進化論に対する支持が日本で揺るがないのは明らかだと思うから、もう創造論の間違いを一々指摘しなくてもいいと思う。
問題なのは、多数派に対する異論に寛容かどうかが、日本社会における重要な課題。
日本の学校でも、給食にムスリムの生徒のためにハラールに沿った献立を提供する所が出てきているという。
それと同じように、進化論を拒否し創造論を支持する生徒の存在を認めるようになることこそが重要。
誰だって自分の支持する学説以外は疑似科学でしかない。
だけどそうした不寛容さは結局神学論争による宗教戦争の時代の野蛮さに回帰するだけで、社会の多様性を認めていく世界的な流れとは逆行している。
それは憲法にも反する。
生物の授業で進化論の時に教科書もノートを閉じる生徒がいると、授業態度が悪いと注意し、ペナルティを課す教師もいるけどこれは誤った対応だと思う。
僕が通っていた私学はミッション系で生物の授業も進化論のみだったけど、進化論を拒否しても教師は注意しなかったし、試験で創造論の解答を書いても正解にしていた。
だけど公立学校でもこうした寛容性はあるべきだと思う。
授業に創造論を教えるのとは違うのだから。