>>531 >脳死者の臓器は、移植されて、recipientの生命を維持する。臓器の細胞が「生きている」 からである。
人の意見はきちんと読みましょうよw
私は、「脳死患者の臓器の生命活動は停止している」などとは、一言も言ってませんよ?w
私が言っているのは、
「脳死患者の細胞が生命活動をしている」という事と、
「人間を人間たらしめている要素は何で有るか?(人間の根源は何か?)」という議論は、
全く無関係だという指摘です。
さらに蛇足を言えば、
「脳死患者が『生きている』と定義するのならば、脳死患者から臓器を奪う事は、
『生きている』患者から、臓器を奪う事になり、倫理的に問題があるんじゃないか?」
と言う指摘です。
535 :
神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 00:18:44 ID:jiHrWY/j
>>532 >(後学の為に、「赤肉団=心臓」と言う意味であると、解説している文献な
>どを引用していただけませんかね?)
「岩波佛教辞典」の「赤肉団」「一無位の真人」の項目。あくまで、臨済録の
用語の意味。
発生の順序が、生命の維持に必須のものから始まると考えるのも、無意義ではあるまい。
>>535 突っ込みどころ満載ですなwww
>「岩波佛教辞典」の「赤肉団」「一無位の真人」の項目。あくまで、臨済録の用語の意味。
私は、「引用してくれませんか?」と聞いたんですがね?
貴方の論拠の「場所」を聞いたんではなく、論証の「内容」をお聞きしたんです。
本当にあなた方は、「この書物に書いてあるから正しいんだ」と言う論調がお好きですねw
>>535 >発生の順序が、生命の維持に必須のものから始まると考えるのも、無意義ではあるまい。
今話題にしているのは、「人間」にとって、必要不可欠な要素の話ですよね?
「生命の維持=単なる細胞の生命活動」に必須なものの話題ではなかったと思うんですが?
第一、チョットでも生物学を齧ったことが有る人なら、
「発生の順序から考えて、生命の維持に一番必須なものは心臓である」なんて事は言えないはずです。
なぜなら、仮に、貴方の主張の通りに考えた場合、
「一番必須なもの」は「心臓」などでは無く、『肛門』ですwww
発生の一番最初に現れるものは、肛門だからですw
(厳密に言えば「皮膚」かもしれませんが。)
まあ、少なくとも、心臓は発生の中盤以降に現れるものなので、一番とは言いがたいですね。
また、「発生の順序=『人間』にとって不可欠な構成要素の順位」ではありません。
なぜなら、「受精卵→ 胚 → 胎児 → 乳児 → 成人」という、
過程の何処からが「人間」であるかと言う問題があるからです。
つまり、「人間」となる前に形成される器官は「人間」にとって不可欠な構成要素とはいえません。
(受精卵=「ヒト」とは言えますが、少なくとも「人間」としての活動は行えません。)
538 :
神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 11:28:12 ID:vqb3y14n
鬼便
539 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 00:35:17 ID:Qb+YJnYb
え〜と、ここの住人のみなさん
大変申し訳ないが、質問箱スレで、縁起一代の「劣化版」というか「たいこもち」
というか、まあ、そんなクソやろうに、いちゃもんつけられまして、
あそこで、言い争いしても質問希望者に迷惑がかかるもんで、少し
このスレを拝借させてくださいな。
早よ、こいよ、「たいこもち」
540 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 00:41:19 ID:XiO5PAAG
>>539 このスレは
“議論のための場”ですから、まったく構いません。
スレが荒れて険悪な流れとならないよう、
どうか健全な議論で宜しくお願いします。
541 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 00:45:54 ID:Qb+YJnYb
>>540 宝珠か。
>スレが荒れて険悪な流れとならないよう、
どうか健全な議論で宜しくお願いします。
これの保障はできんがな。 あのバカしだいだ。
って言うか、逃走か?
あの「たいこもち」は、以前から、野次のような下らんレスしか
付けられんようなクソだから、逃走も十分、考えられるが。
542 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 01:28:27 ID:XiO5PAAG
>>541 ハァ〜あなたでしたか?
