シャンカラ/マハルシ等【不二一元論】アドヴァイタ

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4神も仏も名無しさん
ウパデーシャ・サーハスリー (シャンカラ著/前田専学訳) より引用
韻文篇 第十二章 三節

〔一〇人の少年たちが川を泳ぎ渡ってから〕
自分自身がその第一〇番めであった〔一人の少年〕が、
自分自身も〔他の〕九人のうちにいる、と考えて、
〔「一人足りない」と判断し、別の少年から、
「君が第一〇番目だ」と言われるまで、そのように理解していたように〕、
この混迷に陥った世人は、〔アートマンを統覚機能などのような〕
認識対象のうちにある、〔と考えて〕、それとは別様には〔理解して〕いない。

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かっこ〔 〕の中は、前田氏の注釈文で、それをつなげて読めるような
形に翻訳されているので、逆に少し読みづらくなってますが
意味はわかりやすいと思います。

ラマナ・マハルシの Be As You Are (あるがままに) を読んだ時に
「川を渡る10人」のたとえ話がでてきて、地元の民話か何かから
マハルシが創作したのかな、と思い込んでいたので、1200年も昔の
シャンカラ (Adi Shankara 788〜820 中世インド) の本に、
ちゃんと元の話が載っているのを知って、とてもびっくりしました。

他にも、縄をヘビと見間違える話とか、
鋳型に注いで様々な形になっても銅は銅、っていう話とか
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが
質問者との対話で、よく引き合いに出すような例え話の元ネタが
昔のシャンカラの本にでてくるので、もしかすると
インドのヴェーダ関連の古典では、ありふれた題材なのでしょうか?
インドの古典はさっぱり知らなくて、何か勘違いしてたらすみません