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少林拳退部者:
20年余り前に、安易な気持ちで勧誘に付いていって、入部することになった。
毎日、胴受け(人間サンドバック)で具合が悪くなった。拳立100本できなければ、蹴り飛ばされた。
私は体が虚弱だったので、健康面でついていけなかった。同級生のこともあり、しばらく辛抱したが、体が壊れつつあった。
体がついていかないので退部を願い出ると、囲まれて脅しとも懐柔ともつかない話で延々と説教された。
らちがあかないので、「もうかえります。」と言って、道場を出ようとすると、捕まえら顔面を張りまわされた。
どうしたものか思案し、学内カウンセラーに相談したら学生課に状況を連絡してくれた。しかし、学生課に相談したら、慰留(辛抱しろ)された。
学生課の職員が少林拳法のOBだったのだ。
なんとか、夏休みまで頑張ったが、体は傷んで傷んだろう。夏休みは帰省して休養していた。
8月下旬、某温泉地において合宿があった。
行く前から体が異常に熱いように感じていた。合宿二日目の昼前、力つきて動けなくなった。
立て馬鹿野郎のようなことで、ボロクソに言われた。それでも先輩の中でも一部の人はもともな人であったため、病院に直行となった。
体温が43度あった。点滴と氷のうで何とか熱は下がった。
熱が下がったら両腕が動かなくなっていた。筋炎らしいとかのことで、何とか歩けるが荷物ももてない状態であった。
そのため、遠方から母に連れに来てもらい福岡まで帰った。母が一人で県外旅行したのはこの時が最初で最期である。
その後、しばらく福岡市内の公立病院に入院し、快方に向かったので退院した。
体が相当壊れた旨を申し出し、退部となった。
このときの後遺症は、1年以上続いた。
少林憲法部員には、卒業まで学内で出会う度、馬鹿にされ続けた。特にシ○イバンクに就職した男は性悪で悪質であった。(憲法はかなり強かった。)
今にして思えば、殴られたときに殴り返してリンチを受けていたらよかったとおもう。
そうすれば、まっとうで前向きな解決が得られたかもしれない。
私の忌まわしい思い出です。