って、誰よ!(笑)
いい加減、ちゃんとコテにして下さいよ。
あなたへの投稿文を今、書いている最中なのでした。
ですが、明日から温泉旅行に出かけるので、またお時間を貰います。
どうもすみません・・・。
取り合えず、できたものだけを投稿しておきます。
あなたへの宿題付きなので、これで時間を稼ぎますw
是非、回答のほどを宜しくお願いします。
543 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 01:33:33 ID:XiO5PAAG
>>464>>501>>527 遅くなりました。
「初期仏教」とは、『釈迦が生きていた時代を含み、釈迦の死後およそ100年から200年間までの間
の仏教をいう。』(Wiki)という意味合いで良いものと思います。
並川氏の見解というのは、つまり、実際のゴータマは輪廻転生などというものは現在、考えられてい
るような教義的意味合いとしては全く教えてなどいなかった、というものだろうと思います。ということ
は、ゴータマの死後100-200年に到る間において、すでに歪曲が生じてゴータマが説いていたことに
なってしまった、ということなのでしょう。要するに、史実のゴータマが説いてなかったことを示す、その
名残りが最古層の経文であると・・・。違うでしょうか?
で、私からみれば、そもそもこの説の出発点であり、根拠となっているその最古層の経文の解釈が
不可解そのものだということ。
>しかし、どの経文も『輪廻を説いているもの、すなわち、輪廻が真実であり、
>読む者にそれを伝える趣旨で語られたものではなく、単に言及されたに過ぎないもの』であった。
はい、問題はココでしょう!「言及されたに過ぎない」というのが意味不明なのです。では、どう言及
したというのか?「そんなものはない」とでも言及したのですか?その言及部分が経文全体としての
意味と関りの中でどういう解釈となるのか?
それを、あなたがあの6経
>>324について説明、解説をしてみて下さい。私は、全く納得などできま
せんので・・・。こんな主張は恐らく、殆どのまともな仏教徒の誰もが認めないでしょう。
>「最古層資料には、釈迦が輪廻を積極的に説いた証拠は見られない」と主張してるな。
すでに説明した通りですよ。
>>342 >お前は、ただ、「釈迦は輪廻を当然のものとしていた。」と自己の願望を繰り返すのみで、
>その論拠を一切、提示しない。さあ、やってもらおう。逃げるなよ。
>「釈迦が輪廻を当たり前のものとし、それを前提として語った。」と判断できる
>資料は『最古層資料』のどこにあるんだ? 経文を挙げてみろ。
544 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 01:34:57 ID:XiO5PAAG
『このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。』(Sn.803)
“このような人”、つまり解脱者は涅槃に達して、この現世/現象界には還ってこない、といってるの
です。ならば、解脱者でない者は還ってくることを意味するでしょう。違いますか?つまり死後、再び
輪廻転生して母胎へと宿るのです。
『また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。』(Sn.865)
“それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり、それに基いて来世の成就は起こると
いっているのです。
<宿題>
この2経文でもいいですよ。今度は、私からあなたの解説を希望します。パーリ語的に根拠があるな
らば歓迎します。つまり、中村氏のこの訳文は間違いに過ぎないと。私としては、パーリ語からも肯定
的に説明できる方の解説を歓迎しますが、現在、残念ながら誰一人、そのような投稿者がいません。
証拠も何も・・・ハッキリと述べてると思いますが?そして、ゴータマの思想というものは輪廻転生を
前提として認めないと成り立たないことを幾らでも提示可能です。
あなたがたのように、ただの「苦」からの解放などというものには根拠はなく、輪廻を前提とした上
での「苦」としてみないと仏教理論的には崩壊するのです。でないと、ただの心理カウンセリングのレ
ベルに留まるのであり、仏教などは特に無用ということになるのです。
では、また〜^^
>>544 御都合主義神痴学の宝珠へ
もう、うんざりだ。
マハーカッサバ教=実質ジャイナ教の後裔アビダルマ・スコラ坊主経典の御都合主義引用と解釈はいいんだってw
縁起の思想と業報輪廻転生「物語」は両立しない。
そもそもブッダは経験主義者だ。
ブッダは凡夫に対して導師として接せられるのだから、
・「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、“いま眼のあたり体得される”この理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。」(スッタニパータ1053)
・「ドータカよ。伝承によるのではない、“まのあたり体得される”この安らぎを、そなたに説き明かすであろう。」(スッタニパータ1066)
・「“よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること”」(カーラーマ・スッタ)
上記文言からみても、ブッダは凡夫の理性と経験によって承認・了解できる、いま眼の当たり体得されうる理法を「実証」とする経験主義的証明を重んずる態度だ。
悟ればわかるとか、信じたらわかるとか、書いてあるとかは経験的証明ではない。
輪廻転生なんてまったく経験主義的証明ができていない知りえないことなんだよ。
知りえないことを知っているかのごとく語るのを「物語」=フィクションという。
フィクションを真実と主張したらアフォです。
アビダルマ経典は「伝承」と自称するが、そのような自称「伝承」によるなと言っているのがスッタニパータ1053,1066、カーラーマスッタだよ。
あんたがやるべきことは、経験主義的に輪廻転生を実証することだけだ。
あとはどーでもいい。
546 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:53:31 ID:Qb+YJnYb
>>543 だから、何度も何度も何度も繰り返し、言ってるだろうが? いいか?
