☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27

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>>253
その方向性で言うなら、或いはそのように文中の要素を即物的に捉えるなら、
「空(空性)」を譬えることは不可能だ。(その意味でも言語化不能と言い得るのだろうが・・。)
(以前の《一枚の紙》の時もそうだ。頓珍漢な評をしおって・・・。 てめぇこそ「喝!」だw)

ブラウン管の三色融合、モニターのドットや電光掲示板の点滅、ムクドリや鯵の群れ、
或いは量子論の視線を持ってくる者もいるだろう。
だが、それら全て、何を用い、どのように譬えても、
そこで説明の為に必要な《「最小単位としての」「(個物の)実在・存在」を拾い上げる》なら、
「空(空性)」の解説とならない。それらを超えた、もう一つ先のことだから・・。
だから、譬喩表現に於いては「捨象という作業、前提、約束」が必須なんだよ。
それは、「空(空性)」に限らず、何を譬えるにしても一緒だ。
上記のような譬えをした時、
やれ「鯵は云々」「ブラウン管という“場”が云々」「ドットが云々」「個々の電灯が云々」「原子・粒子が云々」
などと言い出したら、そこで話は終りだ。(別スレだったか、以前の蝋燭の譬えも同じだ。)

「世俗的なことにもとづかなければ」というのは、まさにこういうことだよ。  >>御隠居
 (※>>255は、狙って待ってたかのようなレスだなw  原文は知らんw)