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神も仏も名無しさん:
日顕宗は、法主の地位を権威付けるために御書や相伝書を悪用しています。
例えば、「御本尊七箇相承」の中の「代々の聖人悉く日蓮」という一節。
あるいは、「百六箇抄」の「上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」との一文もそうです。
これから、末寺坊主や法華講員が金科玉条のごとく利用する典型的な「切り文」です。
しかし、まず前提として、これらは「後加文」、つまり、大聖人ご自身が書きあらわされたものではなく、後世の者が後に書き加えたものです。
そのうえで、碩学と言われた堀・日亨上人は、我々の信仰実践に役立つ限り、後加文も活用しようとされたように思われます。
それは、「御書全集」の「凡例」に「真偽未決の問題となるものも信行に資するものは之を取る」と記されたことからもうかがえます。
今は、日顕や日如といった法主自身が信心を失い、広宣流布を妨害しています。
根底から狂ってしまった現宗門の実態を見れば、堀上人は、法主の立場を神聖視する後加文の悪用など断じて認められないでしょう。