「釈迦在世当時、輪廻業報は一般民衆にとって、まさに当たり前、
常識的概念であった。」→ これはいいね?
「そして、釈迦は妄執を除去することによる、苦の消滅を説く事」が
その主眼だった。 →これもいいね?
ならば、釈迦は、その「最も教えたいこと、伝えたいこと」を聞き手に
より分かりやすくするために「当時、誰もが了解していた輪廻業報思想」
に言及して語ってもおかしくないでしょ? というより、釈迦の対機説法
というスタンスからも、寧ろ当然でしょ?
わかる? 最古層資料は全て、「輪廻が真実であること」を伝えようとした
趣旨で語られたものではないの。 それ以外のこと(聖者の賞賛、修行の推奨)
を伝えようとしたものであることは明らかなの。
つまり、『最古層資料からは』、「釈迦が輪廻業報を信じ、肯定していた」という
結論は導けないの。お前が言ってることは、古層以下の資料、または、伝承をもとに
「輪廻業報を釈迦は肯定していた」という視点をもち、その前提にたって、
最古層の記述を解釈するから、そういう結論になるわけ。
『順序が逆だ』と、何度も言っとろうが。
> すでに説明した通りですよ。
>>342 アホか? それは全てお前の願望表明だろうが。何の根拠も示してない。
おまけに「殺人犯」の喩えも、初めから「殺人事件が既成の事実」とするなら
喩えにもなっとらんと指摘しとろうが? お前は何を読んでるんだ?
547 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:55:07 ID:Qb+YJnYb
>>544 >『このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。』(Sn.803)
“このような人”、つまり解脱者は涅槃に達して、この現世/現象界には還ってこない、といってるの
です。ならば、解脱者でない者は還ってくることを意味するでしょう。違いますか?つまり死後、再び
輪廻転生して母胎へと宿るのです。
だからなあ、「聖者は輪廻という苦から、解放されたすばらしい存在なんですよ。皆、がんばって
聖者をめざしましょう。」 って言ってるわけだろ?
「それを賞賛し、その修行を推奨する」のに、「つまり、それを聞くものに強く訴えるのに、輪廻に
言及した」からと言って、釈迦自身が「輪廻を肯定していた」ことには、ならんと何度いったら
わかるんだ?お前は。
865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に
関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」 (中村訳)
はて? 何が言いたいのかわからんが。 また「来世」という語句が、あるから釈迦は輪廻を肯定
したと言いたいのか?
548 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 02:56:15 ID:Qb+YJnYb
> “それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり、それに基いて来世の成就は起こると
いっているのです。
ちょっと待てよ。>“それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり
ここはいいとしても、「それに基いて来世の成就は起こる」 お前はこれを「来世への生まれ変わり」
と規定しているが、『中村氏がそのように解している』のか?その部分の解説をあげてみろ。
ちなみに、他の訳では、「成就」は「目的」と訳されていた。
全体の趣旨は「執着、妄執、貪りは欲望に基づいて起こる。また、来世への願望も同様に欲望による縁
により起こる。どちらも、修行にとっては好ましくないものである。」
このようなものであると思うが、違うか?
