毎度、話があやふやですね・・・
要は、二乗と仏の違いを言いたかったのですが。(頭が悪いというのは悲しい)
冒頭に申しましたように、私だって神を感じる瞬間はあるんです。下手な詩を書くこともあります。
物事の道理を解ったように、苦笑いをすることも。
でも、いつもそこで終わりです。世界は何食わぬ顔をしています。
「俺は、ノーベル文学賞は捨てた」「言葉を刻むように、行為を刻め」 ある日の三島の言葉です。
その彼の「行為」が、あのように空虚な結果を生んだのはなぜか?
「声聞・縁覚」の位から、一気に地獄に落ちたのは、なぜなのか?
ここに、私は、人間の境涯というものの不思議を見るのです。あるいは宿業のそれでしょうか?