☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート25

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905神も仏も名無しさん
>>900
そもそも、煩悩とは、種属としての生命の維持を含め、生命を維持するソフト
として精神の働きです。案じるべきことを案じなければ、生命を維持することは
できません。

煩悩は、「生きていることの証(あかし)」です。「煩悩を去れ」ということは、
「死ね」ということ、「生命の否定」にほかなりません。

釈迦の「苦悩除去法」は、方法論的に誤り。

苦悩は、自我を去り、他者に心を移すことにより、軽減・除去される。このこと
により、初めて、社会が維持されるのです。人間を初めとする如何なる生物も、
「独りでは生きられない」からです。

一切衆生は、意識的・無意識的に、この自覚を基盤としているから、共生が可能
なのです。

大乗仏教は、「真如としての衆生心」や「相互依存性・関係性」の原理の発見に
よって、このことに思い至りました。釈迦には、その片鱗も見出せません。
だニアの章からだけでも、明らかです。