☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート26

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386神も仏も名無しさん
「苦」は、誰にとっても避けたいものだが、しかし、よく考えてみると、
苦は、生存本能(生命)による極めて重要な「警告」であり、むしろ
感謝すべきもの。

病気の際に苦痛がなければ、治療の機会を逸し(勿論、身体の自然治癒力
が全力で闘うが)、最悪の場合は、最大の苦としての死にいたる。

専ら自己中心主義から生じる苦は、自己中心では、共生に障害をもたら
しますよ、という警告である。

また、苦があるからこそ、喜びが存在し得る。苦が存在しない「涅槃」は、
苦のみの「地獄」と何らの相違もない。

さらに、苦がなければ、他者の苦に対する理解と共感の育成(これを
「人間の成長」と呼ぶ)も不可能になる。

このように、苦を、生命による生存の維持のための重要な警告である
ことを覚り、受け入れ、それに感謝すれば、苦は軽減され、除去される。
釈迦のように、苦を、二項対立的に「排除すべき異物」とだけしか意識
できなければ、苦は強まるだけである。この点において、釈迦は根本的に
誤っていた。彼の鬱病の症状として、止むを得なかったことではあるが。