☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート27

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186試答2
「煩悩即菩提」 (語義は添削宜しくw)
1:煩悩に覆われているからこそ、煩悩があるからこそ、
 「それを除き、断ち、菩提を求める心が生じる(菩提心・発心)ので、『煩悩が菩提への扉(縁)である』」。
2:煩悩が仏性を(≒悟り・菩提を)覆ってはいるが、離れてあるのでなく、別物でなく、不二なる在り方としてある。
 よって、煩悩を見ることは菩提を見ることに他ならない。(注:煩悩【が】菩提【である】わけではない。)
3:仏性(≒悟り・菩提)は煩悩に染まって(薫習されて)はいるが、(梵)行によって脱色され、
 悟り・菩提が顕となる。よって、離れてあるのでなく、別物でなく、不二なる在り方として、
 煩悩を見ることは菩提を見ること、となる。(注:煩悩【が】菩提【である】わけではない。)
※いずれにしろ、仏の視線であり、且つ、順を踏んで見られた時、その手順(≒行・観察)で結ばれるからこそ
 「即」の字で表現される。(Sktではどうなんだろう?)決して単純イコールではない。
 この手順を踏まずに双方を結んではならないと思われる。

法華経の註釈に幾つか見られるが、禅や天台の註釈書・語録が圧倒的に多いようだ。
(だからか?)、「不二なるもの」として、或いは「迷いから悟りへの頓なる転換」、
「方便としての現状是認(→行を修める自己の保全)」、「(性善説を思わせる)本来清浄なる自己への視線」
といった方向性で見られるようだが、その多くは≪仏の眼で見た場合(≒勝義では)相反するものではない≫
≪大乗の要・特徴はコレである、という意味での『標語』として使用されている≫ようだ。
参:攝大乘論釋論
伏斷諸煩惱 如呪制諸毒 諸の煩悩を断ずること、呪が諸毒を制するが如し
以惑至惑盡 佛具一切智 惑以って惑を尽くし、仏は一切智を具す
煩惱即菩提 生死寂滅體 煩悩は即ち菩提なり。生死は寂滅を体となす。
有大方便故 如來不思議 【(この)大方便あるが故に】、如来は不思議なり。