○●Я親鸞仏教質問箱R(その7)●○

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418渡海 難  忍法帖【Lv=7,xxxP】   ◆Fe19/y1.mI
 教行信証講義(山辺習学・赤沼智善 共著)

 先ず戒律を保つことと、坐禅を修むることを一応正法と名ける。けれども仏教中の真宗とは云
われぬ。その真宗は念仏して仏になる所の他力の教がそれである。(中略)禅律の教は一応正法
と名けることが出来る。しかし先にも申した通り真の正法は世間のあらゆる教に超え勝れたもの
である。この明徹〈すきとお〉った見解に坐る時は、坐禅も戒律も正法とは云われぬ。念仏三昧
の他力の教こそ、超世希有の正法である。仏教中の真実宗である。他力念仏の教によって、浄土
に往生する時、仏性を開発し、心性を証る、これを仏と名けるのである。念仏成仏が仏教中の真
宗であるということは、かように能く道理に相応しておるではないか。(中略)持戒坐禅是正怯
というは、一代教を悉く拉(さら)し来って、これは皆外道邪教に対すれば、誠に正法であると
いうことである。然しこの正法は、所謂、浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。一歩を進め
て念仏成仏是真宗、如来回向の大行に依って往生する弘願法こそ真実の真教真宗であるというの
である。

 親鸞聖人の教え         持戒坐禪を正法と名づく
山辺習学・赤沼智善の教え   一応正法と名ける
 親鸞聖人の教え
 坐禅持戒がなければ、真の効果が無い。腹の足しにならない。腹をすかせた仏になって、どれ
だけの意味があるというのか。坐禅持戒をしなさい。
山辺習学・赤沼智善の教え
 持戒坐禅是正怯というは、 〜 外道邪教に対すれば、誠に正法であるということである。然
しこの正法は、所謂、浄土の要門で、いまだ至極の教ではない。坐禅持戒をやめなさい。