次元以上は
あるかと存じます。
その上の神界も何階層もあるようですから、あまり「九」という数には
こだわらなくても宜しいかと存じます。

「九」次元が最高位というのは、そこまで行かれた方の自己申告としては
正しいのかも知れません。
「全治全能」が神から神の預言者への自己申告であるのと似ております。
300真理名・も無きイエスの証と仏陀の法:2010/04/01(木) 10:17:29 ID:1as1gsQb
>>292
右も左でもありません
自由意志によって“中道”を行くことが
全ての人に必要なのですから
301真理名・も無きイエスの証と仏陀の法:2010/04/01(木) 10:24:09 ID:1as1gsQb
>>293
実に短絡的な結論じみた意見ですね。

勝つか負けるか、成功か失敗か 楽か苦か 安心か不安か
のいい方ばかりを選ぼうとするから  “苦” がいつも
付きまとうのです。

所詮このようなものは滅びるもの
永遠ではありませんので、 惑わされないことが一番
ギャンブル的人生を送ることは人生そのものが翻弄の旅をいくことになります。

 
302神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 17:32:10 ID:h8G8UloJ
>>300
人生は二者択一、第三の道はありません。
コンピューターは三進法ですか。二進法ですね。
303神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 17:47:29 ID:h8G8UloJ
>>301
人生は荒波。翻弄されるのです。
人生に翻弄されないために出家する人たちがいる。
アシジの聖フランシスコもそのひとり。
304真理名・も無きイエスの証と仏陀の法:2010/04/01(木) 17:49:49 ID:1as1gsQb
>>302
右も左も滅び行く道です。
なぜなら例えて言いますと 
左右とは二極なのです。

二極に惑わされない生き方
それを選ぶことは人間の自由意志でできるのです。
305真理名・も無きイエスの証と仏陀の法:2010/04/01(木) 17:54:35 ID:1as1gsQb
>>303
>人生は荒波。翻弄されるのです。
そもそも西洋人がそう結論付けて
哲学、宗教伝統を築いてきているので問題なのです。

306神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 18:14:46 ID:h8G8UloJ
>>299
次元とは、ものの広がりをあらわす基準だそうです。
線は一次元、面は二次元、空間は三次元です。
時間は三次元なのか四次元なのかはっきりしないようですね。
 
面は線の展開、空間は面の展開だとすれば、
面や空間は時間を含んでいるとも言えるでしょう。
  
問題は霊界です。神を、時間を超越した四次元とするなら、
霊界は三次元から四次元に対応するファジーではないでしょうか。
現象界に広がりを持たないので、
霊界は次元として把握されることはできないと思います。
霊界の<層>の違いを次元として認識することはできません。
307神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 18:37:17 ID:h8G8UloJ
>>304-305
それは竜樹の空ですね。この現実を夢、幻とするから、
中道などとのんきなことを言っていられるのです。
空・仮・中は頭のなかだけです。
308真理名・も無きイエスの証と仏陀の法:2010/04/01(木) 18:52:33 ID:1as1gsQb
>>307
中道とは、 極端に悦楽に溺れたり
極端に苦行の道を行かないということです。
309神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 19:19:38 ID:h8G8UloJ
>>308
極端に走らないのは大前提であり、当然のことです。
そうではなくて、海に行くのか山に行くのか、という話です。
わたしたちは日常的に、あれかこれか、という選択を常に行っています。
その選択の話であり、それがバクチではないかと思うのです。
たぶん実存主義が提起した問題意識です。
310真理名・も無きイエスの証と仏陀の法:2010/04/01(木) 19:32:00 ID:1as1gsQb
>>309
バクチという認識がいけないと思います。
そういう観点で物事を見てしまうと
上手く行くかいかないか、 損か得かという見方になってしまいます。
うまく行こうが行くまいが、損しようが利益を得ようが
平等の境地で両方を受け入れる事が
神の御旨に適う境地なのですから
311真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/01(木) 19:39:23 ID:1as1gsQb
エックハルトは言っています
先ず自己を放下しなさいと
312神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 22:25:33 ID:Djxsx4dM
>>310
未来が見えないから、どんな選択もカケ、バクチになるのです。
>>311
あなたは自己を放下できましたか。
313神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 22:42:13 ID:Djxsx4dM
霊界はどこにあるのか。だいたいの見当はついている。
心の中、奥深いところに入り口がある。
この世の空間ではない。だから次元で語ることはできない。
 
あえて言えば、それは三次元から四次元(神)に対応するファジーであり、
次元ではなく<層>として存在している。
通常の意味における次元は、一次元から四次元までである。
314神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 22:55:47 ID:hyn/MHC1
もはや妄想の領域
315ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/01(木) 22:57:36 ID:41iq8ijA
神智学は思考のゲームなので・・・
316神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 23:06:47 ID:Djxsx4dM
高橋信次は宇宙のエネルギーを神であると考える。
エネルギーは等価原則によって物質になり、一元論的な宇宙論になる。
しかしこの神認識は、唯物主義に落ち込むスキがある。
 
高橋信次の「あの世」はどこにあるのか。
神はこの宇宙にいるのだから、「あの世」もこの宇宙にあるのではないか。
そうであれば、差別思想は別にして、例の神智学と似ている。
 
神智学は「あの世」を想定しない。
この宇宙の中には根本粒子である純粋霊モナドが存在している。
しかしモナドは素粒子を思わせ、唯物主義のような印象を受けるのだ。
317ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/01(木) 23:09:18 ID:41iq8ijA
GLAにおける宇宙観は穴のないバームクーヘンだと思えばいい。
318神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 23:16:25 ID:Djxsx4dM
>>317
なるほど。では神智学の宇宙観には穴が開いていると?
319ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/01(木) 23:20:01 ID:41iq8ijA
なにせ見ないで知ろうという学問だからな。
ソースは数少ない霊能者だのみ。
320神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 23:23:29 ID:EOwRU2jp
>>319
霊能者って妄想や幻聴の強いヒトではないの?
321神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 23:27:46 ID:Djxsx4dM
>>319
ほんとですね。学問を自称していることが恥ずかしくないのかと。
ヒマラヤの奥地に大師級の聖者がいたらしいですね。
322神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 23:30:31 ID:41iq8ijA
一般的にはそうだが幻聴は霊の声を聞いている可能性もある。
大概霊能力も遺伝すろ。

えらく感の鋭い奴いるだろ?そういう奴の延長が霊能者。
323前世は一在家:2010/04/01(木) 23:32:36 ID:NQFnM6zk
隣のキリスト板とのマルチポストになり済みません。
「神の子」と「神の御子」の定義を整理します。

至高神(または創造主)が生み出された神々は「神の御子」と
します。
旧約(死海文書版)の申命記に登場する「神の子らの数に従い」
の場合の「神の子=神の御子」。
詩篇82に登場する「汝らは神なり」も同様でしょう。

そして神の似姿で肉体ありの人類は「神の子」。

つまり「神の御子」は人類の創造以前から存在していたという
ことで「神の子」と区別はできるかと存じます。

イエス様は人類の創造以前から存在されていたと思われますので
「神の御子」であり、人に受肉された神の預言者、教師ということか
と認識しております。

ヨハネ伝の筆者は「神の御子」を記載し、トマス伝の筆者は「神の子」
を記載していたのであれば、ともに正しいことになります。
324神も仏も名無しさん:2010/04/01(木) 23:51:14 ID:Djxsx4dM
神の御子である証拠はやはり自己申告ですか。
新興宗教の神々のようですね。
ヨブの場合は、ヨブのほうから、相手を神であるとを認めてますよね。
 
それからもうひとつ、人間を神の子にすると、人間とは何でしょうか。
人間という言葉があるのだから人間でいいのでは?
325真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/02(金) 00:54:08 ID:cG5TP9xa
>>312
言うなれば吉も凶も両方享受するのが人生ですね。
そのように人生を送るのが大方の人ですから。
吉や幸運だけを受けたいと思うのが普通で
だから人は占いやお祓いや幸運を願って
神社などで参拝します。
ですが、表裏一体のものを片方だけうけとりることなど
所詮無理なのです。




326真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/02(金) 01:00:15 ID:cG5TP9xa
>>312
苦楽に一喜一憂する人生を選ぶか
所詮泡のように浮かんでは消える世の事物である
苦楽に惑わされずまたは翻弄されることの無い
その背後にある不動なるものを感知できることを
望んでそれに向かう人生を送るのかは
その人個人個人の自由ですから
327真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/02(金) 02:00:29 ID:cG5TP9xa
自己の放下の最中ですねー
自我は神への探求に使いたいものです。
328前世は一在家:2010/04/02(金) 06:36:09 ID:UMavSMyk
>>324
>人間を神の子にすると、人間とは何でしょうか。

「人」は本来神の子でも、罪(カルマ)を積み、神性を失っている
のが現状でしょうか。

本来の「人」に「間(あいだ)」、距離があるのが、「人間」かも
知れません。
329ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/02(金) 08:42:15 ID:VeEnLatQ
人と人間は違うからね。
幼虫と蝶みたいなもの。
330前世は一在家:2010/04/02(金) 22:42:06 ID:nxRkpzpq
>>329 ユダさん

私もユダの福音書を読みました。
やや暗い聖像や聖画と違って、快活なイエス様が登場されて共感しました。
フィリポ伝のイエス様もいつも3人のマリア様と歩いておられて、明るい方だった
ようですね。

2千年前のことで恐縮ですが、記憶されてましたら教えて下さい。

Q.イエス様は「眼前に完全なる人を立たせよ」と言われましたが、その真意は?

Q.イエス様は至高神に祈られたそうですが、御名は「エルヒム」の単数形の「エル」でしたか?

過去世のことは記憶に無い場合は、私見で結構です。
331神も仏も名無しさん:2010/04/02(金) 23:58:55 ID:GvbJuosy
私の記憶プロテクトはイエスにしか外せず
答えられるのは
「完全な人を立たせよ」とは
「肉」「霊」「魂」の三位一体を全て立たせる事。
「霊」は「心」とイコール。
規制中なんで質問があるのならこちらへ。
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/operatex/1269863674/
332前世は一在家:2010/04/03(土) 06:51:58 ID:02CLtYGK
>>331 ユダさん
ご回答を有難うございました。
「魂霊肉」を私達は「霊心体」の三位一体と言っております。

特に「魂」を立たせることが重要かと存じます。

規制中板も一読しました。優しいお友達が多いようでいいですね。
333前世は一在家:2010/04/05(月) 06:31:48 ID:ozcS9xaA
>332

「完全な人を立たせよ。」とは「霊心体」が三位一体であることを
真に認識せよということかも知れません。

特に霊の奥の魂が神の似姿であるということを悟りて、神化(神成、テオシス)
せよということかと。
334神も仏も名無しさん:2010/04/05(月) 12:16:45 ID:xpV+SPel
動物虐待する人間は死ねさらせ
335神も仏も名無しさん:2010/04/05(月) 17:56:41 ID:wGSAEzUV
ヴェーダの成立が紀元前2000年から600年頃とすると、
旧約聖書はそれ以後である。
旧約がヴェーダの影響を受けていたかどうか。
ヴェーダにおいて、師が伝えた教義に対し、それを
聞いていた人々は、その教義の内容はまさに正しいと
承認する意で「オーム」と、唱えていた。
旧約におけるヘブライ語のa-men,amenは通常副詞形で
使われていたとされている。
a-men,amenは動詞amenの派生語であり、意味的には
他人によって述べられた内容に対する同意、承認を
示していた。
英語の、certainly,verily,surelyと同じように
考えられる。
The International Standard Bible Encyclopaedic(Amenの項)
を参照してみると、omを、omen,emunとし、それらをa-men,amen
の語源、又はサンスクリットよりの借用語としている。
このことからも、旧約聖書と、ヴェーダの関係が伺える。
33620:2010/04/06(火) 00:02:24 ID:yVLIWRIx
ども。
つい最近読み始めた本に自由意志と悪の起源について、たまたま興味深い記述が
あったんで一応紹介。(A History of Christian Doctrine Vol 1 by William Shedd)
ちなみにこのSheddさんという人はカルヴィニストの流れをくむ長老派の神学者だそうです。

関係ある部分の議論の流れを簡単にまとめると
creationは無からの創造。developmentは創造されたものを前提とする展開。
improvementと異なり展開の方向性に善悪はない。神による創造からの展開では
罪(悪)の発生は説明出来ず、罪(悪)は人間が自由意志の乱用によって
無から創造したもので、これによって本来の神による創造からの妥当な展開が
置き換えられてしまった、って流れ。

もともと悪の起源を主題的に論じてる箇所じゃないので、論点の流れは
悪の起源論に沿うように若干修正したけど、カルヴァンの神学を奉じているはずの
Sheddさんも、罪(悪)の起源は人間の自由意志(の乱用)って言ってることになるね。

興味があればグーグルブックスで検索すれば引っかかるので読まれたし。
該当箇所はIntroductionの中の§4. Development discriminated from Improvement
の部分。100年以上前の本だからちょっと読みにくいけどね。
337前世は一在家:2010/04/06(火) 06:50:09 ID:5ONhvacS
>>336
>罪(悪)の発生は説明出来ず、罪(悪)は人間が自由意志の乱用によって
>無から創造したもので、これによって本来の神による創造からの妥当な展開が
>置き換えられてしまった、って流れ。

死海文書の中の宗規要覧(ユダヤ教エッセネ派)には、人は光の箇所と同時に
闇の箇所を宿して創造されたと記載されております。

ですから、自由意志にて、義人にも罪人にも、神にも獣にもなり得るとの
ことです。
338前世は一在家:2010/04/06(火) 06:53:22 ID:5ONhvacS
闇の箇所は欲心です。
欲心から執着や妬みや憎しみが生じ、苦しみの原因となります。

でも、願い、自尊心、自己実現欲も生じて、努力し成長、進歩
しますね。
>>334

大切な・・・大きな差    NASAけは人の為ならず……我が為なり
http://www.youtube.com/watch?v=vrXhFiBKtrs&feature=related

http://bbs68.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/news/1270496840/
340神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 00:04:56 ID:obPy9brW
>>336
規制があったので返事が遅れました。
紹介のSheddさんを見たのですが、わたしには語学力がなく、分量も多く、
とても読めません。要約してくれた内容をベースにしたいです。
 
悪が生じたのは「自由意志」を過剰に行使したからであり、
悪も(救済も)「自由意志」の使い方次第である、ということなのでしょう。
 
しかし自分をコントロールするのは困難です。
パウロはできないと言っています。
悪は容易でも、善の領域においては「自由意志」がなかなか機能しません。
341神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 00:12:31 ID:obPy9brW
>>329
人は変態する。青虫 → さなぎ → 蝶
342神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 00:23:52 ID:obPy9brW
>>335
アーリア人の宗教だから共通の言語・文化的土壌があり、
オームとアーメンにつながりを推測することは可能でしょうね。
ただしオームは、オウム真理教を思い出してしまう。
イスラムではアーミンですか。
343神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 18:46:49 ID:YpgUkDyR
いままでの議論を整理しますね。
 
主要な論点は、善そのものである神が創造したこの世に(この地球に)、
悪や不幸(貧病争)があるのはなぜか、ということです。
 
20氏によれば、人間の自由意志によって悪や不幸が生じたと。
在家氏も同じく自由意志を認めています。
エックハルト氏は視点が異なり、行為の結果に左右されない不動心を選択する、
という意味で自由意志を認めています。
 
これに対してカルバンは、予定説、決定論を主張しているようです。
344神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 19:03:45 ID:YpgUkDyR
カルバンの予定説とは、神は全知全能だから、
救われる者も捨てられる者も、創造の最初から決まっているという話。
創造の最初から全部決まっているのだから決定論でもある。
人間の自由意志などまったくありえない。
 
というわけで、自由意志と予定説はまっこうから対立しています。
345神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 19:27:05 ID:YpgUkDyR
自由意志を主張することは、その意志の結果責任を取ることだから、
善因善果、悪因悪果というカルマの法則に直結する。
 
さらに、今生で責任が取れない場合もあるから、
その場合は来世で責任を取るはずだ、という話になり、
輪廻転生が主張され、その主体として霊魂不滅が主張される。
346神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 19:49:04 ID:YpgUkDyR
ここで矛盾に気がつきませんか。
善なる神からスタートするのに、神に造られた人間の自由意志のなかに、
なぜか善と悪、つまり悪が存在するのですね。
 
善なる神からスタートする・・・これは一元論です。
善因善果・悪因悪果に支配される自由意志・・・これは二元論です。
一方で一元論を主張し、他方で二元論を主張したら矛盾です。
347神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 20:33:42 ID:+I3fegje
そんなあなたには、シャンカラの不二一元論。
348神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 22:56:13 ID:3hBnLmYh
不二一元論は梵我一如を説く一元論です。
 
他の一元論も一元論であれば、梵我一如と似たような考え方を説いてます。
一元論であれば梵我一如、梵我一如であれば一元論という関係ですね。
 
ちなみに梵我一如とは、ブラフマン(梵・宇宙真理)と
アートマン(我)とが一如であるとする考え方・・・ほぼ神人合一
349神も仏も名無しさん:2010/04/09(金) 23:27:07 ID:3hBnLmYh
「神には自由意志があるのだから、人間にも自由意志があるはずである。」
 
この考え方は誤っているように思う。
なぜなら、善なる神は、悪を思うような存在ではないからである。
 
神は悪を選択できない、という意味において、神には自由意志がない?
また、神が神をやめることもできない?

神は全能ではないのか。いや、全能でないのではなく、
やればできるのだが、やらないだけだと考えることも可能である。
350ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/09(金) 23:30:38 ID:mfFZ9uTd
>>349
まあ当たってる。やる時はやるからな、奴は。
351前世は一在家:2010/04/09(金) 23:57:01 ID:YTaxFxKp
>>439
>神は全能ではないのか。いや、全能でないのではなく、

全知全能は神の預言者に対する自己申告ですよ。

Michael S. Heiser博士の論文
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”

至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈した
Mark S. Smith教授(ニューヨーク大)の学説も紹介しております。
352神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 00:06:37 ID:Eox2I5gZ
世界の出来事を見ていますと、ヨハネの「黙示録」を読んでういます。
皆様はいかが?
353神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 00:34:38 ID:Y/u+Nsna
完全に予知出来ないなら、全知ではない。
全知ではない全能はジョークだ。
354宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/10(土) 08:43:09 ID:1hw27S/5
このスレ内での神智学の説明は、
殆ど全部〜デタラメですね。

>神智学は「あの世」を想定しない。天使も悪魔もいない。

よくも・・・
デタラメもここまでくると終ってますよね。
これらは一体、どこで学んだ神智学なの???
誤解されるから、とにかくいい迷惑です。
説明する気も起きない・・・

たまたま覗いたら唖然としました。
まっ、簡単に直らないだろうから、お好きにどうぞ!

*一在家さんは、
さすがに優れた内容の投稿ですね。
355神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 13:10:37 ID:GWGypqq6
>>351
いくら「おれは神だ」と自己申告しても、周囲から認められなければ
神になれません。妄想患者として扱われるだけです。
 
聖書には他民族の神々も登場します。しかしイスラエルは唯一神信仰です。
イスラエルがその神を唯一の神として認めるからです。
356神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 13:47:39 ID:GWGypqq6
>>352
世界が終末の様相をしてきた、ということですか。
新しい伝染病が流行したり、地震や津波で多くの人が亡くなったり、
何か不吉なものを感じている人たちは多いと思う。
 
みんな何が悪いのかだいたいわかっている。
ただ、この悪がどこからやって来たのかがはっきりしない。
この世の破滅は、この世を造った神に責任があるのか、
人間の自由意志に責任があるのか。
357神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 14:01:09 ID:GWGypqq6
>>354
それでは質問しましょう。
@ 神智学にあの世があるのですか。
A あるとしたら、あの世はどこにあるのですか。 
B 神智学に天国と地獄があるのですか。
C 天使、悪魔の名前を教えてください。
D 神智学のモナドはどこに存在するのですか。
358神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 14:19:18 ID:GWGypqq6
創世記1.1 「初めに、神は天地を創造された。」
 
この記述は二通りに読めないでしょうか。
どちらが正しいと思いますか。
 
@ この記述により、「天地」ができたことが語られている。
  「天地」とは、地と闇と深淵と水、そして神の霊
  
A この記述は、創造の全体を要約的に表示している。
  実際の創造は、1.2〜 以下で語られる。
359神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 21:30:19 ID:/qRqvCvl
358の質問の意味が曖昧でしたね。
たとえばAにすると、最初から物質(地と闇と深淵と水)が一方にあり、
他方に神(神の霊)がいるという舞台設定になります。
これだと神と物質の二元論になるのです。
 
ただし、創造の初日から、太陽がないのに「夕べがあり、朝があった。」
などと記述され、あまりあてにはできないのでしょう。
360神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 22:10:30 ID:/qRqvCvl
神という一元論ではなく、神と物質の二元論にすれば、
悪の説明が容易になるのではないだろうか。
 
人は霊と肉である。霊は滅びない。しかし肉はいずれ滅びる。 
人は自分の死を受け入れられないのである。
人は霊でもあり、肉の死が霊の死のように思えるのだ。
 
そのため自分の死を悪だと思い、自分の死をひたすら避けようとする。
ここからいろいろな問題(貧病争)が生じる。
 
悪の正体は死である。これが二元論の答えである。
361ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/10(土) 22:12:11 ID:EOX/aOMG
>>360
おっ、正解。
362神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 22:35:40 ID:/qRqvCvl
成長しつつある子供が、死にたくないと思うことは当然だろう。
死を恐れないなら早死にして大人になれない。
これはどんな生き物も同じだろう。
 
死を恐れる気持ちは、生き物が滅びてしまわないように、
神によって備えられたものなのだろう。
 
しかし人間の場合は特殊であり、ことの善悪を判断して生きるようになり、
経験を記録し、学習するようになってしまった。
そのために、過度に死を恐れ、死を遠ざける文化・社会・制度を作ってしまった。
これが悪なのである。この悪は肉の死からやってきた。
363神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 22:43:44 ID:/qRqvCvl
>>361
ユダ氏は正確に反応している。
364神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 22:59:24 ID:/qRqvCvl
ここまでくれば、人が霊界に行く理由がわかると思う。
人が優れているからではなく、神の元に帰れないから霊界に行くのだ。
人は他の生き物より劣っている。
 
人は自分のことにこだわっている。
これが汚れであり、この汚れが霊界を形成しているのである。
もちろん天国から地獄までさまざまである。
365ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/10(土) 23:03:32 ID:EOX/aOMG
あらま、てっきり人間が実は動物より劣っている。
(神の子として)のは解らないだろうと思ったら
解る人には解るのね。
366神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 23:05:48 ID:/qRqvCvl
霊界には人間だけしかいないのだろうか。
そうではないようだ。そこには大地があり植物があり青空がある。
しかしスエデンの言う霊界太陽なるものは存在しない。
367ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/10(土) 23:10:52 ID:EOX/aOMG
霊界太陽は神そのものだよ。
正確には神の魂、肉と霊は宇宙そのものだからね。
368神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 23:23:35 ID:/qRqvCvl
>>367
どうだろうか。
霊界を見たことがあるのだけど青空だけしかなかったよ。
黙示録にも、太陽はいらなくなったと書いてある。
369ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/10(土) 23:25:50 ID:EOX/aOMG
希薄だからね、偏在化してるし。
でも必要なら収束して顕現化する。
370神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 23:37:16 ID:/qRqvCvl
>>369
スエデンを評価するけど、霊界太陽はどうもマユツバだなあ。
両手を広げ空中に、十字架のように浮かんでいるわけ?
そんなの見たらびっくりするね。オチ
371ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/10(土) 23:42:51 ID:EOX/aOMG
光の中で光は観測出来ない。
372神も仏も名無しさん:2010/04/10(土) 23:44:09 ID:CB5hUx1o
ども。
>>337
これは本当?だとしたら伝統的なユダヤ・キリスト教の理解とはずいぶん違ってこない?
禁断の木の実を食べるまでは人には悪がなかった、というのが伝統的な理解だと
思ってたけど、それは間違い?それとも間違ってないけどエッセネ派では伝統的な理解とは
違う解釈をしたってこと?

>>340>>343
カルヴァン派、というかプロテスタントの多くの宗派の信仰告白である
ウエストミンスター信仰告白を見ても自由意志と予定説は共存してるよ。
一応救われるものと遺棄されるものが予定されているってことで
すべてが決定されているってことじゃないんじゃない?
あくまでも神から見れば人間の自由意志なんてお見通し、ってだけの話で。

ちなみに個人的な意見で言えば、俺はそもそも化学進化の延長に生物進化があり
その中でヒトという種も進化したと考えてるから、どこからともなく降ってわいた自由意志なんて
説明原理として必要ないと思ってるけどね。あくまでもユダヤ・キリスト教に沿って
悪の起源を考えるなら自由意志が必須になるんじゃないか、と思ってるだけ。
373ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/10(土) 23:48:04 ID:EOX/aOMG
聖書の著者はサタンの使徒である。
目的は宗教戦争と選民思想。
374宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/11(日) 00:50:09 ID:p/b4ytcT
>>357
 「何処?」とはいっても場所のことではなくて、
すべては意識の階層による違い(でしかないの)です。

>@AB
 それは普通にアストラル界(情緒界)のことでしょう。所謂、一般にいうところの死後の霊界にあた
るものであり、全部で7亜階層あります。ここでどの程度、過ごすかというのは個人により全て異なり
ます。当然、「地獄」のような壮絶な世界もあり、個人によってはそこで過ごすことになるでしょう。

 そして、一定期間を経てアストラル体が消滅したら、今度は意識の焦点は魂へと集約されて“デヴァ
チャン”へと入るわけです。時間のない至福の境地であり、キリスト教のいう「天国」の概念にほぼ相
当するものです。ここで次の転生に向けて備えることになる。

>C
 あまり、個々の天使がどうしたこうした・・という解説はないと思います。しかし、普通にアーキエンゼ
ル(ミカエルなどの大天使存在)やデーヴァ(妖精)、そして、エレメンタリたちといった霊的生命体の存
在は神智学で説かれています。
 実は、我々の肉体の維持というのも彼らデーヴァと、そしてエレメンタリたちといった微細な生命体に
よって構成されているのです。アーキエンゼルを含むデーヴァ界は人間とは全く異なる進化の道を歩
んでおり、その詳細については不明で、神智学でも殆ど教えられていません。
375宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/11(日) 00:51:45 ID:p/b4ytcT
 尚、ミカエルなどはキリストとほぼ同格の霊存在ですが、デーヴァ界の進化における管理監督の頂点
に立たれているのはキリストです。

 悪魔的な概念に相当する存在としては“物質性の勢力”と呼んでいるものがそれであり、彼らは東洋
に6人、西洋に6人の大主を中心としてブラックロッジを組織化しています。このフォース(力)の本来の
目的は創造原理と関係しており、物質(エネルギー)の維持が元々の役目です。しかし現在、彼らは作
用の乱用と氾濫を起してしまっているのです。
 次のカプリコーン・エージ(磨羯宮時代)では、彼ら本来の領域へと完全に押し込められるものと見られ
ています。

>D
 ロゴスのアーディ界の下位であり、「アヌパーダカ階層」にモナドは位置します。その更に下位層として、
アートマー界、ブッディ界、メンタル(マナス)界、アストラル(カーマ)界、物質界としてエーテル(ストゥー
ラー)界、そして濃密物質界(現・物質科学の認知する領域)となります。

*これ以上についてはご自分で正しく(これが難しいのかもしれない・・・)、
 そして本気で関心がおありならば、真面目に勉強されるようお願いします m(__)m
376ユダ ◆g7GKFCX7nU :2010/04/11(日) 00:54:09 ID:CVFVGbH9
霊界の天使の位階については随時変わるのであんまり論ずる意味がない。
377神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 10:59:21 ID:g9lt1P/T
イエスがエッセネ派だったとすると、
神が闇の部分を作った、というその教えにも
疑問を持って、このグループを離れた、という仮説を立てることもできますね。
エッセネ派では旧約で規定された生け贄代替も否定されてるんでしたっけ。
律法学者の考えそのものには肯定的だったイエスとは違う立場と言うことができます。
378神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 12:28:16 ID:o5bhLskv
>>372
人に罪を犯す要素が皆無だったら罪を犯すことはありえないので
罪を犯したということは、元々人間には罪があったということだよ。
可能性はもう1つある。
その罪は実は罪ではなく、罪だと思ってしまったことが過ちだったという可能性だ。
そうすると、今も昔も罪などないことになる。
いわゆるこれはパラダイムシフトによる瞬間的救いといえよう。
379神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 15:15:01 ID:JJ8CNmL5
ジーン・ディクソンの予言
1962年2月5日、中東にうまれた子供は、まちがいなく
世界革命をひきおこすことでしょう。

彼はみずからの「全能の力」によって、新しい「キリスト教」を
つくりあげますが、それは神の御子キリストの生き方とその教えとは
ほど遠い方向に人をあやまって導くものです。

彼はあまりにもキリストの誕生と生涯そっくりの点を数多くもっています。
しかし、この「東洋の子」が生まれた環境や彼の成長にともなって
あらわれる事件をみると、彼はキリスト(マイトレーヤ)の
再来ではありません。

それどころか、キリストそっくりのこの人物こそ、
やがて魔王サタンの勝利をめざして世界をあざむく
反キリスト(黙示録の獣)であることはまちがいありません・・・・
380神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 15:36:08 ID:PymiIi9/
>光の中で光は観測出来ない。

とも言い切れない。
381神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 16:47:11 ID:cT3H029I
>>372
個人的立場ではなく、ユダヤ・キリスト教に沿って論じているとの話、
了解しました。わたしもそうだけど、真理とは何かの模索ですね。
 
昔、オパーリンの生命誕生を読んだことがある。
雷やら水やらのごった煮から生命が誕生するという話だったかと思う。
ところが現代科学によれば、地球上に生命が誕生したのではなく、
宇宙からアミノ酸が降り注いできた可能性を語っている。
彗星説もあるから話半分ですが。
382神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 16:56:26 ID:cT3H029I
>>372
ウエストミンスター信仰告白を見たのですが、
やはり、一元論(神)と二元論(善悪)の混在があり曖昧であり、
素直には同意できないです。
 
第一原因(神)と第二原因(人)を区別する基準が不明です。
383神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 17:04:54 ID:cT3H029I
>>374-375
宝珠氏の話は難しいですね。
 
@ アストラルとかデーヴァとか、カタカナ語が多すぎる。
A その上、カタカナ語の定義がはっきりしない。
B さらにその上、話の全体がよく見えない。
384神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 17:21:10 ID:cT3H029I
神智学に関しては、神智学ニッポン・ロッジ、神智学の部屋、ウィキ情報などを
参考にした。しかし言っていることがどうもはっきりしない。
知られては困るから隠している、ような印象を受ける。
 
宝珠氏は、神智学の教義を、日本語で明確に語ってほしいですね。
もちろん、簡潔に、わかりやすく
385神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 17:44:55 ID:cT3H029I
>>374
> そして、一定期間を経てアストラル体が消滅したら、
 
アストラル体は情緒界ですよね。平たく言えば<感情界>でしょう。
感情が死後の世界だとはとても思えないですね。
  
>今度は意識の焦点は魂へと集約されて“デヴァチャン”へと入るわけです。
 
感情の次は<意識>ですか。
この世でも多くの人が自分探しをし、魂に関心を持っていると思います。
 
>時間のない至福の境地であり、キリスト教のいう「天国」の概念に
>ほぼ相当するものです。ここで次の転生に向けて備えることになる。
 
天国にいたら転生しないでしょう、という疑問はないのかと。
386神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 22:18:55 ID:li4+5QzR
ハッブル宇宙望遠鏡で131億年前の姿がとらえられた。
ビッグバンは137億年前、あと一息で宇宙の始まりを見ることができる。
近く、さらに強力な望遠鏡を打ち上げる予定だそうだ。
  
最初に、水素、ヘリウム、<暗黒物質>という三種類の材料があった。
熱 → 暗黒の支配 → やがて青いファーストスターの誕生。 byNHK
387神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 22:33:04 ID:b/t+SjAe
>>383-385
【シークレット】神智学総合スレッド【ドクトリン】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239017285/l50

続きはこちらで。
388神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 22:58:18 ID:KTKvwlq7
>>378
ことの真偽はともかくとして
神=全き善を前提とするユダヤ・キリスト教において
その被造物に最初から罪(悪)があったとするのは
かなり論理的に無理があるよ。少なくとも別種の説明原理を持ってこない限り。

>>381
オパーリンは化学進化から生命の誕生を説明しようとした古典的な仮説だね。
この分野はまだまだわかってないことが多いからいろいろと仮説が登場するんでしょう。
最近はこの方面にはめっきり疎くなってしまってよくは知らないんだけど
十数年前くらいまではRNAワールド仮説あたりや自己組織化論あたりが
主流だったんじゃないかな。

>>382
俺もあまり腑に落ちないんだよねえ。信者さんたちは納得してるのかな?

> 第一原因(神)と第二原因(人)を区別する基準
これが自由意志なんだと思うよ。もちろん神による創造とは比すべきもないけど
自由意志を神から与えられた人間による悪の創造、まあいわゆる堕落だね。
389神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:05:17 ID:li4+5QzR
正確には暗黒物質と暗黒エネルギーがあり、
この宇宙には重量比で、暗黒物質が22%、暗黒エネルギーが74%
水素とヘリウムが4%・・・ただし仮説の段階らしい。
 
創世記の天地創造に関連するので参考になった。
宇宙の晴れ上がり・・・暗黒の後に青いファーストスターが現れる。
何も知らないので何を聞いても何を見ても新鮮ですね。
390神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:08:13 ID:KTKvwlq7
>>389
あー俺も見ればよかったorz
そんな番組やってる事自体知らなかったよ…
391前世は一在家:2010/04/11(日) 23:09:33 ID:2QOidXie
>>354 宝珠氏 お久しぶりです。

私どものグループにもクリスチャンの方々もおられます。
最近、クムランテキスト(現存する最古の旧約聖書)の英語の解説書を
調査しつつあります。

>>355
>いくら「おれは神だ」と自己申告しても、周囲から認められなければ
>神になれません。妄想患者として扱われるだけです。
>聖書には他民族の神々も登場します。しかしイスラエルは唯一神信仰です。
>イスラエルがその神を唯一の神として認めるからです。

クムランテキスト申命記や詩篇では、sons of Godというフレーズが登場し、
この場合の「God=至高神El」 と記載されており、クムランテキストはギリシャ語
の旧約聖書の元本だという研究成果が神学者らから出てきております。
392前世は一在家:2010/04/11(日) 23:10:41 ID:2QOidXie
>>391
例えば、Michael S. Heiser博士(ウィンスコン大)の論文
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”では、
至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smith教授
(ニューヨーク大)の学説も紹介しております。

正確には「私以外の神を信仰してはいけない」というのが神から予言者への
自己申告であり、各国の唯一信仰の始まりだったことになります。

私はグノーシスを支持しているわけではありませんが、イエス様もsons of God(El)、
つまり神の御子のお一人という点では、クムランテキストと矛盾していないかと
存じます。
393前世は一在家:2010/04/11(日) 23:12:03 ID:2QOidXie
>>360
>悪の正体は死である。これが二元論の答えである。

エッセネ派の宗規要覧にある「闇の箇所」ですが、悪とか死とかという意味ではなく
「欲心」という訳のほうが適切だと思います。
同じく異端として焚書された「マリアの福音書」では、「良心」と「欲心」との対話が
説かれておりますので、「光の箇所」が神の似姿「良心」で「闇の箇所」が「欲心」だ
と認識すれば分かり易いと思料します。

釈尊は「四諦」の教えの中で、苦しみの原因は「欲心」からくる執着だと説かれて
おりますが、人の「欲心」は本当に悪でしょうか?

本日もテレビで浅田真央さんのインタビューを見ておりましたが、彼女は欲心の塊、
自己実現欲の化身のように感じた次第です。
ニュートン、エジソン、アインシュタインなどの偉大な科学者達も自己実現欲の権化
ですし、ダビンチ、ピカソなどの偉大な芸術家達も自己実現欲の化身でしょうか。
そして、自尊心、自己実現欲の上位に利他愛がくるかと存じます。

パンドラの箱の最後に出てきた「希望」とは自己実現欲、自尊心であれば、人は
目標に向かって努力し、成長し、進化して参ります。
もし最初のアダムに「欲心」がなければ、彼は成長することもなく、人類を殖やす
こともしなかったであろうと推察致しております。
あまり天使たちと変わらず、未完成だったことになります。
394ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/11(日) 23:17:21 ID:CVFVGbH9
知る事が最初の欲であり罪ではあるがそれのみでは悪ではない。
悪とは文字通り亜なる心、神から世界に仕えるようになったのが
いわゆる原罪である。神から心が離れたわけだ。
395前世は一在家:2010/04/11(日) 23:20:57 ID:2QOidXie
>>377
>イエスがエッセネ派だったとすると、
>神が闇の部分を作った、というその教えにも
>疑問を持って、このグループを離れた、という仮説を立てることもできますね。
>エッセネ派では旧約で規定された生け贄代替も否定されてるんでしたっけ。
>律法学者の考えそのものには肯定的だったイエスとは違う立場と言うことができます。

イエス様は先生(ラビ)だと呼ばれたそうで、旧約は熟知されていたでしょう。

律法学者達はパリサイ派、サドカイ派が多かったのではないですか。

イエス様が人の子で彼ほど偉大な者はいないと絶賛された洗礼者ヨハネは
パリサイ派、サドカイ派の人たちを「まむしの子ら」と罵倒して洗礼を拒否
されております。

さて、イエス様が肯定的であった律法学者は何派でしょうか?
396神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:21:50 ID:li4+5QzR
>>388
未整理の自論だけど、霊と肉の存在である人間に備えられたのは、
自己愛と<良心>ではないかと思っている。
 
<良心>については余り論じられていないのだけど、
スエデンボルグによれば、罪ある人間に残された神の影のようなもの。
あるいは最後の砦のようなもの。
397神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:29:38 ID:li4+5QzR
>>390
Nスペは必ず再放送するので大丈夫です。
>>393
<良心>に関してシンクロしましたね。
398神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:38:46 ID:KTKvwlq7
>>391
> クムランテキスト申命記や詩篇では、sons of Godというフレーズが登場し、
> この場合の「God=至高神El」 と記載されており、クムランテキストはギリシャ語
> の旧約聖書の元本だという研究成果が神学者らから出てきております。

このギリシャ語の旧約って七十人訳とは別物?
七十人訳だと紀元前250年くらいからだったはずだからクムランテキストは
それよりも前って事になるの?
399神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:42:22 ID:KTKvwlq7
>>392
前にIsrael Finkelsteinをホストにしたドキュメンタリー見たら
ユダヤ民族が多神教から一神教へと移行したのは
かなり新しい、って解説されてた。おそらくヨシア王のとき?
400神も仏も名無しさん:2010/04/11(日) 23:45:01 ID:KTKvwlq7
>>396
ということは自己愛から罪というか悪が発生したってこと?
何か聖書的に裏付けになるようなものがあるといいんだけど。

>>397
ども。再放送時は逃さずに見たいと思いますです。
401前世は一在家:2010/04/11(日) 23:52:52 ID:2QOidXie
>>398
>このギリシャ語の旧約って七十人訳とは別物?
>七十人訳だと紀元前250年くらいからだったはずだからクムランテキストは
>それよりも前って事になるの?

近年の年代測定法では、クムランテキストは現存する最古の旧約と認定
されております。

余談ですが、「出エジプト記」でのエジプトに下ったヤコブの子孫の数は
3つのテキストで異なっております。

マソラテキスト:70人
七十人訳旧約:75人
クムランテキスト:75人 ※七十人訳と一致ですね。

この他にもマソラテキストと七十人訳旧約とで異なっていた箇所を
クムランテキストで検証することができます。
402神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:02:29 ID:23hGhj9G
>>400
キリスト教では自己愛が罪だという考え方は一般的だろうと思います。
エデンの園で、イブは蛇に罪をかぶせ、アダムはイブに罪をかぶせます。
これは自己愛から生じる態度ではないでしょうか。
創世記38章、オナンの話も自己愛がテーマでしょうか。
403前世は一在家:2010/04/12(月) 00:07:35 ID:iGYaiFfW
>>399
>ユダヤ民族が多神教から一神教へと移行したのは
>かなり新しい、って解説されてた。おそらくヨシア王のとき?

