人種差別書き込みをしてる法華講関係者はきっと
日護会等のネットウヨクですね
妙観講から支援されてるそうなのでw
882 :
神も仏も名無しさん:2010/06/20(日) 18:09:19 ID:oWOtLlKb
イケメチョン重篤って噂だよ。
>>883 誰から告訴されるのかね?
引き篭もりガキのお仲間クン。妙観講は大東亜戦争を侵掠戦争と主張しているからネウヨではないな。
>>884 で
ネットウヨ団体にビラまきのための金を出すの?W
>>885 レス早杉w
妙観講のことは妙観講へ聞けば?俺は妙観講が嫌いなんだよ。
887 :
神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 09:39:30 ID:3hR9r8Bf
<わが友に贈る>
さわやかな
勤行・唱題で
一日を出発しよう!
なすべきことを明確に
さあ今日も前進勝利!
888 :
神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 09:49:45 ID:3hR9r8Bf
<“名字の言”より>
日蓮大聖人は、諸宗と法論するための問答集を著された(早勝問答)。
例えば、大聖人が「念仏無間」と訴える根拠は法華経にあるのか、との設問。
大聖人はこれに対し、すぐに文証を示さず、まず“文証があれば、自身の主張を認めるのか”と質(ただ)す。
相手が言い逃れする余地を最初に塞(ふさ)いだ。
重ねて「法華の文を尋ぬるは信じて問うか信ぜずして問うか」と詰問(きつもん)。
議論のための議論に陥らぬよう、相手の覚悟を促す。信なき言論は煙のごとし。
大聖人が烈々たる気迫と大情熱で、正義を訴えられる様子が目に浮かぶ。
対話は、人格と人格の触発の場。
相手を納得させゆく真剣さと誠実さに貫かれてこそ、有意義な語らいとなろう。
友の心を揺さぶる「確信の対話」を、今こそ広げていきたい。
889 :
神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 09:54:29 ID:3hR9r8Bf
<今週の言葉>
全同志が心を一つに
「創価完勝」の旗を!
試練と戦う友に
最大のエールを送れ!
これが「異体同心」だ。
890 :
神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 10:02:52 ID:3hR9r8Bf
<名誉会長とともに未来を開く対話 科学と平和の巨人・ポーリング博士>
史上ただ一人、単独で二つのノーベル賞(化学賞・平和賞)に輝いたポーリング博士。
池田名誉会長に4度、会見。名誉会長の講演の際には博士が講評を。
ともに対談集『「生命の世紀」への探求』を発刊した。
☆名誉会長
戦火に苦しめられた わが青春
恩師は軍部と戦い抜きました。
ポーリング博士の言われる通り
核の力よりも偉大なのは
人の心であり、精神の力です。
☆ポーリング博士
私たちには創価学会があります。
宗教の本来の使命である
平和に尽くす池田会長がいます。
私たちは 菩薩の実践に
立たなければならないのです。
891 :
神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 10:14:46 ID:3hR9r8Bf
浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判(しょはん)なり浅きを去って深きに就(つ)くは丈夫(じょうぶ)の心なり (顕仏未来記 509ページ)
浅い教えは信じやすく理解しやすいが、深い教えは信じ難く理解し難い、とは釈尊の教判である。浅きを去って深きに就くのが仏の心である。
浅い爾前権経(にぜんごんきょう)を捨て、深い法華経につくことが、仏の心であり成仏の直道である、との釈です。
892 :
神も仏も名無しさん:2010/06/21(月) 10:38:49 ID:3hR9r8Bf
一句をも人にかたらん人は如来の使(つかい)と見えたり (椎地四郎殿御返事 1448ページ)
通解:法華経の一句でも人に語る人は、如来の使いであると説かれている。
仏法は、決して観念的なものではなく、仏法の素晴らしさを語り、行動していく私たちの生命の中に脈打っていることを教えられた一節です。
893 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 08:47:06 ID:6lDCLzb8
必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび愚者は退く (兵衛志殿御返事 1091ページ)
通解:必ず三障四魔という障害が出てくるので、賢者はそれを喜び、愚者はひるんで退く。
894 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 08:52:32 ID:6lDCLzb8
<“名字の言”より>
牧口初代会長は「人生、あきらめなくてすむことが、たった一つある。それが信心である」と。
誰にも“不可能を可能にする力”がある。そう強く信じて行動しよう。
今が、それを実感するチャンスである。