お前はこれを「今世の業報の縁起により、来世の生まれが決定する」との業報思想を語った経文である
と主張するわけだな? さて、本当にそうなのか?
> 証拠も何も・・・ハッキリと述べてると思いますが・・・・・
だから、何度も何度も繰り返し言ってるだろうが?お前はホントに記憶力というものがあるのか?
古層以下の資料、伝承により「釈迦は輪廻を肯定していた」という前提を立て、その視点から、最古層
資料を見るのは、順序が逆だと何べん言ったらわかるんだ?お前は。
549 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:05:12 ID:XiO5PAAG
>>545 >縁起の思想と業報輪廻転生「物語」は両立しない。
それは、あなたの勝手な解釈です。
業報輪廻は縁起理論に基きます。
輪廻転生とは縁起の部分です。
>そもそもブッダは経験主義者だ。
>輪廻転生なんてまったく経験主義的証明ができていない知りえないことなんだよ。
確かに凡夫には確認しようがないから、議論などは奨励しないでししょう。
だから、自分で“体験しなさい”と説いてるわけです。
ゴータマは修行によって輪廻転生の神秘を如実に体験しました。
神秘体験のない聖者/覚者などはいません。
あなたの話は宗教ではなく、
ただの道徳観や倫理、そして、ただの心理カウセリングのレベルです。
それだったら、現代社会にはすでにいっぱいあり、益々、需要が叫ばれ大活躍しています。
仏教など無用ですね。
あなたの話こそが、ただの身勝手な願望に過ぎません。
あなたの話を正しいものとして認める仏門などはありません。
あれば、ここに所在を提示してください。
問い合わせます。
では引き続き、どう「ただの言及」なのか?を、
あなたによる経文の解説を宜しくお願いします。
(楽しみにしています)
550 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 03:07:34 ID:Qb+YJnYb
いいか?論点をずらすなよ。 今、ここで問題となっていること、すなわち焦点は
『最古層資料の中に、釈迦が輪廻を肯定していたとの証拠はみられるか?』 だ。
古層以下の資料、伝承をもって「釈迦は輪廻を肯定していた。」と規定し、
その視点から、「よって、最古層の中の言及も、釈迦は輪廻を当然としていた上での言及である」
と帰結するのは、全く意味がない。 お前は、延々とそれを繰り返しているんだよ。
いい加減に自覚せえ。
551 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:08:56 ID:XiO5PAAG
を、すでに投稿が始まったのですね^^
552 :
セブン:2010/02/13(土) 03:09:14 ID:gDo3HnwU
>>549 極論を述べておくわw (縁起馬鹿が顔を真っ赤にしそうだがwww)
ワシは、「仏教は《心理カウンセリング》である」と考えているよ。
反論をたっぷりとどうぞw (宝珠でも縁起馬鹿でも、どっちでもいいぞw)
(´ー`)y━~~
553 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:14:12 ID:XiO5PAAG
あーーーぁ.....
ななっ!! ヽ(`Д´)ノボッキアゲ
554 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:17:16 ID:XiO5PAAG
>>552 コテ名乗ってるだけは評価しますわ (〃*`Д´)
てかっ、体調不良になる..
555 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 03:19:02 ID:Qb+YJnYb
おら、おら、宝珠。 レス返したぞ。 早よ、反論してみい。
556 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:24:04 ID:XiO5PAAG
>>124 >釈迦の目指したものは、あくまでも「現実の、今そこにある」苦の排除であり、
>釈迦の探求したものは、その方法論である。その結果、たどり着いたのが「無我」という
>認識の一大変換であり、至った境地を涅槃と呼んだのではないだろうか?
>無我を教義の根幹とし、「個」の基体を否定した釈迦が転生を説いた?
>この論理矛盾を解消しない限り、輪廻が仏教の前提であるとする主張は論理的整合性を
>有しませんな。それとも、無我を捨てて、輪廻転生をとりますか?それも無理でしょう?