よくご存じですね。
旧約には異国の神々やElのパンテオンなどが記載されておりますので
多神を記載した書かも知れません。

「私以外の神を信じてはならない」という自己申告を守れば、一神教
にもなります。
また、イエス様はどこにでも存在されるという意味では汎神教になり
ますね。

真理(法)は共通ですが、多神教、一神教、汎神教は人間側の定義次第
でしょうか。
404神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:11:42 ID:8K+ehJIz
>>401
どうもありがとう。クムランテキストってもっと新しい(紀元前後)だと思ってたから
七十人訳との時代的な関係はどうなんだろうと。

> マソラテキスト:70人
> 七十人訳旧約:75人
> クムランテキスト:75人 ※七十人訳と一致ですね。
>
> この他にもマソラテキストと七十人訳旧約とで異なっていた箇所を
> クムランテキストで検証することができます。

これはめちゃくちゃ面白そう!
是非研究を続けてまた成果を報告してください。
405前世は一在家:2010/04/12(月) 00:12:11 ID:iGYaiFfW
>>402

自己愛と自尊心(欲)とは似ておりますね。

自分を正当化する為に、しばしば兄弟達の悪口を言って批判することに
つながります。
406神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:13:42 ID:8K+ehJIz
>>402
なるほど。そうすると聖書的に見ても自己愛を悪の起源とすることは
あり得る話になってくるね。あとは神学的にどれくらい詰められるか、かな。
407神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:17:25 ID:kX6FGHM2
>>395
>さて、イエス様が肯定的であった律法学者は何派でしょうか?

マタイ23:1-5 ファリサイ派ですね。肯定的なのは(聖書に対する)スタンスであって、
人々に対する態度、実践ではありません

マムシの子発言は「神を愛すること」「自分のように隣人を愛すること」という二本の柱に
則らない、形式的実践だったからでしょう。それで苦しむ人々、見捨てられた人々がいるとなれば、
イエスとしては黙ってられないでしょう。

ただの党派意識で威嚇するなんてそれこそイエスの矮小化です。
408前世は一在家:2010/04/12(月) 00:21:48 ID:iGYaiFfW
>>404
>これはめちゃくちゃ面白そう!
>是非研究を続けてまた成果を報告してください。

世界中の神学者や宗教史家達が第二次大戦後に発見されました文献、
クムランテキスト(死海文書)やナグハマディ文書の研究を推進して
論文を書いておりますが、英語で読む必要がございます。

何しろ初期教父のエイレナイオスの「異端反駁」の中に登場し、その
存在のみが知られていた文献群がぞくぞくと発見された訳ですから、
ニケーア公会議の再検証すら可能になって参りました。

オーソドックスは教会勢力から見ますと、別の意味でハルマケドン
かも知れませんね。
409神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:22:49 ID:8K+ehJIz
>>403
その番組では文献的な資料というアプローチじゃなくて
あくまでも考古学的な資料を中心とするアプローチだったです。
もうはっきりは覚えてないけど、前10世紀とか9世紀の遺跡から
女神像だの何だのって出てきて7世紀あたりでそれがぱったり出なくなる、
みたいな感じだったかな。数字はうろ覚えなんで確証ないけどね。
旧約にもその多神教時代の痕跡が垣間見える、ってことだね。
410神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:29:17 ID:8K+ehJIz
>>408
死海文書やナグハマディ文書の存在は知ってたけど
まったく読んだこともなかったんでそのうち読んでみよう。
英語はとりあえずなんとかなるけど、問題は文献学的知識や
宗教学的知識かもw 

ともかくこの辺はかなり疎いので何かあればまたご教授お願いします。
411前世は一在家:2010/04/12(月) 00:38:11 ID:iGYaiFfW
>>399 >>410
Michael S. Heiserの論文その1
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”

(はじめに)
The polytheistic多神論の nature of pre-exilic前追放 Israelite religion
and Israel’s gradual evolution toward
monotheism一神教 are taken as axiomatic自明 in current biblical scholarship.
This evolution, according to the consensus view, was achieved through
the zealous熱心な commitment of Israelite scribes who edited and reworked
the Hebrew Bible to reflect emerging monotheism and to compel強いる
the laity信徒 to embrace the idea.
One specific feature of Israelite religion offered as proof of this development
is the divine council会議.
Before the exile追放, Israelite religion affirmed肯定 a council of gods神々の会議
which may or may not have been headed by Yahweh.

はじめにの全文は【イエスの】ヨハネ伝とグノーシス【神格化】板にUP済みです。
412神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 00:53:12 ID:8K+ehJIz
>>411
ども。
そのHeiserさんの論文、さっきネットで見つけたのでそのうち読んでみます。
挙げていただいた箇所くらいの英文なら知らない単語もないので
なんとか読めるんじゃないかな。やっぱり問題は背景知識かもw
413宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/12(月) 01:47:28 ID:6RRrSXRT
>>391
はーい!

お元気で何よりです。
益々、ご活躍下さ〜い^^
414神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 18:29:00 ID:TEwre5fK
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1270867654/66
>「神とは、在りて在るもの(全実在)」

ニューエイジな人以外でこの一節が汎神論を説いていると考える人はいるのでしょうか?
415神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:05:29 ID:DxLHBM6u
>>394 
>知る事が最初の欲であり罪ではあるがそれのみでは悪ではない。
>悪とは文字通り亜なる心、神から世界に仕えるようになったのが
>いわゆる原罪である。神から心が離れたわけだ。
 
もっともな話だと思うが、ユダ氏は神を知っているのだろうか。
神を知らなければ、神から離反したこともわからない。
昨日から明日に流されるだけではないか。
416ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 19:10:37 ID:FxLq9oss
神と私はツーカーの仲でな。
実は離反したと思わせて堕天使に地獄というシステムを
構築させるのが真の目的。
何で地獄が必要なのかはまぁ一言で言えば飴と鞭だ。
417神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:14:32 ID:DxLHBM6u
>>414
在りて在る者とは、その言葉通り、神が実在するということです。
神と、神が創造した世界(被造物)とは違います。
418神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:20:38 ID:DxLHBM6u
>>416
イエスが霊界太陽などとまだ信じているのか。
残念だがスエデンの妄想だよ。
419ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 19:24:43 ID:FxLq9oss
イエスと神は別の霊。
全然解ってないな。
この宇宙が神そのものなんだから
君も神なんだよ。
420神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:25:44 ID:DxLHBM6u
>>400
ハッブル宇宙望遠鏡のNスペ、再放送今夜0時15分〜1時05分
さっそく再放送とは運がいいですね。
421神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:31:39 ID:DxLHBM6u
>>419
それは汎神論という無神論だよ。わたしは人間でたくさん。
もしユダ氏が、自分は神だと強弁したいなら、
いますぐわたしのところへ瞬間移動してほしいものだね。
どうだ、できないだろう?
422ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 19:35:10 ID:FxLq9oss
神が物質という「悪」を創造したのは
自身の本質を「完善体」にする為。
これが神の肉である。
つまるところ人間は神の悪、肉を食らってしか生きられないのだ。
423ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 19:36:47 ID:FxLq9oss
>>421
神の肉、悪でしかない人間にはそのような奇跡は起こせない。
424神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:40:17 ID:gXyKzaqR
隣家の韓国人牧師家族の足音・物音が煩い。
家族揃って顔・声・態度もでかい、小さいのは目だけ
どうにかしろ、日本○○○○教団
425神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 19:48:59 ID:DxLHBM6u
>>422-423
神によって世界が一元的に創造されたと思っているわけね。
そうじゃないのだ。神はビッグバンで誕生した命。
神(命)は、物質と共に誕生した双子。
このように考えれば今までの難問奇問が解けると思う。
 
ユダ氏も今夜のNスペを見たほうがいい。
426ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 19:52:38 ID:FxLq9oss
ビックバンは神が悪を捨てて「完全」ではなくなった事の衝撃。
427神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 20:08:21 ID:DxLHBM6u
>>426
まだ一元論の残滓をひきずっている。
428ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 20:29:03 ID:FxLq9oss
神は元々全ての物質の集合体である「超物質」「超エネルギー」「超生命」
いいのかこんなことかかせて、天界の秘奥だろうが・・・
429神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 20:41:57 ID:DxLHBM6u
秘奥は書かないほうがいい。
善い者がさらに善くなり、悪い者がさらに悪くなるように。
しかし、秘奥が書かれたとしても、それは何のことかわからない。
神の目くらましによって見れども見えない。
430ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 20:44:42 ID:FxLq9oss
まぁ俺が書いても統合失調症の妄言だから
ラファエルもイエスも止めんのだろうな。
431神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 20:54:09 ID:vQuYyOHE
>>417
それが普通の読み方ですよね。
432神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 22:22:21 ID:DxLHBM6u
神は人間に自己愛を備えた。自己愛がないと、
他を押しのけても生きようという気持ちが湧いてこないからである。
しかし自己愛は周囲との争いを激しくする。
 
良心がこの行き過ぎにブレーキをかける。
良心は控えめで目立たない。無視すれば無視できるような心である。
しかし悪夢を見させるのは良心である。
  
神の創造は自己愛と良心によって完全になる。
433ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/12(月) 22:25:40 ID:FxLq9oss
まぁ隣人愛の基本だね。
自分が大事、だから他人に優しくして
身を守る。これは低レベルな隣人愛だけれども。
434神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 22:48:25 ID:DxLHBM6u
自己愛は<物質>につながっていく心である。
良心は<神>につながっていく心である。
 
ふたつは相反する。自己愛によって良心が否定され、
良心によって自己愛が否定される。両方が同時に成立することはない。
しかし良心はあまりにも非力である。
 
自己愛は本能と呼ばれる盲目的な衝動であり、
人間は本能に支配され、本能に翻弄され、自由意志を持たない。
 
罪の自覚、これは良心から生じている。
非力な良心は、自己愛をコントロールできないのである。
これがパウロの実感である。
435神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 23:13:28 ID:DxLHBM6u
キリスト教は自己愛をどう見ているのか。 
マタイ伝22.34〜40最も重要な掟にその答えがある。
 
 第一 あなたの神である主を愛しなさい。
 第二 隣人を自分のように愛しなさい。
 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。
 
この記述の裏側に<否定された自己愛>がある。
聖書は聖書のすべてをかけて、自己愛を否定しているのである。
436神も仏も名無しさん:2010/04/12(月) 23:22:01 ID:DxLHBM6u
非力な良心では、自己愛を粉砕することができない。
しかしそれでは永遠に救済されない。
 
救済の可能性がひとつある → 聖霊による恵み
43720:2010/04/12(月) 23:43:43 ID:8K+ehJIz
ども。

>>416
神さんとは何語でしゃべってるの?
日本の首相が狂っちゃってるのも神さんのせい?

>>420
おおーありがとおー
さっそく録画予約しといた。

>>434>>435
なんかフロイトちっくになってきたね。違いは良心(超自我)のほうが弱いってとこと
エスとエゴがいっしょになってるとこか。
あとフロイトの方は良心を究極的には社会的秩序を内在化させたものと見てるのに対して
>>434では良心を神と隣人に対する愛としてるとこ。この線はすごく面白いと思うよ。
聖書の核心部分でもあるしね。
438真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/12(月) 23:44:56 ID:nXdvdShv
青いですね皆さん
439ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/13(火) 00:00:51 ID:vhHFGykA
日本語。日本はベルゼブブ直轄地。地獄の地図ではね。
別に神が日本語で話している訳ではない。
私が日本語で理解しているのだ。
イギリス人なら英語で会話する。
440神も仏も名無しさん:2010/04/13(火) 00:06:07 ID:bhXURRTt
>>437
そう言えばエスとか超自我とかありましたね。
フロイトはかなり前に読んだのでだいたい忘れていました。
これからNスペを再度見るのでオチ。
>>438
久しぶりです。どこが青いのか、書き込んでおいてください。
441前世は一在家:2010/04/13(火) 06:37:46 ID:3HxFRZRB
>>432
>神の創造は自己愛と良心によって完全になる。

そうですね。表現の違いがあれど、同義でしょう。

神の人間の創造は良心と欲心によって完全になる。
神の人間の創造は光の箇所と闇の箇所によって完全になる。

自己愛、欲心が無ければ自尊心・自己実現欲もなく努力しないし、
結婚して子を産み殖やすこともしないでしょう。

神はこの世界(物質世界、三次元世界)を創造した際に、神の子、
人間を創造し、この世界を任せようとされたと。
でもアダムのような原初の人間は欲心が無く、物質開発する意欲も
無かったそうです。

所謂「地上天国建設」は崇高な精神(良心)と高度の科学技術(欲心)
によって成就することも「神の経綸」だった理解すれば、神が人間に
あえて欲心(自己愛)を宿した意図も悟れるかと存じます。

神経綸、神の青写真の存在はエッセネ派の神学の特徴です。
442神も仏も名無しさん:2010/04/13(火) 18:27:50 ID:0+YN+9i7
Nスペを再度見て誤りに気づいたので訂正します。>>386
 
ビッグバン → 真っ暗闇の暗黒 → 熱 → 青いファーストスター
443神も仏も名無しさん:2010/04/13(火) 18:49:10 ID:0+YN+9i7
>>441
在家氏の話は少し違うと思う。
自己愛の先に良心(利他心)が現れるのではなく、
自己愛と良心は対立しているのです。弁証法的対立です。
444神も仏も名無しさん:2010/04/13(火) 18:56:22 ID:0+YN+9i7
>>439 
>日本語。日本はベルゼブブ直轄地。地獄の地図ではね。
>別に神が日本語で話している訳ではない。
>私が日本語で理解しているのだ。
>イギリス人なら英語で会話する。
 
ユダ氏はかなり勉強しているね。
スエデンによれば、東のはてにサルのような人々がいるらしい。
読んでいて、それは日本人じゃないかと思った。
445神も仏も名無しさん:2010/04/13(火) 20:10:18 ID:ytBbgrzO
>>437 
>違いは良心(超自我)のほうが弱いってとこと
だれでも結局は、他人より自分を優先する。

>エスとエゴがいっしょになってるとこか。
エスがより根源的であり、エゴはエスに支配されている。
 
>あとフロイトの方は良心を究極的には社会的秩序を内在化させたもの
これは、良心の起源に関する、フロイトの単なる仮説だと思う。
社会的秩序は、表面的に記憶されるだけであり、内在化しない。
446紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/04/13(火) 20:53:05 ID:gf7B8gDY
信仰心が無いと悪魔の知恵を借りることも出来ないね。
447前世は一在家:2010/04/13(火) 23:40:10 ID:24p20lmA
>>443
>自己愛と良心は対立しているのです。

そうですね、良心と欲心(自己愛)とは対立しております。

でも、欲心の無い原初のアダムよりも、良心と欲心とが調和、バランス
した人間の方が完成度が高いと思料します。

アインシュタインもオバマ大統領も良心と欲心とがバランスした
「完全なる人間」に近いかと。
448真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/14(水) 00:14:56 ID:LcCiILeR
僕のレスには絡めない人とばかかりみたい。。。

449真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/14(水) 00:17:12 ID:LcCiILeR
あ・・・
ぼやいてしまってすいません。。。
決してかまってちゃんじゃないから    俺は
450ユダ:2010/04/14(水) 01:35:06 ID:7S1iABrN
>>446
うん。
>>448
絡むも何も発言してないし・・・
451神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 02:19:24 ID:T2FMNLl3
>アインシュタインもオバマ大統領も良心と欲心とがバランスした
>「完全なる人間」に近いかと。

完全なる人間は離婚するのか?
452前世は一在家:2010/04/14(水) 06:33:01 ID:Ow2SkXNl
>>451
>完全なる人間は離婚するのか?

釈尊でも妻子を捨てて家を出て、苦行し悟りを得ております。
モーゼも王子の頃は戦場で大勢を殺し、家を出て、苦行した後に神の声を
聞いておりませんか。

「完全なる人間」の境地に達するまでには試練が多数あり、離婚も家出
もあるでしょう。

453神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 18:24:19 ID:V39FbvwU
>>447 
>アインシュタインもオバマ大統領も良心と欲心とがバランスした
>「完全なる人間」に近いかと。
 
在家氏は、かれらの良心と欲心がバランスしているらしいと
どうしてわかったのですか。不思議ですね。
454神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 18:29:36 ID:V39FbvwU
>>452
それから「完全なる人間」の意味が不明です。
聞きなれない言葉なので、簡単に定義してほしいです。
455神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 18:35:59 ID:V39FbvwU
>>448-449
謙虚さを忘れてますね。エックハルトなどと偉そうだけど、
まだまだなのが言葉の端々に表れています。
456神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 21:13:15 ID:V39FbvwU
ダニエル氏の「聖書を根底から学ぶスレ」から
 
ヤコブが神と戦うシーンに興味があったので覗いてみた。
しかし、わからないことはわからないままにしておこう、と慎重である。
ヤコブの話は、ヨブ記と並ぶ旧約の双璧と思っている。
明快な解釈を期待していたが残念でした。
457神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 21:22:38 ID:V39FbvwU
創世記の冒頭の解釈に関しても参考になった。
 
@ 一元論「初めに、神は天地を創造・・・」
A 二元論「初めに・・・地は混沌であって・・・」
 
このA説もあることがわかった。そうなんだよね。
そういう読み方もできる。
458神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 21:33:08 ID:V39FbvwU
過去スレを見ると、まあ魚拓のようなものであり、
時間が凍りつくような印象を受けた。
459前世は一在家:2010/04/14(水) 21:54:28 ID:AENP3J15
>>454
>それから「完全なる人間」の意味が不明です。
>聞きなれない言葉なので、簡単に定義してほしいです。

参考:「ユダの福音書」ナショナルジオグラフィック

ある日、パンに感謝の祈りをささげている弟子達を見て、イエス様は
笑われました。弟子達の祈るこの世の最高神よりも至高の神をイエスは
知っているからとのこと。
弟子達は腹を立て、怒りだし、心の中でイエスをののしりました。

イエス様曰く、「あなた方の神が内にいて、腹を立てさせたのだ。
あなたがたの内にいる完全なる人を取り出して、私の眼前に立たせなさい。」と。

完全なる人(霊的な人)とは、死海文書に記載されていた「光の部分(霊)」
だと解釈すれば、他教に伝わる「全ての人には神性が宿り神にもなり得る」とも
矛盾はないかと存じます。

仏教徒の多くはよくご存知でしょうが、法華経の「方便品第二」の中で、
釈尊は、「すべての人は仏になりうるという最高の真実を悟っている。
(中略)とはいえ、最高の真理をそのまま説けば、無智の人は混乱し、
思い惑い、まっすぐ受け入れることができない。」と舎利弗に説く。

「全ての人には神性(仏性)が宿り、神(仏)にもなり得る」という真理が
死海文書、トマス/ユダの福音書、法華経、原始仏典等の文献上はよく一致して
まいります。
まあ、この教えの「神」とは至高神ではなく、人々を作られた神(梵天)かも
知れませんね。
460前世は一在家:2010/04/14(水) 21:55:52 ID:AENP3J15
イエス様曰く、「あらゆる人間の世代の魂は死ぬ。しかし、これらの人々は、
地上の時を終え、霊がその人たちから去る時、肉体が死ぬのであって、
その魂は死なず、天へと引き上げられる」と。(ユダの福音書)

原始仏典の長部経典の中に「人はト卒天から生まれ、死んでまたト卒天に生まれる」
という釈迦の説法がありますが、文献上は結構一致しております。
461ユダ:2010/04/14(水) 22:02:42 ID:3clvgKbe
>>460
全ての宗教は同じ真理を説いているので
そのような類似は当然と言える。
462前世は一在家:2010/04/14(水) 22:34:24 ID:CJ9NG4lR
>>461 ユダさん
>全ての宗教は同じ真理を説いているので
>そのような類似は当然と言える。

そうですね、イエス様も釈尊も他の預言者達も同じ真理を
説いておりました。

でも後世の弟子(しかも高弟)が原初の教えを改ざんして
しまい、現代ではお互いが対立して、憎しみあっているのが
実情です。

クリスチャンは元のイエス様の教えに、仏教徒は元の釈尊の
教えに元還りした時に対立も争いも無い恒久平和、地上天国、
極楽浄土がこの世(三次元、物質界)に顕現する日を希求して
おります。
463神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 23:12:06 ID:NGLoxyjp
>>459
>完全なる人(霊的な人)とは、死海文書に記載されていた「光の部分(霊)」
>だと解釈すれば・・・
 
これが「完全なる人」の定義ですか。
そうするとアインシュタインやオバマ大統領は、霊的な人、光の部分(霊)と
言うことですか。ほとんど意味不明なのですけど。
 
かれらが、霊的な人、光の部分(霊)とは何のことですか。
在家氏は、かれらがそういう人だと、どうしてわかったのですか。
464神も仏も名無しさん:2010/04/14(水) 23:19:20 ID:NGLoxyjp
在家氏は、
死海文書やナグハマディ文書を持ち出す前に、
まず聖書から話すべきだろう。聖書をそっちのけにし、
イエスがどうだ、モーセがどうだと自己流に話すのはやめてほしい。
465宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/14(水) 23:40:51 ID:Bd6Kxxz7
>>387
遅くなりましたm(__)m
ご参考まで・・・
466前世は一在家:2010/04/15(木) 06:38:00 ID:uZQwGb0S
>>464
>死海文書やナグハマディ文書を持ち出す前に、
>まず聖書から話すべきだろう。聖書をそっちのけにし、
>イエスがどうだ、モーセがどうだと自己流に話すのはやめてほしい。

これまで3共観福音書とヨハネ伝との比較を行いました。
ヨハネ伝の異質性とヨハネ書簡のグノーシス性もをいくつか見つけて
提示しました。
ナグハマディ文書とヨハネ伝との比較も行っております。

同様に旧約もマソラテキスト、七十人訳とクムランテキスト(死海文書)
との比較、精査を行っております。

以上、私のアプローチです。
ニケーア公会議以前のエイレナイオスが「異端反駁」を書いた頃の
原始キリスト教を検証しております。
467前世は一在家:2010/04/15(木) 06:44:37 ID:uZQwGb0S
>>466
>ニケーア公会議以前のエイレナイオスが「異端反駁」を書いた頃の
>原始キリスト教を検証しております。

「全知全能」が神様の預言者への自己申告であったように、
「正統と異端」もエイレナイオスの自己申告だったということです。

死海文書やナグハマディ文書が1600年後に復活した事実を偶然だと
思いますか?
私は「神経綸」の一つだと考えております。
468前世は一在家:2010/04/15(木) 07:28:11 ID:X5bMyBtc
>>463
>かれらが、霊的な人、光の部分(霊)とは何のことですか。
>在家氏は、かれらがそういう人だと、どうしてわかったのですか。

彼らが偉人だからです。他にも偉人は多数おられます。

「偉人」と善良な男女、兄弟達との違いはどこでしょうか?

「偉人」の共通点は良心を保ちつつ、自己実現欲(欲心)をうまく
コントロールして努力を惜しまず、各分野で大成しております。

原初のアダムは欲心が無ければ、努力もなかったかと思料します。
469神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 11:52:42 ID:z3EtqrXe
>>468
あなたは言葉を言い換え、都合いいように話を歪めていると思う。
 
完全なる人間→霊的な人→光の部分(霊)→偉人→善良
>>447 >>459 >>468
 
あなたが言い換えた、どの言葉も違う意味ですよね。
「完全なる人間」に近い「オバマ大統領」は霊的な人なのですか。
それから「オバマ大統領」は偉人? 
生きている人間に対して「偉人」とは言わないと思う。
470神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 12:01:59 ID:z3EtqrXe
>>466-467
あなたがどんなアプローチをしても自由だけど、
死海文書やナグハマディ文書を語る専用のスレがありますよね。
あなた用のスレではないですか。そこでやってください。
 
【イエスの】ヨハネ伝とグノーシス【神格化】
471神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 12:10:20 ID:z3EtqrXe
【シークレット】神智学総合スレッド【ドクトリン】からの移動です。
 
782 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/14(水) 23:26:26 ID:Bd6Kxxz7
ご意見とご質問への回答です
----------------------
それは〜ごめんなさい!

 膨大で微妙な意味合いを含んだ概念を一言で簡単に済ませようとするのが、所謂、“専門用語”の
使用ということであると思います・・・そこに便利さがある。これはどんな宗教でも、きっと同じであろう
かと思います。
 ただ、あまり平易に述べてしまうと、結局は曖昧で不明確なものとなりやすく、神智学的にはこれは
是非、避けたいところでしょう(神智学としての意味がない)。そして、詳細に説明したものというのは
難解になりやすい傾向になるのではないかと思います。

 本当は詳しくて分りやすい説明というのが良いのでしょうが、それはなかなか出来ません・・・。このス
レには、難しい事柄を丁寧に分りやすく説明できる旨い人が多くいますから、真摯に質問すれば有益な
返答が得られるかと思います。

>>そして、一定期間を経てアストラル体が消滅したら
>アストラル体は情緒界ですよね。平たく言えば<感情界>でしょう。
>感情が死後の世界だとはとても思えないですね。

 感情というのはエネルギーであり、肉体の崩壊後(死後)でも異常な状態にあるアストラル体(感情/
情緒体)というのは、そのまま残存し続けます。「痛い」「苦しい」「熱い」「怨念」・・・などといった激しい
感情の想いは“想念波動”として空間や周囲の物質に付着して留まっています。これら心霊現象の中
で、幽霊状態となっているのをカーマ・ローカとも呼びます。
 ここに意識の焦点が置かれている状態は、本人にとり、ある意味で地獄的なものといえるだろうと思
います。このエネルギーが消耗し消失すれば(次にメンタル体の崩壊の過程を経て)、いよいよ意識の
焦点は本来の魂へと移行します。
 もちろん、良い働きをしている高次のアストラル存在もありますが、彼らもいつかはそのアストラル体
が消失します。尚、この界層では覚者方からの通信は得られません(メンタル界でのコンタクトが必要)。
472神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 12:12:05 ID:z3EtqrXe
783 :宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/14(水) 23:27:27 ID:Bd6Kxxz7
>>今度は意識の焦点は魂へと集約されて“デヴァチャン”へと入るわけです。
>感情の次は<意識>ですか。
>この世でも多くの人が自分探しをし、魂に関心を持っていると思います。

 魂存在について関心を持ったり、更には、意識的に自己の魂との接触を求める段階になれば、確か
にそれは自己のパーソナリティー(低我)側と、そして魂側の双方からによる歩み寄りが始まった証拠
といえるでしょう。ただ、死後に意識の焦点が自己の魂へと自動的に移行する、といったこととは全く別
のことです。
 また元々、各諸体というのは実体ではないのです。従って、神智学では所謂、霊界活動については重
きを置かないのです。

>>時間のない至福の境地であり、キリスト教のいう「天国」の概念に
>>ほぼ相当するものです。ここで次の転生に向けて備えることになる。
>天国にいたら転生しないでしょう、という疑問はないのかと。

 転生するということは、本質的には“霊による物質の経験”という意味があり、これによってロゴスの
御径論(神の意志とプラン)に仕えることになります。ていうか・・・このこと自体が、本当はロゴス御自
身による自らの行為なんです。人間としては、人生経験の最低必要分の学びが獲得できるまでは必
然的に転生を繰り返します。
 そもそも物質現象界の出現(創造)そのものが、ロゴスご自身による降下、高波動からの(波動の)低
下に他ならないのです。


 以上、取り合えず・・・こんなところです。遅くなりました m(__)m
473ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/15(木) 12:17:09 ID:vVFJ0zIt
魂に自我や意識はありません。
神と同じく観測出来るだけです。
アストラル体と混同されますが
両者は別の物です。
474神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 17:01:28 ID:z4b/cJuo
神は時間を超越するでしょ。つまり時間に拘束されない。
で、神が初めに自由に人間Aの滅びと、救いを決定したとする。

それで、人間Aが救われたとする。
だとすると、神の決定は未来に拘束されるでしょ。

つまり、救われた人間Aから見れば、神は人間Aの救いしか決定できない、でしょ
それでは、時間に拘束されない神の自由ではなくなるよね。

と言う事は、初めに神が人間Aの救いと滅びを自由に決定したとすれば、
未来は、人間Aが救われる世界と、人間Aが滅びる世界の二通りあるんだな。

全ての事を、神が初めに自由に決めたとすれば、世界は無数にあるんだな。
神は時間に拘束さずに自由に物事を決定するとすればね。
475神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 17:06:20 ID:z4b/cJuo
それから基本的な考え方として、聖書は霊肉二元論は取らないから。
だから使徒信条は「体のよみがえり」なんだな。
476神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 18:51:06 ID:dVXRbty6
>>474
自由意志で決定したのなら拘束されてることにならない。
自由の問題はその決定以前にあるからです。
  
決定する前は選択肢があるけど、決定した後は選択肢がまったくない。
これは時間に拘束されない神であっても同じでしょう。
なぜならそれが神の意志だからです。
477神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 19:02:19 ID:dVXRbty6
神が何事かを意志した時、それが実現するためには法則が前提になる。
未来が預言できるのは、ものごとが法則に従うからでしょう。
世界は一定の法則に従う、これが預言の前提です。
 
神が時間を越えているということは、
永遠のはるか彼方の時間が、今この一瞬に凝縮しているということです。
478神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 19:13:23 ID:dVXRbty6
>>475
パウロは霊肉二元論であり、聖書は二元論ではないかと思っています。
人間はこの世で霊と肉の二重性を生きています。
死ぬことで、肉を脱ぎ捨て、霊的存在になり、あの世(霊界)に住むのです。
 
しかし、スエデンも驚いた、この世への転生が生じる場合があります。
転生すれば、使徒信条の<体のよみがえり>が現実になります。
479前世は一在家:2010/04/15(木) 21:05:04 ID:VcfaBFGQ
>>470
>死海文書やナグハマディ文書を語る専用のスレがありますよね。
>あなた用のスレではないですか。そこでやってください。

貴兄はこの板の入り口の看板を一度でも見ましたか?
「キリスト教に関するハイレベルのテーマを議論するスレです。
たとえばグノーシス、スウェデンボルグ、ミトラ教などであり、
キリスト教を豊かにし、深めることが目的です。 」

そして貴兄が提示の板の看板は、
「3共観福音書とヨハネ伝と他の新約文献を比較研究して
ヨハネ伝の性格(イエス神格化)を浮き彫りにします。 」

あちらはヨハネ伝の検証の為の板だとご理解いただけました
でしょうか。

それから、クムランテキスト(死海文書)はグノーシスとは関係なく
現代の最新鑑定方法で世界最古の旧約聖書だと分析されております。

これを否定すれば、マソラテキスト、七十人訳も否定し、旧約の
予言を正当性の検証に用いた新約も否定することになりますよ。
480前世は一在家:2010/04/15(木) 21:34:50 ID:VcfaBFGQ
>>479
>それから、クムランテキスト(死海文書)はグノーシスとは関係なく
>現代の最新鑑定方法で世界最古の旧約聖書だと分析されております。

クムランテキストは最古のギリシャ語旧約の原本だという神学者達の
論文もあると伺っております。

尚、グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば
「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説を英語で読むことができますよ。

481前世は一在家:2010/04/15(木) 22:29:20 ID:lEh8WUaC
>>467
>「正統と異端」もエイレナイオスの自己申告だったということです。

■エイレナイオスの新約聖書論
以下に彼が現在の正典四福音書を正統と主張した根拠の概要を示します。
現代の神学者達を納得させられるような論理性は無いそうです。 (参考:「禁じられた福音書」、青土社)

・全世界は「四つの領域」と「四つの方角」から成っているように、教会も「四つの支柱」を持たねばならない。
・ケルビムの四つの生き物がいる。(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)
・ヨハネ伝は、ロゴスの受肉を述べるから最も王的な「獅子」
・ルカ伝は、祭司ザカリヤの話で始まるから生贄にもされる「雄牛」
・マタイ伝は、イエスを人間として描くから「人間」
・マルコ伝は、霊のように鋭く飛ぶように迅速に叙述するから「鷲」
・ヨハネ伝はモーゼ以前の族長時代、ルカ伝は律法以後の旧約時代、マタイ伝はロゴスが受肉した時代、マルコ伝は聖霊が派遣されている時代を表わす。

エイレナイオスは真剣ですが、一見便宜主義的な「数合わせ」に思われます。
482宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/16(金) 00:22:33 ID:wje7JNV8
>>473
一応、異なる見解としての意見を述べておきたいと思います。

「神」や「魂」は観測では捉えられません。
これらは客観的な方法では確認できない。
捉えられるのは、あくまでもその属性一つの部分部分にしか過ぎず、
ただ、その属性によって起こる現象を見ているだけなのです。
「神」や「魂」というのは主観として自覚するものであって、
これは完成者だけが自己意識として自覚して、体験するものです。

我々のレベルでは、自覚できるのは低級我の範疇であって、
アストラル体の情緒活動と自己との同一認というのは、しばしば経験するものです。
しかし、本当の意味においては、
これら(アストラル活動、及びそれを自覚する自我意識)というのは実体ではありません。
従って、この二重性質(二元性の世界における生存)についての理解が必要なのです。


2ch/神智学関係の総合リンク集ページ
http://houjugusya.web.fc2.com/link2.htm
483神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 00:29:34 ID:zemKg0sW
専用スレッドがあるんだから、あっちでやれ、と人に言うのに
自分は専用スレッドからわざわざ持ってきて
ここでやる。理不尽でしょう。
言行不一致にもほどがある。在家さんに謝っていいレベル。
484ユダ:2010/04/16(金) 00:40:43 ID:yNQvHiwg
魂を自覚する方法はある。
不可能に近いが無我の境地に立てば
唯の観察者たる己の魂を知る。
私は自覚している。
485宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/16(金) 00:47:48 ID:wje7JNV8
>>484
レスに感謝!!
では、あなたを“不可能に近い境地に到達している方”として見ることにします。

>>483
このスレに望んでいる人もいるようですが・・・。
神智学には聖書(の記述)についてのそれ独自の解釈もあるので。

大丈夫です。長居いませんから m(__)m

〜ごきげんよう
486前世は一在家:2010/04/16(金) 06:43:11 ID:nxk5/U2Q
>>482 宝珠氏
>「神」や「魂」は観測では捉えられません。

預言者達は神の声を聞いたり、神の姿を見たりしたと伺います。

もし聖書に登場した白く輝くモーゼ、エリアを預言者以外も目撃した
のであれば、神の側から可視化してきたことになります。

大抵は預言者にしか声が聞こえませんから、テレパシー(読心通)
でメッセージを送ってきているかと存じます。
487神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 07:10:44 ID:hurAuDgn
>>486
>預言者達は神の声を聞いたり、神の姿を見たりしたと伺います。

幻聴と幻覚では?
488宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/16(金) 07:22:10 ID:wje7JNV8
>>486
もし、高位のイニシエートや覚者存在(5段階以上のイニシエート)とのコンタクト(メッセージ)などがあっても
聖書世界での信仰者たちの理解(言葉)で表現すると、すべてが「神」ということにされるのですよ。

エロヒームという“人格神”は(太古、金星から飛来されて)、
エーテル体にてこの惑星上のシャンバラに在住していますが、
しかし、このお方も厳密にはロゴス御自身ではありません。
もちろん、我々人類に息を吹き込まれた存在ですから、
我々にとっての父なる神に相当はしますが・・・。

また、私がいうところの、
自己(の本質)が神御自身(の分霊)であることを自覚していく過程というものは、
(自己の)主観の世界における内的体験である(客観的なものではない)、
という話をしたのです。

〜では、
在家さんの素晴らしいオカルティズムな聖書学の研究を更に期待していま〜す^^
(素晴らしいご研究であると思います)

これ以上は、
お叱りを受けるので、さよならしまーす m(__)m
489神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 17:07:13 ID:7KevjnpS
>>488
参考になりました、ありがとう。
しばらく発酵させ、再び神智学を語るかもしれません。
>>483
このレスはたぶん、わたしに対するものです。
神智学を批判したのはわたしであり、宝珠氏はそれに対して反論し、
神智学を要約してくれたのです。
一連の流れがあるので、このスレにコピペして当然でしょう。
490神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 17:15:10 ID:7KevjnpS
>>479
このスレのテンプレはよくない。
>>2-7 に、そのあたりのことが書かれている。
修正できないので、そのままになっているのではないだろうか。
491神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 17:26:57 ID:7KevjnpS
>>479
在家氏は何かカン違いをしているように思う。
死海文書、エッセネ派、ナグハマディ文書、エレイナイオスなど、
魂の救済にとってほとんど意味がない。
 
異端として処分された思想は、これからも異端として処分されるだろう。
いまある聖書で100%間に合う。まず聖書からスタートしよう。
492神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 17:42:13 ID:7KevjnpS
>>479
在家氏は崇教真光の信者だそうですね。
何を信仰しようが自由です。
しかし議論無用、問答無用で、自分の考えを繰り返すのはどうでしょうか。
すでにあなたの誤りを指摘しました。
 
あなたは自分の発言に責任を取ってください。
あなたによれば、オバマ大統領は霊的な人、偉人になるのでしたよね。
ほんとうにそうなのですか。
493神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 17:51:10 ID:zemKg0sW
流れ云々を言うならグノーシス、ヨハネスレでなされ(続けられ)た議論や結論を
在家さんがここに貼っても問題ないことになりますよ。
両者で扱いを変えるなら、それは二重基準です。
494神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 17:59:00 ID:7KevjnpS
死海文書、ナグハマディ文書、エレイナイオスなどを語りたいなら、
在家氏用のスレに書き込めばいい。
 
あそこはヨハネ伝・グノーシスだから、などと遠慮しなくてもいい。
あなた自身、創世記や詩篇など、かなり自由に書き込んでいるではないか。 
 
それにあのスレは、まだまだいくらでも書き込める余地がある。
いつになったら1000になるのか。
495神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 18:37:23 ID:7KevjnpS
いままで気がつかなかったけど、
在家氏用に、真光のスレもいくつかあるじゃないですか。
 
手かざしは聖書にない!
496ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/16(金) 18:47:25 ID:wcTrWdxw
>>495
君は異教徒を迫害するような
教会に通っているのか?
497神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 18:51:29 ID:7KevjnpS
..496
いや、迫害しているのではなく、笑っているのだよ。
ユダ氏も笑われないようにしようね。
498神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 19:00:32 ID:zemKg0sW
>>494

それは神智学も同じです。
完走したなら次スレッドを立てればいい。
499ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/16(金) 19:54:32 ID:wcTrWdxw
>>497
では私はアンカーをつけられない君を笑うべきだろうか?
500ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/16(金) 20:25:19 ID:wcTrWdxw
正解は笑うべきではない。
ミスは誰にでもあるからだ。
50120:2010/04/16(金) 20:31:53 ID:JjsMjL+o
ども。
規制食らってました。

在家さんに紹介されたHeiserさんの論文
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”
ざっとですが読んでみました。
ヘブライ語をtransliterationなしで使用しているので、そのあたりはさくっと飛ばしてw

簡単に言うと、Heiserさんは学会で前提とされているユダヤ教の進化観
(多神教から一神教への移行、Deut. 32:8-9 and Psalm 82はその移行過程を
示したもの、ないしは多神教時代の残滓)に疑義を呈して
ユダヤ教は初めからEl=Yahwehであって、Elの子どもの地位から昇格し
Elと同一視されたわけではない、という主張。

正直言ってどっちが正しいのか、俺の知識と能力じゃわかりませんw
502神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 20:52:26 ID:YbBnANjb
>>500
痛いところを突かれた。確かにそうなんにゃ〜   にゃん
503神も仏も名無しさん:2010/04/16(金) 21:00:10 ID:YbBnANjb
あなたもそこのあなたも、猫殺しは絶対やめてください、にゃん
ついでに犬殺しもです、わん。
504前世は一在家:2010/04/17(土) 00:01:13 ID:qBfQkMJC
>>491
>在家氏は何かカン違いをしているように思う。 (中略)
>異端として処分された思想は、これからも異端として処分されるだろう。
>>495
>手かざしは聖書にない!

正統と異端を区別した「異端反駁」の著者の初期教父エイレナイオスは次のように
証言しておりますことを貴兄がご存じないだけでは。

「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、
人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
とエイレナイオスは語った。
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))
505前世は一在家:2010/04/17(土) 00:02:49 ID:qBfQkMJC
>>495
>手かざしは聖書にない!

使徒行伝も熟読されておられるクリスチャンからは出ないコメントですね。
イエス様達が得意とされた「聖霊による洗礼」は最初は手当だったようですが。

使4:30 どうか、御手を伸ばし聖なるイエスの名によって、病気が癒され、しるしと
 不思議な業が行われるようにしてください。

使8:15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにと彼らのために祈った。
使8:16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けただけで、聖霊はまだ誰の上にも
 降っていなかったからである。
使8:17 そこで、ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

使14:3 しかし、二人はそこに永くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。
 主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、み恵みの言葉を証しされたのである。

使19:6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が人々の上に降り、その人たちは異言を
 話したり、預言をしたりした。

新約聖書全体には多数「手から聖霊を与える洗礼」の記載がございますね。
506前世は一在家:2010/04/17(土) 00:07:10 ID:qBfQkMJC
>>496 ユダ氏
>君は異教徒を迫害するような教会に通っているのか?