895 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 08:56:56 ID:6lDCLzb8
<“寸鉄”より>
・池田先生の思想に調和社会をリードする力がある --- 中国学長。
人類連帯の光
・「活発な精神は常に幸せである」ジェファーソン大統領。
自他共の幸福へ生き生きと語れ
・公明の基準は「現場の声」
ゆえに政策に説得力が --- 識者。
理念と行動で輝け
・悪を放置するな!敢然と打ち破っていけ --- 恩師。
草の根対話で正義を拡大
896 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 09:02:58 ID:6lDCLzb8
<“新・人間革命”より>
小さなことであっても、行動を起こしていくことが大事です。
行動することによって、自分の思いを人びとに伝えていくことができるし、自身の心を鼓舞(こぶ)することもできる。
行動こそ、社会を築く力です。
897 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 09:10:27 ID:6lDCLzb8
<名誉会長とともに未来を開く対話 南米チリ エイルウィン大統領>
南米チリのエイルウィン大統領は軍事独裁を倒した哲人政治家。笑顔の奥に、虚偽を許さぬ断固たる闘志が光る。
池田名誉会長は1992年以来、日本とチリで出会いを重ね、対談集『太平洋の旭日』を発刊した。
☆名誉会長
私は、「歴史を動かす英雄」は
民衆である、との
確信をもっております。
民衆を離れて いっさいの
運動は ありえません。
☆エイルウィン大統領
私たちは、くじけませんでした。
勝利への確信は、日に日に
強まっていきました。
民衆自身が 強く
賢明にならなければなりません。
898 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 09:22:39 ID:6lDCLzb8
よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成すべからず (華果成就御書 900ページ)
通解:よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。
よい弟子を持つかどうかで、師弟の仏果が決まる、と師弟不二の峻厳な精神を教えられています。
899 :
神も仏も名無しさん:2010/06/22(火) 21:17:53 ID:6lDCLzb8
☆「色相荘厳(しきそうそうごん)」は方便
多くの経典では、仏の姿を描くのに、体が金色で眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)から光を
放つなどの三十二相を具(そな)えるものとして説かれています。荘厳な姿をとった、いわゆる
色相荘厳の仏です。
例えば、法華経方便品では「我れは相を以て身を飾り 光明もて世間を照らす」(法華経130ページ)
と説かれています。しかし実際には、三十二相を具えるような存在が現実にありうる道理はありま
せん。
天台大師が『法華文句(ほっけもんぐ)』で「身相炳著(しんそうへいじゃく)にして光色端厳
(こうしきたんごん)なれば、衆(しゅ)の尊ぶ所となり、則(すなわ)ち信受すべし」(大正
蔵34巻55ページ、要旨)と説いているように、経典において仏が荘厳な姿をもって表されるのは、
人々に仏への尊敬の念を起こさせ、仏法を信受させるための「方便」です。実際には、色相荘厳
の仏は、どこにも存在しない架空のものなのです。
901 :
神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 07:48:54 ID:cZSfxqGS
>>900 貴重な情報に感謝します。
「S」なる人物と、宗門の危険な実態が、ますます浮き彫りになりました。
これを読んでも、法華講員の人たちは、何も感じないのでしょうか?
「S」が多用している言葉を借りれば、まさに「頭破作七分」ですね。
902 :
神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 08:21:20 ID:cZSfxqGS
法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず (四条金吾殿御返事 1117ページ)
通解:法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火は得られない。
法華経の信心を最後まで貫き通すのことの大切さを教えられています。
903 :
神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 08:30:40 ID:cZSfxqGS
<寸鉄>
・韓国・鎮海(チネ)市から名誉市民賞。
「池田SGI会長の世界的な行動を深く尊敬」と
・勇気で立ち上がれ!正義は必ず勝利する --- 哲人エマソン。
学会魂燃やし攻め抜け!
・「沖縄慰霊の日」。
最も苦しんだ人こそ最も幸福に!
