>>541 とりあえず、「百六箇抄」については、後加文と認めたわけだ。
それで次に「御本尊七箇相承」の話に移ろう。
最も問題にするべきは、日興・日目両上人ともに、御本尊七箇之相承に書かれてある通りに、御本尊を書写していないということだ。
「南無妙法蓮華経」と「日蓮」が直線状に並ばないものがあるのはなぜか?
また、「南無妙法蓮華経 日蓮聖人」となって「在御判」と無いものがあるのはなぜか?
日興・日目両上人に相伝がなかったというのは、少なくとも創価学会または日顕宗の中にはいないだろう。
ならば残された可能性は、後世の捏造、つまりは後加文ということである。
それでもなおかつ「後加文ではない」と主張するのであれば、日興・日目両上人が、「御本尊七箇之相承」に書かれてあるとおりに御本尊を書写しなかった根拠を示さなければいけない。
前もって言っておくが、「自分はこう思う」というように、個人的な推測をダラダラ書き並べるのだけはやめなさい。