隣人愛を有難うございます。
仏教板でも異教は非難されましたが、慈悲深い仏教徒にも多数お会いしました。

イコンのイエス様は暗い感じが多いですが、ユダ伝のイエス様は快活でよく笑われ
ましたね。

「私の目の前に完全なる人を立たせよ。」と言われた際は、ユダ以外の使徒達は
下を向いていたシーンがリアルでした。
507ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/17(土) 00:07:51 ID:d6qxvuDR
異端文書だから間違いだと言う人間は
イエスがユダヤ教異端として
処刑された事実をどう弁護するのか?
カトリックが正しい根拠は無い。
508神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 18:27:13 ID:kDzB6rGL
正誤の判断は、真理として認められている教義であるかどうか。
真理として認められている教義とは、その人が信じる宗教、宗教内〜派の教義のこと。
異端の通義は、「真理として認められている教義を批判否定する説」である。
509ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/17(土) 18:33:34 ID:d6qxvuDR
白を世界中の人間が黒だと言っても
白は白、それが真理。
51020:2010/04/17(土) 20:06:29 ID:Gg5Wld83
互いに立場の異なる人同士が議論する場合には
真理という言葉は避けた方がいいよ。真理は証明の対象じゃなくて信仰の対象なんだから。
>>508のように真理「として」という言い方は妥当なんだけど、たぶん誤解を生む。
こういうところでは「カトリックの教義によれば」とか「グノーシス主義の考え方によれば」など
前置きを置かないと不毛な真理の奪い合いで終わる。

できることはそれぞれの教義なり考え方なりを、可能な限り資料と妥当な論理に基づいて
議論すること。そういうスレでしょ、ここは?
その限りにおいてキリスト教に関わってくる議論であれば、いわゆる「異端」だからと言って
排除するのはおかしいと思う。
511神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 20:23:54 ID:90y41qty
在家氏の場合は特殊であり、かれの誤りを指摘しても素通りし、
同じ主張を繰り返し書いている。これでは議論でなく、真光の宣伝では?
それからもうひとつ、言葉の言い換えをして話を歪める。
 
聖書に「手かざし」はない、という主張には、
「手当て」をその例としてあげる。これでは議論にならない。
議論には誠実さが前提になると思う。
512ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/17(土) 20:34:53 ID:d6qxvuDR
>>511
確かにそれは論客として誠実では無い。
誤りは誤りとして認めるべきだし
議論は勝敗を決める場では無い、
真偽を決める場だ。
513神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 20:35:39 ID:90y41qty
「オバマ大統領は、霊的な人であり、偉人である」
 
これが在家氏の本心だろう。
ユダ氏は、ケアレスミスだと弁護したけど、そうじゃない。
かれの眼中にあるのは、財産のある人々、社会的に評価の高い人々だ。
その考え方は反キリストであり反聖書的である。
514ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/17(土) 20:43:48 ID:d6qxvuDR
>>513
私は在家氏のあげた「偉人」には
同意していないし同意しかねる。
皆、物質的な勝者だからだ。
物質的にはユダに敗北したイエスとは異なる。
515神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 20:45:15 ID:90y41qty
在家氏で思い出すのは、イエスを誘惑する悪魔である。マタイ伝4.9
 
「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」
516神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 21:03:34 ID:90y41qty
異端であることと、反キリストであることは意味が違うよね
51720:2010/04/17(土) 21:12:07 ID:Gg5Wld83
>>511
なるほど。もし>>511さんの言うことが本当なら
在家さんはちゃんと答えるべきだと思う。
「もし」という限定をつけたのは、個人的には根拠の示されない主張は
原則読み飛ばしてるから。ユダさんのレスは面白いから読んでるけどw
(正確に言うとユダさんの場合はこちらで根拠を確認できないということで、悪しからず)

それから>>511さんも番号でもいいからコテをつけた方がいいと思うよ。
誰がどんな主張をしてるのか混乱しちゃうから。
俺も面倒なんでつけずにレスすることが多かったけど
忘れない限りこれからは付けるようにします。
51820:2010/04/17(土) 21:18:40 ID:Gg5Wld83
>>516
意味は違うけど、意味が違ってもいいと思うよ。
ここは護教スレじゃないでしょ?
だったら反キリストの立場の人だって筋を通して議論すればいい。
もちろんあからさま煽りや嫌がらせはダメだけどね。
519神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 22:27:01 ID:90y41qty
>>517
コテにはプラスマイナスがあるのです。しばらく検討させてください。
>>518 
正反対の立場ではかなり困難でしょう。
議論のベースには、聖書あるいはキリスト教があるべきだと思う。
スポーツのルール、のようなものが必要です。
 
神がいるのか、いないのかという議論は別スレになると思う。
これだけでも相当なテーマです。
520前世は一在家:2010/04/17(土) 22:38:34 ID:/o0srGrl
>>511
>聖書に「手かざし」はない、という主張には、
>「手当て」をその例としてあげる。これでは議論にならない。
>議論には誠実さが前提になると思う。

ですから最初にエイレナイオスの証言を紹介しましたよ。

「真のイエスの弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体に
する人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」
とエイレナイオスは語った。
(Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851))


イコン(聖画)にも、イエス様が人に手を置く場合と、手をかざす場合の
両方があります。 見たことはないのですか?
521神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 22:43:45 ID:90y41qty
あまり難しいことを言わず、
キリスト教に関係すればそれでいいのだとしましょう。
<誠実>に議論できればOKですね。
522ユダ ◆Lk8/K6E0Kg :2010/04/17(土) 22:45:46 ID:d6qxvuDR
「完全な人」については詳細は書かれてないが
マタイ5/48でイエスが言及している。
523神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 22:45:53 ID:90y41qty
>>520
聖書に・・・と書いたじゃないですか。
524前世は一在家:2010/04/17(土) 23:02:16 ID:/o0srGrl
>>522 ユダ氏

マタイ5:48
「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
 あなたがたも完全な者となりなさい。」

同じ「完全な人間」の聖句があるユダ伝が異端とされるたのも
不条理ですね。


525ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/17(土) 23:07:36 ID:d6qxvuDR
>>524
私は文書が聖典か異端かは問題にしない。
ガブリエルが私の教師だからだが。
信じるにたるか唯の妄想かは
ガブリエルが教えてくれる。
526神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 23:28:57 ID:kDzB6rGL
普遍的な価値の体系を、合理的に基礎づけることのできるような理屈は、どこにもなかろう。
人は常に、合理的に基礎づけることのできない信念から出発するのである。
その信念は、おそらく、歴史的・社会的・生理的・心理的諸条件の複雑な相互作用から
生まれたものである。
たとえていえば、多くの変数を含む関数のようなものである。
関数の形はわからない。
釈迦やイエスは、変数を一つに絞って、関数の形を定めようとした人たちである。
52720:2010/04/18(日) 00:08:03 ID:O0cTjw4b
>>519
コテに関しては了解しました。

> 議論のベースには、聖書あるいはキリスト教があるべきだと思う。
これは捉え方によるね。聖書あるいはキリスト教「に関して」ならば
ユダさんでも在家さんでもスレ違いじゃない。
聖書あるいはキリスト教「の正統教義の範囲で」となれば
両者ともスレ違いになる。

俺は前者の捉え方がいいと思うけどね。
ただその際にはやはり誤解なきよう出典なり根拠なりを
できるだけ明示するようにしたほうがいいでしょう。
528ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 00:20:29 ID:WkV4+Ik8
>>527
私は実体験を元に書いているから
根拠は示せないんだが。
52920:2010/04/18(日) 00:24:21 ID:O0cTjw4b
>>528
うん。それはわかってる。でもちゃんと実体験っていう「根拠」を明示してくれてるから
俺的には全然OK。だからと言ってそれに賛成せよとか反駁せよとか言われたとしても
俺のような神との交わりを経験したことのない人間には無理だけどねw
530ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 00:35:13 ID:WkV4+Ik8
>>529
理解して頂きありがたい。
531真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/18(日) 12:39:08 ID:6dOTzfuJ
>>482
>>484
>>486

だから言うのであるマイスター・エックハルトは
神とは知性認識であり存在なのだ  と

表現を変えると認識するが故に神は存在する 
532神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 15:08:23 ID:zPM1hg8z
>>527
議論のベースとしては聖書を置くのがいい。
聖書をルールブックにすれば、無用な混乱を避けられるのではないか。
テーマについては、聖書あるいはキリスト教に関すること、でいいと思う。
 
ただ、死海文書やナグハマディ文書を研究し、それを中心に語りたいのであれば、
それ専用のスレでやるべきだろうと思う。まだ一般的ではない。
ここでは、聖書以外は雑学レベルにとどめ、参加しやすくしたほうがいい。
533神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 15:14:16 ID:zPM1hg8z
在家氏の問題は別であり、キリスト教の仲間のようなふりをしているが、
実際にはキリスト教を利用して「真光」を宣伝しているだけ。
534神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 15:27:13 ID:zPM1hg8z
>>507 
>異端文書だから間違いだと言う人間は
>イエスがユダヤ教異端として
>処刑された事実をどう弁護するのか?
>カトリックが正しい根拠は無い。
 
ローマ兵による逮捕(ヨハネ伝)、ピラトの尋問、ローマ兵による警備、
十字架による処刑などは、これがローマによるものであることを伝えている。
単なる宗教的な争いなら、ユダヤ式石打あるいは暗殺で片付いたのでは?
政治的な危険人物だった可能性をもっと考慮すべきではないか。
535ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 15:33:56 ID:WkV4+Ik8
>>534
ローマ総督ピラトはイエスを無罪にしている。
イエスを死刑にしたのはユダヤ教ラビ。
で、カトリックが正しい根拠は?
536神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 16:04:10 ID:qutYE5Ze
>>535
カトリックが正しいとは言ってない。
そうではなくてイエス処刑にローマの関与がある以上、
単なる宗教対立ではないのではないか、という疑いを述べたのです。
このテーマはもう少し追求してみたいような気もする。
それからわたしは宗教が趣味なだけです。
537ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 16:17:08 ID:WkV4+Ik8
>>536
ローマが動いたのは
あくまでもユダヤ教ラビの要請を受けてのもの。
だからローマの文書にイエスの名前がない。
ローマはイエスを危険な人物だとは考えてなかった。
538ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 16:23:33 ID:WkV4+Ik8
>>576
私が宗教、あるいは母親に依存していると考えているのなら
それは違う、母親の前世は私の敵だったからだ。
539ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 16:25:28 ID:WkV4+Ik8
>>538
ゴバク
540神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 16:27:39 ID:qutYE5Ze
>>537
イエスの処刑から40年後にローマとユダヤが戦っている。
イエスの時代、ローマが神経を尖らせる状況があったことは推測できる。
名前が残っていないのは、属領の犯罪者だったからでは。
541ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 16:33:20 ID:WkV4+Ik8
>>540
それならピラトが処刑しているはず。
542神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 16:44:55 ID:qutYE5Ze
福音書が成立した時代は60〜90年、
ローマに占領されたなかであり、ローマへの配慮があったのではないか。
布教の都合もあり、ローマは無関係だと創作した?
でもローマが関係していたというメッセージだけは残して置きたかった。
ダイイングメッセージだね。
543ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 16:50:11 ID:WkV4+Ik8
>>542
その可能性はある、
実際はローマが処刑し
イエスがローマへの反逆を考えたが為に
ユダが裏切った可能性は。
だからユダの最後が書かれていないのかもしれない。
544ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 16:59:57 ID:WkV4+Ik8
これだとイエスが
「主よ、何故私を見捨てられるのですか?」
の最後の言葉も説明がつく。
545神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 17:02:45 ID:qutYE5Ze
ユダの裏切りについては、イエスは全知全能のはずだから、
裏切られることを知っており、裏切りにはならないという疑問もあるらしい。
こういったことを含め、イエスの処刑に関する洗い直しが必要ですね。
546前世は一在家:2010/04/18(日) 18:38:46 ID:C6TtcT6U
>>533
>在家氏の問題は別であり、キリスト教の仲間のようなふりをしているが、
>実際にはキリスト教を利用して「真光」を宣伝しているだけ。

過去ログを確認いただいたら分かりますが、一度も私は所属グループを
提示しておりません。宣伝にもなりません。
自称カトリックの方が私のことを「GLA」と決め付けておられましたね。

この板には幸福Kや創価の方々も入ってきておられるようですが、神智学
だと自己申告されているのは宝珠さんくらいでしょうか。
547前世は一在家:2010/04/18(日) 18:43:59 ID:C6TtcT6U
3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
ことが明白かと存じます。
イエス様はまた、天の父の遣わした預言者であり、洗礼ヨハネの水の洗礼の後、
聖霊が降下し聖霊による洗礼にて人々の病気を癒し、悪霊を追い出された様子がよく
分かります。

(マルコ伝 14:36) ※アバはアラム語
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
(マルコ伝 15:34) ※エロイはアラム語
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
548前世は一在家:2010/04/18(日) 18:46:26 ID:C6TtcT6U
>>544 ユダ氏
>「主よ、何故私を見捨てられるのですか?」>の最後の言葉も説明がつく

>>547
(ルカ伝 22:42)
「父よ、御心ならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、御心が成るようにしてください」。
(ルカ伝 23:46)
そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

(マタイ伝 26:39)
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、御心のままになさって下さい」。
(マタイ伝 27:46) ※エリはヘブライ語
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

そして、ヨハネ伝の筆者のみが「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
と記載していたことが分かります。「イエス様=神自身」という三位一体説の原因と
なっております。

549ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 18:52:03 ID:WkV4+Ik8
>>548
ヨハネ福音書はグノーシスと関わりが
深いとされる福音書だ。
550神も仏も名無しさん:2010/04/18(日) 19:15:44 ID:yDN/sF2S
>>548
>「イエス様の十字架=ユダヤ教の過越祭のいけにえ」
ルカ22:15-20
55120:2010/04/18(日) 20:05:10 ID:O0cTjw4b
>>547
> 3共観福音書を正見しますと、イエス様ご自身が十字架の意義を認めておられなかった
> ことが明白かと存じます。

それはそんなに簡単に言い切れないと思うよ。
マルコやマタイの記述においても、イエスは明確に自分が死ななければならないと
認識してるわけだし。
マルコやマタイの場合イエスを神というより預言者ないしユダヤの王(メサイア)として
認識していた可能性があるから、最後の言葉は十字架の意義を認めつつ、
犠牲の供物として捧げられた人間イエスとしての最後の慟哭であった可能性もある。
(「神の子」の記述は後の改鼠かもしれないし、そうではなくても当時のユダヤ教徒
にとってはヤハウェと同一視される存在ではなかったかもしれない。)
つまり預言者ないしメサイアであったイエスは、自分が十字架を背負う運命にあることを
明確に認識しつつも、土壇場で全能の神が別のシナリオを描いてくれることに期待した
可能性があるんじゃないかな、と。
あるいは単に彼らが、イエスが背負う苦悩と受難をありありと描きたかっただけなのかもしれない。
イエスは我々のためにこれほどまでの苦悩と受難を引き受けてくれたのだ、と。

後のルカやヨハネについては最後の言葉は神に対する失望やイエスの神性の否定につながるもの
として改変されたり除外されたりした、というのが真相だと思う。
552真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/18(日) 21:16:37 ID:6dOTzfuJ
イエスも仏陀の一人なのです
553ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 21:20:54 ID:WkV4+Ik8
>>551
一つ訂正させてもらうが
ユダヤ人はイエスを預言者としても
認めていない。
ましてやメサイアでもない。
だから反逆者として処刑した。
55420:2010/04/18(日) 22:22:29 ID:O0cTjw4b
>>553
もちろん。俺が言ってるのはマルコやマタイ、及びその周辺のイエスに付き従ったユダヤ人。
555ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/18(日) 22:29:21 ID:WkV4+Ik8
>>554
一応こう発言しないと
全てのユダヤ人がイエスをメサイアとして
見ていると誤解されかねないので。
すいません。
55620:2010/04/18(日) 22:59:35 ID:O0cTjw4b
>>555
いえいえ。俺ももうちょっと明確に書くべきだったかもです。

それにしても気になるのがキリスト教における人間の能動性の問題。
古くはアウグスティヌス対ペラギウス、カルヴァン対アルミニウスという感じで
ずっと昔から神の恩寵・予定説を重視する立場と人間の能動性・自由意志を重視する立場
で論争があったみたい。
アメリカは改革派・長老派に限らずパティキュラ・バプティストなど
神学的にはカルヴァン派(予定説)をとるプロテスタントが多いみたいだけど
どうも実際の民衆・信徒レベルでは第2次覚醒運動を通じてウェスレーやメソジストの影響が
相当浸透したらしく自由意志とか人間の責任を重視する人たちが
宗派に関わらず多い模様。
557携帯一在家:2010/04/18(日) 23:07:10 ID:HY1ConGO
パソコンがアクセス禁止で解除までお休みです。
55820:2010/04/18(日) 23:10:37 ID:O0cTjw4b
>>557
あら、それは残念です。この際●を買ってしまったら?
559携帯一在家:2010/04/19(月) 00:11:16 ID:ypdyaJPS
20氏の551には八割ほど賛同します。
560携帯一在家:2010/04/19(月) 00:42:11 ID:ypdyaJPS
イエス様が命が惜しくて慟哭するでしょうか?

犠牲の子羊として不名誉な誤解をされることが、
処刑より辛かったのではと。
561神も仏も名無しさん:2010/04/19(月) 02:53:31 ID:Yt+aGJC0
>>560
見栄っ張りなやっちゃな
562神も仏も名無しさん:2010/04/19(月) 03:00:58 ID:PuM2ruou
イエスはこんな地上なんて早く去りたいと思ってただろうね。
もともと地上にいる霊じゃなかったのに、
あんな時代に特別に派遣された霊界の派遣いじめみたいなもんだから。
死ぬことなんて少しも苦じゃないよ。
56320:2010/04/19(月) 20:53:24 ID:ybNfap57
>>560
なかば同意しますが、なかばちょっとそれは違うとも思う。

あくまでもマルコ、マタイに書かれているイエスの言葉が事実であったと仮定して論を進めます。

マルコ伝
「アバ、父よ、あなたには、できないことがありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの思いではなく、御心のままになさってください」。
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と呼ばれた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マタイ伝
うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、
御心のままになさって下さい」。
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。
それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

マルコ、マタイで描かれるイエスは神の計画を認識しており自分の運命も悟っていた。
それでもこの杯(十字架上での刑死)を飲まずに済むのであればそうして欲しいと願っていた。
十字架にかけられてもなお、この希望を捨てずにいた。その希望がついえた時出た言葉が
例の「レマ サバクタニ」であった。「命を失うものは命を得る」と認識していたイエスは
もちろん命が惜しくて慟哭したのではなく土壇場での神の奇跡が起きなかったこと、
つまり自分の願いが聞き入れられなかったことに慟哭した、のではないでしょうか?
自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
ましてや誤解など恐れてもいない。それでも地上において恥辱と苦痛を一身に受けねばならない
というシナリオとは別のシナリオを求めていたのではないか。
人間イエスとしての苦悩と失望が、先の二つのイエスの言葉に表されているように
思えてならないです。そしてそれを追体験する読者はイエスの復活において
宗教的カタルシスと宗教的確信を獲得するのだと思う。
そのように、マルコ、マタイはイエスを描いているのでしょう。
564真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/21(水) 20:30:43 ID:FGjmjm3O
>>563
あのー
レスを3行〜5行くらいに要約願えますか?
565ユダ:2010/04/21(水) 20:45:07 ID:4Z4lml6j
>>564
昇天以前のイエスは完全でないが故に最後に人間性が出てしまったが
復活後は完全になり神の子から神へと主から独立した
栄光の存在になった。
566神も仏も名無しさん:2010/04/21(水) 21:02:01 ID:UFxgl+wI
あくまで福音書を書いた弟子の見解だよ。
イエス本人はどう思っていたのかはわからんぞ。
567真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/21(水) 21:12:18 ID:FGjmjm3O
>>835
ゲッセマネの嘆きの祈りは、 涙がでる。
しかし最後に「御心のままに」 と祈った事に
人間がどう生きるべきかを全て集約したと言える。
御心のままとおまかせしきった境地を目指せとのメッセージ
これが人生の苦悩から脱却する唯一の方法   エックハルトもそう考えたはず
56820:2010/04/22(木) 07:12:29 ID:v8obLXHl
>>564
一応議論スレなのでどうしてもレスが長くなる傾向があります。
長いのがダメなら読み飛ばしちゃってください。

要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。
569神も仏も名無しさん:2010/04/23(金) 01:28:24 ID:mNAH0GLY
>>568
>要はイエスは十字架の意義を自覚しつつも苦悩しており、マルコ、マタイも
>そういうものとして福音書を記述したのではないか、ということです。

そうですね。なぜ苦悩していたのかが論点です。

自身の十字架での処刑が「過越祭の子羊」にされることをイエス様はよく
ご存知でした。
ここまでは貴兄と同じ認識ですね。

>>703 別板より他の方のかきこ
>イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。
>旧約の生贄を利用しパウロがつくった妄想信仰です。
>>708
>人間の罪を払拭するため、動物を生け贄身代わりとして殺し、
>それで天国の切符がかえるという思想こそ狂ってます。

イエス様は「良い種には良い実、悪い種には悪い実」と説かれ、
ガラテヤ人への手紙でも
6:7「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 」

ご自身の説かれた「因果の法」が間違って伝えられることを嘆かれた
との仮説を立てております。
570前世は一在家:2010/04/23(金) 02:03:22 ID:mNAH0GLY
現世(この世)から見た地獄は暗く汚れているかと存じます。
神界から見た現世も同様でしょう。

ミッションを終えた御子神を父神は早く神界へ戻したいと思われる
のも自然ではないでしょうか。

しかし、神の預言者達は大抵頑強で、自殺もできません。
誰かに処刑されるのも肉体を離れて神界へ戻るオプションの一つ
だという仮説を立てます。

イエス様がユダに「あなたの仕事をしなさい」と指示されたことは
なかったでしょうか。
571ユダ ◆H4PjzeaE8Q :2010/04/23(金) 06:57:20 ID:OEYdJ7Yi
ユダはイエスとマグダラのマリアと三角関係にあった。
女に産まれたということでイエスの子供を産めるマリア。
そのマリアの思いに答えないイエス。
まぁ痴情のもつれだな。
57220:2010/04/23(金) 07:21:36 ID:HCmUWW3w
>>569>>570
まず実際のイエスの発言と、福音記者や使徒、さらには口承によって改変・創造された
イエスの発言を区別しなければイエス固有の思想を取り出すことは難しいでしょう。
しかしイエス自身によって書かれたものがないわけですから、これは実質非常に困難です。
よって史的イエスの実像に迫るには単なる聖句の引用ではなく、当時の社会的・経済的・
政治的・宗教的・文学的背景から妥当な線を類推する以外にないわけです。

例えばマルコからの引用でも
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、
また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」(10:45)
「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である」(14:24)
とあるわけですから、これをイエスの実際の言葉として扱えば
「イエスの教えに人がいけにえで救われるという教義はありません。」という主張を
裏付ける根拠はどこにもありません。

当時のローマによるユダヤ人支配の政治的社会的状況やユダヤ人社会内部での
パリサイ派・律法学者と貧民・罪人との対立という社会的宗教的状況を考えれば
福音記者が程度の差こそあれ4人ともイエスの言動を旧約の預言の成就に結びつけて
記述したのは何の不思議もありません。そしてご承知のように旧約は枚挙にいとまがないくらい
犠牲に関する記述で満ち溢れているわけです。

決して在家さんの仮説を否定するつもりはありませんが、仮説を検証するためには
やはり聖句を抜粋する以上のものが必要になると思われます。
また「なぜイエスは苦悩していたのか」に関する私の推測は>>563のとおりですが
これはあくまでもイエスの言葉を事実と仮定した場合の推測です。
57320:2010/04/23(金) 07:23:53 ID:HCmUWW3w
>>571
こういう発想は全くなかったけど、意外に本当だったりするのかもw
574前世は一在家:2010/04/24(土) 07:27:10 ID:ZUqO5Evx
>>563 20氏
>自分が犠牲の子羊として死に、かつ復活する必要性を認識していたイエスには
>「犠牲の子羊」が神において不名誉であるなどという認識は微塵もなく、
>ましてや誤解など恐れてもいない。

イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
のではと考えております。

「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
相通じております。
どの時代のいかなる人も、自分で積んだ罪(カルマ)は自分で刈り取る(償う)
という真理(法)です。

確かに別のシナリオの期待はあったかも知れませんね。同感です。
イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。
575神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 10:41:39 ID:0b7QYCQl
576神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 10:57:41 ID:E/QQJ/nD
御子を神の犠牲によるという発想がすでにお笑い。
577神も仏も名無しさん:2010/04/24(土) 10:58:15 ID:0b7QYCQl
アンカーミス>>574

自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。

>イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
>人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

実際にみかけたことあるの?というか「記念する」祭りなんだから、
そんな解釈があるとは思えないが……

>罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては意味をなさない
>のではと考えております。

あがないによる救いは信仰でもって完成する。単純にチャラになるわけではない。
ttp://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-redemption.html

一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
「神は〜〜してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。
57820:2010/04/24(土) 20:54:28 ID:LnLk4SZU
>>574
>>577さんとそれほど変わらないかもしれませんが一応付け加えると

> イエスが毎年クリスマスに復活して、毎年イースターで十字架にかかれば、
> 人類のその年の罪が消えると思い違い(誤解)をする人たちが出てまいりませんか。

イエスの贖いは一度きりのことで、そのイエスを信じることで信仰者は救われる、と
いうのがキリスト教、少なくともプロテスタント系のキリスト教であって、毎年自動的に
罪が帳消しになると思っている人はいないと思います。

> 罪を設定したのが天の父であれば、それを御子が消していては

それがまさに恩寵の意味だと思います。

> 「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」という真理は、釈尊の「因果の法」と
> 相通じております。

少なくともキリスト教においては因果の果は神の介在によって発動されるもので
それゆえに例え罪を犯したとしても、同様に神の介在によって許しが与えられるという
発想になっているのではないでしょうか。

続きます。
57920:2010/04/24(土) 21:16:29 ID:LnLk4SZU
>>574 続き

> イエス様が絶大なる評価をされた洗礼者ヨハネが所属していた可能性が高い
> エッセネ派では動物などの生贄を神にささげることは認めておりません。
> まして御子を神の犠牲にすることなど論外だということが根拠の一つです。

たしかに洗礼者ヨハネがエッセネ派の一宗派に属していた、ないしはエッセネ派と
深い関係があった、ということは十分に推測できることだと思います。
またイエスが洗礼者ヨハネに対して絶大なる評価を与えていたのも福音書の記述を
読む限り事実であったのでしょう。しかしだからといって、イエスがエッセネ派と
その教義を共有していたと推論するのは早計であるように感じます。
厳しい戒律と禁欲で知られるエッセネ派とイエスの言動には著しい違いが見られます。
(収税吏や罪人とともに食事をしたり信仰によって罪を許したりなど)
またイエスは動物などの犠牲を禁止しているというよりも形式化した律法細則や
祭儀に対して批判をしているわけですから、伝統的なユダヤ教の犠牲の概念を
棄却したとは結論づけられないのではないでしょうか。

むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。
580前世は一在家:2010/04/24(土) 23:36:37 ID:WHN6NfGA
>>579 20氏
>むしろイエスはユダヤ教に則りながら、それを新しい次元(新約)によって
>更新しようとしたのだと思います。つまり once and for all の自らの犠牲において
>神と人間との和解(atonement)を具現化し、ユダヤ教の犠牲の概念に
>新たなる、そして最終の形を与えようとしたのではないでしょうか。

20氏の仮説は認識致しました。

ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。

>>577
>自業自得説ってのは突き詰めると当時のパリサイ側・律法主義者の論理になってしまう。
>律法守れない奴は、ただ悪いのであってコケにされて当然だと。神の教え破ってるんだから当然。

本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?
「よい種は、よい実を結ぶ」というイエス様の教えがあったと思いますが。
581前世は一在家:2010/04/24(土) 23:58:04 ID:WHN6NfGA
>>577
>一在家さんは信仰は持っているのに、宗教が違うだけで、信仰者が持つ
>「神は〜〜してくださる」という心情(信条)に理解を示さなくなるように見える。

人は神の似姿にて、神の子であり、父神は神の子達を深く愛しておられますと
伺っております。
この理解はエッセネ派ユダヤ教、トマスの福音書とは共通しております。

また、3共観福音書とも矛盾しておりませんのでは。

「神は〜〜してくださる」という心情(信条)は同感です。
ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは
と思っております。
58220:2010/04/25(日) 00:17:06 ID:f+pYipMr
>>580
> ただ、そのような崇高なイエス様の想いがあれば、イエス様ほどの方が
> 別のシナリオを望まれたというのが不自然かなと思料します。

たしかにそうですねえ。私の推論には矛盾があるように私自身も感じます。
私自身のイエス観は今のところ>>579で述べたようなものなのですが
マルコ、マタイにおけるイエスの発言を事実と仮定すると>>563のような推論に
なってしまいます。この場合にはやはり矛盾を内包した人間としてのイエスの苦悩
ということになろうかと思います。

ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
可能性は捨てきれないと思います。そもそもこの言葉が疑いようもない
イエス自身の言葉だったとすれば、ルカやヨハネでいくら彼らのイエス像・神学に
合わないからと言っても、そんな大事な言葉を改変・削除することなどなかったでしょう。
おそらくは4福音記者とも本当の最後の言葉は知らなかったのではないでしょうか。

そう考えると史的イエスの実像に迫ろうとする際
この最後の言葉にあまり重点を置くのはやや危険かなとも思います。
583神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 01:28:11 ID:YJpMz3PW
>>580
>本当に自業自得はパリサイ派の論理ですか?

「突き詰めれば」
手を差し伸べることをせず、ふりかざすだけなら、そうなる。
基準に達しきれなかった者を脱落者としてそのまま除外すると言うこと。

>ただ、神が人の罪を代わりに消すのであれば真理(法)に反するのでは

リンク先読んだ?単純に消す(チャラ)のではない。クリスチャン側にも自分達、
人類の罪深さの自覚がある。
584前世は一在家:2010/04/25(日) 02:04:05 ID:2IR610U7
>>582
>ただしマルコ、マタイにおけるイエスの絶命間際の言葉は詩篇からの引用とも
>解釈できるわけですから、この言葉すら旧約に合わせたマルコの創作という
>可能性は捨てきれないと思います。

本当は「エリ、エリ」とイエス様は叫ばれた思います。
マタイ伝で筆者が「エリアを呼んでいる。」と弟子達以外にも聞いたことを
証言しているからです。

マルコ伝「エロイ、エロイ」は創作というより、うっかりした記載かと。
日頃マルコはアラム語を多用しており、「エロイ」はアラム語で、その
ヘブライ語は「エリ」だからです。
585神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 02:09:11 ID:YJpMz3PW
イエスや新約の記者たちが前提としていたものを踏まえる必要がある。
「よい種は、よい実を結ぶ」や「自分の巻いた種を刈り取る」
こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。
ヨブ記のような現代人から見ると理不尽な物語も真理として受け入れた上で
(イスラエルの)神を崇め、神の正義なるものを信じている。
現代日本人と(こうあるべきと考える)応報観にズレがあっても
それはごく当たり前のことと言える。

個人的にはイエスのヨブ記講義を読んでみたいと思う。
586前世は一在家:2010/04/25(日) 07:59:42 ID:/cjJUmzh
>>584
(マルコ伝 14:51-52)
「ある若者が素肌に亜麻布だけをまとって、イエスの後についていたが、
人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った。」(註マルコ伝の筆者)

イエス様が十字架にかかって四十年後(紀元70年頃)に、亜麻布を捨てて
裸で逃げた(恥ずかしい)若者がマルコ伝にしっかりと、十字架の日は
過越の祭の第一日目と明記しております。
そして、ルカ伝、マタイ伝の筆者も同じ日を十字架の日と記載しております。

しかし、自称「イエスに愛された弟子(ヨハネ 21:20)」はヨハネ伝の中で、
イエス様の十字架は過越の祭の第一日目の前日(祭の準備の日)としております(ヨハネ 19:14)。

さて、裸で逃げ出した若者(マルコ伝)と自称イエスに愛された弟子(ヨハネ伝)とが
大切な十字架の実行日を一日違えておりますことが、確認できたことと存じます。
私はマルコ伝の筆者に真実性を感じますし、ヨハネ伝の筆者には異質性を感じました。

この板ではグノーシスが批判されております。
しかしヨハネ書簡(福音書、手紙)の筆者は、光言語(光と闇の対句)を多用する
グノーシスの影響を受けた人であります。
因みに3共観福音書やトマス伝では光言語の記載は無いでしょう。

ヨハネ書簡を最初に担いだエイレナイオスの根拠に賛同する現代神学者はおりますか?
根拠「ケルビムの四つの生き物がいる。」(エゼルキエル書1:5-10、黙示録4:7)
587前世は一在家:2010/04/25(日) 09:10:28 ID:/cjJUmzh
■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁T〜X)
以下に概要を箇条書きにします。
・「ロゴス=イエス」は「知恵=聖霊」と共に「神の両手」であり、万物に先立って存在した。
・神は無から世界の素材を創造し、御子と聖霊によって万物を形造り、最後に人間を「神の形と神との類似性に従って」創造した。
・御子によってその肉体と魂に「神の形」を与えられ、聖霊によってそれに「神との類似性」が結び付けられて、「完全な人間」となるべく人間は創造された。
・言わば「幼児」の状態にあった人間はその弱さゆえの堕罪によって、聖霊による「神との類似性」を喪失してしまった。
・「神の両手」は人類を見捨てず、人間を教育しその完成に向けて成長せしむる為の「神の経綸」の為に働き続ける。
・終末論的未来に、人間の「肉体」は「霊」によって復活させられ、神を見て不死性を与えられる。
・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(W 38:3-4)
☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応するのである。(V 19:1)

私もエイレナイオスを少し誤解していたようです。
彼が「人間が完成し神化する」と説いていたことが検証されたからです。
でも、カトリックやプロテスタントでは如何でしょうか?

588前世は一在家:2010/04/25(日) 09:14:29 ID:/cjJUmzh
>>587
>■エイレナイオスの神学 (参考:異端反駁T〜X)

東京大学の大貫教授(西洋古典学専門)の著書「ロゴスとソフィア」より
異端反駁の訳を参照しております。
58920:2010/04/25(日) 10:48:56 ID:f+pYipMr
>>584
なるほど確かに周囲の人が「エリア」と聞き違えたというマルコ・マタイのエピソードを考慮に入れると
「エロイ(エリ)」に類する言葉を発した可能性は残りますね。
もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?

ただそうだとしても、イエスは神(父)に対する呼び掛けとしては Abba を用いているので
いきなり呼び掛けとしてエロイはやはり不自然と感じられます。本当にイエスの言葉だとすれば
イエス自身が朦朧とした意識の中で詩篇からの引用として発した言葉か
イエスの曖昧な発声をただ単にこの言葉を伝えた人が詩篇の言葉として聞き取っただけ
という気がします。いずれにしても真相は簡単には解けそうもないですね。
59020:2010/04/25(日) 10:56:06 ID:f+pYipMr
>>585
> こうした発言・記述も旧約聖書の土台なしでは書かれていない。

イエスをはじめその周囲の人たちが骨の髄まで旧約聖書及びユダヤ教の伝統に
浸かっていた、という大前提はものすごく重要ですね。
これは新約を読む上で絶対に忘れちゃいけないことだと思う。
59120:2010/04/25(日) 11:14:03 ID:f+pYipMr
>>586>>587
この日にちのズレに対しては、一部のコメンタリーなどではユダヤ社会における一日の始まりが
夕方からであること、カレンダーの違いなどで説明されることもあるようですが、私の知る限り
ほとんどのコメンタリーではこの説を否定的に捉えています。ただこの辺は全く詳しくないので
実際のところはどうなのか私にはわかりません。

私も4福音書の中ではマルコが一番イエスの姿をよく捉えているんじゃないかという気がしてます。
マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし
ルカはイエスの神話化・美化が著しい。ヨハネはイエスを完全に神と捉え神学的な捉え方が
強い。素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。

ヨハネ福音書とグノーシスの関係については私自身にあまり知識がないので
わかりませんねえ。たしかにグノーシスっぽいと言われればそうも思えるし。
592前世は一在家:2010/04/25(日) 12:15:21 ID:/cjJUmzh
>>591 20氏
>素人の考えでいうとヨハネを正典に加えたことでイエスの神化と三位一体という
>極めてユニークな教義の方向性が決定的になったという印象があります。

「禁じられた福音書」のペイゲルス教授も神学者の多くは異端とされた福音書
と同様にヨハネ伝の筆者も正体不明だとの見解だそうです。

若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
否定的だった司教達もいたそうです。


593前世は一在家:2010/04/25(日) 12:24:12 ID:/cjJUmzh
>>589
>もし「ラマ サバクタニ」まで言ったのであれば、これはアラム語であること、イエス及び周囲の
>弟子たちは日常的にはアラム語で会話していたらしいこと、二資料仮説が正しいとすれば
>マタイはマルコを参照していること、などからやはり「エロイ」と叫んだ可能性の方が高いのでは?

ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。

>>591
>マタイは旧約の預言の成就という視点が全面に出過ぎているし

マタイ伝ではイエス様がエルサレム入城時のロバの数を2頭として
おり、マルコ伝とルカ伝での1頭と違えております。

マタイ伝ではゼカリア書の「(あなたの王は)ロバに乗ってくる。
荷を負うロバの子、子ロバに乗って。」という預言にあわせたよう
ですね。

もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
記載内容が変更されることもないかと存じます。
59420:2010/04/25(日) 13:18:21 ID:f+pYipMr
>>592
> 若い指導者エイレナイオスの熱烈推薦でヨハネ伝が入り、当時ヨハネ伝には
> 否定的だった司教達もいたそうです。

それはわかる気がするなあ。ヨハネは共観福音書と比べるとあまりにも異質だから
初期の司教さんたちも大いに困惑したでしょうね。

>>593
> ヘブライ語でも同じく「ラマ サバクタニ」だそうです。

一応いくつかのコメンタリで調べたんですが、すべてアラム語となっていました。
代表として学術的な水準の高さで有名なWBCからそのまま該当箇所を抜粋しておきますね。
In Matthew’s version of these words, “Eli” represents the Hebrew, “My God,”
while the following words are Aramaic for “Why have you forsaken me?”
It appears that Jesus, rather than quoting the words in Hebrew, quoted them
in their Aramaic equivalent (using the language he normally spoke) and that
Matthew altered the word for “God” (the Aramaic ελωι in his Markan source)
to ηλι (Hebrew, “my God”), perhaps with an eye on the confusion with the name
of Elijah in v. 47.
(Hagner, D. A. (2002). Vol. 33B: Word Biblical Commentary)

> もし聖霊によって記載された聖書であれば、筆記者の意図によって
> 記載内容が変更されることもないかと存じます。

聖書の無謬性を主張する方々は、この辺もいろいろと弁明しているようですが
かな〜り苦しいw 別に霊感を受けて書いたと言ってもいいけど素直に記述の
矛盾や記者による意図的改変などを認めた方が神に対しても誠実な態度だろうに
などと俗人の私などは考えてしまいます。
595神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 14:48:30 ID:trkCxlZA
面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。
ttp://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603599.html
アリウス派のウルフィラが訳したゴート語訳には列王記除く全巻が含まれる。

ttp://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/john/fukichap8toyohane.htm
イエスの神性を信じないエビオン派は
>彼らはマタイ福音書のみを受け入れ、
ていたらしい。
ttp://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/035.htm
こちらのサイトだとヘブル人福音書も使ってた。
596真理・名も無きイエスの証は仏陀の法:2010/04/25(日) 15:25:59 ID:45Nu0ijj
魔境を恐れることなく修行に勤しむのが
真の行者だといえる
597前世は一在家:2010/04/25(日) 17:05:22 ID:/cjJUmzh
>>595
>面白いのはアリウス派もヨハネ伝を聖書として用いてたらしいということ。

そうですね。
更にエイレナイオスの頃のグノーシス主義者達の愛読書がヨハネ伝だった
ということです。
ヨハネ伝をベースに拡張創作していく人々に対しても、エイレナイオスは
必死で異端だと認定していたようです。
598神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 17:08:43 ID:trkCxlZA
アリウス派はエホバの証人方式でヨハネ伝と
自分達の教義とを摺り合わせしていたのか。
599前世は一在家:2010/04/25(日) 18:16:54 ID:/cjJUmzh
死海文書(クムランテキスト)の巻物の年代決定方法を紹介します。

@書体学上の年代
筆写生が書いたり転写しているテクストの文字の書き方、書体により
年代を推定する方法。

AAMS(加速器質量分析)による分析
カーボン14法による分析に必要な量は数グラムですが、最近開発
されたAMS法では1ミリグラムの有機物の飼料で年代を推定可能。

1990年、イスラエル古物局のアミール・ドローリ局長はAMS法で
クムラン・テキストの年代測定を行いました。

イザヤ書(旧約)の年代測定結果
@書体学法:前335年〜前327年
AAMS法:前202年〜前107年
600前世は一在家:2010/04/25(日) 18:18:06 ID:/cjJUmzh
>>599
イザヤ書(旧約)の年代測定結果
@書体学法:前335年〜前327年
AAMS法:前202年〜前107年

クムラン・テキストの中で古い物はAMS法で前405年と測定済み。
Wiki「聖書」でも、「現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたと
される死海写本に含まれている。」と記載。
グノーシスと関係がある・ないの議論の対象外でしょう。

そのクムラン・テキストの申命記32:8では、sons of God(み名はEl)
と記載されており、創造主の生み出された複数の神々の存在が登場します。

そういう意味では、生み出された神々は「神の御子」であり、神々により
創られた神の似姿の人は「神の子」であり、本来は異なるかと思料します。

ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。
601前世は一在家:2010/04/25(日) 18:33:46 ID:/cjJUmzh
>>600

グーグルにてキーワード「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 El」で
検索すれば、最近の研究成果や論文が英語で多数確認できます。
602神も仏も名無しさん:2010/04/25(日) 19:38:43 ID:tCs2TjLG
グノーシス主義は人間即神也の思想です。
60320:2010/04/26(月) 00:34:52 ID:JZBdkDWp
>>600
死海写本は思っていたよりも古いですね。
NET Bibleの訳注によるとクムラン・テキストでは sons of God
マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。
といってもNETの訳者たちは the heavenly assembly という訳を採用してましたが。

> ただし、イエス様のように「神の御子」が受肉した人の場合は「神の預言者」
> であり、「神の御子(神々の中の御一方)」でもあるかと存じます。

第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
定着していっているので、イエス本人や福音書記者の間でイエスを
「神々の中の御一方」という考え方はないように思います。
604神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 00:53:11 ID:1ya0IkDG
聖書を元にした成功本があるらしいけどね
605前世は一在家:2010/04/26(月) 06:47:37 ID:3ajbyi7C
>>603
>マソラ本文では sons of Israel、七十人訳では angels of God で
>クムラン・テキストが疑いなくオリジナルである、と書いてありました。

特にギリシャ語聖書の原本だという見解だそうですね。

>第二神殿以降のユダヤ教ではYahweh唯一神信仰がユダヤ教徒の間では
>定着していっているので、

旧約には「神々の会議」とか「他国の神を信仰してはならない」とか詩篇等に
記載があります。
あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。

つまり、神的存在は一つという意味ではなく、一つの神のみを信仰するという
意味です。
606神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 20:40:48 ID:4Hbb0PBn
偶像を造る者は皆むなしく、彼らの喜ぶところのものは、なんの役にも立たない。
その信者は見ることもなく、また知ることもない。ゆえに彼らは恥を受ける。
だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。
見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。
彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。
鉄の細工人はこれを造るのに炭の火をもって細工し、鎚をもってこれを造り、
強い腕をもってこれを鍛える。彼が飢えれば力は衰え、水を飲まなければ疲れはてる。
木の細工人は線を引き、鉛筆でえがき、かんなで削り、コンパスでえがき、
それを人の美しい姿にしたがって人の形に造り、家の中に安置する。
彼は香柏を切り倒し、あるいはかしの木、あるいはかしわの木を選んで、
それを林の木の中で強く育てる。あるいは香柏を植え、雨にそれを育てさせる。
こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、
またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。
その半ばは火に燃やし、その半ばで肉を煮て食べ、あるいは肉をあぶって食べ飽き、
また身を暖めて言う、「ああ、暖まった、熱くなった」と。
そしてその余りをもって神を造って偶像とし、その前にひれ伏して拝み、
これに祈って、「あなたはわが神だ、わたしを救え」と言う。(イザヤ書44:9-44:17)
607神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 20:45:45 ID:4Hbb0PBn
天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、
いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、
「わたしは主である、わたしのほかに神はない。
わたしは隠れたところ、地の暗い所で語らず、ヤコブの子孫に『わたしを尋ねるのはむだだ』と言わなかった。
主なるわたしは正しい事を語り、まっすぐな事を告げる。
もろもろの国からのがれてきた者よ、集まってきて、共に近寄れ。
木像をにない、救うことのできない神に祈る者は無知である。
あなたがたの言い分を持ってきて述べよ。また共に相談せよ。
この事をだれがいにしえから示したか。だれが昔から告げたか。
わたし、すなわち主ではなかったか。わたしのほかに神はない。
わたしは義なる神、救主であって、わたしのほかに神はない。
地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、
そうすれば救われる。わたしは神であって、ほかに神はないからだ。(イザヤ書45:18-45:22)
608神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 22:01:17 ID:BoLB/JsL
七日で地球が出来る分けねーじゃんバッカじゃねーの
609神も仏も名無しさん:2010/04/26(月) 23:14:11 ID:x2jLOPUo
イエスや福音書記者たちが、預言書に明記された唯一神論を踏まえない。

ありえねー
610神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 00:01:23 ID:KV3nirUa
意味もわからず聖書を読むのは退屈ですね~~+
611前世は一在家:2010/04/27(火) 06:53:46 ID:xXjYtMog
>>603 20氏

グーグルにて「Dead Sea Scrolls Deuteronomy 32:8 EL」で検索すれば
「死海文書」版の申命記32:8の多くの解説や論文を英語で読むことができます。

★Dr. Michael S. Heiserの論文その1
”Are Yahweh and El Distinct Deities in Deut. 32:8-9 and Psalm 82?”

至高神(El)の子ら(神々)の中の一方がYahwehだったと解釈したMark S. Smith教授
の学説も紹介しております。

(はじめにより)
The argument is put forth that these texts suggest Yahweh was at one time
a junior member of the pantheonパンテオン under El the Most High至高神,
but that he has now taken control as king of the gods.
Mark S. Smith’s comments are representative:

異端として焚書された「ユダの福音書」も大戦後に発見され研究が進んでおります。

ユダ伝では、ある日弟子たちが旧約の神(Yahweh)に祈っているのをご覧になった
イエス様が「私は至高神の名を知っている」と微笑まれました。

「ユダの福音書」と「死海文書」とがシンクロし出して、真実が輝きだしているように
感じます。

至高神(El、エロヒム)はYahwehのことなのか、それともYahwehの父神なのか、
至高神Elはイエス様の本当の「天の父」だったのか否か?

インターネットがグローバルに普及した21世紀に、カトリックが焚書した文献群が
次々に「復活」し、ニケーア公会議の再検証(審判)が行われる日が到来している
かと存じます。
612ユダ改め石狩雄大:2010/04/27(火) 08:10:05 ID:amOaMfq/
イエス様の本当の「天の父」の御名は何度か
書いていますがYahwehでもElでもありません。
「愛」を意味する全ての言葉が主の御名です。
軽々しく「愛している」などと言ってはいけないのです。
神への冒涜ですから。
613神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 09:25:47 ID:ns1ycrln
>>611
1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
4・あなたの信仰

1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。
区別しているなら、そのように書きましょう。
614神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 10:03:12 ID:8jT6ep96
エロヒムの複数形は威厳、卓越を示す「強意複数形」と呼ばれることば。
エロヒムの後に単数形の述語動詞や形容詞が使われているので、エロヒムは一人称である。
エロヒムは「神々(複数)」と訳すのではなく「偉大な神(単数)」と訳すべきである。

至高神=天の父=エロヒム=YHWH
615前世は一在家:2010/04/27(火) 22:43:16 ID:pWorbN3c
>>613
>1・多神教時代の残滓部分を伝えた・書いた人(詩篇82篇とか)の信仰
>2・唯一神論の明記・異教神=偶像の否定を伝えた・書いた人(それら以外の聖書全体、例としてイザヤ書)の信仰
>3・明記された後、それを預言書として受入れていた人々(イエスや福音書記者)の信仰
>4・あなたの信仰
>1と4、2・3を区別しましょう。この三つは別個のものです。

あるクリスチャンから聖書は聖霊によって書かれたと伺いました。

申命記や詩篇を書いた人と、それ以外の旧約を書いた人とは別だ
と言われる貴兄はクリスチャンですか?
616携帯20:2010/04/27(火) 22:56:51 ID:DlFF88/G
20です。ま〜た規制食らってます。しばらくはROMになりそう。
ひとことだけ書いておくと文書仮説を大筋で認めるかどうかでユダヤ教に対する見方は違ってくると思います。
617神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 23:11:49 ID:mBKyJpFS
>>615
聖書を構成する書物の一つ一つがその場の発案で書かれたわけではないでしょう。
元ある伝承を集めたものになってます(創世記のエロヒム資料とか)。
イザヤ書も第一イザヤ、第二イザヤ、って分け方がされてますね。

同じ本にも、それぞれの伝承を生み出した人々と、後代に編集して本にまとめた人々とがいます。
本にした人々の時代では既に唯一神論化が進んでいたと考えられます。

異教の神々やその名前は記述されますが、それらがサタンのような登場キャラとして
聖書の本文にあらわれることもありません。「バアルの預言者たち」をやっつける話は
あってもバアルが嵐をもたらしたり、バアルをモーセやエリヤがボコったという話はなし。

残滓部分もさらに調和化が進みます(ヤコブと神が相撲をとる話がじつは天使ということにされたり)。

>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者が多神論をとると思いますか?聖書を多神論とみなすと思いますか?
618前世は一在家:2010/04/27(火) 23:32:32 ID:3m7K905n
>>617
「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
おります。預言者に対する神様の常套句でしょうか。
神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。

でも、「神の子らの数に従い」とか「汝らは神なり」という聖句が旧約
に登場します以上、複数の神的存在を否定できないと申しております
次第です。
619神も仏も名無しさん:2010/04/27(火) 23:37:58 ID:mBKyJpFS
>>618
>「わたしのほかに神はない。」という台詞は異教の神々も使われて
>おります。

バアルやアシェラが(サタンやら悪霊がなりすましたものではなく)
実際の神としてそう発言している章句が聖書にあるんですか?教えて下さい。

>神の自己申告ですので、それを信じて仰ぐことが「信仰」でしょう。

>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね。
620前世は一在家:2010/04/28(水) 00:02:07 ID:3m7K905n
>>619
神の預言として受け入れた以降の世代でも、ユダの福音書記者は唯一論は
信じていなかったようです。

グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
明記されております以上、どうされるのでしょうか。

1)クムランテキストを一読して、自身の見解を整理する
2)クムランテキストは読まずに、従来の信仰を維持する

まだ2千年しか経っておりませんから、イエス様の本来の教えがどうで
あったのか、ニケーア公会議での時間切れの多数決が正しかったのかを
再検証することも可能かと思料します。

621神も仏も名無しさん:2010/04/28(水) 00:08:53 ID:OrNF3RRc
参考までに。
一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
のものであったと考えられる。
しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
ユダヤ教、キリスト教、イスラームはそれぞれ旧約聖書からこの意味での唯一神観を
継承したが、キリスト教においてはイエスの死後、「神の子」であるイエス・キリスト
における神性(ヨハ1:1、18;フィリ2:6)と神の唯一性がどう関係するかをめぐって
キリスト論論争が起こり、最終的には三位一体論の形成につながった。
(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典
622神も仏も名無しさん:2010/04/28(水) 00:27:16 ID:jTHGJDa+
>>620
もう一度確認です。
>>606-607のような記述を神の預言として受け入れた以降の世代の(イエス含む)ユダヤ人、
福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?
グノーシス派の話をしてるんじゃないですよ。ヤハウェを【至上の唯一神であると】信じ、
預言書を(彼から降された啓示として)信じるユダヤ人の話をしてるんです。

>グノーシスを異端として焚書しましたカトリックですが、ギリシャ語聖書の
>オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
>明記されております以上、どうされるのでしょうか。

他の部分が多神論否定にまみれている以上、問題とされないでしょう。
(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。
神とイスラエルとのつながりは親子関係になぞらえられているので都合が良い。
これも前に書いた気がしますが。
62320:2010/04/28(水) 00:38:23 ID:QJ/vX0hN
なんか規制が解けたみたい

>>611 在家さん

>>501に書いた通り、すでに読ませてもらってます。
で、そこに書いたように私にはどちらが正しいのか判断はできません。

>>605
> あちこちの国に神がいても、「私以外の神を信じてはならない」というのが
> 本来の唯一神信仰の定義かも知れませんよ。

いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

>>620
> ギリシャ語聖書の
> オリジナルと分析されている最古のクムランテキストに「sons of God」が
> 明記されております以上、どうされるのでしょうか。

横レスですが、クムランテキストは申命記、詩篇を含むユダヤ教テキストをマソラ本文より
よりオリジナルに忠実に再現しているというだけで
文書仮説を前提とすれば、聖書学的には多神教時代の残滓ということで
処理できる問題だと思います。ただその文書仮説そのものが正しいかどうかは別問題ですが。

ユダヤ人の信仰の問題としては、第二神殿時代以降はそういった
「多神教時代の残滓」部分は解釈によって唯一神信仰と矛盾しないよう処理されてるのだと
思います。ちょうど現代の福音派の人たちのコメンタリでそれは天使だとかイスラエルの民だとか
解釈するように。
624前世は一在家:2010/04/28(水) 06:40:27 ID:W+jTCDyY
>>621
>一神崇拝の要求は聖書的信仰の最大の特色の一つであるが(出20:2申6:4)
>旧約聖書では、当初は他の神々の存在が前提にされており(士11:24サム上26:19)
>そのうえでイスラエルの神ヤハウェ以外の神々の崇拝を禁じる拝一神教的な性格
>のものであったと考えられる。
>しかしバビロニア捕囚(前6世紀)前後にはヤハウェ以外にいかなる神の存在をも
>認めない唯一神教的神観が確立した(イザ44:6;45:5-7)
>(山我哲雄) 岩波キリスト教辞典

真に的を得た情報の紹介を有難うございました。
海外の研究者達の論文でも、「拝一神教から唯一神への変遷の経緯」を
記載したものが確認できます。
文献学的にはイスラエルの神ヤハウェに「私以外を拝むな」と命令された
ことがルーツかと認識しております。
625前世は一在家:2010/04/28(水) 06:41:36 ID:W+jTCDyY
>>622
>ユダヤ人、 福音書記者」は聖書で説かれた唯一論を信じている、ということですね?

本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
存じます。

>(被造物たる)人類か天使のことと解することでしょう。

都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や
「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという行為が正しいのでしょうか?

譬え話をしますと、釈尊の説かれた「因果の法」は、「空」論理に都合が悪い
から「時間」を除いた「縁起の法」を支持する大乗仏教徒達をどう見ますか。

モーゼが若い頃には異国の神々が信仰対象だったのでしょう。
日本神道の神々、仏教を守護した梵天たちもまた異国の神々になります。
626前世は一在家:2010/04/28(水) 06:48:16 ID:W+jTCDyY
>>623 20氏
>いわゆる拝一神か唯一神か、ってやつですね。
>私の言いたいことは>>613>>617さんに見事に言われてしまっているので
>私もバビロン捕囚時代ないし第二神殿時代以降のユダヤ教は唯一神信仰だと思ってます。

既に>>624でレスしましたが補足します。
モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
以前の文献にて検証しております。

神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
では対話しております。
62720:2010/04/28(水) 07:33:36 ID:QJ/vX0hN
>>626
> モーゼやイエス様から見て「複数の神々」が存在したのかどうかをニケーア
> 以前の文献にて検証しております。
>
> 神の預言者が、神の独り子になり、更に神自身へと変遷する経緯も隣の板
> では対話しております。

これは大切な作業だと思います。正典化されたものを中心に議論を組み立てるのは
神学的な態度としては間違いではないかもしれないけど歴史学的・文献学的態度としては
偏ったものになってしまいますからね。
私自身は今のところそこまで対象にできるほどの時間的余裕が無いので
在家さんにはぜひ研究・精査を続けていただきたいと思います。
628神も仏も名無しさん:2010/04/28(水) 19:53:25 ID:TkIM+2r2
>>625
>本当に信じていたのかは分かりませんが、 拝一神の立場をとったということかと
>存じます。

>>606-607を読みましたか?

>都合が悪いから、イスラエルの神ヤハウェ以外の神々を「天使」や

じゃあどうすればいいんですかね?我々は千年以上も間違って唯一神教を信じてた馬鹿でした、
イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すればいいんでしょうか。
あなたはそれで満足しますか。

>「イスラエルの子孫」に書き換えてしまったという

私は、聖書の成り立ちそのものが唯一神論への移行の歴史、だと言うだけです。
現行の(旧約)聖書に収録された書の中でその立場は完結してます。イエスの時代には言わずもがな。

>行為が正しいのでしょうか?

倫理的な是非やら神界の裏事情は扱いません。過去の事実を知らない哀れでアホな古代ユダヤ人や福音書記者が
勝手に唯一神教にした、という矮小の仕方もしませんし。いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒がそのように解釈する理由にも理解をもとうと考えます。
629神も仏も名無しさん:2010/04/28(水) 20:46:02 ID:ppIaja6/
キリスト教の本屋さん
http://www.nikkihan.co.jp/

Category:キリスト教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キリスト教に関するカテゴリ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99

Category:カトリック
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630前世は一在家:2010/04/29(木) 10:31:27 ID:tWLEoGlp
>>628
>イザヤ等はそこを取り違えた偽預言者でした、とクリスチャン側が屈すれば
>いいんでしょうか。

イザヤは預言者ですから、神から聞いた通りに語ればいいのです。
ただ申命記や詩篇を語った預言者や詩人のことを知らなかったのでしょう。
そして、士師記、サムエル記上の筆記者のこともご存じなかったかと。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'
631前世は一在家:2010/04/29(木) 10:34:26 ID:tWLEoGlp
>>630
異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
としばしば言われます。 神様の常套句、方便かも知れませんね。
もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
預言者も命がけで宣教されたでしょうか? 疑問ですね。

私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。
神の啓示や聖霊による聖典であれば、当然終始一貫しております。
どの章とどの章とを比べても矛盾はございません。

しかし、人間の知恵で作られた宗教の場合は、一貫性に疑問箇所が存在します。
例えば、10年前の啓示と最近の啓示とに微妙に相違が見られる等々です。

預言者の言葉をそのまま伝えれば矛盾はないのですが、知識の高い編集者が
加筆するとそこに矛盾が生じますので検証できます。
このことは神様でなくても、イエス様や釈尊の高弟が加筆した場合でも同様に
検証できます。

以上、私のスタンスは本来のイエス様の教えはどうであったのかの検証にあり、
手段としてニケーア公会議以前の文献も参考にしております。

よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。
ご一緒にカトリックが成立する前のイエス様の教えを探していただければ
幸甚です。
632神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 11:29:35 ID:AeaIh1dA
>>630
>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。

具体例をどうぞ。

>もし「私以外にも神がおりますが、私を信じなさい」と言われましたら、
>預言者も命がけで宣教されたでしょうか?  

バガヴァッド・ギーターはクリシュナと言う一神を至高の神として崇め、帰依せよ、
という経典ですが、ふつうに他の神々に言及し、それを聴いたアルジュナは
戦いを厭う態度を改め、(クシャトリアとしてのダルマに従うことに決め)また戦闘へと身を投じます。

>疑問ですね。

煽ってけしかけるために、事実でも無いこと(しかも根本的な信仰箇条)を神が言う、という発想を
信仰者がするものでしょうか?私は「いたずらに彼らの誠意を勘ぐりもしません。(>>628)」
633神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 11:30:21 ID:AeaIh1dA
>私は色々な宗教の聖典を読む際には、「一貫性」を最も重視しております。

違いますね。過去のある状態を取り上げて、後代の変化した信仰に
押し付けているだけです(「初期の神観→未来の書物に当て嵌め」)。
旧約後期の預言者や以降の信徒(「後期の神観→過去の書物に当て嵌め」)
とは逆のことを行っているわけですね。
後者は単に表現方法として調和化し、あなたは編者の過失でこれを行います。
さらにあなたは後期以降のものにすら多神論(>>625)に違い無い、という大前提を当て嵌めます。
初期の残滓部分と調和化させ「一貫性」を成り立たせるため、後期の預言者や信徒の信仰を
言い回しを変えて否定します。

>よってクリスチャン側が屈する必要などまったくございません。

あなたは625で「神々」と読まなければ不誠実と断じたではありませんか。
誤謬にとどまるのも勝手だ、という意味あいなのですかね。
63420:2010/04/29(木) 13:46:01 ID:n1vq4jhK
>>631
在家さんのお立場としては、

1. 神は存在する。
2. 神は無謬・無矛盾である。
3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

ですね。

1〜3までは聖書を神・聖霊の息吹によって書かれたものとするクリスチャンと共通です。
4〜5については上記のクリスチャンは見かけ上の矛盾であって実際は矛盾ではないと考えます。
従って6については正典化そのものが神・聖霊の働きによるもので正典以外の文書は
基本的に神の教えを読み解く際に必要不可欠なものではないと考えます。

私の場合は世俗的な立場で、1から3までは最初から否定はしませんが、前提とはしません。
4〜5については1〜3を前提としないアプローチであるため、聖書を人間が作り、伝え、編集
したものと仮定し、その仮定に沿って読む限り正典には矛盾が見られると考えます。
従って6については正典以外を検証する必要は認めるものの、矛盾を取り除くのではなく
矛盾を合理的に説明し、ユダヤ教・キリスト教の実像に迫りたいと考えます。

どの立場も間違いというものではなく、単に立場の違いであると思います。
しかし私が以前に「文書仮説を大筋で認めるとすれば」と書いたのは、もし在家さんが
これを大筋で認めているのであれば>>633さんの批判が正しいことになり
在家さんの推論に無理が生じると思うからです。
635前世は一在家:2010/04/29(木) 16:07:38 ID:tWLEoGlp
>>632
>>異教でも神は預言者やシャーマン、巫女に対して「私以外の神を信じてはならない」
>>としばしば言われます。神様の常套句、方便かも知れませんね。
>
>具体例をどうぞ

それでは、コーランから紹介しましょう。
(雷鳴 17章)
言ってやるがよい、「アッラーこそ万有の創造主。これこそ、唯一にして
全能の御神におわしますぞ。」と。

(蜜蜂 50章)
アッラーの仰せには、「汝ら、二神を認めてはならぬ。神はただひとりのみ。
さればこの我こそ汝のおそれ敬うべき者」と。

尚、アッラー曰く、イエス様は預言者にて、二神ではないことになります。

他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、20氏と同様に私もそれほど
時間がございません。
636前世は一在家:2010/04/29(木) 16:14:22 ID:tWLEoGlp
>>635
私はコーランも一読しましたが、旧約の神と似ているなと思いました。

預言者に啓示をおろし、従わない人類は滅ぼすことを繰り返しておられます。

「汝の敵を愛せよ」と博愛、隣人愛、利他愛を説かれたイエス様の天の父と
長い間違和感を感じていた次第です。

尚、ユダ伝では旧約の神以外の神の名を知っているとイエス様は微笑まれました。
637前世は一在家:2010/04/29(木) 16:35:14 ID:tWLEoGlp
>>634 20氏
>在家さんのお立場としては、
>1. 神は存在する。
>2. 神は無謬・無矛盾である。
>3. 預言者の言葉は神の言葉を伝えるので無謬・無矛盾である。
>4. よって聖典に矛盾があれば、それは預言者以外の人間による加筆・修正である。
>5. ユダヤ・キリスト教の正典には矛盾がある。
>6. 以上より、正典以外の文書を検証することによって矛盾を除去し
>  本来の神またはイエスの教えを再構築する必要がある。

貴兄は心理学者みたいで、私のことを的確に理解されていて深謝ですね。

6.では、まず正典内の文書を検証することによって神の真意を検証します。

釈尊も相手に応じて真理の説き方を替えましたので、秘書のアーナンダは
混乱して悟りが高弟子の中では一番遅れたという説も伺っております。

神はその時代背景や預言者によって、真理(法)の説き方を替える場合が
あるからです。
智恵の高い人物にはそのままストレートに真理を伝え、低い修行者には
譬え話を使用されます。

7.正典以外の文書を検証に使う場合もあります。その正典を決めた人物が
若い司教の一人であり、反対していた司教達がいたことも分かっている
場合はそうします。 所謂、再検証です
638神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 16:47:11 ID:j5AezilV
>>635
>それでは、コーランから紹介しましょう。

唯一神教の預言が唯一神論を説くのは当然です。
巫女やシャーマンを引き合いに出すものだからてっきり
多神教の中の例も念頭に置いてると思っていたのですが。

>他の宗教団体の具体例も調べても宜しいですが、

まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
で、今になって調べる必要があると。
639神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 17:02:03 ID:k2yuQHja
デウス・アブスコンディトゥス(隠れた神)という考え方がありますね。
自らの本来の業である愛の啓示を、怒りという非本来的な業の仮面の下に
隠す神をさしています。その性質ゆえに、神の愛は認識の対象というより
信仰の対象となると解される。
旧約ではイザ64:6、エレ33:5、8:17、エゼ39:23などに類似の表現があります。
640神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 17:47:29 ID:j5AezilV
>>636
イエスの教えでも神は罪人を裁き、地獄に落としますが?(マタイ5:22、29-30)
神は赦す心と同時にそうはしない厳格な面を持ちます。(マタイ12:31、マルコ3:28-29)

「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイ 10:28)

イエスにとっても神は恐ろしさを兼ね備えた存在です。

神の愛やゆるしは旧約聖書から説かれています。
申命記(7:7、10:15)やホセア書(11:1)によればイスラエル人が出エジプトできたのも
神が彼らを愛していたためです。ヨナ書にはニネベ人がヤハウェを信じたために神が
裁きを取りやめるシーンがあります。イザヤ書56章では異邦人の救いが記されていますね。
神はただ悪人を裁くのではなく、彼らが悔い改めるのを望んでいるとされます(エゼキエル書18:21-23)。

「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。
主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように」(箴言 3:11-12)
641前世は一在家:2010/04/29(木) 18:30:53 ID:tWLEoGlp
>>638
>まさか聖書とクルアーン(アブラハムの宗教系列)でしか
>「われのほかに神なし」の例を知らず、その上で常套句とか言ってたんですか?
>で、今になって調べる必要があると。

何分、30年以上色々な教団の本を読んで参りましたので、どの宗教だった
のかを特定するのは困難ですので、済みません。
642神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 20:32:58 ID:HgvLJER3
至高神、ヤーウェ アラー、 ブラーフマン イシュワラは
一緒だということでいいようですね
643神も仏も名無しさん:2010/04/29(木) 20:52:24 ID:O+xrBTg+
>>641
「ので」の前後が全然つながっていないのですが……
「預言者やシャーマン、巫女」とあげ「常套句」とまとめるほど
ですから複数、かつそれなりの人数がいるはずなのですが、
人名も神名も団体名も欠片すら全く出てこないってのは逆にすごいですよ。

あやふやなら、議論上で出すのは差し控えますよね?
>>642
ここでの議論で何かが証明される質のものではないですね。
64420:2010/04/29(木) 21:19:21 ID:n1vq4jhK
>>637
いえ、勝手にまとめてしまってすみませんでした。修正ありがとうございます。
文書仮説(いわゆるJEDP。モーセ五書が対象の中心だが列王記まで含む)に
ついてはどうですか?文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
思われますが。そのような推論が適切でないのか、それともその推論自体は
適切であっても、ユダヤ教の宗派や周辺的なユダヤ教徒によっては多神教的な人たちも存在し
イエスもそれに属する、というお立場なのでしょうか?ここははっきりさせたほうがいいと思います。

>>640
現在の論点とは関係ないのですが一つ教えていただきたいと思います。
世の中には善人(と思われる人)や年端も行かない子どもが悲惨な死に方をする例があります。
もしユダヤ・キリスト教の神が愛する者を戒める神であるとすれば、戒めをはるかに超える
あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
説明されているのでしょうか?
645神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 00:07:54 ID:2OArGXJl
>あるいは戒めには当たらない上記のような例はユダヤ・キリスト教ではどのように
>説明されているのでしょうか?

定説は存じません。旧約・新約をざっと読み直してみましたが、そうした説明は見当たりませんでした。
ある意味ヨブ記がそうなのかもしれません。どのように説明をつけるようになるにせよ、
殺人やレイプですら(極論するなら)試練や悪魔の仕業として処理し、
ヨブ記の最後みたいに、事後に多大な恩寵を神から手渡すパターンにしか出来ない気はします。

赤ちゃんの死の場合は、神が公正である以上、その救いは否定されない、そうです。
ttp://www.christiananswers.net/q-eden/edn-f006.html(プロテスタント系、英語)
ttp://www.christiananswers.net/japanese/gospel/home.html(でもリンク元のこちらは日本語)
幼児洗礼の論理として、原罪の赦しを経る必要があるという考え方もある。
ttp://www.geocities.jp/fnagaya2002/Hp/Taiwa6.htm(正教会系)
カトリックでは洗礼を受けてない場合は、幼児の辺獄という考え方で処理するようです。
でも確定論というよりは希望、という位置付け(最初のリンクに近い)。

非業の死、善人や子供なら認める、と確定してしまうと、
信仰心を救いの基準にする意義が薄れてしまいかねず、彼らにとっても難しいところでしょうね。
64620:2010/04/30(金) 07:27:11 ID:d4HEZuhx
>>645
詳しい説明とリンク先の紹介、ありがとうございました。
論点は二つに分かれるかと思います。
1. 善人・幼児の悲惨な死の原因は何か。
2. その場合の救済はあるのか、あるとすればどのようなものか。

1.はリンク先の資料でも明示的には示されていないので
>>645さんの言われるように「試練」「悪魔の仕業」として処理するしかないのでしょうね。
(「試練」に関しては死んでしまった場合は試練も何もないようなw)
あるいはそのような憂き目に遭ってしまう人は、人間の理解が及ばない神の
大いなる計画の中の不運なコマでしかないのでしょうか。

2.はご紹介いただいた一つ目の資料ではImputed Sinになり、とりあえず永遠の死は
免れることになる希望はある、ということですね。(プロテスタント、カトリック)
ただし二つ目の資料のように、幼児洗礼を罪の許しの要件とする立場もある。(正教会系)

私の疑問点は主に1.に関するものなのですが、2.に関しても
たしかに信仰義認の教義と抵触してしまうこともあり、クリスチャンにとっても
簡単な回答は難しいのでしょうね。
たいへん勉強になりました。
647前世は一在家:2010/04/30(金) 07:58:27 ID:E4ZHWwtF
>>644 20氏
>文書仮説からの推論としては中心的なユダヤ教は
>多神教→拝一神教→唯一神教のような過程をたどったとされるのが一般的であると
>思われますが。

旧約(クムラン・テキスト版含む)で見ましても、多神の中で拝一神を命じる啓示
を預言者イザヤに下されたいうことでしょうか。

釈尊が説法対象相手に応じて法の説き方を替えたように、
イスラエルの守護神もその時代や預言者や詩人に応じて真理、啓示の説き方を
替えたという仮説を立てております。

換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。
648前世は一在家:2010/04/30(金) 08:00:18 ID:E4ZHWwtF
(士師記)Judges 11:24
11:24 汝は、汝の神ケモシが汝に取らせるものを取らないのですか。
   我々は我々の神、主が我々の前から追い払われたものの土地を取るのです。
(Judges 11:24)
Wilt not thou possess that which Chemosh thy god giveth thee to possess?
So whomsoever the LORD our God shall drive out from before us,
them will we possess.

(サムエル記上)Samuel 1
26:19 「他の神々に仕えなさい」と言って、今日、私を追い出し、主の嗣業に
   預かることができないようにしたからです。
(Samuel 1 26:19)
They have now driven me from my share in the LORD's inheritance and have said,
'Go, serve other gods.'
649前世は一在家:2010/04/30(金) 08:03:27 ID:E4ZHWwtF
(イザヤ書) Isaiah 45:22
45:22 地の果なるもろもろの人よ、わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。
   わたしは神であって、他に神はないからだ。
(Isaiah 45:22)Turn to me and be saved, all you ends of the earth; for I am God, and there is no other.

(Deuteronomy 32:8-9)
When the Most High gave the nations as an inheritance, when he divided mankind,
he fixed the borders of the peoples according to the number of the sons of God.
(申命記 32:8-9) ※クムラン・テキスト版
いと高き者は神の子らを分け、諸国民にその嗣業を与えられたとき、
神の子らの数に照して、諸々の民の境を定められた。

(Psalm 82)
God stands in the divine council;in the midst of the gods he holds judgment.
I said, “You are gods, sons of the Most High, all of you;
(詩篇)
82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、さばきを行われる。
82:6 私は言う、「あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ。」
650神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 13:40:58 ID:8PiA0gNP
>>647
>文献上では多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。
旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。
651前世は一在家:2010/04/30(金) 14:44:40 ID:WrtqQ/cV
>>650
>旧約に並存しているのは、多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示、唯一神を
>示す啓示(イザ44:6、45:5-7)があります。

より正確にはそうですね。 補足を有難うございます。

652神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 15:15:07 ID:mYeQWTpn
横レスすいません

神様は寂しがりやのアーティストなのさ
だから、天使や人間を作った
天使にも、自由意志をある程度与えたが、それは神に絶対に服従と言う縛りがある
自由意志にすぎず、寂しがりやの神と対等な話し相手にはなれなかった。
そんで、アダムを作ったんだが、彼には天使に無い本物の自由意志を与えた。
それは、アダムに裏切られる。そむかれるという前提のものだった。
知恵の実を食べて、神の信頼を裏切ってしまうのが罪の始まりだと解釈している。
神は、悪に対しても熟知しておられる。善だけでは不完全だからね。
だから、ヨブやイエスを試すために悪魔が用いられる。
人間は自由意志で神を否定も出来るし、悪に染まることもできる。
しかし神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。 駄文すまん
653神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 17:27:42 ID:8PiA0gNP
>神は自由意志を善に向けてるのだと思うよ。
自由意志を善に向けるためのアドバイスが
マタイ26:41
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」
だと思います。
watch(原義:目を覚ます)
注意して見る、じっと見ている
ジーニアス英和辞典

watchスペル分解こじつけ。
w-あなたのwords(言葉)に注意しなさい。
a-あなたのactions(行動)に注意しなさい。
t-あなたのthoughts(想い)に注意しなさい。
c-character(人格)に注意しなさい。
h-heart(こころ)に注意しなさい。
誘惑にwatch(注意)しなさい。
654前世は一在家:2010/04/30(金) 17:55:10 ID:WrtqQ/cV
>>652
>神様は寂しがりやのアーティストなのさ

そうですね、神は大芸術家ですね。

この物質界に神界の写し絵「エデンの園」地上天国の建設を望まれて
神経綸(青写真)にて天地と人類の創造をなされたと伺っております。


655前世は一在家:2010/04/30(金) 18:10:57 ID:WrtqQ/cV
「悪」とは何でしょうか? 利他愛の反対の自己愛から発生する思い、
行為でしょうか。 

マリア伝では「良心」と「欲心」との対話の章がありますが、釈尊も
「欲心」から生じる固執・執着が苦しみの原因だと説かれております。

エッセネ派の宗規要覧では「欲心」は人の創造時に与えられた「闇の箇所」
に起因することが説かれております。

旧約や新約とは離れましたが、エイレナイオスのいた頃にはこれらの文献
も存在して読まれていたということです。
そしてニケーア公会議以降に異端として焚書されましたが、1600年後に
復活して現在に至っております。

PS
数日、外出しますので、しばらく失礼致します。
65620:2010/04/30(金) 23:50:55 ID:d4HEZuhx
>>647
> 換言しますと、唯一神教へのような過程は後世の人の都合であり、文献上では
> 多神を示す啓示と拝一神を命じる啓示とが旧約に並存しているということでしょう。

預言の書あたりまで含めれば文献上も明確に唯一神信仰が見られると思います。
在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。
よってイエスも真の預言者である限り、「本来の」ユダヤ教に忠実に多神教(及び
拝一神教)的な文脈の中で発言しているはずだ、ということですね。

正典化された福音書に他の神に言及する箇所がないのは、正典化作業に携わった
人達による隠滅工作であり、正典から外され禁書された福音テクストの中に
多神教(及び拝一神教)的信仰に言及する箇所が含まれているはずだ、
というのが在家さんの仮説ですね。

となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
書かれているのか、ということになりますね。
少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要がありますね。
657神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 10:14:58 ID:lfLSwbXt
クムラン文書にはイザヤ書写本も含まれていますね。
クムラン・テキスト版イザヤ書の唯一神論のくだりが、
現行の聖書に収録されているイザヤ書と同じであれば
エッセネ派も唯一神論信仰だったと言えると思います。
658神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 10:41:06 ID:lfLSwbXt
知恵の系譜(7)クムラン宗団の信仰
ttp://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/08qmran.htm
モーセの律法を破ってはならない、ということに凄まじく厳格ですね。
ファリサイよりも厳しくなおかつ霊的側面もより尊重している。
「あがないの生贄を認めない」(>>122)ってのは、その価値を認めていないという意味ではなく
「神の手を煩わせてはならない」という発想からのものじゃないでしょうか。
モーセの律法をひたすら研究・実践し、破らないのが大前提になっている。

和田幹男/死海文書と聖書
ttp://mikio.wada.catholic.ne.jp/QMRN-VT.html
>イザヤ書だけはその全書の写本が出土した。

>A)つぎにその古い写本断片によってマソラ本文が信頼するに足るものであることが証明された。
>前述したとおり死海文書中全聖書の本文が完全にあるわけではないが、イザヤ書はその全書があるので、特筆すべきであろう。
>これをマソラ本文と比べることによって、マソラ本文が1000年の年月を経て
>忠実に写し伝えられた本文を保っていることが明らかとなった。

このぶんだと唯一神論もそのまま、か?
659神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 11:53:09 ID:lfLSwbXt
唯一神論部分(>>607)の英訳
Column XXXIX The Great Isaiah Scroll 45:21 to 47:11
ttp://moellerhaus.com/qum-39.htm
ttp://moellerhaus.com/qa-tran.htm#c39
26. (18.) For thus says YHWH creator of the heavens; He is the God and He formed the earth and made it; and he
27. prepared it, He did not create it void, he formed it to be inhabited: I am YHWH; and there is no one else.

かくして天の創造主ヤハウェは言われる。彼は神であり、彼が地を形作りそれを造り出した。
そして彼はそれを用意した。彼はそれを空虚なものとして創造しなかった。彼はそれを居住に適したものとして形作った。
私はヤハウェである。そして他にはいない。

who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.
(22.) Turn to me, and be saved, all the ends of the earth: because
3. I am God, and there is no other.

誰がその時からこれを語っていたのか。わたしヤハウェではないか。他にはいない。
私と並んで神、公正なる神、そして救い主。私に並ぶものはない。
大地の果ての万人よ、私に立ち返り、救われよ。なぜなら私は神、他にはいないからである。

※和訳はてきとうです。
66020:2010/05/01(土) 16:26:05 ID:fNmQT9+N
>>657
重要な着眼点だと思います。ただしエッセネ派の秘儀的解釈という特徴を考慮すると
イザヤ書がマソラ本文と同一であっても、唯一神に関する正統ユダヤ教の解釈と
エッセネ派の解釈は必ずしも同一であるとは言い切れないと思います。
とはいえ、私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

(ここからは>>658さんがリンクを載せた主旨とは全く関係ない私の印象です。
私は一つ目のリンク先の、エッセネ派の教義からイエスへとつなげていく論法に
非常に違和感を覚えます。エッセネ派における祭司・王・預言者の三者が
イエスの中にひとつになって統合されている、と言いうるには
そもそもエッセネ派の解釈において三者の統合されたペルソナなどという
存在が許容されるのか、イエスは自覚的に自らをその三者の統合体であると
考えていたのか、など説明を必要とする論理の欠落があまりにも多く見受けられるからです。
ヨハネ福音書を媒介としてエッセネ派とイエスを結びつけようとする意図が強く働いている
気がします。まあこんなふうに思うのも私がヨハネ福音書を否定的に捉えてるから
かもしれませんが。)

>>659
> who has told it from then? Is it not I YHWH? and there is no other
> 2. God beside me; a righteous God and a Savior; there is none beside me.

