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神も仏も名無しさん :
2010/03/07(日) 03:04:41 ID:vC3r/gwa ウパデーシャ・サーハスリー (シャンカラ著/前田専学訳) より引用 韻文篇 第十二章 三節 〔一〇人の少年たちが川を泳ぎ渡ってから〕 自分自身がその第一〇番めであった〔一人の少年〕が、 自分自身も〔他の〕九人のうちにいる、と考えて、 〔「一人足りない」と判断し、別の少年から、 「君が第一〇番目だ」と言われるまで、そのように理解していたように〕、 この混迷に陥った世人は、〔アートマンを統覚機能などのような〕 認識対象のうちにある、〔と考えて〕、それとは別様には〔理解して〕いない。 ----- かっこ〔 〕の中は、前田氏の注釈文で、それをつなげて読めるような 形に翻訳されているので、逆に少し読みづらくなってますが 意味はわかりやすいと思います。 ラマナ・マハルシの Be As You Are (あるがままに) を読んだ時に 「川を渡る10人」のたとえ話がでてきて、地元の民話か何かから マハルシが創作したのかな、と思い込んでいたので、1200年も昔の シャンカラ (Adi Shankara 788〜820 中世インド) の本に、 ちゃんと元の話が載っているのを知って、とてもびっくりしました。 他にも、縄をヘビと見間違える話とか、 鋳型に注いで様々な形になっても銅は銅、っていう話とか ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが 質問者との対話で、よく引き合いに出すような例え話の元ネタが 昔のシャンカラの本にでてくるので、もしかすると インドのヴェーダ関連の古典では、ありふれた題材なのでしょうか? インドの古典はさっぱり知らなくて、何か勘違いしてたらすみません