断じて平和の楽土を
・今国会の法案成立率、戦後最低の55%。
無責任極まる空転政治で日本漂流
・「日本人の生活、精神的豊かさない」7割 --- 調査。
創価の対話運動で大変革
904 :
神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 13:44:25 ID:cZSfxqGS
大地はささばはづるるとも虚空(おおぞら)をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず (祈祷抄 1351ページ)
通解:大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことは絶対にない。
法華経の行者の祈りは必ず叶う、との仰せです。
905 :
神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 14:47:24 ID:cZSfxqGS
此の経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ (新池御書 1443ページ)
通解:この経の信心というのは少しも我見なく経文のとおりに、人の言を用いず、法華経一部に背くことがなければ仏になるのである。
あくまでも、仏法の教えに基づき、また「人の言」ではなく、仏の言葉に基づいて信心していくことが肝要である、と仰せになられた一節です。
906 :
神も仏も名無しさん:2010/06/23(水) 23:42:56 ID:cZSfxqGS
☆「仏」の実像を示された日蓮大聖人
経典が説く仏が架空のものであるならば、仏の実体は一体どこにあるのでしょうか。
このことについて日蓮大聖人は「諸法実相抄」で「凡夫は体(たい)の三身(さんじん)にして
本仏ぞかし、仏は用(ゆう)の三身にして迹仏(しゃくぶつ)なり」(御書1358ページ)と述べ
られています。
すなわち大聖人は、経典に説かれている色相荘厳の仏は現実には存在しない「迹仏」であり、仏
のさまざまな働き(用)を象徴的に示すために説かれたものに過ぎないとされています。
そして、現実に存在する仏、実体を具えた仏は「凡夫」であると言われているのです。
(続く)
907 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 09:44:20 ID:45dscpNU
凡夫が仏であるととはどういう意味でしょうか。
凡夫である以上、完成されたものではありません。どこまでも未完成な、修行途上の存在です。
仏道修行を志したとしても、修行途上の存在であるという意味では菩薩です。大聖人は、その
菩薩が実は仏であるとあれているのです。
言い換えれば、完成された仏(本果の仏)は経典上で説かれていても、一つの観念であり、実
在するものではありません。
だからこそ、それらの仏は「迹仏」とされるのです。
菩薩が仏であるということについて、池田名誉会長は『法華経の智慧』で次のように述べてい
ます。
「菩薩ということは、完成(仏果)ではなく、未完成(仏因)である。未完成でありながら、
完成(仏果)の境涯を漲(みなぎ)らせている。否、完成(仏果)の境涯を法楽しながら、し
かもさらに先へ、さらに高みへ、さらに多くの人々の救済へと行動している。未完成の完成で
す」(『池田大作全集』第30巻149ページ)
戦い続けている未完成の中に完成(仏果)の境涯が含まれているのです。
908 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 09:51:23 ID:45dscpNU
願くは我が弟子等は獅子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠却(おんのんごう)より已来(このかた)日蓮がごとく身命をすてて強敵の科(とが)を顕せ (閻浮提中御書 1589ページ)
通解:願わくは、私(日蓮)の弟子たちが獅子王の子となって、狐たちのような謗法の輩に笑われることがあってはなりません。遠い過去の昔から、正法弘通のためにおきる強敵の過ちを、この日蓮のように身命を捨てて顕していきなさい。
謗法の輩に対しては、何者をも恐れぬ心をもって、断固として破折し、責め抜くようにと教えられた一節です。
909 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 09:53:22 ID:45dscpNU
<わが友に贈る>
広布も人生も
「断じて勝つ」と
決めた者が勝つ!
正義の声 高らかに
希望の快進撃を!
910 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 10:00:12 ID:45dscpNU
<“名字の言”より>
御聖訓には「一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ」(御書970ページ)と。
「臨終只今」の決意で、今、やるべき事を全力でやる以外に、悔いを残さない方法はない。
学会指導に次のようにある。
「短期決戦は、一日たりとも空費できない。一日一日が珠玉(しゅぎょく)の時間である。
一日一日が渾身(こんしん)の勝負だ」と。
使命を果たす時は、明日でも、1時間後でもない。今この瞬間なのだ。
民衆の笑顔輝く世紀を目指し、不二の覚悟で生きる革命児でありたい。
911 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 10:07:05 ID:45dscpNU
<“寸鉄”より>
・我らの最大の収穫はSGI会長の英知の言葉 --- マンデラ元大統領