一行目と二行目はつながっているので
「私の他に(or私と並ぶ)神はいない。義なる神にして救い主。
私の他に(or私と並ぶ)神はいないからである。」という感じでは?

besideの元のヘブライ語がどのような意味範囲を持っているかによって
訳(解釈)は違ってきちゃいますね。besideという英訳は元のヘブライ語の
多義性を反映してるのかな?どちらにしろ他の句と照合すると
まず間違いなく「他に」の意味で使ってると思われます。
661前世は一在家:2010/05/01(土) 22:12:40 ID:p/jXkbl5
>>656 20氏
只今、外出先の高山市より帰りました。

>在家さんの場合、多神教(及び拝一神教)的なテクストを真の預言、唯一神教的な
>テクストを後の意図的修正と仮定している、ということですね。

多神を示すテキストであってもその啓示を降ろされたのがYahwehであるという点が
重要であり、これはユダヤ教徒もキリスト教徒も否定できないでしょう。

次に唯一神教的なテキストですが、下記の2つの場合を想定します。
@後世の誰かが改竄した。
Aその時代の預言者の資質に応じて神が啓示の降ろし方を変えられた。

@の方は案外簡単に証明できます。
旧約の七十人訳とマソラテキストと、クムランテキストとを比較して相違箇所を
検証すれば良いからです。

死海文書の研究者たちが驚いたことは、クムランテキストとの相違点が当初想定
していた以上に少ないということです。
申命記の「神の子らの数に従い」が「イスラエル民の数に従い」とか「天使の数
に従い」とかいった相違点は極めて少なく、2千年にわたりラビ達が非常に正確に
書き写してきたことが検証されております。

ですからAの解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
ないかというのは私の仮説でございます。

例えば神を疑い易く、啓示を伝える勇気の少ない預言者には、強く唯一神教的に
啓示を降ろされたのではなかろうかと、これまで別の神を信じてきた預言者には
多神&拝一神教的な伝え方をされたのではと思料します。
662前世は一在家:2010/05/01(土) 22:30:57 ID:p/jXkbl5
>>660 20氏
>私も>>658の解説を読む限りエッセネ派が多神論的な解釈をする教団だとは
思えません。

私の現時点の知識では、エッセネ派が多神論的な解釈をするという文献上での
証拠はございません。

ただし、魂や運命に対する解釈がパリサイ派やサドカイ派とは異なっていたようです。

【死後の生】
(パリサイ派)死者の復活を信じた。
(サドカイ派)死者の復活のような奇跡を一切否定した。
(エッセネ派)
肉体は滅びるものであり、それを構成する物質は永遠ではないが、
霊魂は不死で滅びないと確信していた。

【運命(予定論)】
(パリサイ派)
ある出来事は運命による業の結果であり、その他は人間側の自由意思にかかっている。
(サドカイ派)運命の存在を認めない。
(エッセネ派)
いま存在しているものや、これから存在するもの、それらすべては知識の神から来る。
神は、それらが存在する前に、それらの全体的な構想を考えられた。(宗規要覧3:15)
(神の青写真に従って歴史が展開されるという意味でしょうか。)

参考:「死海文書のすべて」青土社
663神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 22:31:50 ID:9Wo5dfGc
超自然を認めるなら

B初期イスラエル人には唯一神論が理解できず、拝一神に置き換えてしまった。

ってのもアリですね。
664神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 22:39:16 ID:WbGZxcdP
聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

古代人が、その生存という至上目的のために、何故、神概念を作り上げ、それを他者に
説かなければならなかったのかを、人間の生物的生存努力の面から、考える必要がある。
その場合、古代人は科学について無知蒙昧であった事実を考慮に入れる必要がある。

共生集団をまとめるためには、何らかの権威が必要である。その目的のために、更なる
はるかな過去において集団をまとめていた優れた指導者の記憶をイメージ化したのが、
神概念であろう。その過去の指導者も、自己の補助者として、複数の人間を要したこと
には間違いない。どんなに偉い王でも、補助者としての同僚や忠実な臣下が必要である。
そのような複数の同僚や臣下の記憶のイメージ化が「多神」ではなかろうか。「神々の
会議」である。

「神概念」が人間の想像の産物である以上、「人間の生存のための必要性」の面から、
神の起源を考えるべきではないか。

イエスは、はるか後世の人間であるから、「神」とは関係ない。彼は、すでに形成
されていたそのような神概念が、「過去の指導者(及びその臣下)の記憶のイメージ
化」に過ぎないことに、もはや思い至ることができなかったのであろう。現代人でも、
未だに「人間にあらざる神」を信じ込まされているのと同様である。

なお、引用における「beside」は、英語的には、あきらかに「other than」の意味。
過去の指導者の同僚や臣下が捨象され、一人の指導者のイメージのみが拡大されて
抽象され、生き残ったのであろう。

例えば、大国主命も、過去の優れた医療者の記憶のイメージ化であろう。
665前世は一在家:2010/05/01(土) 22:41:55 ID:p/jXkbl5
>>656 20氏
>となると仮説の検証上重要なのは、ナグ・ハマディ文書がイエスの言行を読み解くのに
>どこまで信頼性があるのか、そこには明確な形で多神教・拝一神教を示す言葉が
>書かれているのか、ということになりますね。
>少なくとも正典化されている福音書よりナグ・ハマディ文書のほうが
>イエスの言行を読み解く点において信頼性が高い、ということが示される必要が
>ありますね。

先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。

トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
また調べておきます。

ただ共通している点は、イエス様は快活な方でよく笑い、女性信者達からも
大変慕われていたということでしょうか。
若い教父が選んだ四福音書に記載されたイエス様と少しイメージがことなります。
666神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 22:54:56 ID:jr0rScrg
前にも書きましたが、ケツを叩いてけしかけるために、事実とは異なるコトを吹き込む、ってのは相当エグいことですわ。
拝一神で他の救いを否定した上に、さらに逃げ場を排除するために、さらに否定を押し重ねてあるんですから。
そういうことやるくらいなら、初めから嘘を使わずに済む人材を選べばいいと思うのですが。

BはBでも問題が出てきますね。唯一神論を最初からしっかり記述させず(orできず)、
これはこれで使える、と拝一神論状態をあえてそのままにしていた、ってことになりますからね。
神から、実はその記述誤りなんだが……と言われたら確かに信者は混乱する。
そう見えるけどそりゃ表現なんだよ、と処理させる。

どちらにせよ生暖かい説明になってしまいますね。
667神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 22:59:32 ID:jr0rScrg
もし四福音書とユダ伝が同時に正しいとしたら、
表でヤハウェにアッバ(父ちゃん)と呼びかけておいて
裏では彼を信仰する立場を笑う、っていう。
どんだけアンタ裏表あんだよ、って話に。
こんなのは方便じゃなくてただの処世術ですよ。
668神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:00:20 ID:YpcxLjgv
結局神様なんかいないんだろ?
よりにもよって、あの中国に97%のレアアースを置いとくなんて、有り得んだろ。
669神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:11:26 ID:vSXSI60o
>>667
イエスが、神に向って「父ちゃん」などと呼びかけること自体が、神を崇めては
いないことの証拠。イエスは、その精神病の症状としての誇大妄想から、「自分
が神に(少なくとも神の親類に)、なりたかった、なった積り」だったのである。

イエスにとって、「自分が神になる」ためには、創造主はライバル、それ以上に、
「目の上のたんこぶ」だったのである。だから、賢しらげに、旧約聖書に対して、
得意げに余計な一言を付け加えている。
670神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:15:19 ID:bZW3EP4M
ヤハウェ信仰の普及以前の神観念の痕跡が
ヤハウェと同一視されている可能性も捨てきれん。
671前世は一在家:2010/05/01(土) 23:21:13 ID:p/jXkbl5
>>664
>聖書も人間が書いたもの。「神」とは、人間の空想上の産物。

私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
いくつかの共通点があります。

@短時間で非常に多くの啓示が降りることが多い。
A宗教の素人に啓示が降りることが多い。
B数百ページに及ぶ啓示であっても終始一貫している。

どんな知能指数が高い人間でも、人智で啓示集を創作した場合は、同等の
知能指数の人間が読んだ場合に終始一貫性が崩れておりますので分かります。
672神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:31:06 ID:bZW3EP4M
新約聖書は神を固有名詞で呼ばず、単に「主」や「神」あるいは「父」
ともっぱら普通名詞で呼んでいるのは、神の名を発言することを敬遠する
ユダヤ教の習慣に従ったものと思われる。
673神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:38:05 ID:1I5UbJdB
>>671
「啓示」なるものを批判的に読めば、現実上の根拠皆無な観念の遊戯。
使っている言葉も、小学生時代に習ったものばかり。大本開祖の「お筆先」参照。
精神医学者は、「濫書症」と診断している。

現代の精神医学では、「神懸り」や「憑依現象」は、精神障害として治療の
対象とする。
674神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:38:09 ID:jr0rScrg
>>671
>私もこれまで色々な宗教の啓示集(神示集)を調べてきましたが、
>いくつかの共通点があります。

どういう例を基準にしてるんですか?コピー・複製が容易にできる
現代のものなら、それだけで古代宗教側にハンデがありますよ。
675神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 23:54:51 ID:jr0rScrg
@短期間だと、時間を経てチャネラー(仮称)の宗教観が変化・醸成しにくい。
A「宗教の素人」は具体的にどういう人を指すのか?宗教について全く知識の無い人はいない。
B一貫性、ってのはどこまでブレを許容するのか。矛盾というのは同じ事(聖書で言えば並行記事)
を書く・語る時に出てくるが、重複が多い人・少ない(無い)人を同じ基準ではかっていいのか?

具体例を出しつつ、こうした部分でも正確に扱いを決めないと、議論しようとしてもきっと話が拡散してしまいます。
67620:2010/05/02(日) 01:11:18 ID:P2zISPV9
>>661
> ですからAの解釈のように、最初から預言者によっては唯一神教的に啓示を降ろし、
> また別の預言者に対しては多神教(及び拝一神教)的に啓示をおろされたのでは
> ないかというのは私の仮説でございます。

超自然的な神を想定すること自体を否定するつもりはありませんが
その神の啓示の手法をそこまで柔軟にしてしまうと、聖書テクストに
対する評価・解釈は「何でもあり」に近くなってしまうような気がします。
つまり読み手にとって都合のいいように聖書に対して解釈的変更を加え
読み手にとって都合のいい神を作り上げることが可能になる恐れがあります。

>>662
こういったイエスの時代のユダヤ教各宗派の違いは、福音書やイエスを
考察する際に重要な背景的知識になりますね。ありがとうございます。
67720:2010/05/02(日) 01:17:33 ID:P2zISPV9
>>665
> 先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
> おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。
> トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
> また調べておきます。

この辺は私が在家さんに最も期待している部分です。
私自身に教養・知識があまりないものですから在家さん頼りになってしまいそうですが
よろしくお願いします。私もそのうち自分で読んでみようと思っております。
678神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 01:19:48 ID:T0PbESPA
>>671
啓示が「神の言葉」なら、何故、人間には理解不能は「神語」で書かれて
いないのは何故か。すべて「人間の言葉」で書かれているw。

神は、一体、どこのどの人間から、言葉を習ったのか。人間の言葉は、人間
からしか、絶対に習得できないはず。

この意味で、聖書の「初めに言葉があった」は全くの誤り。人間の言葉は、
人間が発生し、共同体を形成した後、その成員間の意思の疎通のために、人間
が作ったものである。言葉こそ、人間の最大の発明。

「聖書が神の言葉」など、笑うしかない。
67920:2010/05/02(日) 01:20:53 ID:P2zISPV9
>>670
私もそう思ってます。ヤハウェはイスラエル民族の歴史的宗教的変遷を
かなり内包しちゃってるんだろう、と。
680神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 01:41:05 ID:pxt6H4Vu
イエスキリストに子供はいますか?
681神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 02:25:45 ID:CduaAd3h
「神」を信じている人は、生物としての人類の生存本能との関係において、
人類に「神概念」がどのようにして発生したかを、まず説明してくれ。

人類の空想の産物である「神」ばかり語らないで、少しは「人間」について
語れ。宗教も、「人間」の数多い営みのうちの一つに過ぎないのだから。
682神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 02:54:47 ID:LeRAkmhi
>>679
ヤハウェは、モーセの神。モーセは、エジプトで突然変異的に発生したイクナートン
一神教の信者。そのあたりから語る必要があるのでは。
683神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 03:50:25 ID:aNRCJlQG
民族起源神話ではなく
宗教としての生死観のベースになってるのが
黙示録のカタストロフとその後の『神の国』での復活だしな
死んでも善き人は其処に復活して暮らせるというのが宗教的救済の基本なんだが

今となっては其処へ至る前に魂が暮らす多神教に良く見られる天国のようなイメージに
食い荒らされてて需要があるからってそっちもアリにしちゃってる感じがなんともマヌケ
68420:2010/05/02(日) 07:17:47 ID:P2zISPV9
>>680
聖書その他客観的な資料では確認されてないはずです。
そもそもイエスに関する聖書外の客観的資料はほとんどないはず。

>>681
実はこのスレで信じているかどうかという点で言えば、在家さんくらいしかいないかもw
で、神を信じている人にとっては「人間は神の被造物」として処理されてるから
「人類に「神概念」がどのようにして発生したか」という問い自体が成立しない。
強いて言えば「神による神自身の啓示によってもたらされた」となるはず。

>>682
もし本当にモーセが実在して、なおかつイスラエルの民がエジプトにいたとするなら
イクナートン信仰の影響もあるかもね。まあモーセや出エジプトが史実ではないとしても
エジプトの影響は受けてるから議論としては成り立つだろうけど、それを裏付ける資料は
ほとんどないんじゃないかろうかと思いますです。
685前世は一在家:2010/05/02(日) 07:21:51 ID:fmgxhSLZ
>>665 一在家
> 先に紹介しましたように、ユダ伝では旧約の神と至高神とを区別して記載されて
> おりますし、イエス様が処刑をユダに密かに命じたとあります。
> トマス伝、フィリポ伝、マリア伝ではどうだったのかを、新約と対比して
> また調べておきます。

トマスの福音書では一箇所だけ「多神」についてイエス様が説かれております。
単独者(天の父?)とご自身以外に三人の神々がおられるとのことです。


(トマス伝)
30 イエスが言った、「三人の神々がいるところ、彼らは神々である。二人または一人が
  いるところ、私は彼(単独者)と共にいる」。

参考(マタイ伝)
18:20 「二人または三人がわたしの名によって集るところには、わたしもその中にいるので
  ある。」
686前世は一在家:2010/05/02(日) 07:23:12 ID:fmgxhSLZ
>>685
尚ヨハネ伝と競り負けて正統から外されたトマス伝ですが、ヨハネ伝の筆者がトマス伝の
内容を知っていたと思われる箇所が多数見受けられます。

(トマス伝)
24 イエスの弟子達が言った、「あなたがおられる場所について教えて下さい」。
 イエスは言った、「耳ある者は聞くがよい。光の人の直中に光がある。そして、
 それは全世界を照らしている。それが照らさないならば、それは闇である。」

参考(ヨハネ伝)
14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。
  どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
11:9 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、
  つまずくことはない。 この世の光を見ているからだ。」

(トマス伝)
1 イエスが言った、「この言葉の解釈を見い出す者は死を味わうことがないであろう」。
参考(ヨハネ伝)
8:52 アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、
 「わたしの言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない。」と言う。
68720:2010/05/02(日) 08:57:29 ID:P2zISPV9
>>685>>686
これは興味深いですね。
ここからすぐに何らかの結論が得られるわけではないけど
少なくともイエス語録伝承には相当のブレがあったことが伺われます。

> (トマス伝)
> 30 イエスが言った、「三人の神々がいるところ、彼らは神々である。二人または一人が
>   いるところ、私は彼(単独者)と共にいる」。

前後の文脈がないので、どのように解釈したら良いのかわかりかねますが
この「三人の神々」とはいったい具体的には誰を指しているのでしょう?
あるいはどのような存在について言及していたのでしょうか?
688前世は一在家:2010/05/02(日) 09:41:12 ID:fmgxhSLZ
>>687
>前後の文脈がないので、どのように解釈したら良いのかわかりかねますが
>この「三人の神々」とはいったい具体的には誰を指しているのでしょう?
>あるいはどのような存在について言及していたのでしょうか?

トマス伝はイエス様語録のスタイルにて、前後の文脈がないので分かりません。

私も「三人の神々」は誰なのか、知りたいですね。


689神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 10:18:15 ID:aNRCJlQG
単純に考えれば現在過去未来の同一存在を
時間経過に左右されない普遍性があるように言ってるようだ

過去と現在があって未来がないという事はない

世界を創造し運営を行う神の約束事の最たるものとも考えられるか
690神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 11:11:31 ID:NJQw2m6V
>>678
>啓示が「神の言葉」なら、何故、人間には理解不能は「神語」で書かれて
>いないのは何故か。

理解不能な言葉で命令したところで相手は言う事を聞けないでそ?
相手の言語使えるのに、わざわざ相手がわからない言葉使うなんてそれこそ何故って話になる。
イスラムでいう「啓典の母」や執筆用のネタ帳があるならソレは神語で書かれてるかもしれんがw

>神は、一体、どこのどの人間から、言葉を習ったのか。人間の言葉は、人間
>からしか、絶対に習得できないはず。

知的生命体なら、リトルグレイだろうがレプティリアンだろうがプレアデス人だろうがクリンゴン人だろうが
メフィラス星人だろうがアヌンナキだろうがヤハウェだろうが思いつくでしょ。実在するならね。
691神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 11:14:08 ID:hKdaJGh0
神語があるなら、もっとも近いのは数学だろうな。
692神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 17:51:06 ID:DoWMyE79
「三人の神々」はブラフマン、シヴァ、ビシュヌとは考えられないだろうか。
12使徒が伝道のために全世界をくじ引きで分割すると、ユダ・トマスにはインドが当たる。
トマス伝はトマスのインド伝道における13のエピソードを並列的に物語り、最後はトマス
の殉教で終わるというもの。
イエスをインドの神と習合させ、布教して回ったのかもしれない。
693前世は一在家:2010/05/02(日) 17:52:52 ID:fmgxhSLZ
>>690
>理解不能な言葉で命令したところで相手は言う事を聞けないでそ?

まったく同感です。 あまりに常識的な質問なので返答に窮しておりました
ので、有難うございます。
694前世は一在家:2010/05/02(日) 18:05:24 ID:fmgxhSLZ
>>692
>「三人の神々」はブラフマン、シヴァ、ビシュヌとは考えられないだろうか。

原始仏典の一つの長部経典(ディガニカーヤ)によりますと、ブラフマン
(梵天)も複数存在します。
梵天達の上位に大梵天が存在し、大梵天の中の一方が釈尊に布教を進めた
との記載があります。(出典:「大本経」)

釈尊が悟った真理(法)は罪(曇り)深い人類に伝えても理解は無理だ
と判断した時に、「人々の為に是非伝えて欲しい。」と嘆願された大梵天
に私は人類愛の深い「天の父」のイメージが重なっております。
695神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 18:32:16 ID:6lMTBBZC
>>692
本人が自覚的にやるとは思えない。宗教的タブーに抵触しすぎる。
ユダヤ人にとっては、インドの神々もバアルやアシラトの同類でしかないだろう。
信者の頭数を増やすために、誤謬を取り入れるということに成るわけで
目的と手段がすげかわってる。
696神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 19:20:45 ID:c+HpDF1j
>在家氏へ

真光信者の君が、何故異教のイエスにそれほどまでに興味を持つのか、不思議。
君の教祖は、イエスなのか。

真光も、大本由来。「キリスト教の盈虚を受けた宗教は、必ず危険なカルト化する」
ことの顕著な一例。KKも、佛教を標榜しているが、実質はキリスト教である。
オウムも、キリスト教の影響さえなければ、あそこまではやらなかった。
ハルマゲドンは、キリスト教の言葉である。

空想上の神やイエスなどどうでもよいから、もっと「人間」について語ることは
できないのか。
697神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 20:09:02 ID:6lMTBBZC
>真光信者の君が、何故異教のイエスにそれほどまでに興味を持つのか、不思議。

「縁起馬鹿」さんのサイトを見て、どこにも書いてない「イエス」の文字を見出してしまう
ご隠居がいちばんイエスにメロメロだと思う。

>空想上の神やイエスなどどうでもよいから、

このツンデレぶりがいじらしい。
698神も仏も名無しさん:2010/05/02(日) 22:20:38 ID:Miox/Te8
宗教は全部嘘っぱち
69920:2010/05/02(日) 23:39:03 ID:P2zISPV9
>>688
それは残念。そうするとトマス伝周辺の文献がもっと発見されないと
言わんとすること読み解くのは困難になりますね。
700前世は一在家:2010/05/02(日) 23:57:33 ID:Qogv70Kw
>>696
>真光信者の君が、何故異教のイエスにそれほどまでに興味を持つのか、不思議。
>君の教祖は、イエスなのか。

仏教板でもよく似たご質問を頂戴したことがあります。

今から35年以上前に、師から本来のモーゼ、イエス、釈尊の教えを知るには
原始キリスト教、原始仏教を調べる必要があると伺いましたのが動機です。

5年程前に、師の言葉を思い出して、原始仏教、死海文書、コーラン、
を始め、色々な宗教の聖典を少しずつ読み始めております。

原始教会(母マリア、弟ヤコブ)、ギリシア語を話すユダヤ人のパウロ、
3共観福音書の書記達もイエス様を神自身だとは思ってなかったし、
マタイ伝とルカ伝は処女降誕という神学を産み、ヨハネ伝でイエス様は
神自身となって、180年のエイレナイオス以降に正統化していくという
のが文献上の考察でしょうか。

原始ユダヤ教での多神の中での拝一神教的から、次第に唯一神教的に変遷して
いったようですね。

原始仏教もまた、常住の仏を説く法華経と、常住を否定する龍樹の中論とに
分かれていった経緯も見えてまいります。

何故異教に興味を持つのか?ですが、共通の真理(法)が何であったのかを
再検証したいからだと存じます。
そして再検証が進めば、宗教者同士が対立することも減っていくでしょう。
701神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 01:29:12 ID:HP8eXYC/
>>700
イエスだから、釈迦だから、真理を語っていると、初めから信じ込むのは、
知性の放棄である。大昔の人間である彼等の「教え」が、果たして現代の
人間にも通用するか否かを、現代人の知識と批判力を以って検証すること
が必要。さもなければ、単なる有名人信仰、ブランド漁りと同じになり、
人間としての思考停止、現代人としての知性の放棄である。

なお、宗教とは、開祖や教祖の正誤・正邪を判断する現実的基準がなく、「自
分の宗教だけが正しい」と信じ込む営みである。従って、異なった宗教の信者
同士が宥和することなど、原理的に不可能である。出口王仁三郎の「万教帰一」
など、単なる妄想。「宗教多元主義」についてさえ、同一宗教間でも、争いが
絶えないのが現状である。宗教学者も「宗教多元主義」については悲観的である。

ある外国の宗教学者が、宗教間の論議の対象を「身体」に関することのみに
限定することを提案しているが、これは宗教の本質を見据えた興味ある提言
である。百人百様の宗教観念とは異なり、身体(肉体)は、どの宗教の信者
でも「同じ」だからである。

人間は、具象物に100%依存することにより、初めて生存が可能である。
身体や具象を離れた「精神性」は、人間の狂気を招くことを、忘れてはならない。
702前世は一在家:2010/05/03(月) 07:20:53 ID:FXyASwIs
>>701
>イエスだから、釈迦だから、真理を語っていると、初めから信じ込むのは、
>知性の放棄である。

イエス様だから、釈尊だから、真理を語っている可能性が高いと考えるのも
智恵でしょう。

(そう考える理由)
・宗教の目的は人々の幸せにある。
・宗教の開祖の多くは、幸福になる為の教え(法、真理)を説いた。
・信者達はその教えを最初は疑いつつも実践する。
・正しい教えの場合は実践すれば、その果として何らかの幸福がもたらさせる。
・多くの信者が幸福になった団体は口コミで広がっていく。
・以上、世界規模で拡大した宗教の多くは真理を語っている可能性が高い。

偽薬と新薬とでは、症状が改善する可能性に違いが生じるという点で、
新薬に価値が見なされていることと似ておりますでしょう。
703前世は一在家:2010/05/03(月) 07:22:16 ID:FXyASwIs
>>702
利他愛が自身の心を豊かに高めることを説かれた方も、欲心が執着を生み出し
執着が苦しみの原因であることを説かれた方も、現代人が再検証できるかと
存じます。
宇宙と生命に保たれている秩序を熟知した現代の科学者達が「宇宙に意思あり」
と神仏に近い存在を仮定することからも、イエス様や釈尊の教えとなんら不整合
がないかと存じます。

生命教であれば、生命の営みにおける秩序が現代の先端科学技術から見ても
偶然では生じ得ない高み(確率)に達していることを既に悟っておられることと
存じます。>他称「ご隠居」氏
704前世は一在家:2010/05/03(月) 07:43:38 ID:FXyASwIs
>>701
>従って、異なった宗教の信者同士が宥和することなど、原理的に不可能である。
>出口王仁三郎の「万教帰一」など、単なる妄想。

「万教統一」であれば、貴兄のおっしゃる通り、不可能に近いと思います。

「万教帰一」には智慧を用いますと、色々な方策、方便があるかと存じます。

例えば、異なった宗教の信者同士であっても教えが同じことに気付いた場合には
対話することができるかと存じます。

また現代の教えが異なっていましても、開祖、預言者の頃の最初の教えが同じで
あれば対話することができるかと存じます。

例えば、「人は神の似姿にて、やがて神格化(テオシス)し得る」という教えと
「全ての仏子はやがて仏になり得る」という教えとが共通の真理(法)であった
ことをお互いが認識し合えば、言い合わそう必要もないでしょう。

また、「良い種には良い実が、悪い種には悪い実がなる」という教えと
「因果の法」という教えが共通の真理(法)であったことをお互いが理解し合えば、
お互いに敬意を表してただ合掌すれば宜しいかと存じます。

以上、「万教帰一」には原始キリスト教、原始仏教にそれぞれが元還りできれば、
決して不可能ではないと信じております。
70520:2010/05/03(月) 08:22:17 ID:GnVoDEc/
>>703
> 宇宙と生命に保たれている秩序を熟知した現代の科学者達が「宇宙に意思あり」
> と神仏に近い存在を仮定することからも、

そういう科学者は極少数であると思います。
私自身、宇宙物理学者と生命科学者の友人がおりますが
その人達に話を聞いても、まず同僚で「宇宙に意思あり」と
考えている科学者はいないと言います。もちろんこのような命題は
反証可能性がないので、逆に言えば正しいとも正しくないとも言えない
類のことで、信仰の領域になります。

> 生命の営みにおける秩序が現代の先端科学技術から見ても
> 偶然では生じ得ない高み(確率)に達している

具体的なデータはあるのでしょうか。
現代の先端科学から見れば化学進化から生命が誕生する可能性は
偶然では生じ得ないほど低確率であるとは思えないのですが。

科学を成立させるための要件については必ずしも科学者の間で
完全な共通了解があるわけではありませんが、一般的には
反証可能性なり再現性なりの要件を満たさない限り
科学的な対象とはなってきません。

宗教的真理や神の存在といったものを否定はしませんが
あくまでも自然科学とは全く別個の対象領域と考えて
議論すべきであると思います。
706前世は一在家:2010/05/03(月) 08:38:12 ID:FXyASwIs
>>705 20氏
>その人達に話を聞いても、まず同僚で「宇宙に意思あり」と
>考えている科学者はいないと言います。

宇宙意思論はアインシュタインの晩年の説です。
湯川博士も宇宙の秩序については言及されたそうです。
ニュートンの最期の発明は霊界ラジオだったそうです。

私が以前所属しておりましたサイ科学会でも退職した科学者達が
神や霊や超能力について熱心に議論を交わしておりました。

箱の中にロボットの部品を入れておいて、数万年間箱を振っておりましたら
ロボットができる確率を計算することはできるかと存じます。

本スレの議題からは少し外れて参りましたので、この辺りで止めておきます。
70720:2010/05/03(月) 08:50:38 ID:GnVoDEc/
>>706
アインシュタインは量子力学の確率論的宇宙観に反対して「神はサイコロを振りたまわず」と
言ったとか。つまりそれは個々の科学者の信仰の問題であって科学的議論とは別個です。

> 箱の中にロボットの部品を入れておいて、数万年間箱を振っておりましたら
> ロボットができる確率を計算することはできるかと存じます。

分子レベルでの自己組織化を扱うような化学進化とは全く別個です。
ロボットの部品を混ぜていくら数万年振ろうがニュートン力学レベルでの
確率論であって、化学進化とは何の関係もありません。

> 本スレの議題からは少し外れて参りましたので、この辺りで止めておきます。

了解いたしました。
708前世は一在家:2010/05/03(月) 09:10:12 ID:FXyASwIs
>>705 20氏
>具体的なデータはあるのでしょうか。
>現代の先端科学から見れば化学進化から生命が誕生する可能性は
>偶然では生じ得ないほど低確率であるとは思えないのですが。

「万教帰一」の万教の中には宗教だけでなく、科学も含まれていると考えております。

個々の人のヒトゲノムの塩基配列を比較すると0.1%程度の違いがあることが知られており、
この塩基配列の違いが、顔を含める肉体的特徴や性格の違い、すなわち人の多様性に
つながっていると知られております。

核ゲノムを30億塩基対としまして、その0.1%は300万塩基対と設定しましょう。
1塩基対を分かり易く1バイトとしますと、300万バイトで3メガバイトとなります。

この3MB程度の情報量では、人間の立体的な肉体的特徴の記述だけでも足りるでしょうか?
同じ環境で育ったヒトゲノムが同じ一卵性双生児の知能や性格の差異を説明できるでしょうか?

ヒトゲノム以外に魂と呼ばれる「神の似姿のコア」を仮説すれば、疑問は解消できますが、
それには素粒子や分子生物学の研究での成果を待つ必要があるかと存じます。

私も若い頃は論文を学会で発表していた元科学者ですので何十年間も考えておりましたよ。
では、議論も元に戻しましょう。
709神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 10:23:10 ID:CE0Or8Ei
>>701
>従って、異なった宗教の信者同士が宥和することなど、原理的に不可能である。

ヒンドゥー過激派がインドでキリスト教徒を襲撃した際、
ヒンドゥー教を含む各宗教の信者が抗議をしたそうです。
ttp://www.christiantoday.co.jp/main/international-news-1788.html
他者の間での理解の努力はされています。
春風社「対話が世界を変える 聖エジディオ共同体」を読んでみてください。
感傷的で無い、地に足の着いた理性的な活動です。
宗教・国の壁を超え、彼等は実際に成果をあげています。
>>706
>箱の中にロボットの部品を入れておいて、数万年間箱を振っておりましたら
>ロボットができる確率を計算することはできるかと存じます

ttp://www24.atwiki.jp/kumicit/pages/19.html
CB010、CI131あたりを御覧下さい。
>>707
「神」にあたる部分Alteは実際は「古きもの」という意味らしいですね。
71020:2010/05/03(月) 11:47:07 ID:GnVoDEc/
>>708
塩基配列によって決定されるのは基本的にタンパク質の一次構造であって
高次構造の最終的決定は遺伝因子以外の要因が関わってきます。
つまり情報レベルで見た場合、遺伝子は閉鎖系ではなく開放系として、
例えば細胞質内の場の情報(環境情報)と関わって高次構造を決定してゆくのです。
同様に個体自体も開放系として環境情報との関わりの中から具体的な個体を形成
してゆきます。環境情報は時間軸に沿って変化し、かつ個体にとっては非決定です。
よって魂という媒介変数を導入せずとも、ほとんど無限の差異を持った個体を生成できます。

今のところ魂とか神とかといった媒介変数はいわば「打ち出の小槌」であり
こんなものを導入すれば何でも説明できてしまうわけです。
従って科学的議論には馴染まないのです。
私は決して魂とか神とか宗教的真理を否定しているのではありません。
そういったものを科学的議論の中に導入することは、少なくともまだまだ時期尚早
であろうと思っているのです。

聖書やイエスを議論の対象とするのであれば、あくまでも聖書に基づいた神学的アプローチ、
あるいは歴史学的・文献学的・考古学的アプローチをとらなければ、議論が完全に発散してしまう
と危惧しています。在家さんは初期キリスト教の文献の検証といった「健全な」
アプローチをしているにも関わらず、そこに説明原理としてご自分の「神学」を混入されている
のではないか。以前にも書きましたが例えば「良い種には良い実が、悪い種には悪い実がなる」
の解釈はあくまでも聖書の文脈、ユダヤ教の文脈の中で解釈すべきで、それだけを
コンテクストを無視して「因果の法」と結びつけるべきではないと思います。ユダヤ教には
歴史に介入する神、審判を下す神という文脈もあるのですから。

ユダヤ・キリスト教と仏教、宗教と科学を結びつけるのは
それぞれ固有の領域での議論を尽くして、かつそれぞれ固有の領域での
思考法、方法論を慎重に考慮した上でなされるべきものではないでしょうか。
引っ張ってしまって申し訳ありません。決して在家さんの仮説が間違いだと言っているのでは
ないので誤解なきよう。私のような凡人には在家さんの包括的アプローチについていくのは
なかなか難しいのだということでご容赦くださいませ。
71120:2010/05/03(月) 11:51:10 ID:GnVoDEc/
>>709
あ、そうなのですか。教えていただきありがとうございます。
そうすると「古きものはサイコロを振りたまわず」となるんですか…
なんだかわかったようなわからないようなw
712宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/05/03(月) 13:19:15 ID:BWtjYHVk
>>700
>何故異教に興味を持つのか?ですが、
>共通の真理(法)が何であったのかを再検証したいからだと存じます。
>そして再検証が進めば、宗教者同士が対立することも減っていくでしょう。

実に素晴らしい!!
更に、一在家さんのご研究が進まれるよう応援しております。
聖書外典についての投稿は特に勉強になります。

余談ですが〜
私は若い頃に1度だけ道場で、
“手かざしの業”を受けた体験がありますよ(崇教真光でしたけど^^)。

>>701
確かに、ただの追従は良くないね。
自分で考えることをすべて辞めたら、もう終わりですね。
カルト宗教は自分で考えることをさせないので。

713前世は一在家:2010/05/03(月) 15:07:51 ID:JTlKimFb
>>710 20氏
今回も90%以上は貴兄の見解に同感です。

>よって魂という媒介変数を導入せずとも、ほとんど無限の差異を持った個体を生成できます。

一卵性双生児の肉体の概観の差異と比べて、知能指数の差異はどうか?
同じ環境で育てられても、嗜好、性格の差異はどうか?

ヒトゲノムが解明されるまでは、魂を否定する方々の多くは、心もDNAの塩基配列にて
ある程度決まると言っていたように記憶します。

>そういったものを科学的議論の中に導入することは、少なくともまだまだ時期尚早
>であろうと思っているのです。

時期尚早なのは、同感です。 私も仮説を立てて、後世に検証を委ねるだけです。

以上、若干のコメントにて失礼致します。
714前世は一在家:2010/05/03(月) 15:18:18 ID:JTlKimFb
>>712 宝珠氏 おーきにです。

イエス様と弟子達が聖霊による洗礼にて人々を癒し、除霊もされていた
ことは35年以上前から伺っておりました。

最近、調べていて驚いたことは、エイレナイオスの周囲のクリスチャン達
も同じように奇跡を行っていたことを、彼が証言していたことです。

「真の彼の弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な
健康体にする人もいる。然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った
事例がある。」とエイレナイオスは語った。
715神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 15:29:21 ID:R5JAWm27
福音書はイエスが悪霊を追放する物語を数多く伝えていますが
自然科学や医学の発達していなかった社会では病気や災害が
悪霊のわざと考えられ、悪霊の追放は病気の治癒とほとんど
同義でありました。
716前世は一在家:2010/05/03(月) 15:45:31 ID:JTlKimFb
>>715
>自然科学や医学の発達していなかった社会では病気や災害が
>悪霊のわざと考えられ、悪霊の追放は病気の治癒とほとんど
>同義でありました。

病気=悪霊ならば、わざわざ豚の集団に移動させて、群れごと
海で溺れさせる必要はあったでしょうか。

大災害で滅ぼされたノアの時代の人々や、ソドムの住人達も
悪霊による仕業だったのでしょうか。

面白い貴兄の説には、素朴な疑問を感じる次第です。
717神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 16:07:00 ID:R5JAWm27
>>716
旧約聖書の一神教信仰は人間に病気や災厄をもたらす悪霊の存在を
認めず、悪鬼・悪霊を恐れる民間の宗教行為は禁止されていました。(レビ17:7申32:17)
病気や災厄もヤハウェがもたらすと信じられていました(サム上16:14)
ただし悪霊観念自体はイザ13:21;34:14などに残っています。
718神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 18:21:16 ID:B99MOLbL
面白いですね。

あと、この板で偶に見る、「教祖、開祖」は精神障害である。って発言がありますが、
精神障害者(統合失調症、旧精神分裂病)の私から言わせていただければ、精神障害から来る幻覚妄想は全てを否定する(患者個人、集団、思想など)ものであり、
人がひきつけられる様な「幻覚、妄想」はまずありえません。
イエスや仏陀が精神障害者である可能性は排除して問題ないと思います。
神や仏が存在するかは私には分かりかねますが、「幻覚、妄想」から来た教えでない事だけは私個人は信じています。
719718:2010/05/03(月) 18:29:05 ID:B99MOLbL
言い忘れがありました。

自分をキリスト、仏陀、ナポレオンなど有名人自身、あるいは生まれ変わりと自称する精神障害者をご存知の方もいらっしゃると思います。
それは精神医学的な意味での妄想です(片思いのあの子といちゃいちゃとかいう妄想とは意味が違います。 しかし私も古いですねw)
仮にキリスト、仏陀などが精神障害者であった場合、その元となる人物が実在していた事になり、教え自体には影響はないでしょう。(宗教学的には大変な問題でしょうけれど)
720神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 18:50:41 ID:R5JAWm27
有神論は、この宇宙を創造するという主要な仕事に加えて、自分の最初の創造物の
その後の運命をいまだに監視し、影響を及ぼしているような超自然的知性の存在を
信じていること。
多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接にかかわっている。
神は祈りに応える。罪を赦し、あるいは罰する。
理神論は超自然的な知性を信じているが、その活動は、最初に宇宙を支配する法則を
設定することに限定される。
理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心を持っていない。
汎神論は、超自然的な神、超自然的な知性をまったく信じないが神という単語を、
超自然的なものでない<自然>あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する法則性の
同義語として使う。
汎神論者で有名なのは、アインシュタインやホーキング博士。
721前世は一在家:2010/05/03(月) 21:20:53 ID:JTlKimFb
>>718
>人がひきつけられる様な「幻覚、妄想」はまずありえません。

もし正しく真理を説いた宗教であれば、実践することにより幸福や心の平安が
もたらされるでしょうね。
そして実践の果が口コミによって広がり、人々を引き付けるようになります。

貴兄のご指摘の通り、幻覚や妄想では一時は人を騙せても、すぐにばれてしまい
人を引き付けることも無いかと存じます。
722前世は一在家:2010/05/03(月) 21:42:42 ID:JTlKimFb
>>720
>理神論は超自然的な知性を信じているが、その活動は、最初に宇宙を支配する法則を
>設定することに限定される。
>理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心を持っていない。

神様はこの物質界(3次元界)を創造された際に多くの法則(法、真理、掟)を設定され、
神の子「人」を創造してこの世界を神の子らに任せようとされたと伺っております。

ですから、直接神界から働きかけてくることは少ないかと存じます。

ただし、神様にも計画、神経綸(青写真)がございますので、自由意志(欲心)を持たせた
人類があまり軌道から逸脱して堕落や共滅に向かう場合には修正する必要が生じます。
そのような場合には、神の預言者達を地上に降ろし(神霊を受肉させ)教え(福音)を
伝えることを繰り返してきたかと存じます。

本来は現界に干渉しない神も、神の子達が祈りにて強く要請した場合には、神力を発動し
奇跡と呼ばれる現象が起きていることが、各宗教の聖典にも記載されているかと思います。

以上、貴兄の書き込みを縁としまして、所属グループの教えを踏まえつつ、私見を述べ
させていただきました。
723前世は一在家:2010/05/03(月) 21:53:44 ID:JTlKimFb
>>719
>自分をキリスト、仏陀、ナポレオンなど有名人自身、あるいは生まれ変わりと自称する
>精神障害者をご存知の方もいらっしゃると思います。

本物の生まれ変わりかも知れませんよ。

釈尊は読心通を得意とされておりました。
もしその方が釈尊の生まれ変わりであれば、声に出さずに一度質問してみて下さい。
本物であれば、心の中での質問に答えてくれますので、すぐに答えてくれますよ。
まだ、2500年しか経過しておりませず、常住の仏にとっては瞬きするほどしか
経っておりませんので、十八番の読心通を忘れるはずはないでしょう。

イエス様は聖霊による洗礼を得意とされました。
もしその方がイエス様の生まれ変わりであれば、手を置くか、手をかざすことに
より、精神病も癌などの業病も癒すことができますよ。
まだ、2000年しか経過しておりませず、神の御子にとっては瞬きするほどしか
経っておりませんので、十八番の聖霊の洗礼を忘れるはずはないでしょう。
724神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 22:18:00 ID:iE5x/9ya
非物質の魂が、どうやって物質である脳と情報をやり取り出来るのか、
誰か説明してくれませんか?
725前世は一在家:2010/05/03(月) 22:56:06 ID:JTlKimFb
>>724
>非物質の魂が、どうやって物質である脳と情報をやり取り出来るのか、
>誰か説明してくれませんか?

