>>196 修業とはなんでしょう。
今とは異なる何かになろうとする行為ではないでしょうか。
あなたの言うように、鳥がはたして、何かになろうと練習をしているのでしょうか。
例えば花が、咲こうと練習を、修業をしているのでしょうか
鳥は鳥のまま、ただそのままであって、そこに修業などありません。
花は誰に頼まれなくても、誰に見られなくとも咲くのです。
そこに修業も練習もありません。
違いますか?
鳥は練習をして飛ぶのでしょうか?
花は練習をして咲くのでしょうか?
あるがままでいられない、あるがままを許せない、だから修業があるのではありませんか?
それともあるがままでいるために修業するのでしょうか
そうであればそれは修業と呼べるものなのでしょうか。
自らを偽らない・・・・たしかにそれができれば素敵です
しかしそれはすごく難しい。あなたは偽っていませんか?
その自分でつけたであろう名前、その演技めいた口調、それがあなたですか?あなたは自分を偽っていませんか?
あなたはあなたなりに何かを学んだのでしょう。
あなたは努力し、学び、練習してきたのだと思います。
しかし、あなたの意見には賛成しかねます。
はたして後退という事があるのでしょうか。
はたして前進というものがあるのでしょうか。
あるがままで、あるがままを見るからこそ、そこに愛が慈悲があるのではないでしょうか。
慈悲を高めるなんて事を口がさけても言えないのではないでしょうか。それはひどく傲慢で、偽善であると思いませんか?