友の心に響く情熱対話を
・「先んずれば人を制す」
勝負はスピードで決まる
創価完勝へ、勇敢に進め
・参院選が公示。
公明よ正々堂々と戦い断固勝て。
議員・家族も総力を挙げよ
・「毀(そし)らん人には弥(いよい)よ申し聞かすべし」御書。
正義と真実の声でデマは打ち破れ
912 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 10:16:16 ID:45dscpNU
師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり (御義口伝 748ページ)
通解:「師子吼」の「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟が共に唱える音声(おんじょう)をいうのである。
師と弟子がともに妙法を唱え、弘めることが「師子吼」の意義であるとの一節です。
913 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 11:05:27 ID:45dscpNU
過去に人を障(ささえ)る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生(こんじょう)に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値(あ)うなり (兄弟抄 1083ページ)
通解:過去世に人の修行を妨げた罪によって未来世には大地獄に堕ちるはずであったところを、現在世に正法を行ずる功徳が大きいので、未来世に受けるはずの大苦を現在に招き起こして、少苦として受けているのである。
正法を持(たも)つ者が大難を受ける理由として「転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)」の法門を説かれ、宿命転換の功徳があると述べられています。
914 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 15:01:32 ID:45dscpNU
☆「菩薩仏」を体現した地涌の菩薩
菩薩が実は仏であるという「菩薩仏」の思想は、法華経にも明確に示されています。
法華経従地涌出品に説かれる地涌の菩薩は、あくまでも菩薩として登場しますが、
その姿は仏と同じような尊貴な姿であったと説かれています。
成仏を目指して修行している菩薩が目標としている仏と同じであるとは不可解です
が、このことは地涌の菩薩の本地(ほんち)が永遠の仏であることを暗示している
のです。
地涌の菩薩の存在は、民衆救済のために戦い続ける菩薩行の中にこそ仏の大境涯が
現われることを示しているといえましょう。地涌の菩薩は、まさに「菩薩仏」の思
想を体現した存在なのです。
根源の悟りを得た仏であっても、実際の姿としては菩薩であったともいえます。実
際に、釈尊も日蓮大聖人も、自身の悟りに安住するのではなく、民衆救済のため、
一人の人間として戦い抜かれました。
大聖人が「日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用
心深ければ身によせつけず」(御書1340ページ)と仰せのように、悟りを得た後も、
魔との戦いは続いていたのです。釈尊や大聖人の振る舞いは、戦い続ける人こそが
仏であることを示しているといえましょう。
915 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 19:46:08 ID:sj5b/eHM
916 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 19:56:30 ID:sj5b/eHM
917 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 22:40:18 ID:DAyRe44q
918 :
神も仏も名無しさん:2010/06/24(木) 23:31:44 ID:sj5b/eHM
919 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 08:41:12 ID:0T/UFh6l
<わが友に贈る>
定めた「誓い」は
断じて果たす。
それが信心だ!
それが師弟だ!
共戦の友に光あれ!
920 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 08:50:40 ID:0T/UFh6l
<“名字の言”より>
日蓮大聖人は、法論に臨む門下に、「所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑(たの)みて・あやぶむ事無かれ」(御書1451ページ)と、
「覚悟」を促された。
権力者と結びついた念仏僧を論破すれば、領地を減らされたり、家族に危害を加えられたりするかもしれない。しかし、そのような
難に恐れを抱けば、大事な法戦に敗れてしまう。“何としても勝たせたい”との、弟子を思う師の慈愛が胸に迫ってくる。
「いざという時こそ、決然と、正義に生き抜く。(中略)その覚悟が、わが境涯を大きく開いていく」と池田名誉会長。難を恐れぬ
“師子王の心”で、広宣流布の主戦場へ打って出たい。
921 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 08:56:02 ID:0T/UFh6l
<“寸鉄”より>
・韓国・九老(クロ)区がSGI会長に名誉区民証。
「持続的な友好増進に深く感謝」区庁長
・御書「法華の題目は獅子の吼ゆるが如く」。
猛然と祈れ。
大生命力で進め!