非物質のプログラムや情報が、どうやって物質であるコンピュータと情報をやり取り
出来るのか、誰か説明してくれませんか?と貴兄のご質問を置き換えてみましょう。

私は以前人工知能の研究をしておりましたが、人工知能を構成するソフトウェアと
情報は質量はゼロで物質とは言い難いかと存じます。
移動体通信や無線LANで遠く離れたコンピュータ同士が高速で通信(対話)する様は
かの釈尊の読心通をも超えてしまった感があります。
726718:2010/05/03(月) 22:59:07 ID:B99MOLbL
>>723
本当に生まれ変わりならあえて自称せずに行動で示すと思います。
偉人なら過去の名声を利用せず、新しい言葉で導いてくれるはずです。
727718:2010/05/03(月) 23:00:31 ID:B99MOLbL
偉人はおかしな表現でした。
しかし、無学な為良い言葉を知りません。
失礼しました。
728神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 23:04:06 ID:75POzAMg
>非物質のプログラムや情報が、どうやって物質であるコンピュータと情報をやり取り
>出来るのか、誰か説明してくれませんか?と貴兄のご質問を置き換えてみましょう。

「物質に」書き込まれた命令を装置で読み取ることで、ではないんですか。
で、装置を介して再入力されることで「物質に」更新される。
729神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 23:12:33 ID:75POzAMg
プログラムや情報って紙に書かれたり樹木や石に刻まれても
それ自体では何もできませんよね。
人がそれを読んで影響を受けることはあるでしょうが。
ハリー・ポッターの物語が実在する、というのと変りないです。
730神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 23:15:34 ID:R5JAWm27
非物質の魂は目に見えないもの。
非物質のプログラムや情報は目に見えるもの。
置き換えるには無理があると思います。
731前世は一在家:2010/05/03(月) 23:35:07 ID:JTlKimFb
>>728
>「物質に」書き込まれた命令を装置で読み取ることで、ではないんですか。
>で、装置を介して再入力されることで「物質に」更新される。

魂を仮定しない場合のお話をしましょう。

「脳神経」は処理装置に近く、記憶に向きませんので、命令を書き込みことは
困難です。
「遺伝子」は記憶媒体に近く、記憶に向きますが、0.1%の差異しか個人差が
なく肉体的特徴の記述だけでオーバーフローでしょう。

心をニューロン・ネットワークの一つの電子状態と定義しますと、
日頃「利他愛」を感じていた人でも、電子の状態が少し変わりますと
「愛」が「憎しみ」に変わります。

「物質に」書き込まれた命令をソフトウェアとしますと、そのソフトを創った
人が存在します。 
彼は目的を持って、強い意志でソフトを創ります。

プログラマーとソフトウェアとハードウェアの三位一体に神(霊)と心と肉体
の三位一体の似姿を私は感じております。
732神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 23:42:52 ID:QdBsGRWV
>>725
情報を物質のデバイス間で移す事に問題はありません。
物質間の相互作用を利用すればよいからです。
しかし、物質の上に乗った情報を非物質に移す方法も、
そのまた逆の方法も存在するとは思えません。
733神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 23:46:37 ID:QdBsGRWV
>「物質に」書き込まれた命令を装置で読み取ることで、ではないんですか。
>で、装置を介して再入力されることで「物質に」更新される。

装置も物質で出来ていないと、物質メディアからの読み取りも書き出しも出来ません。
734神も仏も名無しさん:2010/05/03(月) 23:58:46 ID:QdBsGRWV
>心をニューロン・ネットワークの一つの電子状態と定義

するには無理があります。1つの電子がかかわる程度の反応では、
到底ニューロンのパルス電位を変化させ、ネットワークの情報を
系統的に変化させる事は不可能でしょう。
735前世は一在家:2010/05/04(火) 00:19:02 ID:xXeMDFw4
>>732
>しかし、物質の上に乗った情報を非物質に移す方法も、
>そのまた逆の方法も存在するとは思えません。

折角の機会ですので、もう少し対話致しましょう。

物質は粒子で構成されますか。
波は非物質ですか。

近年の素粒子科学の世界では、粒子が波となり、波が粒子
となるそうです。

ロゴス(言葉)は波ですね。
光は波と粒子の両方の性質を持っております。

科学が進歩してだんだんと宗教に近づいているかと存じます。
736神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:19:02 ID:735kOBzn
>>731
>プログラマーとソフトウェアとハードウェアの三位一体に神(霊)と心と肉体
>の三位一体の似姿を私は感じております。

プログラマーが神(霊)
ソフトウェアが心
ハードウェアが肉体
そうだとすると、人間は神の操り人形で自由意志は
ないということになりますね。
2chに書き込むのも私ではなく神の意志ということですね。
737神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:19:15 ID:HP3y3Gx3
>>718

重度の精神病者には、「病識」がない。

精神病は伝染する(感応精神病、二人組精神病)。

よって、すべての創唱宗教の信者は、開祖の精神病の感染に過ぎない。
738前世は一在家:2010/05/04(火) 00:24:48 ID:xXeMDFw4
>>736
プログラマーが霊としますと、プログラマーを育成したのが神だという
モデルになります。
739神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:28:19 ID:dNTMU9ZH
>>735
>ロゴス(言葉)は波ですね。

立証して下さい。

物質は一般に量子によって構成され、量子はその性質として粒子性と波動性を
兼ね備えています。
光に限らず、電子や陽子、中性子、分子ですら両面性を持ちます。
これらは実験的に確かめられています。
740神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:29:47 ID:735kOBzn
>>738
そうすると神・霊・心・肉体で三位一体ではなく
四位一体ですね。
741神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:30:58 ID:dNTMU9ZH
>>738
その霊は恐ろしく愚鈍という事になりますね。
742神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:35:03 ID:cTxIuBcT
>>735
論点はそういう意味での「物質」かどうか、という意味では無いでしょう。
熱や電気その他エネルギー、物質ではないものに置き換えても例えとして不適格です。
徹頭徹尾この物質世界に在る媒体間で起こることを、そのまま流用する不毛さが指摘のキモだと思います。

>科学が進歩してだんだんと宗教に近づいているかと存じます。

科学で発見されたことを、自由な解釈で「神秘」「超自然」の宿る
新しい御神体にしているだけに見えます。
743神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 00:54:35 ID:WKhl9Q45
>>702
>宗教の目的は人々の幸せにある。

生命の至上性を説いた開祖は、唯の一人もいない。だから宗教は、常に殺し合い
と争いの原因となる。

イエスの殆どすべての「教え」は、「自分の気に入らない者に対するあくなき
憎悪・非難・排斥」とセットになっていることを、聖書から看破されたし。
たとえば、「善きサマリア人の話」におけるイエスの真意は、「自分の気に入らない
レビ人と祭司を非難すること」であった。さもなければ、わざわざ彼等二人を名指し
して、彼等を「悪者」にする必要はなく、単に「他の通行人たちは」とすればよか
ったはずだ。イエスは、彼等が「道の向こう側を急いで通り過ぎた」のは、何か事情
があったのではないかということくらいは、思いやるべきだった。現に事情があった。
また、イエスは、「サマリア人の女」の話にも見られるように、サマリア人に対して
は特別の好意を持っていた。イエスは、サマリア人の子であったという説もある。何
のことはない、イエスの自画自賛である。
イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えな
かった。イエスの唯一の関心は「他人が自分を(神として)信じてくれること」で
あり、信じてくれない人間は「裁かれるべき存在」「死すべき存在」であったからで
ある(例えば、「一粒の麦の話」)。イエスが、「自分(イエス)を信じるためには、
家族をも捨てよ」と言ったのは、その頂点である。「最も身近な隣人」である家族も
愛せないが、何が「人間愛」か。
イエスにとって、人に仕えることも、「自分が一番先になる」という「目的」のため
であった。
イエスを忠実に信じたクリスチャンたちが、史上そして現在も、「誰よりも多くの
人間を、誰よりも残虐な方法で殺してきた」のは、すべてイエスが原因である。
744神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 01:00:51 ID:Bh6WZ3uo
イエスの処刑の社会的意味は、吉田松陰の処刑に近い。
過激思想家の排除だ。
745神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 01:08:25 ID:Bh6WZ3uo
宗教さんは妄想逞しいが、辻褄の合った思考を深めるのは苦手のようだね。
746神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 01:18:39 ID:cTxIuBcT
>>743
>イエスは、彼等が「道の向こう側を急いで通り過ぎた」のは、何か事情
>があったのではないかということくらいは、思いやるべきだった。現に事情があった。

彼等の律法解釈に引っかかる。つまりタブーだったからですね。
イエスはそうとらないのです。サマリア人に手を差し延べない、冷たい命令を
神はしたのではない。律法の根本は「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」であり
本末転倒になってはならない。そこで手を差しのべることこそ神の考えだ、
という理屈なわけです。

>イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間』を愛せよ」とは、口が裂けても言えな
>かった。

隣人+敵なら全人類といって差し支えないですね。

>信じてくれない人間は「裁かれるべき存在」「死すべき存在」であったからで
>ある(例えば、「一粒の麦の話」)。

本人の意識としては、神と合一して、メッセージを授かってるわけですから、
彼の教えは彼の作り物ではない。神の真意を拒絶することになるというわけです。
747神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 01:33:16 ID:cTxIuBcT
>イエスが、「自分(イエス)を信じるためには、家族をも捨てよ」と言ったのは、その頂点である。

イスラム圏には、棄教者は殺れ、という考え方があります。例としてアフガン。
アブドルラフマンさんは今なにしてるんでしょう。どの宗教に属するか、入るか、ということが
感性の違い、考え方の違い、に留まらず、神の眼から見た罪、という枠組みでとらえられる文化もあるのです。
それが徹底された世界では「異端」「背教」をすればただちに家族との対立・決裂を意味する。
信じる本人にとっては真理であっても。

>イエスを忠実に信じたクリスチャンたちが、史上そして現在も、「誰よりも多くの
>人間を、誰よりも残虐な方法で殺してきた」のは、すべてイエスが原因である。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1250802938/139-141
もちろん無罪放免というわけでは断じて無いですが、歴史の複雑さは知りましょう。

>>709で紹介した本もおすすめです。
748神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 01:42:05 ID:6kLpJfXS
>>743
確かに、キリストは、悪人というか偽善者や資本家、資本主義者は救われないと言ってるように見えるな。
仏教ではどんな闡提でも救われるからね。安心していい。
まあ仏教もいろいろあるから、全部が全部じゃないかも。
でも共産しか救わないキリスト教って、まずいと思う。
資本主義のキリスト教って、もはや意味がない戦争用の戦争宗教に等しいから、むしろやらないほうがよかったり。
無理があるんだよなぁ。
749神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 02:11:41 ID:GxscSVrF
>>746
>彼等の律法解釈に引っかかる。
宗教者特有の「開祖のあくなき正当化」の典型ですな。
まず、イエスは、その統合失調症の症状としての「誇大妄想(自分が神になりたい、
なったつもり)」と 「疎通性の欠如(他者の感情に対する生き生きとした反応の
欠如、即ち、あるがままの人間に対する『愛』の欠如」があったことを前提としな
ければならない。その誇大妄想から、創造、すなわち、あるがままの人間と自然に
対する畏敬の欠如が生じた。レビ人と祭司に対する「宗教的反感」なら、それは、
「人間に対する愛」ではない。お決まりの宗派間紛争。ちなみに、パウロは勿論の
こと、イエスも、パリサイ派神学です。いずれにせよ、「人間そのもの」に対する
愛があるのなら、レビ人と祭司を名指ししたのは「隣人愛」の対極にあるもの。
なお「サマリア人」ではなく、「強盗の被害者」です。

>隣人+敵なら全人類といって差し支えないですね。
「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。同じ
人間だから、本当の敵などいない、と説くべきであった。敵意を生じさせておいて、
「愛せよ」などと言われたら、人間は「愛さなければならない」という葛藤感から、
更なる敵意と殺意さえも生じるものです。

>本人の意識としては、神と合一して、メッセージを授かってるわけですから、
>彼の教えは彼の作り物ではない。神の真意を拒絶することになるというわけです。
そもそもイエスは、その誇大妄想から、「自分が神になりたかった」のだから、創造
(あるがままの人間と自然)に対する畏敬は皆無です。創造主(神)は、彼のライバル
に過ぎなかった。だから「律法を完成するために来た」などと大言を吐いた。律法とは
「創造主」が定めた法のはず。これでは「創造(主)は不完全だった」と言っているに
等しい。イエスは、旧約の言葉に対し、しばしば口を差し挟んでいるが、いずれもピント
外れ。旧約の「骨太の真理」には及びもつかない。
750神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 09:18:21 ID:drPP5ixH
>>749
>宗教者特有の「開祖のあくなき正当化」の典型ですな。

どこが?こういう思想ですよ、と説明してるだけです。
「特有」じゃなくて異文化をそれなりに理解しようとする人なら
誰でもこの立場をとると思いますが。宗教学者、文化人類学者は
こいつらはキ●ガイとしてしか捉えずにシャーマニズムを研究するんでしょうか?

>欠如、即ち、あるがままの人間に対する『愛』の欠如」があったことを前提としな ければならない。

統合失調症の症状の表れ方は多様なようですが、「疎通性の障害」が出ていたとすると
教団増やすのは困難ですね。魔法の感染力で全部どうにかする、ってのもね。

>レビ人と祭司に対する「宗教的反感」なら、それは、
>「人間に対する愛」ではない。お決まりの宗派間紛争。

宗教解釈の違いだと言うことは既に書きましたが。

>イエスも、パリサイ派神学です。

ええ、律法を守らねばならないという立場は同じです。
適用の仕方を誤っている、という主張です。

>なお「サマリア人」ではなく、「強盗の被害者」です。

なおさら手を差し延べないとダメじゃないですか。
つか、この例えのレビ人とイエスが逆だったらあなたレビ人褒めてたでしょ?
この柔軟な態度は特筆に値する、必要なら強くいう必要がある、とか言って。
751神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 09:27:27 ID:drPP5ixH
>「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。

「敵などいない」と言ったところで、社会で生きる以上「敵」としか言えない相手は存在します。
仮に「敵などいない」とイエスが発言していても、あなたは本能破壊の理想主義と言ってただけでしょう。

>そもそもイエスは、その誇大妄想から、「自分が神になりたかった」のだから、創造
>(あるがままの人間と自然)に対する畏敬は皆無です。

動機はあくまでそうした欲望だけだった、という根拠は、あなたのイエスに対する執着だけですね。
誇大妄想の内容は「俺は既に神と合一した」なのですから、後付けで「実際に」そうなろうとはしないでしょう。
もしそうだとすると、自分自身じゃそれ(誇大妄想)を信じていないことになるわけですから。

>イエスは、旧約の言葉に対し、しばしば口を差し挟んでいるが、いずれもピント
>外れ。旧約の「骨太の真理」には及びもつかない。

旧約もイエスのような人々の電波発言を集めたものです。それをあなたが区別する基準は
イエスに対する執着以外に無い。仮にイエスが書いたものだとしたら、
律法も不合理で残忍な原始人の因習の塊、と書いていたことでしょう。
それとも古代人はたぶん割り切ってた、という無根拠な前提を押し込めて解決ですか?
同じ社会にも職業では農民や祭司、個人としてもいろんな人がいることも忘れ、
一括してこいつらはそんなややこしいこと考えないだろ、とまとめてしまうんですかね。
752神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 10:16:10 ID:ifnm0VYg
非物質の魂が、どうやって物質である脳と情報をやり取り出来るのか、
誰もまともな説明ができませんね。
753神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 12:24:55 ID:kiyGSh0Z
>>750
>>751

聖書に表れたイエスの思考・感情・行動の異常性をまとめれば、次のようになる。

(1)我のみ良しの、思い上がった独善性(常に、俺が、俺がで、「謙遜」と
いう言葉を知らない。クリスチャンの。並外れた「選民意識」も、その影響。)
(2)人間そのものに対する思いやり(愛)欠如(愛とは、相手の窮状を目の当
たりにして初めて生じる、助けるための具体的行動の原動力となる自然の感情。
程度の差はあれ、すべての人間に生来的に備わる肉体的本能。他人から、ましてや
イエス如きから教えられる謂れのないもの。その言葉を「口にすれば」、その
肉体的本能が観念化、抽象化、精神化されて破壊され、偽善となる。)
(3)論理矛盾(イエスを批判した律法学者や悪魔のほうが、現代人にもそのまま
通用する、骨太の論理である。統合失調症に起因する知能低下が原因。)
(4)人間差別(貧しい者が幸いなら、豊かな者は幸いではないのか。)
(5)創造(あるがままの人間と自然、即ち全実在)に対する畏敬の欠如。)
(6)生命の軽視と否定(生命の至高性を説いたことはない。「一粒の麦」
は、「生きている」からこそ実を結ぶのである。死ねば、土中で腐るだけ。)

すべて「病的」である。キリスト教が拡大したのは、イエスの狂気に感染した、
パウロを初めとする弟子たちの「狂気の伝道」である。特に、パウロによる
「罪と贖罪」という「脅迫と甘言」を手段とした悪質な伝道の結果である。

イエスが基地外であったことは、彼を身近に最もよく知る家族、郷里の人々、
ユダヤ教徒たちが証言している。イエスの外見に関する唯一の第三者証言は、
「大酒飲みの大食漢」である。アルコール依存や躁症状も明らかである。

20億人もの人間が「1個人の思想」に呪縛されこと自体が、異常な事態では
ないか。ムハンマドもキリスト教の影響を強く受け、いわばその焼き直しで
ある。イエスの思想は、人類に最大の害悪を流した。イエスゆえに失われた
自他の人命は、数億、数十億にも昇る。マルクスの富に対する憎悪(実は、羨望
と嫉妬)と人命軽視も、イエスの思想そのままである。
754神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 13:41:20 ID:8HVm/zBu
>>753
>程度の差はあれ、すべての人間に生来的に備わる肉体的本能。他人から、ましてや
>イエス如きから教えられる謂れのないもの。

ですから、その実践を邪魔するようなことは神の真意ではない、という理屈なんですよ。
相手にとってそれが当たり前(その律法解釈によって)になってたので批判してたわけです。

>(3)論理矛盾(イエスを批判した律法学者や悪魔のほうが、現代人にもそのまま

具体例をあげてみてください。ちなみにひとはパンのみで生きるのではない、というアレは
出エジプトで神がマナふらした事例を引用したものであり、魂がどうのという話ではないそうです。
岩波文庫の福音書の訳者あとがきの最後に書いてありました。佐藤優の最近出た新書でも
そうありましたね。聖書は古代の本だから注釈書参照しないと読み解けないよと。
755神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 13:56:27 ID:8HVm/zBu
>(4)人間差別(貧しい者が幸いなら、豊かな者は幸いではないのか。)

ttp://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/042.htm
続く文章を見るに、神がそれを癒してくれるから、報いてくれるから
その恵みを味わうことができるから、というノリと読み取れます。
貧しいやもめがレプタ銅貨を神にささげるシーンともリンクしてるかもしれませんね。
けっきょく神中心、神第一の発想です。セム系一神教まっしぐらです。

>(5)創造(あるがままの人間と自然、即ち全実在)に対する畏敬の欠如。)

畏敬を向ける相手はあくまで創造主、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。

>(6)生命の軽視と否定(生命の至高性を説いたことはない。

至高なのは、生命についてこういうお計らいをしてくださる神、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。

>イエスが基地外であったことは、彼を身近に最もよく知る家族、郷里の人々、
>ユダヤ教徒たちが証言している。

後で和解してますね。

>イエスの外見に関する唯一の第三者証言は、
>「大酒飲みの大食漢」である。アルコール依存や躁症状も明らかである。

官憲が捕らえに来た際に、刃を抜こうとするペテロに止めろ、と言ってますね。
彼にも自制心はあるわけです。続く「〜徴税人や罪人の仲間だ」も重要です。
徴税人もコケにされてましたが、彼(イエス)は別け隔てなく受け入れたわけです。
756神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 16:42:34 ID:hY9qB1tR
実際には無理な事を基にして妄想された体系が持つ意味とは何だろう?
757神も仏も名無しさん:2010/05/04(火) 23:08:55 ID:AR0GZ4N6
>>755
>至高なのは、生命についてこういうお計らいをしてくださる神、というのがアブラハムの>宗教の発想ですから。

そこに「神概念」という至高性を持ち出せば、生命そのものの至高性は失われてしまう。

旧約は、民族の厳しい生存の「目的」のための「行為規範」であり、その権威付けの
ために、神概念を「利用した」のではないか。新約のような、「現実の生存から遊離
した」甘ったれた「精神規範」ではない。

ユダヤ人たちは、「乳と蜜の流れる国」を目指して長旅を続けたのである。長旅に
疲れた人々の間に出てくるのは、食べ物の話ばかりである。

十戒には、人間の共生に不可欠な事項が殆ど尽くされている。これに反し、イエスの
山上の説教は、浅薄極まりない自己陶酔に過ぎない。これでは、人間は、現実生活
においては少しも救われない。
758神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 00:00:53 ID:WOntHJnw
>そこに「神概念」という至高性を持ち出せば、生命そのものの至高性は失われてしまう。

最初からそんなもんは無い、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。
価値はあくまで神由来ということになります。

>旧約は、民族の厳しい生存の「目的」のための「行為規範」であり、その権威付けの
>ために、神概念を「利用した」のではないか。

「利用した」という発想を当人たちがしていたという根拠は皆無です。
もしそうなら、例えば古代ユダヤ教の拝一教モードからよくある多神教になっていたでしょう。

>新約のような、「現実の生存から遊離した」甘ったれた「精神規範」ではない。

どのあたりが甘ったれてますか?ちょっと例をあげてみてください。

>十戒には、人間の共生に不可欠な事項が殆ど尽くされている。これに反し、イエスの
>山上の説教は、浅薄極まりない自己陶酔に過ぎない。これでは、人間は、現実生活
>においては少しも救われない。

「苦難を前向きにとらえなさい。(ここで神の救いを強調)そして、世の中を良くしなさい。
神の教え(律法)に込められた神の真意(「神を愛すること」「隣人を自分のように愛すること」の
二つの掟を根底におく)を実行しなさい。神は報いてくださる」という内容ですね。
神を信ずる者として真っ当に暮らせ、と言ってるわけです。
要は旧約の信仰の語り直しなんですけど、淺薄ですか?当時のユダヤ人にとって救いになりませんか?
律法を使うことで他人をコケにしないで済むことだけでも心休まる人もいると思いますがね。
759神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 01:39:01 ID:YaV6xeaO
>>758
>最初からそんなもんは無い、というのがアブラハムの宗教の発想ですから。
だから、「神のため」には、嬉々として多数の人々を殺せたのだよ。

>「利用した」という発想を当人たちがしていたという根拠は皆無です。
相手に「利用した」と思わせないのが、「利用する」こと。

>どのあたりが甘ったれてますか?ちょっと例をあげてみてください。
すべてがそうである。例えば、明日の糧を買う金がなくて苦しんでいる人に対して、
「貧しい人は幸いである。天国に入れる」などと言われて、苦しみがなくなるか。
イエスは、全財産を神殿に捧げた貧しいやもめを賞賛しているが、やもめの明日の
生活のことは、考えなかったのか。
明日のことを思い悩むな、などと言うが、人類は、明日のことを思い悩んだからこそ、
現在まで生存を続けているのである。
「心が清い」ことを、一体誰が、どのような基準で判断するのか。「善・悪」「清・濁」
「正・邪」を併せ持つのが、神が作った人間ではないか。両者は、相互補完的であることに、思い至っていない。
空の鳥も、野の花も、一瞬の休みもなく、生存の努力を続けていることにも、気付いて
いない。野の花は、装わないからこそ美しいのである。

>律法を使うことで他人をコケにしないで済むことだけでも心休まる人もいると思いますが>ね
他人を最もコケにしているのがイエスであることは、「善きサマリア人の話」に関連して
既に述べたとおり。
760神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 01:40:55 ID:YaV6xeaO
>>759の続き

「人を裁くな。裁けば自分も裁かれる」などと言いながら、最も人を裁いているのがイエスである。「自分だけが、裁く権限を神から与えられた」などと言っている。
「(自分が)人にして欲しいことを、人にもしなさい」などと言うが、自分がして欲しい
ことを、他人もして欲しいという保証が、どこにあるか。「相手が本当にして欲しいことを、相手にしなさい」というべきであった。東洋では、「己の欲せざるところを、人に施す
ことなかれ」と否定形である。ユダヤ教も同様に否定形。キリスト教徒は、自分がして欲しいこと(イエス信仰)を人にするため、異教国を侵略し、原住民に強制改宗を迫り、応じない者は皆殺しにしたのである。
「神の言葉」は、誰でも、何とでも作れる。神概念は、一部の特定の人間が、他の人間を
支配するための「凶器」に等しい。
761神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 09:27:53 ID:Yr1FgqIj
>>759
>だから、「神のため」には、嬉々として多数の人々を殺せたのだよ。

それは否定しません。解釈が違えば、神の教えを濫用するという拒否感が生まれ
魔女狩り初期の教会のような自制心につながります。解釈が違わなければそのまま殺ります。
人類という共同体のため、これからの歴史のために成るわけですから。

>すべてがそうである。例えば、明日の糧を買う金がなくて苦しんでいる人に対して、
>「貧しい人は幸いである。天国に入れる」などと言われて、苦しみがなくなるか。

減じます。残った苦しみも神の義がふりかかると前向きにとらえます。
ヨブ記成分の入った発想の転換とも言えましょう。

>明日のことを思い悩むな、などと言うが、人類は、明日のことを思い悩んだからこそ、
>現在まで生存を続けているのである。

思い悩まないでいい理由は、神の義、神の国が与えられる(という信仰)だからです。
「明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
ここを削るのはフェアじゃないですね。一日一日を着実に生きていけ、というメッセージです。
将来のことに備えない、という意味なら「天に富を積む」という発想もありません。

>「心が清い」ことを、一体誰が、どのような基準で判断するのか。

「神が公正に判断してくれる」ことを期待します。基準はイスラエルの伝統上で
伝えられた徳目(実践の際に根本を二つの掟に置くのはいうまでもない)ですね。

>他人を最もコケにしているのがイエスであることは、「善きサマリア人の話」に関連して既に述べたとおり。

その理由は既に書きました。サマリア人もほっときゃよかったんですかね。
「いやぁ〜、律法破ることになるし、仕方ないっすよね〜」とレビ人どだべればよかったんでしょうか。
762神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 09:52:42 ID:Yr1FgqIj
>相手に「利用した」と思わせないのが、「利用する」こと。

つまり、そう思わせる部分はどこにも見当たらない。
そのため「そう思わせない」イスラエル人の行動をそうした策ということにして処理してるわけですね。
ではその根拠は?と聞かれたら貴方はこう答えるでしょう。
「わからんことそれ自体が証拠だ。策を使っている証拠も無いのはそれも策で隠しているからだ」
循環論法でしか返せないわけです。

>。両者は、相互補完的であることに、思い至っていない。

並存ではあっても補完じゃないでしょう。
↑は人間誰しも善の部分、悪の部分を持つとかいう単なるパーツ的な意味で書いてるわけじゃないですよ。
正直「濁」「邪」「悪」の恐ろしさ、おぞましさを体験したことがなく、
また他者がかぶったその実例を知り、想像すらしようとしない人の発想に思えます。
>>761
>「相手が本当にして欲しいことを、相手にしなさい」というべきであった。

仮にそう書いてあったところで「相手が本当にして欲しいという保証がどこにあるか?」と言ってただけでしょう。

>キリスト教徒は、自分がして欲しいこと(イエス信仰)を人にするため、異教国を侵略し、原住民に強制改宗を迫り、応じない者は皆殺しにしたのである。

イスラム圏でムスリム・ユダヤ人と共存し、
イスラム科学の発展に寄与したクリスチャンの存在も念頭から外すべきではありません。
侵略から後の部分をしてほしい、と思うキリスト教徒はいないでしょう。
貴方の理論だと少なくとも改宗後は同等に扱われるはずなのですが、そういうことはありません。
キリスト教化した黒人も差別されたことは知っている通り。
実践のレベルになっていないということです。
まあ、昔でもアメイジンググレイス創った人のような人物もいますがね。
763神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 15:47:23 ID:CXxd23Iv
>>761
宗教者が、いくら神、神と喚いてみても、それは人間の空想。外部にはどこにも
実在しない。いくら「神の言葉」と言ってみても、それは、人間が、人間の考え
で、人間の言葉で書いたものであることは明らか。

「人間にあらざる神」とは、「人間には計り知れない存在」のはずではないのか。
人間が理解できる、語れる神は、もはや神ではないのである。

従って、神や神の言葉は、人間がどのようにでもでっち上げることも可能。ゴマンと
ある宗教ごとに、神の姿や神の言葉が異なっていることが、それらが、人間に
よる百人百様の「創作」であるということを、如実に証明しているではないか。

神や神の言葉は、このように、「人間」が自由にでっち上げることが出来るもの
だから、一部の人間が他の人間を操作し、支配するための、最悪の「凶器」と
なり得る。現に、凶器となっている。
764神も仏も名無しさん:2010/05/05(水) 15:53:12 ID:Nra867rQ
あら こんなところにご隠居が
765神も仏も名無しさん:2010/05/06(木) 20:57:20 ID:PQMY7XeA
隠居は次元が低くすぎるから
この良スレには似つかわしくないな
766神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 15:55:24 ID:BObTKmMF
【キリスト教=イエス・キリストじゃない】
 http://www.committed.jp/christianity/main.html


この意見に対しての、みなさんのお考えを教えてください。
ちなみに私はこんな風に思っています。
 ↓
キリスト教@質問箱219
680 :神も仏も名無しさん:2010/05/07(金)
>>673
 >キリスト教=イエス・キリストじゃない

これは朧気に私も感じていたことです。勿論多くの部分が〔キリスト教=イエス・キリスト〕である事も、当然のことです。
ただ完全にイコールかというと、これには疑問がある。仏教でも釈尊が直接に説かれたいわゆる原始仏教と、その後各地に伝来した
仏教とでは相当に異なっている。ただ、エッセンスの部分が釈尊の説かれたものである、という点は共通しているということです。

ところで、リンク先のエッセイも読ませて頂きました。この中には暴力否定の主張がありますが、これは
我が身が危ない時ですら実力をもって自分自身を守る事まで否定するという意味まで含んでいるのでしょうか?

あの戒律の厳しいイスラム教ですら緊急の時には一時的に戒律を停止させて命を守り、災難が去った後、改めて
戒律に服すると聞いたことがあります。つまり、死んでしまっては教えを守ることすらできなくなってしまうという
教えだそうです。
キリスト教からは、どのようなご見解なのでしょうか?
767神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 15:59:19 ID:k81qE7p1
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272283144/680

キリスト教=イエス・キリストじゃない
ttp://www.committed.jp/christianity/main.html
>初代教会の記録を見ると、彼らはまさに忍耐をもって、イエスが教えたことをそのまま実践したことが分かります。
>聖書にも歴史的文献の中にも、初代の弟子たちが暴力に暴力で立ち向かったという事実は一つも記録されていません。

クリスチャンに強力な政治権力に対して暴力的抵抗を行う力が無かった、というのも理由としてあったのでは?
イスラムの場合だと、強烈な信仰で束ねられた集団が、部族主義に凝り固まりバラバラな
既存勢力を各個撃破していく様が見られます。

カリフが暗殺で代替わりするという事態も起こってますが。
暗殺で亡くなったローマ教皇っているんでしょうか?
768神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 16:10:03 ID:k81qE7p1
>>766
イエスは律法(モーセ五書)を完全とする。→モーセを否定しない。
つまり聖絶も認めている、ともとれる。聖絶は神の命令、かつ、当時では
捕虜を養えないため、殺し尽くすしか無い。当時としての合理性はある。
「神からみた正義」と「合理性」が兼ね備わっていれば、戦いも許される?

>「悪いものに手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つものには、左の頬も向けなさい」

右の頬を打った手で、左の頬を打つ場合、手の甲ではたくことになる。
このことから別の意味合いが読み取れる、という意見を前に見た記憶があります。

>「自分の敵を愛しなさい。迫害するもののために祈りさない!」 

エゼキエル書での「神は悪人が悔い改めるのを望む」記述や、福音書の悪人にも自然の恵みを
くださっている、という発言に対応?悪人も神に委ねられる人々であり、なおかつ
自分の義をふりかざして断罪するのは、当時の律法学者と紙一重ということなのか。
769神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 16:43:09 ID:BObTKmMF
>自分の義をふりかざして断罪するのは、当時の律法学者と紙一重ということなのか。

自分の義と神の意志とが同じであればこんな楽なことはないのでしょうが、
おおよそそんなことは有り得ない(反省)。だから啓典からその言葉を
探してみたいと思ったのです。

とりあえずの疑問としては、かなり世俗的な論点ですが、暴力絶対否定論の可否。
あるいはこれに関連する意味で、政治の世界にある非武装中立論なるものが宗教的には
どのように判断されているのか、という点でした。
私の個人的な思いでは、おおよそこのような現実から乖離した荒唐無稽な議論などは、とても有り得ない。
なぜならば、人類史上そのような主張をした者は、本当に極一部の教派を除いては、無いと思うからです。

ところが日本のキリスト教は「右の頬を打たれたら左の頬を云々」と強く言っておられる。
だから、これはもしかしたら、失礼ながら、イザヤペンダサン/故山本七平氏が著述した
日本にはキリスト教ではなくて日本教キリスト派がある、ということと通じるものが有るのではないか
と思って、聞いてみたのです。
770神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 17:19:35 ID:BObTKmMF
キリスト教の教義にある『原罪』とは、ローマカトリックが後付けした人間の産物だと聞きました。

そうであるならば、原罪思想が導入される前の初期のキリスト教とは、むしろ罪の意識の束縛から
離れた自由な思想であったという風に捉えても良いものなでしょうか?
例えば仏教では、その大本はお釈迦様で同じであっても、それが各地に伝来して多様に
変化していますし、また、なんと肝腎のインドではヒンドゥーの神のひとつとしてしか
扱われていないのが現実です(良い悪いは別として)。
創始者の考えと現在の教えのありようには大きな乖離がある場合が多いようにも見受けるのですが、
それならば同様にキリスト教でも、初期のキリスト教こそが本来のものであるという風な受け止め方を
してしまうことは、やはり誤りなのでしょうか?
771神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 17:45:47 ID:I2GTLzPw
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/原罪#.新約聖書の原罪観
「原罪」そのものはパウロが記していますね。

罪の意識というのは、神の前で善に徹することが出来ず
誤りもおかしてしまう自分への反省・洞察から来るものと考えられます。

イエスが否定したのも、律法を誤って解釈する(「神を愛する」「隣人を愛する」を根底におかず
それを傘に来て他人を裁く)という「罪」であるとも言える。これもまた「神に対して善でいられない」
という意味では、同じように捉えることができる。
772神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 18:49:06 ID:fRxARRcF
良心的兵役拒否
ttp://blog.livedoor.jp/lighthouse_peace/archives/cat_10038871.html

木寺廉太 『古代キリスト教と平和主義 教父たちの戦争・軍隊・平和観』

読んでみたい。
773神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 00:40:15 ID:h26bQ7IL
>>765
事実の理解も論理的思考もできない池沼が、都合のいい妄想に走る。
それでもオツムが弱いのはバレバレなので、脳内の妄想大全の方が
次元が高いのだと必死で言い張る訳です。
もちろん、次元の意味なんて知るよしもないので、語呂がいいから
有り難く使っているだけで、数が多くなれば単純に複雑で偉くなる
と信じている訳です。
774神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 01:15:31 ID:KXNKH5Jw
>>772
最大限に譲歩して、個人が内心の自由の範囲で良心的兵役拒否を主張する権利を有する事までは
認めたとしましょう。
しかし、たとえそうであったとしても、例えば自分が地域の長などの責任ある立場であったとすると、
地域住民の生命と財産を守る義務が発生するわけですから、やはり地域住民の為に出来うる全ての
事を行います。これは当然の事であり、また世界の常識です。

問題点は、上記の場合に、当該地域の長に対して良心的兵役拒否者が絶対戦争反対論までを
主張することが宗教的見地(あるいはキリスト教の立場)から許されるのかという疑問です。
そして、更に掘り下げてみると、仮にこの長がクリスチャンであった場合には、
この長の考え方はキリスト教の教えに照らして、どの様な評価を受けるのか、という事でもありますね。

おそらく世界中の全ての人は、上記は当然の事であるとして、全ての方が賛同されることでしょう。
しかしどうも日本のキリスト教だけには、異なる意見(反対意見)が多数であるかのような
イメージが有るのです。ですから、この点について、ご見解をお聞かせ頂きたいと思っているのです。
775神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 01:53:41 ID:KXNKH5Jw
上記を要約すると
 良心的兵役拒否は、個人が個人の範囲内で個人的に思索しているに留まるのであれば構わないが、
 行政に対して過度に主張することまでは、宗教的見地からしても許されてはいないのではないか?
ということですね。

その理由は
 平和主義の美名を隠れ蓑にした過度の無抵抗主義は、かえって他者からの攻撃を誘発することとなり、
 結果において人々の生命財産を脅かすこととなるため、結論としては神の御意志にすら
 反することになるのではないか?
という問題意識から発生する、良心的兵役拒否反対論です。
776神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 02:38:31 ID:N1sZxsMs
個人の信念、良心に基づく徴兵拒否を認める制度が、主な先進国ではたいていあります。
フランス、イタリア、イギリス、アメリカ、ドイツに、今もあるんです。
ほとんどキリスト教国です。
しかし、日本には合法的な良心的徴兵拒否というのは今までに一回もなかった。
徴兵拒否というと非国民ということになってしまう。
良心的な絶対平和主義者を犯罪人としか認めないんです。
彼らは少数です。
だから兵力には影響ないけれど、その良心的徴兵拒否を制度的に認めるかどうかというのが、
人権の問題ー信教の自由ですねーと非常に深く関連しています。
徴兵ということを考えるとき、良心的徴兵拒否が認められているか、いないかということは、
原理的な問題として大きな問題です。
現在のドイツでは良心的兵役拒否者の数は非常に多い。何万人といる。
もちろん良心的徴兵拒否を認められたら、家で寝てればいいというわけではない。
福祉活動をしなきゃいけないんです。
軍隊とは違う方法で、同じ期間、徴兵二年間だったら二年間、福祉のために働かなければいけない。
しかもそれはかなり激しい運動になっています。
今のドイツの福祉活動、たとえば老人介助とか、あるいは身体障害者のための仕事とか、
そういう分野を担うかなりの労働力は、良心的徴兵拒否者から成り立っています。
777神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 02:41:46 ID:A33HDPKj
兵役の倍はやるべきだ。
778神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 03:48:09 ID:KXNKH5Jw
>>776
 >良心的徴兵拒否を制度的に認めるかどうかというのが、
  人権の問題ー信教の自由ですねー
これでは質問に対する答えにはなっていませんので、ちょっと困っています。

質問は、
 >平和主義の美名を隠れ蓑にした過度の無抵抗主義は、かえって他者からの攻撃を誘発することとなり、
  結果において人々の生命財産を脅かすこととなるため、結論としては神の御意志にすら
  反することになるのではないか?
 >行政府の首長に対して良心的兵役拒否者が絶対戦争反対論までもを強硬に主張することは
  宗教的見地(あるいはキリスト教の立場)から許されるのか?
 >たとえば仮に、事やむなきに至り、行政府の長が国民の生命を守るために戦争を決意せざるを得ない
  状況に立たされて、そのように決断したケースを想定すると、
  当該首長の判断はキリスト教の教義に照らしてどのように評価されるのか?

という内容だったのです。


兵役拒否に賛成する立場からは、一番答えにくい質問かもしれませんね。
779神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 04:45:17 ID:KXNKH5Jw
>>776
Q1
良心的兵役拒否に賛成する776さんの眼には、
志願して兵役に就いておられる方はどのように映っていますか?

Q2
志願して兵役に就くことは、キリスト教の中でも特に良心的兵役拒否を賛成する立場の方からすると、
どのように評価されるものなのですか?

