☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26

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51神も仏も名無しさん
苦や煩悩は、種属としての人間の生存を含め、実は人間の生存にとって極めて重要、いや不可欠な
精神作用である。病気に苦が伴わなければ、治療する機会を逸し、最悪の場合は、「最大の苦」と
しての死に至る。明日の生活に必要な金に思い煩わなければ、路頭に迷う。子について思い煩わな
ければ、子は育たない。自己中心主義から生じる苦がなければ、他者との共生に支障が生じる。

そもそも、苦や煩悩がなければ、他者の苦や煩悩を理解して、それに共感する能力の養成と向上(これを、
「人間の成長」と呼ぶ)が不可能になる。

最近報道されている、親の放置による痛ましい幼児の餓死は、親にこの苦と煩悩がなかったからである。

従って、苦や煩悩は、「排除すべき異物」どころか、生存の維持に不可欠な、「感謝すべき対象」なの
である。

釈迦は、これらのことに思い至らなかった。釈迦の子は、無事に育ったのか。

イエスは、「空の鳥」や「野の花」は思い悩まないと言ったが、とんでもない。彼等も、一瞬の
休みも無く、生きるための努力を続けていることが、イエスには理解できなかった。彼は、「明日のこと
を思い悩むな」と言ったが、人類は「明日のことを思い悩み続けた」からこそ、今日まで存続している
のである。