>>667 釈迦やその教えに最大の価値を認める小乗は、完全なカルトだな。
生命を以って、生命に最大の価値を認めることなど不可能。価値感も生命から
発するものだから、認識主体と認識対象とが同一であり、価値の認識など初め
から成立しえない。生命とは、「今こにある」だけ。人間が対象化できない唯
一の存在。
釈迦もイエスも、そのことには全く思い至れなかった。彼等の精神病の症状
としての観念過剰、悟りの欠如の故である。
すべての凡夫(世俗人)は、意識的・無意識的に、そのことを基盤として、
ひたむきに生きている。しかし、釈迦やイエスによって狂わされた聖者には、
それはもはや不可能なのである。
佛教は、人間を、凡夫と聖者に区別するが、それこそが「二項対立」の典型。