Q3
そもそも良心的兵役拒否とは、いわゆる主流派キリスト教からは異端視されてきた考え方のように
感じられてならないのですが、この点はどうなんでしょうか?
また、なぜキリスト教の大多数は良心的兵役拒否に積極的に賛成しないのでしょうか?
780神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 08:18:25 ID:0Ed8bMzd
原罪がアダムから生まれたという原罪思想は
旧約を読むユダヤ教、イスラム教は支持していない。キリスト教の作り事。
781前世は一在家:2010/05/08(土) 09:59:29 ID:Vg7lnHJU
>>780
>原罪がアダムから生まれたという原罪思想は
>旧約を読むユダヤ教、イスラム教は支持していない。キリスト教の作り事。

マリアの福音書ではイエス様は「罪は存在しない」と説かれております。

(・世の罪についてのペトロの問いと答え)
ペトロが救い主に言った、「あなたは全てのことを私達に告げて下さいました。
もう一つのことを私達に言って下さい。世の罪とは何ですか。」と。
救い主が言った、「罪というものは存在しない。本性を真似たこと、(例えば)
姦淫をあなた方が行うと、これが罪と呼ばれるが、(存在するのは)その罪を
犯す人、(つまり)あなた方なのである。この故にこそ、その本性の根のところ
へと本性を立て直そうとして、あなた方の領域にいかなる本性のもののところへも
善い方が来たのである。」と。

※後半の訳が分かりにくいので、ベルリン写本の第一文書の底本を確認する
 ことが必要ですね。
 R.MeL.Wilson/G.W.MacRae,"The Gospel of Mary(BG 1)"


782前世は一在家:2010/05/08(土) 10:17:47 ID:Vg7lnHJU
>>781
「罪」を行う真因は「欲心」であり、エッセネ派のクムラン宗規要覧に記載の
人類創造時に「光の箇所」と同時に受肉しました「闇の箇所」に起因しており
ますでしょうか。

(・心魂の上昇の叙述) ※マリア伝より引用
欲望が言った、「私はお前が降るところを見たことがないのに、今お前が昇る
ところを見ている。お前は私に属しているのに、どうして私を騙すのか。」と。
心魂が答えて言った、「私はあなたを見た。あなたは私を見たこともないし、
私を知覚したこともない。私はあなたにとって着物のようであったのだが、
あなたは私を知らなかった。」と。心魂は大いに喜びつつ、去って行った。
783前世は一在家:2010/05/08(土) 10:41:41 ID:Vg7lnHJU
>>763 他称「隠居」氏
>従って、神や神の言葉は、人間がどのようにでもでっち上げることも可能。
>ゴマンとある宗教ごとに、神の姿や神の言葉が異なっていることが、それらが、
>人間による百人百様の「創作」であるということを、如実に証明しているでは
>ないか。

貴兄の指摘する通り神仏の言葉だといって人間がでっち上げることも可能です。
また神仏でない存在(悪霊、低級霊、憑依霊)が騙る場合も多々あるでしょう。

日々の生活を送ることがやっとだった当時の人々がボロ着をまとった自称預言者
や修行僧の説法に耳を傾けて、更に信じるはずが無いでしょう。

では、なぜイエス様や釈尊の説法を当時の人々が信じたのでしょうか?

文献的に見ますと、彼らは癒しによる救いの奇跡や苦しみの解消を行いつつ
信を集めていっていることになります。
イエス様は聖霊による洗礼を多用され、釈尊は対機説法(しかも読心通活用)を
実践して歩かれました。

まず人々を救い、救った後に福音を述べた、と解釈する方が理にも適っております。
784神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 11:41:29 ID:1guMg+3b
> イエス様は「罪は存在しない」と説かれております。

イエスさま自ら原罪思想を否定しておられましたか。
妄説でイエスさまの教えを台無しにしてしまったのが教会という
不完全な人間の独り歩きなのでしょう。
785神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 12:56:48 ID:wkmgLgyL
大元がおかしいところに何を積もうが虚構
786神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:03:06 ID:KXNKH5Jw
キリスト教にとって聖書は絶対のものではないのですか?

全て聖書を基に判断されていると思っていたのですが、
どうして解釈に混乱が生じているのですか?
787神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:09:05 ID:wkmgLgyL
虚構だから仕方ない
788神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:12:59 ID:KXNKH5Jw
聖書は神からの啓示を受けて成立したものというお立場ではなかったのでしょうか?
789神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:14:24 ID:wkmgLgyL
嘘は嘘。真にはならない。
790神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:16:30 ID:KXNKH5Jw
それでは、神からの啓示という根本的な教義、そのものを批判されているのですか?
791神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:23:00 ID:wkmgLgyL
霊から物質に情報は移せない。
792神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:27:17 ID:KXNKH5Jw
神からの啓示を受けて成立した宗教という部分を否定するお立場である、と理解して良いですね。
793神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:31:33 ID:wkmgLgyL
立場なんてファンタジーの数だけある。
啓示の不可能は事実である。
794神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:37:12 ID:KXNKH5Jw
つまり、宗教とは道徳の中のひとつのジャンルにしか過ぎないという意味の事を
仰っているのでしょうか?

795神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:38:26 ID:yCgLkvIX
妄想の一種
796神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:40:46 ID:KXNKH5Jw
あなたは現存する宗教に、何らかの存在意義を認めますか?
797神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 13:53:11 ID:N1sZxsMs
>>779
Q1
立派なことだと思いますよ。
Q2
無宗教ですよ。
良心的兵役拒否に賛成ではありますけど。
Q3
>この点はどうなんでしょうか?
考えたことないですね。
>なぜキリスト教の大多数は良心的兵役拒否に積極的に賛成しないのでしょうか?
絶対平和主義者が少ないからではないですか。
798神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:02:02 ID:KXNKH5Jw
>>797
>>なぜキリスト教の大多数は良心的兵役拒否に積極的に賛成しないのでしょうか?
 絶対平和主義者が少ないからではないですか。

お答え、ありがとうございます。
もうひとつ質問させて下さい。
そもそも世の中の宗教は、797さんが願っている『絶対的平和主義』ではないと思います。
797さんは絶対的平和主義ではない宗教に絶対的平和主義(=無抵抗主義?)を
強要しているだけのように感じられますが、この点についてはどのようにお答えになりますか?
799神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:04:01 ID:yCgLkvIX
>>796
意義ではなく、脳が作り出してしまうものだから、まあ仕方ないのだろう。
そのようなシステムが生き残っているということは、今のところは結果的に
有利に働いて来た面がある事も否定は出来ない。
が、所詮は幻想、妄想の類いである事は弁えておくべきだろう。
800神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:05:40 ID:yCgLkvIX
話し合って理解し合えば争いはなくなるという幻想。
こいつは日本教と言ってもいいかも。
801神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:10:35 ID:KXNKH5Jw
>>800
コメの読み間違え。
その証拠に775で良心的兵役拒否に反対している。
802神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:30:09 ID:jze/+PEd
>>800は独り言だ
803神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:33:49 ID:N1sZxsMs
>>798
>世の中の宗教は、797さんが願っている『絶対的平和主義』ではないと思います。
私は絶対平和主義者ではないですよ。
「世の中の宗教が絶対平和主義でなければならない」とも思っていません。
良心的兵役拒否に賛成なのは、主として宗教的信念、あるいは個人的な特別な哲学的立場から、
絶対平和主義者で、軍隊に行かないという人はそれを認めてもいいと思っているからです。
少数意見と言うのは、社会に残しておく必要があるでしょう。
良心的兵役拒否に関しては、合法的に認めるというのは良い方法だと思います。

キリスト教徒の絶対平和主義者がキリスト者の使命とする主張は以下の箇所が参考になるかと。
イザ2:4、福音書マタ5:9、マタ26:52
ちなみに初代教会は信者が兵役に就くことを禁じるなど厳格な平和主義を標榜していました。
キリスト教がローマ帝国の国教とされてからは、一定の条件を満たす戦争を肯定する「正戦」論
が有力となりました。
804神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 14:40:06 ID:KXNKH5Jw
日本に流布されている‘良心的兵役拒否論’は
キリスト教などの宗教を土壌として出てきたものではなかったのですね。

そうであるから、
それならば聖書の言葉など引用したりしなければ良いのに、と傍目からは思ってしまいました。
805神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 15:31:27 ID:xgJn+RVN
>>808
イエスの「隣人を愛せよ」における隣人とは、あくまでイエスを信じる者の
こと。信じない者は「裁かれるべき存在」であった。

だからイエスは、「隣人を、そして『すべての人間を』愛せよ」とは、口が
裂けてもいえなかった。キリスト教は「世界の平和」とは対極にあるもの。
史上におけるキリスト教による無数の異教国の侵略とその原住民の強制改宗、
大虐殺の事実を見よ。

イエス以降のすべての戦争には、イエスのこの思想の影がある。
806神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 15:37:04 ID:xgJn+RVN
>>805は、>>803へのレスでした。
807神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 15:46:53 ID:KXNKH5Jw
記紀神話にある日本の神々は、我が国の国生みの神です。
その一方で、キリスト教には厳しい裁きのイメージを受けます。

原罪から発生するという罪の思想が人々の自由を制約している、という受け止め方は
一面的すぎるのでしょうか?
808神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 17:49:43 ID:V9U0CV4d
【>「敵」という言葉を使った時点で、すでにイエスの「敵意」が表れている。

「敵などいない」と言ったところで、社会で生きる以上「敵」としか言えない相手は存在します。
仮に「敵などいない」とイエスが発言していても、あなたは本能破壊の理想主義と言ってただけでしょう。】(>>751)
>>805
そのレスじたいはキリスト教初期の平和主義の事例(>>803)への反論にはなってないですね。

>イエスの「隣人を愛せよ」における隣人とは、あくまでイエスを信じる者の
>こと。信じない者は「裁かれるべき存在」であった。

「隣人を愛せよ」は旧約からの引用です(レビ記19章18節)。
旧約から紹介されてれば骨太骨太と褒めていたことでしょうね。
>>807
自由を制約する、とは具体的にどういう様子をさしているのでしょうか。
809神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 18:33:38 ID:KXNKH5Jw
>>808
表面的には、戒律のことです。
それから「○○するなかれ」という禁止型の話し方が多いというイメージも持っています。

ただし実質的には、罪という概念が全ての背景にあると感じているので、
「あなたたちはこのように悪い人なのだから、反省して△△しなさい」
と命令されているように感じるということが、自由を制約するという意味です。

おそらく上記に対しては、全てのことは神の許しがあったから生起している、というように
反論されるのではないかと思っています。しかしたとえそうであったとしても、
やはり出発点が処罰される感覚(罪)というものは、西洋の人とは違って、
日本人にとってはしんどいですね。
810神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 18:36:19 ID:EKAyzEor
神からの啓示を得る事は不可能。
一切が妄想の上に組立てられた宗教。
811神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 19:39:04 ID:KXNKH5Jw
そのことは証明できますか?
812前世は一在家:2010/05/08(土) 20:10:29 ID:Vg7lnHJU
>>811
>そのことは証明できますか?

神からの啓示を得たか否かの証明ですか?

神(仏)の啓示はその時代の人々に説いても殆ど理解されません。
そのことは神(仏)もよくご存じだったでしょう。

だから預言者(僧)には何らかの救いの力(神通力)を与えておられます。
モーゼ然り、イエス然り、釈尊然り、弘法大師然り。

「人々を救いて後に福音(真理、法)を述べる」ということでしょう。
813神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 21:27:17 ID:/AY3PbL3
神は霊か物質か?
814神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 22:01:50 ID:7r6s4jgc
三位一体のカテキズム
ttp://www.geocities.jp/jmc_megumi/faq/sanmi.htm#23
問23 神は霊ですが、神は体を持っておられますか。
答   持っておられません。神が霊であるとは、神は非物質的で、形がない実体であるということです。
神は人間が誰ひとり見たことのない、また見ることのできない方です。

(引用)Tテモテ6:15b, 16

問24 ものみの塔は、神は霊者で、霊の体をお持ちですと言っていますがどうですか。
答   聖書は、神のご性質は霊であると言っていますが、神は霊者であるとは述べていません。
またTコリント15:44「物質の体があるなら、霊的な体もあります。」を、ものみの塔は引用して、
ですから神は霊の体を持つとしていますが、この箇所は人間の復活の体について述べており、
神の体のことを述べてはいません。ものみの塔の描く神は、物質的な体の材質を、霊と置き換えただけの体を持つ、
霊者である神であり、空間に限定された、小さな絵に描ける神を作り出しています。(以下略)

・日本正教会ウェブサイト、信仰:神
ttp://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/shinkou02.html
(前略)よく「宇宙の霊的なエネルギイ」とか「科学では証明されない不思議なパワー」などと言って、
特別な儀式などをとおしてその力との一致を唱える人たちもいます。しかし、それは私たちの信じる唯一の愛の神ではありません。
(中略)神は全能の力で「天と地、見ゆると見えざる万物」を創造されました。
神が万物を創造されたと信じる時に注意しなければならないことは、
第一に造った者と造られたものとは明らかに本質的に違うということです。
神はこの世を造った以上、この世の中にはいません。この世を越えた存在です。(以下略)
・日本正教会ウェブサイト、世界観:天使と悪魔
ttp://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/sekaikan02.html
(前略)天使は、しばしば人間の目に見える形で現われたりしますが、属神の(スピリチャルな)世界の存在です。
この「見えざる」世界も、神様が創造されたものであり、神様ご自身の存在とは
本質的に異なる世界であることも注意しておかなくてはなりません。(以下略)
815神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 22:24:42 ID:KXNKH5Jw
日本人にとってはキリスト教の説く罪の概念は、やはり舶来のものであり、馴染みの薄いものだと思います。

古来から日本にはキリストの言う意味での罪の概念は無かった。
よって、日本では概念それ自体が無かったのであるから、キリスト教の説く意味での原罪も無い。

日本人は原罪なるものから全く無関係であったおかげで、おおらかな宗教風土を創ることができた。



罪というものを概念してしまったために、かえってこの概念それ自体が人々を拘束し続けているのではないか
という意味なんですけど、どうですか?
816神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 22:31:38 ID:7r6s4jgc
東方正教会は西方教会(カトリック、プロテスタント)とは異なる「罪」の捉え方をしてます。

教え、罪と救い
ttp://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/oshie03.html
817神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 23:00:46 ID:KXNKH5Jw
神からの啓示によって成立した宗教では、神から授かった啓典が全ての基準になると思います。

聖書それ自体には、罪と原罪ということについてはどのように記されているのでしょうか?

また、キリスト没後、教会が成立してから聖書が編纂されていますが、キリスト在世当時では
罪というものはどのように概念されていたのでしょうか?
818神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 23:10:55 ID:yCgLkvIX
霊から物質へも、物質から霊へも、情報を移す事は出来ない。
よって啓示は有り得ないし、祈りも通じない。
819神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 23:11:57 ID:yCgLkvIX
一切妄想。
820神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 23:18:37 ID:KXNKH5Jw
それではコーランや仏典などにも一切の敬意を払わないということ?
821神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 23:42:00 ID:tjZQQANx
>>818
霊がそういう性質をもつもの、という仮定はどこから来てますか?
822神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 01:02:10 ID:q1HDZsKY
>>821
物質と何らかの相互作用を持つなら、それは物質だから霊ではない。
823神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:29:21 ID:LP1J+wFr
キリスト教は自分達の教義に閉じこもるばかりで、現実の問題には答えようとしていない。
824神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:35:30 ID:ZBjNHerd
ファンタジー本と妄想だから、外に出ようがない。
825神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:40:17 ID:LP1J+wFr
よく聖書や法華経をファンタジーと揶揄する人をみかけるが、
この人から「聖書がファンタジー本である」との厳格な証明を受けたことも無い。
826神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:42:03 ID:ZBjNHerd
啓示が妄想なら、自動的にファンタジー本だけど何か?
827神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:42:49 ID:LP1J+wFr
妄想であることの証明も聞いたことが無い。
828神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:44:47 ID:xpfdL+e4
霊から物質への情報伝達は不可能だから、啓示は無論妄想。
829神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:48:52 ID:LP1J+wFr
それでは、霊というものの存在あるいは働きについては、あなたはどのようにしたから
知り得たの?
830神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:49:56 ID:xpfdL+e4
霊は物質じゃないんだよね?
831神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 09:57:02 ID:LP1J+wFr
「霊から物質への情報伝達は不可能」と言うならば、そう主張しているご本人にも
「霊から物質への情報伝達は不可能」ということが分かるはずが無い、ということね。

つまりトートロジー・無限ループに陥っている。
832神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:07:07 ID:xpfdL+e4
霊から物質への情報伝達が可能なら、物質の状態変化を惹き起すことになる。
エネルギーの収支が生じ、霊が観測された事になる。
霊は非物質なんだから、観測されちゃまずいだろ。
833神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:07:41 ID:LP1J+wFr
宗教的な表現をすれば、
「神は全てがお見通しだが、人から神はわからない」
というような、謙虚な態度があるだけではないの?
834神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:09:01 ID:xpfdL+e4
つまり、霊から物質への情報伝達は不可能。トートロジーでもなんでもない。
835神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:09:54 ID:xpfdL+e4
>>833
謙虚でも何でもなく、ファンタジーの為の決めごと。
836神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:11:58 ID:lISpaj4w
仲間内のお約束を決めて、集団妄想に浸ってる訳ね。
837神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:12:13 ID:LP1J+wFr
ファンタジーと断言できる根拠を教えて。
838神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:14:41 ID:lISpaj4w
啓示が妄想だから。
839神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:18:18 ID:LP1J+wFr
啓示が妄想だと断言できる根拠は?

ここを明確に言えなければ、あなたの考えそのものも妄想であったということになってしまうけど、
そうなると、この時点で831の無限ループが完成することになるよ。
そしてこのチャットも終了する。
840神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:22:07 ID:lISpaj4w
霊から物資への情報伝達があれば、エネルギーの収支が生じ、霊が観測されてしまう。
これは、霊が非物質であるという前提に矛盾する。
よって、霊から物質への情報伝達は不可能。
霊からの情報伝達が無いのに啓示とは、はい、妄想。
841神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:24:48 ID:6sA83tcc
>そしてこのチャットも終了する。

ヒキコさんさよなら。
842神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:24:56 ID:LP1J+wFr
情報それ自体にエネルギーが含まれているということの根拠は?
843神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:26:15 ID:joUMMMze
永遠の命→×
永遠の理論のすり替え→〇
844神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:28:22 ID:joUMMMze
>>839
チャット?
845神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:29:50 ID:6sA83tcc
物質に情報を載っけるということは、媒体となる物質の状態を変化させるってこと。
当然エネルギーの収支が生じますね。
846神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:33:55 ID:LP1J+wFr
ID:lISpaj4wさんは逃げちゃったけど、実はこの質問は私もキリスト教にはしてみたかったんだ。

私は反対者には厳格な証明が無いと反論したけど、キリスト教にはやはり証明なり説明をして欲しい。

それから、何故同じ聖典に依拠していながら、罪という概念ひとつにしても
教派によって捉え方が異なっているのかという点もね。

847神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:37:45 ID:6sA83tcc
妄想ファンタジーでもいいじゃないか。
長い進化過程を、ファンタジー機能を持った脳が生き残って来たという事は、
それなりの有利さがあったんだよ。
その意味で神や宗教がまったく無駄という訳でもない。
848神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:39:50 ID:6sA83tcc
>>846
逃げちゃいないよ。連投規制をかいくぐってるだけ。
849神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:42:36 ID:6sA83tcc
>何故同じ聖典に依拠していながら、罪という概念ひとつにしても
>教派によって捉え方が異なっているのか

妄想は少なくとも真実である必要は無いから、自由度は広いでしょ。
850神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:43:58 ID:LP1J+wFr
ID:lISpaj4w=ID:6sA83tccさんにとっては、宗教というものにはいかなる存在価値があるの?
それとも完全な無価値。あるいは存在悪なの?
851神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:46:49 ID:6sA83tcc
>>850
支配の方便、トランキライザー。
善悪じゃなく、要不要ね。
852神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 10:53:07 ID:LP1J+wFr
再質問
キリスト教の方は766の質問には、どのようなご意見なのでしょうか?

853神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 11:08:40 ID:wpQXTB0i
>>852
アンカーくらい付けようよ。
854前世は一在家:2010/05/09(日) 18:16:08 ID:ZeuRlHEl
>>783
>日々の生活を送ることがやっとだった当時の人々がボロ着をまとった自称預言者
>や修行僧の説法に耳を傾けて、更に信じるはずが無いでしょう。
>では、なぜイエス様や釈尊の説法を当時の人々が信じたのでしょうか?
>文献的に見ますと、彼らは癒しによる救いの奇跡や苦しみの解消を行いつつ
>信を集めていっていることになります。
>イエス様は聖霊による洗礼を多用され、釈尊は対機説法(しかも読心通活用)を
>実践して歩かれました。
>まず人々を救い、救った後に福音を述べた、と解釈する方が理にも適っております。

この板でイエス様や釈尊を精神病者やうつ病者だという人がおられますが、
救う力が精神病者やうつ病者にあるはずもないでしょう。
855前世は一在家:2010/05/09(日) 18:21:55 ID:ZeuRlHEl
>>854
聖書ではイエス様は人に憑依した悪霊と対話しており、その悪霊をとり
除いて救っておられます。
その様子は同行した弟子達や周りの人々が度々目撃しております。

悪霊に憑依された人を現代では精神病の患者と呼ぶでしょう。
その人を救うのが精神科医であり、そのカリスマ精神科医を患者扱い
することは、論理的にも無理があるかと存じます。
856神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 18:22:00 ID:wpQXTB0i
鬱病は知らんが、ある種の統合障害なら、同様の病質傾向のある者や
DQN脳を惹きつけるかも知れない。
857神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 18:23:23 ID:wpQXTB0i
霊は物質ではないから、物質に憑依したり、情報を受け渡したりは出来ない。
858前世は一在家:2010/05/09(日) 18:24:08 ID:ZeuRlHEl
>鬱病は知らんが、ある種の統合障害なら、同様の病質傾向のある者や
>DQN脳を惹きつけるかも知れない。

もし惹きつけたとして、どうやって癒すのですか? 何百人も?
859神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 18:25:47 ID:wpQXTB0i
みんなでおかしくなればいい。
860前世は一在家:2010/05/09(日) 18:32:14 ID:ZeuRlHEl
>霊は物質ではないから、物質に憑依したり、情報を受け渡したりは出来ない。

物質も素粒子の領域で見れば、粒子性と波動性を有しますでしょう。

肉を構成する細胞は粒子性と見なせるでしょうが、脳波はどうですか?
光や音波や電磁波は波動性でしょうか。

原初の言葉(ロゴス)や光は波動性であれば、物質的とは言えないかと
存じます。

相手の脳波を機械を使わずに感じ取る能力があれば、経典に記載の
読心通の可能性もございます。

神や霊は粒子性よりも波動性の存在かという仮説を立てております。
861神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 18:34:33 ID:JkJKJmSM
>>860
脳波を感じ取るってどういうこと?
862神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 18:36:08 ID:wpQXTB0i
>>860
粒子性も波動性も物質の性質ですよ。
863前世は一在家:2010/05/09(日) 19:09:49 ID:ZeuRlHEl
>>862
>粒子性も波動性も物質の性質ですよ。

モーゼ、釈尊、イエスの時代に波動性も物質でしたでしょうか?
864神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 19:40:51 ID:VLJSKXBz
哲学的には知りませんが、波動方程式が見出される前後で、
特に物質の振る舞いが変わったとは、物理学では考えていま
せんね。
865うさぎ888σ(・ω・*) ◆l8/Ncjcsrg :2010/05/09(日) 22:01:38 ID:GVovdefq
「人間の客観的な認識はいかにして可能なのか」
哲学者カントが追及し続けたテーマです。
人間の認識能力についてきちんと検討もせずに
神だとか霊魂だとかを論じようとしたところに躓きの原因が
あったということになります。
人間の認識はいかにして可能なのか、それが客観的であることは
どうして保証されるのかという問題をカントは考えました。
その落ち着きどころは
「すべての認識は経験とともに始まるが、だからといって、
すべての認識が経験によるのではない」
後のウィトゲンシュタインの至言です。
―語りえないものについては、沈黙しなければならない。
866神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 22:21:45 ID:dWTZGWQY
作用せぬものは変化させず、変化が無ければ如何なる情報も伝わらない。
作用すればそれは物質であり霊ではない。
語る以前に、それは存在すらしない。
867神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 23:24:56 ID:JkJKJmSM
現実世界に存在しないものは、まさにその事実のゆえに、完全ではない。

「きっと、ぼくは神さまがいることを証明できるよ」
「絶対、できないよ」
「だったら、できるかぎり、もっとも完全で、完全で、完全なものを想像してみてよ」
「オーケー、それからどうするの?」
「ところで、完全で、完全で、完全なものなんて実際にあるものなの?本当にあるの?」
「いいや、ぼくの頭にしかないさ」
「でも、もしそれが実際にあったとしたら、それはもっと完全なものということになるだろう。
だって、完全で、完全で、完全なものは、くだらないただの想像だけのものよりずっといいにきまってるじゃん。
これで、ぼくは神さまがいることを証明したよ。」
868神も仏も名無しさん:2010/05/09(日) 23:55:46 ID:aGVWICzF
まあ、存在は捩じれてるつーか、対称性が破れてるから世界は存在してるのは事実だけどな。
完全は逆に存在を危うくする、かな。
869神も仏も名無しさん:2010/05/10(月) 12:47:49 ID:3Z/OY2dt
このスレの人達はルルドの奇跡については、どのように受け止めているの?
870神も仏も名無しさん:2010/05/10(月) 15:00:58 ID:jFsz0ri3
集団妄想、誤認、作り事など。
871神も仏も名無しさん:2010/05/13(木) 12:53:17 ID:Gn6CiyR/
プラシーボ効果
872神も仏も名無しさん:2010/05/13(木) 14:53:14 ID:JiLIi19L
ルルドの奇跡の受け止め方によって、無神論が発生している(と思う)。

興味深いことは、
必ずしも日本のクリスチャン全てがルルドの奇跡を受け入れている訳ではないらしい事。
しかし、非クリスチャンの全てがルルドの奇跡を否定しているという事でもない。

どうやら世界の宗教(キリスト教など)と、日本国内のキリスト教との間には、何らかの違いが有りそうだ。
873前世は一在家:2010/05/14(金) 23:55:42 ID:vxdGBEBm
電気は目には見えませんが、それが起こす現象を通じて存在する
ことが分かります。

神も目には見えませんが、神の預言者が起こす癒しの奇跡の大きさに
よって、彼を遣わした存在の偉大さを推測することができます。
そして、偽の預言者にはそのような権威はございません。

神は目には見えませんが、神の降ろした啓示(神示)の終始一貫性に
よって、その存在の智的な偉大さを推測することができます。
譬えかな文字ばかりで記載された神示(おふでさき)であっても、
何十年にもわたって終始一貫している場合は、東大文学部出身者の
創作力を凌駕しております。

霊も目には見えませんが、憑依霊の語る内容が故人しか知るはずのない
内容であったことが後に検証されれば、精神病などと一笑にふすることが
できないことと思料します。
874神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 00:38:41 ID:xlTmamag
日本のキリスト教の特徴は、必死になって国内の無神論者との不毛な闘いに明け暮れていることだと思う。
一方で世界に目を向けると、多くの人はいかにして神(もしくは仏)と語り、あるいは
いかにして神の御意志を体現させるかということに重きを置いているように感じられる。

これが>>872の答ではなかろうか。
875前世は一在家:2010/05/15(土) 06:44:12 ID:oAXr0LJV
>>781
>マリアの福音書ではイエス様は「罪は存在しない」と説かれております。

グーグルで「Gospel of Mary」にて検索すれば、英語で全文が読めます。

Peter said to him, "Since you have explained everything to us,
tell us this also: What is the sin of the world?" ,
The Savior said, " There is no sin, but it is you who make sin
when you do the things that are like the nature of adultery,
which is called 'sin.' 
That is why the Good came into your midst, to the (essence)
of every nature, in order to restore it to its root."
876神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 07:12:13 ID:FQPnKOm4
>>873
対象が存在するしないと言う点について目に見えるかどうかは重要ではありません。
人間の持つセンサーは限られた現象しか検出できないからです。
そしてその検出力の不足を推定で補うチカラを持ったのが人間です。
推定力は大変有効ですが、推定結果が必ずしも正しいわけではありません。
誤った推定が長い間正しいとみなされてきた例は少なくありません。
対象が存在するかどうかは客観的な根拠の有無で判断しなければなりません。
客観的な根拠のない主張は思い込みです。
877前世は一在家:2010/05/15(土) 10:16:59 ID:oAXr0LJV
>>875
(・内にいる人の子について) マリア伝 P8
祝された方は皆に言葉を送った、「平和があなたがたにあるように。
私の平和を自分達のために獲得しなさい。護りなさい。何者にも
あなた方を惑わさせるな。その者が『ここにいる』とか『そこにいる』
というようなことを言っても。
人の子がいるのはあなた方の内部なのだから。あなた方は彼の後ろに
ついて行きなさい。彼を求める人々は見出すであろう。
それで、あなた方は行って、王国の福音を宣べなさい。」と。

※どうすればいいのか分からず、弟子達は悲しみ、大いに泣いたそうです。
878神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 12:32:20 ID:g9anLeT6
悪魔の存在証明はそのまま神の存在証明と変えることが出来そう。
信者は神を証明できるのか。

神道は家系上多少知識があるんですが、神職(神主)は古事記や日本書紀を「神話(作り話)」と言い切ってしまいます。
しかし、キリスト教の神父や牧師は真実である。と主張する方が殆どです。(経験上)
その辺がキリスト教徒がさっぱり増えない原因の一つかもしれませんね。
879神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 12:49:04 ID:A8vLhVbQ
釈迦にイエスも書物を残さなかったのが残念。
おかげで、教えはすべて後世の人の脳内妄想によるものとなってしまった。
880神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 13:22:05 ID:IK84COXt
>>873
神も霊も物質だという訳ね?
881神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 13:27:33 ID:IK84COXt
電気はあらゆる電磁気現象の構成が帰結可観測で無矛盾であることから保証される。
神や霊の喩えに電気を挙げるなら、確実にそこまでもって言って欲しいね。
882神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 14:21:31 ID:FQPnKOm4
私の認識しているキリスト教は次の通りです。

神はこの宇宙を作った。(何のためかは不明)
次に地球を作った。(人間のため?)
次に地球上に生き物を作った。(人間のため?)
次にヒトを作った。(神を崇めさせるため?)
ヒトは神がせっかく(特別扱いに)作ってあげたのに神の言いつけに逆らった。
(自由意志を与えたから?サタンが誘惑したから?)
そのためにヒトは原罪を負った状態になった。(つまり死ぬという属性がついた。)
そんな状態になっても神はヒトを見放しもせずまた作り直そうともしなかった。
そしてこりもせずああしろこうしろという指示を預言者を通して出した。
(皆に直接指示すればいいと思うのだが)
しかし、ほとんどのヒトは言いつけに背いて悪くなるばかりであった。(無駄な指示?)
時々我慢しきれないのか、お気に入りだけを残してその他を殲滅してみたりした。
しかし、お気に入りの子孫もやはりそれまでと同じ経緯をたどった。
(ハードが同じなのだから当たり前。あきらめるか作り直せばいいのに)
そうしているうちに預言通り救世主であるイエスが肉体を持ってこの世に現れた。
彼は神から見て模範的な人間(?)として振る舞った(と弟子たちは考えた)。
しかし彼の振る舞いは保守層には受け入れがたかったと思われ彼は断罪され死刑となった。
その後彼は復活し、そして天(?)に帰った。(復活って肉体それとも霊?)
弟子たちはイエスが死んだことでその命を代償に人類の原罪が購われたと考えた。
(復活したら生け贄にならないのでは?だいたいイエスの命はだれのものなのか)
弟子たちはまたイエスが復活したことで人類が永遠の命を得られる可能性があることを認識した。
(多細胞生物にとっての寿命の意味がわかっていないのではないのか?)
永遠の命を得る条件は神を愛し、神の希望する生き方をし、そのことを人々に伝えることだった。
また、永遠の命を得た状態になるのは将来起きる「最後の審判」の後であるが
当時の弟子たちは明日にでもその日がくると思っていた。
(その方が切迫感があって効果的だったのでしょう。もう2000年以上たったけど)

全体としてよくわからないのですが、特にイエスの死が購いの代償になりうるという点が理解できません。
883神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 14:28:22 ID:FQPnKOm4
私なりに簡単にまとめると次のような教えではないかと思います。

ヒトは神が作ってくれたのだから感謝して言うことを聞くようにしなければならない
素直に言うことに従えば幸せになれるしそうでないと不幸になる
大事なことは自分で判断するのではなく神の言いつけに従うことだ

これってわりと単純なアメと鞭によるコントロールですよね。

私としては根拠を明示しないアドバイスはその有効性を判断できないので受け入れられません。
相手が神でも悪魔でも根拠を明示してくれるのであれば大歓迎で評価するのですが。
884神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 14:39:22 ID:xS/PMHM2
>>882
>もう2000年以上たったけど

イエスは30歳くらいで死んだらしいのでまだですね。
885神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 15:26:14 ID:Vc+q1ptj
>神はこの宇宙を作った。(何のためかは不明)

神を外せば理由はいらない。
886神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 15:28:52 ID:Vc+q1ptj
余計な仮定するから話がおかしくなる。
887神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 16:06:49 ID:xlTmamag
‘キリスト教徒にとっての神とは何か’を論じるだけならば、聖書の文言を
あれこれ引用してみるのは、当然の事だ。

しかし、もし仮に‘人類全体にとって神とはいかなる存在か’を
考えようとするのであるならば
聖書だけを拠り所にするのでは、明らかに片手落ちとなる。

ここは確かにキリスト教板であるから聖書を語るのは勿論の事ではあるが、
あまりにも日本のキリスト教が聖書の世界のみに拘泥しすぎていたために、
日本の伝統や風土といったものから育まれてきた日本人の宗教観からは乖離してしまい、
それが神道や仏教をベースにしている普通の日本人の目からは
偏屈なキリスト教とのイメージを定着させる原因となってきたのだと思う。
888神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 16:18:34 ID:xlTmamag
日本のキリスト教からは、どうも
神は人智では窺い知ることができない幽玄かつ畏れ多い存在である、
といった敬虔な態度が感じられない、という感想を述べる人もいる。
889神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 16:31:09 ID:UZavzCCD
>神は人智では窺い知ることができない

この世界とは関係ない、と同儀にしか思えない。
890神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 17:09:05 ID:xlTmamag
>この世界とは関係ない、と同儀にしか思えない。

それでは、キリスト教ならば「この世界とどのように関係しているのか」について、
具体的かつ実証的に説明出来るのか?
891神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 17:51:45 ID:4Z0MCPXC
出来ないと思う。
神が非物質(霊)なら、物質に作用(=情報を移す)する事は出来ないし、
何らかの作用があるなら、非物質ではない事になる。
神が霊なら啓示は不可能、啓示が可能なら神は物質というジレンマに陥る。
892神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 17:52:45 ID:4Z0MCPXC
根本大嘘。
893神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 18:05:56 ID:xlTmamag
>>891
>出来ないと思う。

神とは人智では不可知なもの。だからこそ世界の人は、この存在に対して
敬虔な心と態度を崩さないのだと思うよ。
894神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 19:21:46 ID:MmiTzrI5
>神とは人智では不可知なもの。

不可知ってことは、我々とはかかわりがないってことだよ?
895神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 21:47:59 ID:FQPnKOm4
>>893
なぜ不可知なものに対して敬虔な心を持たなければならないのですか?
896神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 21:56:27 ID:IDbOMFor
何だか分からない時は丁重に扱っといた方が逃げが打てるから。
897前世は一在家:2010/05/15(土) 22:02:20 ID:qA1oGZQ8
>>891
>神が霊なら啓示は不可能、啓示が可能なら神は物質というジレンマに陥る。

心が体を動かすように、霊は心を動かすようです。

まず啓示、神示、おふでさきが存在します。
後からその理由の仮説を立てるという方法もあります。

昔、電磁波を知らない人達が貴兄のように物質と物質とが音も光も使わずに
通信できるはずがないと断言したことかと存じます。


898神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 22:10:55 ID:87fOSwYi
>>897
>心が体を動かすように、

どうやってるのか分かってますか?
899神も仏も名無しさん:2010/05/15(土) 22:15:14 ID:eTouxcC0
>昔、電磁波を知らない人達が貴兄のように物質と物質とが音も光も使わずに
>通信できるはずがないと断言したことかと存じます。

媒介を含めて物質と物質だから情報を移せる訳ですね。
因に光は電磁波です。
900神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 02:39:44 ID:BTTBABBd
>>896
昔は病気や災害や収穫の良し悪しの原因がわからなかったので、
神秘的な存在の影響を否定できなかったことは理解できますが、
現代ではそのような神を想定する必要がある現象ってありますか?
901神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 02:54:15 ID:BTTBABBd
>>897
>まず啓示、神示、おふでさきが存在します。
>後からその理由の仮説を立てるという方法もあります。

心はヒトの脳の働きです。
脳は大変複雑ですが物理現象で動いています。
脳は外から入ってきた情報を補完して対象を詳しく認識しようとします。
誤った補完を行ないありもしないものがあると錯覚することは良くあります。
902前世は一在家:2010/05/16(日) 07:25:42 ID://i6vTtK
>>875
The Savior said, " There is no sin, but it is you who make sin
when you do the things that are like the nature of adultery,
which is called 'sin.' 
That is why the Good came into your midst, to the (essence)
of every nature, in order to restore it to its root."

マリア伝の「罪」に関する頁は分かりにくいの解説書で調べました。
人には肉的本性(欲心)と霊的本性(心魂)とがあり、霊的本性に反し、
肉的本性従った行為を行った時を「罪」を犯したと呼ぶだけで、本来は
「罪」などないという説法だとのことです。

続く頁でも、自分を欺く者(肉的本性)を愛するから、人は病気になって
死ぬのであるとイエス様は説かれております。
903前世は一在家:2010/05/16(日) 08:55:17 ID://i6vTtK
>>902
マリア伝では、「原罪」は無いとのことです。

また、弟子の中ではいつもペテロが彼女を怒っていたそうです。
904前世は一在家:2010/05/16(日) 09:09:40 ID://i6vTtK
エイレナイオスを調べていての所感ですが、教父がトマス伝やマリア伝
を理由を挙げて明確に否定した箇所は見つかっておりません。

ただ、「4つのみが正統」と主張し続けていたようです。

3つの共観福音書との違和感もトマス伝とマリア伝には個人的には
あまり感じません。
後世の創作という意味では、ヨハネ伝やフィリポ伝の方にこそ感じる
次第です。

更にエッセネ派の宗規要覧に記載の神魂と欲心との親和性があるのは、
トマス伝やマリア伝の方です。

死海文書とトマス伝とマリア伝との共通点は、正統派に異端として焚書
された幻の福音書で、神の加護にて近年復活しております。
従来教会にとってのハルマケドンかも知れませんね。
905神も仏も名無しさん:2010/05/16(日) 09:12:48 ID:c7ZL0Kl1
そもそも、ここ日本では「原罪」なんてものは、そんな発想すら無かったのだよ。
概念そのものが無いのだから、日本人には原罪からくる重荷なんてものもあろうはずがない。

キリスト教が根拠として主張している○○伝なんてのは、キリスト教内部での書物でしょう。

何故、遠い異国の書物だけを根拠にして、勝手に
『日本人にも原罪なるものが存在する』なんて言い張れるの?

