☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26

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8神も仏も名無しさん
>>5
それは少しおかしい。
純粋な精神的苦悩は、専ら自己中心主義から生じる。その苦を、自我を離れて「家族や身近な他者、ひいては
社会に対する想い」によって軽減・昇華することは、「目逸らせ」「代替」「嵌めこみ」などではなく、
当該共同体全体の維持と向上の原動力である。偉大な芸術の多くは、そのような苦の昇華から生まれている
ことは常識。
身近な者のために心を煩わせ、その喪失に対して悲しみ・苦しまない者は、人間として失格。
苦しみや煩悩は、それらを生の証として受け入れ、自己同一化することにより、初めて消滅する。
2項対立的に「排除すべき異物」とすれば、ますます深まるばかりである。自己中心主義の結果である
苦を、更なる自己中心によって除去できる訳があるまい。釈迦の「五蘊無我」「煩悩否定」こそ、
人間の本質から離れた、人為的な「目逸らせ」「代替」「嵌めこみ」に過ぎない。
人生、苦があるからこそ、喜びが存在し得ることを、忘れてはならない。苦のない人生は、苦のみ
の人生と、何ら変わるところはない。悪魔パーピマンの批判は、極めて正しく、釈迦よりもはるかに深い。
禅は、少なくとも理論的にはそのような自己中心的宗教観念さえ脱却出来る点で、仏教としては正道
であろう。
釈迦佛教は、どう見ても、開祖の神格化、仏典の言葉の盲信に基づくカルト宗教としかいえない。
〔注〕:欝病等による「精神的苦痛」も医学等に頼りましょうw。