☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27

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450神も仏も名無しさん
>>442
これですか?
如諸【法】【自性】 不在於【縁】中  諸法の自性が如きは、縁の中にあらず。
na hi svabhAvo bhAvanAnaM pratyayAdiSu vidyate.
 *続く次の偈はどこへ?
 (以無自性故 【他性】亦復無)  (自性無きを以っての故に、他性もまた無し。)
 ( a-vidyamAne svabhAve parabhAvo na vidyate. )

若涅槃是【有】 云何名無【受】  若し、涅槃が“有”ならば、云何んが“受無し”と名付けん。
bhAvas ca yadi nirvANam anupAdAya tat katham.
無有【不從受】 而名爲【有法】  受によらず、名付けて“有の法”と為すこと無し。
nirvANaM na upAdAyAya kazci bhAvo hi vidyate.

若【無】是涅槃 云何名不受  若し、“無”が涅槃なるならば、云何んが“受せず”と名付けん。
yadi a-bhAvas ca nirvANam anupAdAya tat katham.
未曾有【不受 而】名爲【無法】  未だかつて、受せずして、名付けて“無の法”と為すもの有らず。
nirvANam na hi abhAvo asti yo anupAdAya vidyate.
 ※Skt:連声の解き方は間違ってるかもしれない。

・「有(bhava)」を「存在」と解しながら、さらに『実在(≒実体)』と解するわけですね・・。
・「受(する)」を「相待的」と解するわけですね・・。
・現代語としても「存在」を「実在」と同義と解するわけですね・・。
・「有(bhava(≒存在))」(や「無」)が頻出するので、
 ≪龍樹は「実在(≒存在(=有))」を大前提としている≫と解するわけですね・・。
・「有」に対置されている「無」は442の「非存在」でしょうか?その場合、「有法」「無法」は(442的には)どういう意味になるのでしょうか?
 「有」が「存在【者】(もの・こと)」、「有法」が「存在」、「無」が「非存在【者】(もの・こと)」、「無法」が「存在」って感じですか?
これを442(439・395・405)のように読むには、かなりのジャンプ(≒飛躍、意訳)が必要ですね・・。
更には、≪「それ(442で示された文)」は「意訳以上の要約」であり、「龍樹の文言」「ではない」≫のでは?