・いくら嘘をついても真実はごまかせない --- ロラン(作家)。
偽相承バレた法盗人(ほうぬすっと)日顕
922 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 09:21:51 ID:0T/UFh6l
三類の敵人を顕さずんば法華経の行者に非ず之を顕すは法華経の行者なり (教機時国抄 441ページ)
通解:三類の強敵を顕さなければ、法華経の行者ではない。三類の強敵を顕すのが、法華経の行者である。
「三類の強敵」をあえて叩き起こし、戦い、打ち破ってこそ、法華経の行者である、と教えられた一節です。
923 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 09:33:47 ID:0T/UFh6l
法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐る事なし (千日尼御前御返事 1316ページ)
通解:法華経の師子王を持つ女性は、一切の地獄、餓鬼、畜生などの百獣に恐れることはない。
一切経に勝る師子王の経典である法華経を持った女性は、何ものも恐れる必要はないとの仰せです。
924 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 12:13:01 ID:G69vqlJ2
>>920 第四に、折伏を決するのは、法論の巧(たく)みさではなく、覚悟ある絶対的確信です。
大聖人様は弥三郎に対して、
「構へて構へて所領を惜しみ、妻子を顧(かえり)み、又人を憑(たの)みてあやぶむ事無かれ。但偏に
思ひ切るべし。(中略)人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり」
と仰せになられています。折伏を実践するときの心構えとして、所領を惜しんだり、妻子を顧みてはならないとは
成仏を決する折伏行に際して、必ず起こる法難を乗り越えるためには、あらゆる執情を離れる絶対の確信が大事であることを
御指南されたものです。そして、法華経の信仰者として名を揚げる信心を激励される一方、ここに法華経が難信難解と言われる所以
があると仰せです。
私たちは、折伏に臨むとき、大聖人様の弟子檀那としてその名を下さぬよう、潔(いさぎよ)い信心に
住してまいりましょう。
これが正統門家と異流義の相異。
925 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 12:23:05 ID:0T/UFh6l
926 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 12:30:37 ID:0T/UFh6l
>>924 それから、
>>920は、「覚悟」の大切さを伝えたいがために、御書の一節を引用したものであって、
君が転載したサイトのように、「弥三郎殿御返事」を講義したものではない。
その違いすら理解できずに、小賢しげな書き込みをするものではない。
927 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 14:32:37 ID:0T/UFh6l
<“新・人間革命”より>
「牧口先生は、小学校の校長でしたが、常に信念を貫いたことから、権力者ににらまれて、
学校を追われています。迫害の連続でした。その牧口先生を、一貫して守ってこられたの
が、、戸田先生でした。留任運動の先頭にも立って戦っています。
また、戸田先生が、私塾・時習館を開いたのも、牧口先生の教育学説を、弟子の自分が実証
しようとの思いからでした。さらに、将来、牧口先生の本を出したい、そのための資金も自
分が用意しようと心に決めて、懸命に働いてこられた。
その戸田先生が、牧口先生には、本当によく叱られたと言います。戸田先生は、自分を全力
で訓育してくれる師に深く感謝し、牧口先生に付き従われた。そして、軍部政府の弾圧と戦
い、牢獄にまでも、お供されることになる。それが師弟です」
世間の多くは、謹厳実直な牧口を、世事に疎い、一徹者の老人と見ていたようだ。しかし、
戸田は、牧口に仏を見ていたのだ。人類の救済を宿願とする師匠の大生命を、一心に見すえ
ていたのである。
常不軽菩薩は、会う人、会う人に、「我深敬汝等(がじんきょうにょとう)」の二十四文字
の法華経を唱え、礼拝・讃歎して歩いた。一切衆生の仏性を見すえていたからである。
仏法の眼を開いてこそ、眼前の現象に惑わされることなく、深い生命の本質を見ることがで
きる。仏法の師弟の道は、信心の眼によってこそ、見極められるのである。
公明党から、誰が出てんのかな?入れなきゃ!
929 :
神も仏も名無しさん:2010/06/25(金) 19:42:43 ID:0T/UFh6l
☆仏の特質は「強さ」「歓喜」「慈悲」
仏が凡夫の生命に現われるのであれば、仏の境涯とは具体的にどのようなものでしょうか。
仏の特質は、一つには、いかなる苦難にも屈することのない「強さ」を備えることです。
経典には、仏の徳性として「無畏(むい)」「無憂(むう)」と説かれています。仏とは、
どのような逆境に遭遇しても、落ち込んだり、恐れたりしない境涯です。
「何があっても、心配しない。すべて乗り越えていける」との確信がみなぎっているから
です。
日蓮大聖人は佐渡流罪という極限状態に置かれても、「流人(るにん)なれども喜悦(きえ
つ)はかりなし」(御書1360ページ)と仰せられ、その大難の中で多くの御書を執筆されま
した。「遊行(ゆぎょう)して畏(おそ)れ無きこと師子王の如くなるべし」(同1124ペー
ジ)と仰せのように、どのような状況でも前進を続けていける強さを備えるのが仏の境涯で
す。
(続く)
930 :
神も仏も名無しさん:
仏の第二の特質は「歓喜」ということです。その喜びは欲望を満たした時に感ずる天界の歓喜ではなく、
生きていること自体に感得する喜びです。「何があっても楽しい」という、いかなる状況にも左右されな
い境涯なので「絶対的幸福境涯」というのです。
例えば、六根清浄の功徳を説いた法華経法師功徳品は、「舌根(ぜっこん)」の功徳を示す中で、妙法を
受持した人は何を食べても最高のご馳走にように感じられる境涯になると説いています。平凡な生活の中
でも汲めども尽きない歓喜を感じられる境涯に至るというのです。
(続く)