追記
>>47 >肉の思いと 霊の思いの二元論的な対比
その場合でもたぶんその「肉の思い」は「いずれなくなるところの現時点での
一つの状態」と理解しているのでは?滅ぼされるべき一つの過渡的「状態」
としての「悪」があるだけであると。
「世の悪」もたぶん同じですが、現在でもその支配の意志と力は常に圧倒的で
あり、一般大衆には抗う術(すべ)など皆無、それほどに強い力を持っていて、
それがいつか大衆の大半を殺戮するまでに「姿を現すときが来る」、
そのときがその「悪」が栄える最後。そこでタオルを投げて、天を西から東に
ひらめき渡るようにして「イエス」が現れて、最後の取り仕切りを実行し、
状態が一気が転換する、それが「最後まで耐え忍ぶ者が救われる」(マタイ24章)
の実現となるのでしょう。