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神も仏も名無しさん:
また、登山会は宗門古来の伝統ではありません。
もともと、大石寺への「登山会」は、戸田第2代会長が始めてから、信徒全般に広がりました。
戦後まもない頃、宗門は窮乏(きゅうぼう)して、大石寺を「観光地化」する動きさえあった。
こうした惨状(さんじょう)を憂慮(ゆうりょ)された戸田会長が、本山の外護(げご)を願い出て、月例の登山会が始まったわけです。
堀上人によれば、大御本尊は広宣流布の時まで一般には公開しない、というのが宗門の原則でした。
しかし学会は、信心練磨(れんま)の場として登山会を実施したのです。
つまり、学会の登山会は信心が一切の目的でした。
「信心のための登山」であって「登山のための信心」ではない。
今のように、とにもかくにも“登山しろ”“登山しろ”では、信徒の心が離れていくのも当然です。