だから、仏教というものは、基本的に世俗(でいうところの“幸せ”)には否定的なアプローチなのです。
ただの苦の滅なら仏教は無用なの。それなら、心理カウンセルにでも伺えばいい。お悩み相談するところ
も沢山あります。
あなたの理論では、何故、仏教においては世俗を捨てて出家修行を理想とするのかが説明できません。
普通に幸せを求めて感受する道がいいのではありませんか?できれば健康で長生きできて、対人関係も
良好で人付き合いが楽しく、人々にも親しまれ、または尊敬され、ある程度の財も得て不自由なく生活がで
き、欲しいと思うものは難なく手に入り、理想の異性と巡り合い伴侶を得て、子供にも恵まれて仲良く暮らせ
れば、何もいうことないでしょう。
出家するとは、それらの望むことなく放棄する生涯(後世)を自ら選択するということ。その必要がどこにあ
るのか?あなたの論の中では説明不能なのです。
仏教的には、世俗の生活というのはこれまでの繰り返し転生の人生で経験済みだということ。この得難い
機会を逃すことなく、解脱の道を進もうとして、世俗の幸せなどに目をくれないのです。でないと・・再び、世
俗生活の中で悲哀の人生を繰り返すだけだからです。これが無限的に続いていくと。涅槃という価値観に目
覚めた修行者は世俗(でいう幸せ)を捨てるのです。
「無我」とは、この現象界には“確たる自己など存在しない”ということ。
従って、仮和合の五蘊なる自己は無我であるから、転生現象も無我である。
>>36
>>556 >ただの苦の滅なら仏教は無用なの
はあ? ・・・・・・ (゚д゚;)
苦の滅以外に何があると言うんだい?w
558 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 03:29:16 ID:Qb+YJnYb
559 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:30:21 ID:XiO5PAAG
>あるいは、「修行への動機付けくらいになれば良し」とする
>程度の認識であったと考えるのが最も妥当ではないかと考えますね。
方便的に説いたとでも?違います。ゴータマは超常的な能力で如実に輪廻の様を見て体験したからです。
>仏教徒諸君、あなたたちは、やっぱり、釈迦を超能力者にしたいですか?
超常部分を排除したら「宗教」とはいわない。唯物論者の犯す間違いは、すべての宗教の聖典経典から
神秘を除外すようとすること。彼は後世の信仰者による神格化と実際の神秘部分の区別が付かない無知。
『宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、そ
の観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。一般に、キリスト教、
イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。』(Wiki)
>>164 >「かの世」「来世」「彼岸」 これらの語句が見られる経文も全て、
>@聖者(解脱者、覚者)の、すばらしさを礼賛するもの
>A聖者への修行を奨励するものである。
>
>聖者というものが、いかにすばらしい存在であるかを説き、それを
>目指すことが、いかにすばらしいことであるかを説くために輪廻に言及することは、当然ありえる。
>
>(すなわち、聖者は輪廻などの 苦を超越してますよと、
>聖者のすばらしさを礼賛すことにおいて、言及はする)
だから、あなたのいう聖者、
いや修行完成者/解脱者/仏陀とは如何なるものか?と、私は質問したのです。
そしたら、自分は仏教徒ではないから、仏教の目指す究極目標をあれこれ軽々しく述べる不遜はできない、
などといった返答をしてきましたね。
だから・・・分らないのに、聖者を讃えるための方面・・・みたいな言い方をするとは何んぞや?ということですよ。
まっ、分らないからこんなことばかりいうのでしょうね。それは確かなようです。
560 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 03:31:19 ID:Qb+YJnYb
>>556 お前が引用している文も、確かに俺が書いたものだが、
今の論点とは違うな?
561 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:32:20 ID:XiO5PAAG
>>545 対抗して、
こっちも最古層からよい経文を提示しましょう!
旅行から帰宅後にね。もう、プンプンだぁ
>>547 >輪廻に言及した」からと言って、
>釈迦自身が「輪廻を肯定していた」ことには、ならんと何度いったらわかるんだ?お前は。
こっちこそ意味不明ですわ。
これを仏教の何も知らない学生に質問したら、素直に肯定している文章だと答えるでしょうね。
唯物論やマハーカッサパ・インチキ経説に毒されてないからね。
また、あとで。。。
>>559 >超常部分を排除したら「宗教」とはいわない
仏教(→釈尊の教え)を≪『宗教』という(後代の学術的分類)型枠≫に押し込めるなw
563 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 03:36:27 ID:Qb+YJnYb
>>559 はいはい、そこの引用も全て俺の文ですよ。
その下らないレスも、十分、論破してあげるから、まずは、
論点ずらさずに「最古層資料問題」を片付けようね。
564 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:42:01 ID:XiO5PAAG
>>562 ななっ!!なんてことを...