906質問:2010/05/18(火) 10:18:42 ID:tb1Cewrj
キリスト教が説いている『罪』とはどのようなものなのか、
罪の概念および罪の範囲について教えて下さい。


なお、この疑問が生じた背景については以下に記しておきます。
                         (つづく)
907質問:2010/05/18(火) 10:31:06 ID:tb1Cewrj
宗教板の別スレには、↓このようなチャットがあります。

379 :神も仏も名無しさん:2010/05/11(火) 08:50:40 ID:+TOOsPBi
   十字軍は侵略軍。
   キリスト教徒は未来永劫、反省しろ。
380 :神も仏も名無しさん:2010/05/11(火) 09:35:36 ID:Q1nJKnH+
   というかキリスト教そのものが侵略軍
   イエスと何の関係もない団体は未来永劫、消滅しろ
381 :神も仏も名無しさん:2010/05/11(火) 10:46:40 ID:ZohaVFUS
   スレ主やCDUよ、『劣等民族が長文で荒らすからスレが駄目になる』と言うが、
   一番荒らしてるのはそちらの味方?のサロメおたぁである事に気付け。
   お前らは議論して劣等民族とやらに思い知らせるつもりらしいが、サロメは反論が付く度煽って無駄にレスを増やしている。
   CDU氏と議論しようとする皆も、サロメはスルーしろ。
   どうせ『ゆとり』『酷使』『嫌韓』『ひきこもり』等のホロン部御用達の煽り文句しか書き込めない構ってチョンなのだから。
382 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/11(火) 13:03:28 ID:2d27jwTg
   >>379
   何年前のはなしだよw
   だったら秀吉の侵略反省しろw
   >>381
   お前はひきこもりの在特会だろうがwwww
   負け犬嫌韓ヒキニートwww
383 :神も仏も名無しさん:2010/05/11(火) 20:53:29 ID:qQR9VfsR
   >>382
   豊臣家は滅んだんだから誰も反省する必要ないだろ。馬鹿じゃないのか。
   今じゃ思想的にも秀吉のそれとは無関係なんだし。
384 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/11(火) 21:49:09 ID:2d27jwTg
   >>383
   徳川家は謝罪したぞwwww

◆心と宗教板
 [残虐民族の日本人がキリスト教徒を虐殺した歴史]
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269405298/        (つづく)
908質問:2010/05/18(火) 10:50:39 ID:tb1Cewrj
(続きの部分(別スレ))
◆【初心者】キリスト教談話室577【歓迎♪】
  http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1273991065/

152 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/17(月)
   ばーかw
   徳川はねw 李王朝と国交回復する直前に豊臣家に代わって謝罪したんだよw
   無知だなー^^

153 :他称 子猫殺し議員名誉毀損気仙沼ファンファンりらっくま:2010/05/17(月)
   このスレを読んでいて、あたいは皆さんに内村鑑三を勧めたくなってきた。

154 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/17(月) 22:49:47 ID:b8bFlxsJ
   >>153
   低脳酷使が笑わせるなwww

155 :他称 子猫殺し議員名誉毀損気仙沼ファンファンりらっくま:2010/05/17(月)
   サロメは小学校の社会科からやり直し!

156 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/17(月) 22:53:33 ID:b8bFlxsJ
   >>155
   実際は李王朝のために仇討ちして豊臣を滅ぼした って言い方だけどなw
   実質謝罪だろうがwww

157 :他称 子猫殺し議員名誉毀損気仙沼ファンファンりらっくま:2010/05/17(月)
   なるほど、これでは歴史板でも政治板でもバカにされる訳だわ。

159 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/17(月) 23:11:25 ID:b8bFlxsJ
   >>157
   極東だろ落ちこぼれ酷使wwww
                                                 (つづく)
909質問:2010/05/18(火) 12:08:53 ID:tb1Cewrj
>>906は上記チャット(>>907>>908)を踏まえての質問です。

上記チャットでは、キリスト教徒のS君が、400年前の歴史上の史実を基にして、
平成の現在においてなお“徳川家の子孫は豊臣秀吉に謝罪せよ”と主張しています。
この事を知り、そうであるならば
「いったい、キリスト教の説く罪の概念およびその範囲とは、どの様なものなのか?」との
>>906の疑問が発生してきたわけです。

歴史の研究ならいざ知らず、歴史の教科書に載っているような史実を持ち出して、
21世紀の私たちに対して罪や謝罪を云々するなんて、気が狂っているとしか思えない。
ですから、この点に関して、キリスト教や聖書の教えに照らして、キリスト教としての考えを
示して頂きたいのです。
                                                     (おわり)
910前世は一在家:2010/05/22(土) 10:15:52 ID:KIVER7+r
キリスト教の天の父、原始仏教の梵天、法華経の常住の仏、そして宇宙生命、
共通の真理(法)を預言者や開祖が異なる説き方をしただけでしょう。
キリスト教の罪と仏教のカルマもまた共通の真理(法)を異なる説き方を
しただけでしょう。
マリアの福音書では、イエス様は「罪などはない。霊的本性に反する行為を
した時にそう呼ぶだけです」とパウロの問いに答えておられます。
そして、後の正統派がマリア伝を異端として焚書したというのが史実であり、
近年マリア伝が復活したことは神の経綸(奇跡)だったということでしょう。
911前世は一在家:2010/05/22(土) 10:41:56 ID:KIVER7+r
>>910
>近年マリア伝、トマス伝、死海文書が復活したことは神の経綸(奇跡)だった
>ということでしょう。 従来権威には「ハルマケドン」と映るかも。

>共通の真理(法)を預言者や開祖が異なる説き方をしただけでしょう。

ではなぜ今日クリスチャンや仏教徒が相容れないのでしょうか?
それは、高弟らや権威が元の教えを変えていったからという仮説を立てて
皆様の検証して参りましょう。

エイレナイオスの異端反駁をまだ調査できておりませんが、彼はケルビムの
4つの顔を根拠にして、3共観福音書+ヨハネ伝の4つより多くても4つ
より少なくてもいけないと主張しましたが、トマス伝とマリア伝を外した根拠
は確認できておりません。
912前世は一在家:2010/05/22(土) 10:42:48 ID:KIVER7+r
>>911
一方、大乗の開祖と呼ばれる龍樹は「机上空論(言語論理世界で空を証明)」にて
釈尊の説かれた「因果の法」を否定し、時間も運動も無い「縁起の法(空)」へと
展開しました。
尚、同じく大乗でも法華経は「常住する仏」に関する法を残しております。

エイレナイオスが説いた「人は神化し得る」という真理は、法華経の方便品では
「仏子はやがて仏になり得る」という法と相通じるかと存じます。
913前世は一在家:2010/05/22(土) 10:47:27 ID:KIVER7+r
>>912
>エイレナイオスが説いた「人は神化し得る」という真理は、法華経の方便品では
>「仏子はやがて仏になり得る」という法と相通じるかと存じます。

エイレナイオスが語った「人は神化し得る」という真理は、皮肉にも彼が
擁護したヨハネ伝によって後世では忘れ去られてしまったのが教会史ですか。
914前世は一在家:2010/05/22(土) 22:16:09 ID:WeDedeic
>>913
>エイレナイオスが説いた「人は神化し得る」という真理は

・人間は最終的に「神のかたちと神との類似性に従って」完成される。(異端反駁W 38:3-4)
☆御子が人間となった受肉の出来事に、人間が神化されて「神の子」となる完成が対応する
のである。(V 19:1)
915神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 23:36:46 ID:CraLjPU3
自説を書き連ねるだけで、質問している人には何らの回答も返していない。

意図的に論点をずらした誤魔化しの返答しかしていないため、議論そのものが
成立していない。


宗教板はつまんない。すぐに秋田。
916前世は:2010/05/22(土) 23:53:50 ID:WeDedeic
>>915
>自説を書き連ねるだけで、質問している人には何らの回答も返していない。

>>906
>キリスト教が説いている『罪』とはどのようなものなのか、
>罪の概念および罪の範囲について教えて下さい。

↑上記ご質問には>>910で、マリアの福音書からの引用で答えております。
917前世は一在家:2010/05/22(土) 23:58:18 ID:WeDedeic
>↑上記ご質問には>>910で、マリアの福音書からの引用で答えております。

通常の解釈は「原罪」をWikiで調べればよいかと思います。
918神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 01:35:19 ID:Z+e3MUOZ
罪などは無いと主張するのであれば、907、908の事例において、
400年前の史実を基に徳川家が謝罪することを求めているキリスト教徒のS君の
行為を、あなたはどのように考えるのか。
またこのような考え方のクリスチャンを大量に産んでいる現在の教会のありようについては
どのように思っているのか。

この質問に対して正面から答えられますか?
もういい加減に論点をはぐらかした誤魔化しの回答にはうんざりしているのですよ。
919神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 02:06:50 ID:tQ2V3aUA
ここはまともだな
920前世は一在家:2010/05/23(日) 06:53:32 ID:cVzdtuU5
>>918
マリア伝にて、パウロがイエス様に有無を質問した「罪」とは
アダムがリンゴを食べたことによって生じたと信じられていた
「原罪」のことでしょう。

それに対してはイエス様は「(常に存在する)罪はない。」と
答えた後に、霊的な本性に外れて肉的な本性に従った行為を
犯した場合に「罪」と人々が呼んでいると説かれておりますね。

十字軍も秀吉の朝鮮侵略も肉的な本性(欲心)に従った行為で
あれば、「罪」だと呼ばれるということでしょう。

つまり罪を犯した、カルマを積んだということかと存じます。
尚、私はクリスチャンではございませんので、あしからず。
921神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 08:24:07 ID:/+GlZbPT
仮言命法に罪だw
922神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 08:24:48 ID:/+GlZbPT
訂正
仮言命法の罪だw
923神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 10:12:46 ID:Z+e3MUOZ
>>920
太閤秀吉公の朝鮮征伐が
「肉的な本性(欲心)に従った行為で『罪』だ」と主張しているにもかかわらず、
その一方で、
『鎌倉時代にあった元寇で、蒙古軍といっしょになって二度までも対馬・九州に攻め込んだ朝鮮には罪が無い』
と主張している根拠を示して下さい。
924神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 11:25:25 ID:Z+e3MUOZ
>>923のたったこれだけの簡単な質問にさえ答えられないでしょう。

このことを言っているのですよ。
つまり日本のキリスト教は現実世界に対して解決のための指針すら与える事が
できなくなっている。

反論が有るのであれば、>>923に対して、聖書に照らした上でのキリスト教としての
回答を示して下さい。
925神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 13:46:45 ID:Z+e3MUOZ
Q1:キリスト教は外国から来た宗教なのに、
何故、何十年・何百年も前の事柄を持ち出して、キリスト教の教義に照らしても誤りである
奇妙奇天烈な濡れ衣を基にして、
我が国日本に冤罪を被せようと画策して騒いでいるキリスト教徒達の間違いを、
教会として正してあげないのですか?

Q2:あなたたちキリスト教会の上記の「見て見ぬ振りをする」という態度は、
あなたたちの布教地である我が国日本の人々にとって、
どのような幸いと貢献を与えてくれていますか?

Q3:イエス様の目から見て、あなたたちキリスト教会およびキリスト教徒の姿勢は、
どのような点で御心に適っていると、あなたたちご自身で受け止めているのですか?

926神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 15:07:58 ID:tkueWkAN
927:2010/05/23(日) 15:56:25 ID:Z+e3MUOZ
真剣に答えてもらえないようなので、むなしいな。
これで落ちよう。
928神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 16:07:11 ID:7GTMw3v1
結局キリスト教は、ある政治意図に沿って善悪を決定するための道具 馬鹿が信じる
929神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 23:14:52 ID:gq633DUU
そんなの「名古屋のやつは大阪に謝罪せえ」ってみんなおもっとるで
930神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 23:26:55 ID:LKtGFVZ5
>>925
A1:正してあげたいという思いはある。
A2:今日はいい天気です。
A3:頑張れという応援と受け止めている。
931神も仏も名無しさん:2010/05/24(月) 11:39:55 ID:c/sULhCM
頭悪そう。
932前世は一在家:2010/05/28(金) 01:41:45 ID:k6MtHUdJ
>>923
元寇の日本侵略も肉的な本性(欲心)に従った行為であれば、
「罪」だと呼ばれるということでしょう。

私はクリスチャンではございませんので、あしからず。

PS
エイレナイオスの著書「異端反駁」を入手しましたので、少しずつ
読んで参ります。
また新しい発見がございましたら、紹介致します。

933前世は一在家:2010/05/29(土) 00:46:07 ID:8lmWBO33
>>932

【イエスの】ヨハネ伝とグノーシス【神格化】板で、「異端反駁」からの
引用箇所は紹介しております。
934前世は一在家:2010/05/30(日) 07:04:21 ID:kt8Cf1ct
死海文書の宗規要覧には全人類に神の光(神性)が宿っていることが説かれて
おります。

トマス伝の筆者は、イエス様に受肉した神の光は全人類が共有している、
何故なら人はみな神の似姿に創られたからであると主張しました。
神の似姿は万人の中に隠されているが、殆どの人はその存在に気づかないと。
(※ルカ伝17:21「神の国はあなた方の内にあるのだ」、神の光はあなた方の
内にあるとも解釈できます。)

しかしヨハネ伝の筆者は、ただ独りイエス様だけが神の言葉の受肉であり、
神の光を世にもたらすと主張しました。

そして勝利したのはヨハネの福音書で、トマスの福音書は異端として焚書され
幻の福音書になった次第です。

現代でも、神化(テオシス)は正教会の根幹にあり、カトリックでも否定
されていないと伺いました。
935前世は一在家:2010/05/30(日) 07:06:00 ID:kt8Cf1ct
当初より私は「なぜ、トマス伝が異端とされたのか?」という素朴な疑問
を持っておりましたが、エイレナイオスの著書を調べておりましても
明確に彼がトマス伝を異端だと反駁した箇所は見つかっておりません。

複数の学者がヨハネ伝とトマス伝とを比較しますと、ヨハネ伝の筆者が
トマス伝を知っており、トマス伝に反論する目的で自らの福音書を書いた
という仮説が検証されたとのことです。

(その1)不信心のトマスのキャラクター化
不信心かつ虚偽の教師であるトマスというキャラクターを創り出したのは
ヨハネ伝の筆者。これは3共観福音書とヨハネ伝を意識して読み比べれば、
オリジナルの逸話が3つあることでもお分かりいただけるでしょう。

(その2)元来人間は神を知る力を持ち合わせていない
ヨハネ伝のみが「暗闇は光を把握しなかった」、「(神の光の到来を)
世はそれを認識しなかった」、「民は受け入れなかった」と追記して、
人が神の似姿を知る能力を否定しております。「神の独り子」のみが
認識できるとつなげる為に。

キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒は自分を神と同一視しないように
常に心がけているかと存じます。
でもトマス伝では、自分自身と神との親和性を悟ることが「神の王国への鍵」
だと伝えております。

神化(テオシス)とは、神と同一になることではなく、神との親和性、
神の子(似姿)を真に悟る(認識する)ことかと存じますが、引き続き
対話して参りましょう。
936前世は一在家:2010/06/03(木) 23:38:01 ID:psbXMlbF
>>935
>(その2)元来人間は神を知る力を持ち合わせていない
>ヨハネ伝のみが「暗闇は光を把握しなかった」、「(神の光の到来を)
>世はそれを認識しなかった」、「民は受け入れなかった」と追記して、
>人が神の似姿を知る能力を否定しております。「神の独り子」のみが
>認識できるとつなげる為に。

神の似姿である神の子、人の尊厳を 抹殺したヨハネの筆記者の正体
も神学者達の研究にて次第に明らかになってきております。
またの機会に紹介致します。

人の尊厳を抹殺したことが、戦争での殺し合いとも因果関係があるかと
存じます。
ムスリムも同じく神の似姿だと悟っておれば、争うことも無用でしょう。
937神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 18:57:19 ID:8cWs6SOT
神のデザインはどうしようもないポンコツ
938神も仏も名無しさん:2010/06/04(金) 21:06:46 ID:GXM129//
>>936
すべての人間が「神の似姿」なら、イエスの立場はどうなりますかw。
939前世は一在家:2010/06/05(土) 00:46:05 ID:Ina5+zA9
>>938
>すべての人間が「神の似姿」なら、イエスの立場はどうなりますかw。

「すべての人が神の似姿、神の子」であるという真理(法)を説かれた
預言者だと思います。
ただし、イエス様が他の預言者と異なり聖霊による癒し(洗礼)を行われた
という権威から見て、創造主の御子達のお一人だったかと存じます。
940神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 00:55:44 ID:MSBYmfgF
イスラム教のような解釈
941前世は一在家:2010/06/05(土) 01:04:31 ID:Ina5+zA9
>>940
>イスラム教のような解釈

そうですか。
私もコーランは読みましたが、アラーの御子たちという教えは
見た記憶がございません。

死海文書の中の現存する最古の旧約聖書(多分ギリシャ語訳の底本)
の申命記では、創造主に御子たち(神々)が存在したことが記載されて
おります。
942神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 01:23:16 ID:Rs6vostA
>>939
>創造主の御子達のお一人

すべての人間は「神の子・神の似姿」なのだから、イエスもその一人に過ぎないこと
になる。

君はこのスレで、ヨハネ書のイエスの神格化を否定するといういい仕事をしていると
思うが、君自身がイエスを神格化したら、君の仕事は矛盾して、台無しになるぞw。
943前世は一在家:2010/06/05(土) 16:10:51 ID:OPgfHsSP
>>942 お隣の仏教板の方ですか。
>すべての人間は「神の子・神の似姿」なのだから、イエスもその一人に過ぎない
>ことになる。
>君はこのスレで、ヨハネ書のイエスの神格化を否定するといういい仕事をして
>いると思うが、君自身がイエスを神格化したら、君の仕事は矛盾して、台無しに
>なるぞw。

私は正統とされる3共観福音書とヨハネ伝と旧約(70人訳)と、近年発見
されて研究が進んだ死海文書、ナグハマディ文書(トマス伝、フィリポ伝)、
マリア伝、ユダ伝とを比較して共通箇所と相違点を整理しております。
相違点に関しては、それが生じた経緯を宗教史や異端反駁などを利用しながら
トレースしております。
944前世は一在家:2010/06/05(土) 16:12:42 ID:OPgfHsSP
>>943
(主な相違点)
・死海文書の旧約では創造主の他に複数の神々(神の御子)が登場する。
・旧約ですべての人は「神の似姿」であり、トマス伝やユダ伝でもその点を
 イエス様は度々説かれている。
・ヨハネ伝のみが神の光の受肉をイエス様のみとするが、ヨハネ伝を担いだ
 エイレナイオスの神学では人は皆「神の子、神化し得る」と記載。

(貴兄のご質問への回答)
・イエス様は神の御子達の中のお一人の可能性が高い。
 (理由:他の預言者と比べても聖霊の洗礼を弟子達に許す権威が際立つ。)
・ヨハネ伝での、イエス様のみが神化するという記載に疑問符。
・ヨハネ書簡で光言語(光と闇との対句)を使用した筆記者はグノーシスの
 関係者と思われる。
945神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 23:50:21 ID:e4V4Idc+
>・死海文書の旧約では創造主の他に複数の神々(神の御子)が登場する。

ほう、見つかったんだ。バアルやダゴンが偶像や悪霊の演じたものとして出なく
神々として登場してる章句があるのかな?それとも
神と人を親子になぞらえる発想無視して「神の子」だけを裏読みしただけか。
946神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 00:03:21 ID:sndBsWLZ
イエスって童貞だったの?
それとも女遊びしまくり?
947神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 00:05:05 ID:sndBsWLZ
オナニーとかしてたのかな?
948前世は一在家:2010/06/06(日) 01:03:44 ID:vo70/6TL
>>944
旧約の「人は神の似姿」という真理は、死海文書の宗規要覧では
「神の光の箇所」とか、ユダ伝では「完全なる人間を立たせよ」とか、
ルカ伝では「内なる神の国」とか、色々な聖句にて語られております。

イエス様は良き教師として「神化(テオシス)」について説かれた
かと存じます。
なお、ムスリム、仏教徒、無神論者であっても、テオシスの可能性は
平等にあると思料しますし、神化し得る人同士が人種・思想・心情の
違いによって争うことが無意味であると悟った時に地上天国が顕現する
と思います。
改宗するのではなく、共通の真理(法)をただ悟るだけです。
949前世は一在家:2010/06/06(日) 01:12:03 ID:vo70/6TL
>>945
>偶像や悪霊の演じたものとしてでなく神々として登場している章句が
あるのかな?

(クムランテキスト、申命記32:8)
「至高なるおん方は、人類を分けられたとき、国々を割り振られた。
おん方は、神の子らの数にしたがい民族の境を固定された。」

おん方(天の父)には、神の子ら(複数の御子)がおられることを
意味しております。
950神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:30:46 ID:mm8C7zgk
>>948
>神化し得る人同士が人種・思想・心情の違いによって争うことが無意味であると悟った時に
 地上天国が顕現すると思います。
 改宗するのではなく、共通の真理(法)をただ悟るだけです。

現時点においては、特段、仏教が他宗教に宗教面からの争いを仕掛けているという事は
無いと思います。それどころか、むしろ仏教の多くは、宗教間の相互交流や万教帰一といった
方向に力を注いでいるように見受けます。
しかし、いくら仏教が上記の努力を払っていても、現実には>>948さんの仰る地上天国は
現出していませんね。

そこでお尋ねですが、上記理由が、
もし仮に、>>948さんの「共通の真理(法)をただ悟るだけです。」が実行できていないからだと
するのであるならば、
>>948さんの「共通の真理(法)」と、現実のキリスト教なり仏教の教え(法)との間に存在するであろう
相違点とは、どのようなものであるとお考えでしょうか?


951神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:33:32 ID:ktZaNPFa
徹頭徹尾すべて嘘。
952神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 01:49:46 ID:mm8C7zgk
>>951さんの反論が有ることは承知しているが、
「徹頭徹尾すべて嘘(である)」ということの証明が全く存在していないことも事実なのである。

この展開ならば、いつもの堂々巡りの空論に陥ってしまう(汗)。
ここが、宗教は実社会では役に立たない空論・虚論ばかり述べるだけ、との非難を受けている
最大の反省点なんだろうけどね。
953前世は一在家:2010/06/06(日) 02:00:52 ID:vo70/6TL
>>950
>>948さんの「共通の真理(法)」と、現実のキリスト教なり仏教の教え(法)との間に
>存在するであろう 相違点とは、どのようなものであるとお考えでしょう

共通の真理(法)に関する相違点の事例として、「人は神の似姿」という旧約の真理
を挙げます。

ヨハネ伝では、「人は神の似姿であっても、神化することは無理」だという論調
が見受けられます。
ヨハネ伝のみが「暗闇は光を把握しなかった」、「(神の光の到来を)
世はそれを認識しなかった」、「民は受け入れなかった」と追記して、
人が神の似姿を知る能力を否定しております。「神の独り子」のみが
認識できるとつなげる為に。

一方、死海文書、トマス伝では「全ての人は神の子であり、やがて神化し得る」
とイエス様は説かれております。
954前世は一在家:2010/06/06(日) 02:02:29 ID:vo70/6TL
>>953
仏教でも法華経の方便品では「全ての仏子はやがて仏となり得る」と釈尊は
共通の真理(法)を説かれております。

でも、龍樹が机上空論(言語論理世界で空を証明した)にて、因果の法も
常住の仏も否定しまして、現代の大乗仏教徒の多くが、因果の法とは似て非なる
縁起の法(空理論)を信じております。

換言しますと、原始キリスト教と原始仏教では「共通の真理(法)」が説かれて
おりましても、後世の高弟により改竄されて現代(現実)では相違点が生じて
いるかと存じます。

他の事例では、原始仏典では釈尊は梵天や神々と語られておりますし、法華経
では「常住の仏」が説かれております。
梵天がキリスト教の天の父や神の御子クラスの存在であれば、言葉が異なるだけで
共通の真理(法)が説かれていることになるでしょう。
955前世は一在家:2010/06/06(日) 02:23:01 ID:vo70/6TL
>>946
「フィリポの福音書」32
「三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母と彼女の姉妹と
彼の伴侶と呼ばれていたマグダレネーであった。なぜなら、それぞれ
マリアという名前だからである」

「フィリポの福音書」55b
「主はマリアをすべての弟子達よりも愛していた。」
「弟子達が主に言った、『あなたはなぜ、私たちすべてよりも
彼女を愛されるのですか』。救い主は答えた。『なぜ、私は
君たちを彼女のように愛さないのだろうか。』」

フィリポ伝は二ケーア公会議の後に異端として焚書されました。

尚、トマス伝ではサロメという名の女性の弟子が登場します。
イエス様は女性達にも大変慕われていたようですね。
956前世は一在家:2010/06/06(日) 02:34:57 ID:vo70/6TL
二ケーア公会議の後に異端として焚書されましたトマス伝、フィリポ伝
などが、近年「復活」しましたのも、イエス様や聖霊のみ働きかも知れ
ませんね。

まさに良い報せ(福音)でしょうか。
957神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 02:53:12 ID:mm8C7zgk
ここで問題提起をひとつ。
それは‘日本の宗教がここまで堕落し無力化した理由’についてですね。

まあ、詰まる所、結論としては、今の宗教は人間の本質や現実世界を無視して、
机上の空論(奇麗事)ばかりを並べ立てているだけだからではないか、という事に落ち着くんですね。
そしてこのことは、実は、>>948さんや>>951さんの仰ることと同じという事になるんでしょうね。

日本の宗教が無力化している一番の理由は
 @人を悪い存在と定義して、反省などのネガティブな意識を出発点とした教導を行うことを
   推進していたからではないのか?
と思いますよ。
こんなことでは、説法を聞かされる方がたまらない。なぜかって、神の子であり、あるいは
仏心を宿している筈の自分が、教会や寺に行く度に、どうしてこのように
貶められなければならないのかっていう反発が涌いてくるからですね。
テレビの宗教講座でも同じ印象を受ける。

上記は決して謙虚さを尊ぶとか大愚を悟るとかいったものを否定する意味でカキコしているつもりでは
無いけど。さあて、こんな事書いたら、非難囂々でしょうか?それとも無視されるかな?
まあ、どちらでも良いけど。


それから、一在家さんは唯識論についてはどのようにお考えなのかしら。
958神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 03:08:20 ID:mm8C7zgk
>>954
>原始キリスト教と原始仏教では「共通の真理(法)」が説かれて
 おりましても、後世の高弟により改竄されて現代(現実)では相違点が生じて
 いるかと存じます。

上記について解説しているサイトなり本なりが有りましたら、紹介して頂けませんでしょうか。
959神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 03:38:11 ID:mm8C7zgk
一在家さんのご研究に、崇教真光(>>492)は何らかの影響を与えていますか?
また、真光は世界救世教から分かれたと聞きました。同教の岡田茂吉教祖も
地上天国という言葉を用いていますが、岡田師の思想について一在家さんが賛成している点
あるいはそうでない点など有りましたら、差し支え無ければ、教えて下さい。
960前世は一在家:2010/06/06(日) 07:58:31 ID:vo70/6TL
>>957
>日本の宗教が無力化している一番の理由は @人を悪い存在と定義して、

原罪と性悪説のことでしょうか。
マリア伝では、パウロの罪についての質問に対して、イエス様は、
「罪などはない。ただ本性に反した行為をした時にそう呼んでいる。」と
明確に回答されてます。(本スレで詳細を紹介済み。)

>それから、一在家さんは唯識論についてはどのようにお考えなのかしら。
唯識論は、人の存在は八職からなり、八職は無常であり実態がないとの
空の思想がベースになっておりますね。
私は龍樹が説いた空の理論(縁起の法)は「机上空論」、言語論理学世界
で空を論じた(証明した)以上でも以下でもないと、仏教板では幾度も
伝えております。

事例としましてはバーチャル世界(言語論理学上)で龍樹は「時間」も
「運動」も無いと証明しましたが、リアル世界(現実世界)でそのように
通常の現代人に説きましたら、たぶん精神異常者と看做されるかと存じます。

また、八職の中の無意識(潜在意識)こそ霊魂であり、不滅とは申しませんが
カルマを蓄積しながら輪廻を繰り返している主体だと考えております。
961前世は一在家:2010/06/06(日) 08:00:25 ID:vo70/6TL
>>958
>上記について解説しているサイトなり本なりが有りましたら、紹介して頂けませんでしょうか。

まとめて解説しているサイトは存じません。
ただ、ユダヤ伝が異質であることは「禁じられた福音書」ペイゲルス著(青土社)に、
龍樹の八不の証明プロセスは「龍樹」中村元著(講談社)が大変参考になりました。

>>959
>一在家さんのご研究に、崇教真光(>>492)は何らかの影響を与えていますか?
>岡田師の思想について一在家さんが賛成している点 あるいはそうでない点など有りましたら、

岡田光玉師が万福寺大僧正と対談された際に、「本来の釈尊やイエスの教えを知るには
原始仏教と原始キリスト教を調べる必要がある。」と意気投合された話を35年前に
伺いましたことから、現在の研究は影響を受けております。

幸い近年に、原始仏教は南伝パーリ語聖典の現代語訳で長部経典やスッタニパータ等が
読めますし、原始キリスト教もナグ・ハマディ文書(トマス伝、他)、マリア伝、
ユダ伝や死海文書も現代語訳で容易に読めるようになりました。

なお、岡田光玉師の思想に賛同できないものは、現時点ではございません。
962神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 09:53:13 ID:QFhy8hBx
>>949
>神と人を親子になぞらえる発想無視して「神の子」だけを裏読みしただけか。

まさに↑の通りじゃないか。多神論説をとるなら、その章句では
神々ごとに民族がわりふられてることになる、が
民族ごとの神々、民族神という概念が聖書のどこに出てくる?

前にクムラン宗団が多神論とってる証拠は知らないと言ってたもんだから
期待してたらコレだ。>>619-からの流れからまったく進歩が無い。
963神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 13:13:37 ID:mm8C7zgk
>>961
>なお、岡田光玉師の思想に賛同できないものは、現時点ではございません。

少し質問を重ねさせて頂きます。
Q1:一在家さんが観念しておられる神とは、キリスト教が教えている神と同じ存在ですか?
   それとも何らかの差異がありますか?
   もし何らかの差異があるとするならば、それは真光の教義の影響から来るものですか?
Q2:宗教では奇跡やおかげ話といったものが多く語られています。
   一在家さんご自身は、聖典にも記されているこれらの話を肯定するお立場でしょうか?
   もし肯定するお立場であるとするならば、宗教の研究においては言語論理学上における
   バーチャルな議論は一義的なものとは言えない、との批判にはどのように反論されてきましたか?

   
964前世は一在家:2010/06/06(日) 14:15:39 ID:vo70/6TL
>>963
>Q1:一在家さんが観念しておられる神とは、キリスト教が教えている神と同じ存在ですか?
>   それとも何らかの差異がありますか?
>   もし何らかの差異があるとするならば、それは真光の教義の影響から来るものですか?

神界には複数の神々がおられて、ヤハエもその中の一神だと伺っております。
また、受肉して人として生まれて来られる神もおられて、イエス様はそのような神だと
伺っております。


>Q2:宗教では奇跡やおかげ話といったものが多く語られています。
>   一在家さんご自身は、聖典にも記されているこれらの話を肯定するお立場でしょうか?
>   もし肯定するお立場であるとするならば、宗教の研究においては言語論理学上における
>   バーチャルな議論は一義的なものとは言えない、との批判にはどのように反論されてきましたか?

イエス様が水の上を歩かれたという奇跡は否定はしません。
釈尊も修行完成者は水の上を歩くことができると説かれております。
(長部経典「沙門果経」)
イエス様が聖霊の洗礼によって悪霊を追い出したり、病気を癒したりされた
奇跡は肯定しております。
私も手かざしを通して、憑依霊達とも対話し、憑依霊の離脱によって何十年来
の持病が癒されたりガンが消滅したという体験をいくつかしているからです。
エイレナイオスが当時目撃して著書に残した奇跡が、バーチャルでなく、
リアルで起こっております。

尚、本スレはキリスト教のスレなので、私への質問はここまでに願います。
965神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 15:04:51 ID:mm8C7zgk
>>964
最後の質問といたします。
Q:あなたが長々と自説を論じておられる、その目的は何ですか?
  (1)それは、あなたの思っている神とキリスト教の教える神との共通性を
     キリスト教に認めて貰うことで、あなた自身の権威付けとしたいからですか?
  (2)それとも、あなたの思っている神とキリスト教の教える神との差異を
     キリスト教に認めさせることにより、あなた自身がキリスト教より優位に立ってみたい
     という心理からなのですか?
  (3)はたまた、(1)(2)などはどうでもよくて、ただ単に議論すること、それ自体を目的とした
     動機からなのですか?

あなたのカキコからは、その目的が全く読み取れないのです。
おそらく多くの人は、あなたは議論して他人をやり込める事、ただそれだけを楽しんでいるだけの
様に受け取っていると思いますよ。

仏教ではこういうのを虚論といって、強く戒めていることですね。
966前世は一在家:2010/06/06(日) 15:46:22 ID:vo70/6TL
Q:あなたが長々と自説を論じておられる、その目的は何ですか?

A:地上天国建設の上で、万教統一ではなく、万教帰一を目指しております。
もしイエス様や釈尊がいくつかの共通の真理(法)を説かれておりましたら、
クリスチャンも仏教徒も元の教えに還るだけで万教帰一は自然に成就し
無対立、愛和の世界が成就するかと存じます。

クリスチャンはニケーア公会議前の原始キリスト教に元還りされることを
祈念して、異端として焚書されましたが近年復活しました文献のご紹介を
致しております次第です。

尚、重要な共通真理(法)としては以下が想定されます。

1)人は神の子、仏の子であり、やがて神格化(涅槃入り)し得る
2)自分で蒔いた種は自分で刈り取る(善因善果)、因果の法
3)常住の神(仏)が存在する  etc.
967神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 17:08:10 ID:mm8C7zgk
>>966
 >A:地上天国建設の上で、万教統一ではなく、万教帰一を目指しております。
 >重要な共通真理(法)としては以下が想定されます。
   2)自分で蒔いた種は自分で刈り取る(善因善果)、因果の法

この返答をするのであれば、あなたは『あなたご自身の立場から』、>>918>>925の問いに対しての
自らの考え方を示せなければならない。しかし今までそれが出来なかったのだから、
所詮、>>966は単なる観念論の域を出ず、言葉遊びにしか過ぎないことになる。


|918 :神も仏も名無しさん:2010/05/23(日)
|    罪などは無いと主張するのであれば、>>907>>908の事例において、
|    400年前の歴史を基に徳川家が謝罪することを求めているキリスト教徒のS君の
|    行為を、あなたはどのように考えるのか。
|    またこのような考え方のクリスチャンを大量に産んでいる現在の教会のありようについては
|    どのように思っているのか。

|    この質問に対して正面から答えられますか?
|    もういい加減に論点をはぐらかした誤魔化しの回答にはうんざりしているのですよ。

|925 :神も仏も名無しさん:2010/05/23(日)
|Q1:キリスト教は外国から来た宗教なのに、
|   何故、何十年・何百年も前の事柄を持ち出して、キリスト教の教義に照らしても誤りである
|   奇妙奇天烈な濡れ衣を基にして、
|   我が国日本に冤罪を被せようと画策して騒いでいるキリスト教徒達の間違いを、
|    教会として正してあげないのですか?

|Q2:あなたたちキリスト教会の上記の「見て見ぬ振りをする」という態度は、
|   あなたたちの布教地である我が国日本の人々にとって、
|   どのような幸いと貢献を与えてくれていますか?
968前世は一在家:2010/06/06(日) 17:20:57 ID:vo70/6TL
>>967
>あなたは『あなたご自身の立場から』、>>918>>925の問いに対しての
自らの考え方を示せなければならない。

いづれも現代のキリスト教会へのご質問ですよ。私が代わりに返事をする立場では
ないでしょう。

マリア伝での「罪はない」とは、パウロの唱えたような「原罪はない」という
意味ですし、人の本性に反した行為をした場合を罪と呼びますし、カルマとして
積んで参りますでしょう。

969神も仏も名無しさん:2010/06/06(日) 18:01:56 ID:mm8C7zgk
>>968
やはり何も答えることは出来ませんでしたね。
万教帰一を主張するということは、>>967の設問に対しても
あなたご自身としての、あなたなりの明確な指針なり考え方を提示出来なければならない
ということですよ。
キリスト教に対しての質問だから異教徒であるご自身(一在家氏)には関係ない、として逃げることは
万教帰一を主張している以上は、許されない。

要するに、あなたの主張は単なる画餅にしか過ぎなかったのです。


まあ、これ以上は追求しても無意味ですので、やめましょう。
これで落ちます。
970前世は一在家:2010/06/06(日) 23:26:09 ID:EqMFTaA9
>>969
万教帰一へのアプローチの相違です。
貴兄は現在のキリスト教や仏教を批判しなければならないとの見解の
ようですね。

北風と太陽の寓話をご存知でしょう。

私は現在のクリスチャンや仏教徒の中から真理(法)を再検証される
方々が出てまいりますように対話を続けております。
971神も仏も名無しさん:2010/06/07(月) 16:39:11 ID:svFLWzzu
972神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 11:19:11 ID:49iE8Taa
>>925
>Q1:
末端信者までは目が届かない。
>Q2:
何の影響も与えない。文化人に多くの信者がいたりするものの
総人口としては小さすぎ、信者内で広まるにも規模が高が知れている。
2chのコテが何かしてる、と聞かされたところで、クリスチャン含む
一般人はそのことによって知り合いのクリスチャンへの評価は変えないだろう。
>Q3:
神のみぞ知る。
973神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 11:25:51 ID:49iE8Taa
>>909
十字軍を突きつけられ、じゃあ秀吉とかお前ら日本人(仏教徒etc)はどうなんだよ、
という売り言葉に買い言葉だと思われる。多分それ以上の意味は無い。
昔の話を持ち出すなら、自分とこの昔の話も気にしろよ、と言おうとしている。たぶん。

何がキリスト教的に「罪」かと言えば、十字軍したり秀吉したりする人類そのものの傾向
ということになるんじゃなかろうか。
974神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 11:49:49 ID:49iE8Taa
>>969
>キリスト教に対しての質問だから異教徒であるご自身(一在家氏)には関係ない、として逃げることは
>万教帰一を主張している以上は、許されない。

こういう発想があったとしても、(共感はしないが)理解はできる。
万教帰一からすれば、キリスト教は仮の形、劣った形だから。
イスラム教徒ならキリスト教やユダヤ教に責任はとれねー、と言うだろう。

万教帰一・在家教においては、唯一神論とは預言者のケツを叩いて
命がけの宣教にのめり込ませるための策に過ぎず、三位一体もまた政治的所産に過ぎない。
現行のキリスト教教義は、「誰でも神性を宿す神の子→いずれ神化」という在家真理の
劣化版に過ぎない。根本教理に宗教的真理としての価値を認めていない。
975神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 11:54:56 ID:49iE8Taa
そこだけとるとヤバい意味合いにとられなけない、と当事者も認めているが、
どうして「神成(テオシス)」って発想が出てきたんだろう。それは気になる。
イエスが自分を神と示したのは「神成(テオシス)」的な意味だったりして。
976神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 12:05:04 ID:4oqfZ9cA
>>972>>973
概略としては、その回答で良いよ。おおむね納得した。

今後は、素晴らしいキリストの教えが一部教会もしくは信者の心ない言行によって
誤解を拡散させている現状があるので、こういった方面にも心をかけてあげてね。
それから、キリスト教は折角長い歴史と伝統に育まれた人類共通の宝を護持しておられるのだから、
今後もつまらない歴史の捏造や偏狭な主義主張などに左右されることなく、あるべき正しい判断が
守られ続けていくことをお祈りしていますね。
977神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 14:33:15 ID:49iE8Taa
再検証、って何だろう。

真光式万教帰一教理に各宗教のパーツをはめ込み、
食い違う面に「堕落」「方便」etc.のストーリーを
つけたして補完することか?

まぁ、後発の宗教で、かつ食い違う教義をもつなら、
そういう形をとらざるを得ないよな。

釈迦はヴィシュヌが化身して、悪人やアスラを惑わせるための存在、とか。
クルアーンは真実であが、矛盾する部分をもつ聖書は改竄されている、とか。
978神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 14:36:36 ID:49iE8Taa
こういうストーリーづけ、ってのは、信じてる相手にしては本気で不快だろう。
信者は「教義でそうなってる」という外から目線で自分の宗教と向き合ってるわけではない。
教義を一部見直すとか、そんなノリじゃない。
979神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 14:41:39 ID:zDKY+SYj
次のスレッドです。

キリスト教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275892091/
980神も仏も名無しさん:2010/06/08(火) 17:28:10 ID:4oqfZ9cA
                        .  †
                       ∧
                      ./;' ヘ,
                     、_/,: ,、゙.ヘ._,,
                     i゙7;' li^il ゙Vi
                     レ´l ̄ ̄`ト、:
                    〔;'´l ̄ ̄`ト、〕
                     | |    | |    _,。/)     パタパタ
                             |^i| r^'i |i^|    `ー'" _,。/) _,。/)  バタバタ
                      |ヒi| .l韮l .|トi|        `ー'" `ー'"    パタバタ
          .      .       | |     :| |          _,。/) _,。/)
         .                    i幵iェェェェェェェェi幵i         `ー'" `ー'"
       .                        冂| ̄ ̄ ̄ ̄|冂
      .                          .  | |l  ∧∧ l| |             _,。/)
    .                         .! |l  目目 l|                `ー'"
   .                       | |l .且且 l| |(;;"'',,,;;゙);;゙)
                (;;"'',,,;;゙);;゙);;;:::::::Y:;;;;;:::ヾ.  (;;"'',,,;;゙);;゙);;;:::::::Y:;;;;;:::ヾ                          Fine
981神も仏も名無しさん
age
                     (
                      )
                    r;:'ニ:ヽ、___,
                     |` ー 彡|旦i 
                  /!、._.___.;;!\
                  \`゙゙゙゙゙゙゙゙゙ /
                     ̄` ̄