褒めたら、いきなりコテ外すし・・たくっ
ヽ(A`*)ノ≡ コラァァァ!!
エエカゲンセヨー!!!!
565 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 03:43:10 ID:Qb+YJnYb
>>561 >こっちこそ意味不明ですわ。
これを仏教の何も知らない学生に質問したら、素直に肯定している文章だと答えるでしょうね。
お前はホントに理解力というものがないね。
「大人が子供にウソを付かないように、地獄や鬼の話をして指導する」
例を全く理解できないわけね。
『言及した』からと言って、『肯定してることにはならない』と
何度言ったらわかるんだ?
567 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 04:06:29 ID:Qb+YJnYb
>>559 >だから、あなたのいう聖者、
いや修行完成者/解脱者/仏陀とは如何なるものか?と、私は質問したのです。
そしたら、自分は仏教徒ではないから、仏教の目指す究極目標をあれこれ軽々しく述べる不遜はできない、
などといった返答をしてきましたね。
だから・・・分らないのに、聖者を讃えるための方面・・・みたいな言い方をするとは何んぞや?ということですよ。
まっ、分らないからこんなことばかりいうのでしょうね。それは確かなようです。
何が言いたいんだ? 「自分は仏教でいうところの聖者」は、如何なるものか
よく、わかってますよ。 って言いたいのか?
それは大したものだ。
俺は、わからんわ。 同様にキリスト教徒にとっての神、イスラム教徒にとって
の神も、わからんね。
そのようなものは、「その宗教を一片の迷いも無く信仰している信徒がみる
もの」と、「外から知識によって理解したものがみるもの」とを同列に扱うのは
不適切であると考えるからだ。
俺はたとえ、「いわしの頭」を一心に信じて信仰してる奴がいても、その信仰が
心の底からのものであるならば、決して「それはただの魚の頭部であり・・・」
などとケチをつけるようなことはしないの。『個人の信仰』は、あくまでも尊重し、それに
対して外部から、ああだ、こうだと干渉はしない。
これが何べんも言っている俺のスタンスだ。否定したければご自由に。
568 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 04:13:51 ID:Qb+YJnYb
しかし、聖者が如何なるものかわからんでも、「仏教徒にとって、それが
目標とすべき聖なるもの」ということは、俺にもわかる。
よって、それを讃え、修行を推奨するのに、出来うる限りの表現をもって
聞き手に理解させようとしたこともわかる。
俺の論理のどこが、おかしいか?
569 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 08:12:16 ID:XiO5PAAG
>>565 おはようございます。
だから私は、
「言及した」か「してない」かではなく、
これが、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であるか、
または「否定してる」文意であるか、もしくは、「そのどちらとも摂れない」文意となっているか?
と、こう問うているのです。
どう読んでも、
これらは、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であり、
そうすることで全体の文章としても整合性が成立している、
といってるのです。
それを普通に誰でも認められるでしょうと。
ところがあなたは、
ただ輪廻転生の事実性を認めたくないから、
そんなことをいってるだけでしょう。
私に文法解説もやれとかいうのですか?
呆れる・・・。
てかっ、並川氏が悪い。
パーリだとそうなるの??(笑)
では、行ってきます。暫くさようなら・・・。
570 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 09:18:52 ID:Qb+YJnYb
ホントに信じられないくらい、理解力のない奴だな。 いいか?
釈迦が聞き手に「聖者のすばらしさ」を理解させようと思った。
聖者というものが、どんなにすばらしいものであるか分からせようとしたわけだ。
そこで、釈迦は「聞き手には勿論、当時の民衆全ての常識」となっている、
「輪廻」に言及した。
「解脱して、苦を滅すると、二度と生まれ変わって苦しまなくともよくなるよ。」とね。
この過程において、釈迦が「本当は輪廻なんか、ねえよ。」と相手が感じてしまうような
語りを行ったら、どうなる? 全く言及した意味がなかろうが?
あくまでも、「その語りの中」では、「輪廻を事実」として話を進めなくては
ならない。 しかし、その言及をもって「釈迦が輪廻業報を肯定していた」と言えるか?
大人が子供に「ウソをついては、いけない」ことを指導するために
「いいか?ウソをついてはいかん。ウソをつくと死んだ後、地獄に落ちて鬼に折檻される
ぞ。」と 言ったとする。 この語りの中では、当然「地獄も鬼」も実在するものとして
語られている。当たり前だな。 子供が「なんだ、地獄も鬼もウソじゃないか。」 などと
思ってしまったら、「言及」した意味がない。 あくまでも、『語りの中では』 本当のこと
として話すに決まっておろうが? しかし、この大人が、このように語ったとして
「地獄や鬼の実在」を信じていると結論づけられるか? できないのは、わかるね?
この話からだけでは、この大人は「地獄や鬼の実在を信じているかどうか」は不明なんだよ。
つまり、釈迦についても「言及した」からと言って、輪廻業報を真実として認識していたとは
結論づけられないの。 わかった?
最古層の経文の中に
「人は死後、今世の業により、来世の生まれが決定される。」あるいは
「人は死で終了ではない。その後も何度でも生まれ変わる。」
このように、他の重要事項を伝える趣旨ではなく、『輪廻のみ』のことを語った経文が
あるか? あるなら、あげてみろ。
571 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 10:05:47 ID:C2NCZORK
>>570 スッタニパータを読む限り、宝珠氏が「誤解」するような表現が沢山ありますよ。
原始仏教自体がカルトだから、カルトに利用されるのは当然でしょう。
原始仏教自体を、「現代には適用できないカルト宗教」として否定しなければダメ
でしょう。釈迦は、「生きとし生けるものに幸いあれ」などという一方、「出家者
にあらざれば、人にあらず」という態度。「我のみ良しの思い上がり」や「具体的
意味不明な抽象観念」が多すぎる。
572 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 10:44:33 ID:r8/29n0u
人が悪く見えるときには、自分の中に同じものがないのか反省しなければならない。
人が良く見えるときには、自分の中の良いものと共感していると喜んでいい。
人の思想を中間から捉えることは出来ない。
どうしても、どうしても自分の今ある立場からしか捉えられない。
この壁はどのようにして越えればいいのでしょう。
573 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 12:19:51 ID:V9gxITkH
>>572 そのことは、さかんに「善悪」を語る宗教の開祖や宗教信者についてこそ、
当てはまる。
574 :
545:2010/02/13(土) 12:27:48 ID:UC3iCVMF
>>569 アフォ外道の宝珠
悟ればわかるとか、信じたらわかるとか、書いてあるとかは経験的証明ではない。
あんたがやるべきことは、経験主義的に輪廻転生を実証することだけだ。
あとはどーでもいい。(
>>545)
575 :
545:2010/02/13(土) 15:35:39 ID:UC3iCVMF
>>569 >これらは、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であり
もう、うんざりついでに念を押しておくが、
マハーカッサバ教=実質ジャイナ教の後裔アビダルマ・スコラ坊主経典では、
肯定するかのような文言を出すのは当然なの。
その背後には結局、アーリアのマハーカッサバ教と、非アーリアの釈迦仏教という歴史的流れが
一次結集からずっと連綿とあるのだ。
だから中心的であったろうはずの非アーリアのシャカ族の諸弟子(たとえばアーナンダ!)が
みな中傷され、アーリア系の長老マハーカッサパの権威的神格化工作が行われている理由が分かる。
こーゆーのは、宝珠の御都合主義読みでは把握できない。
また丸呑み概念仏教主義(たとえば宮元啓一)ではわからない。
ブッダの説いた教えは、従来のバラモン教の苦行主義を否定する革新的なまさに反アーリア的発想だったが(初転法輪:中道的価値観)、
教団を継いだマハーカッサパや彼らの教団はブッダが否定された苦行者的な人物で、アーリア的価値観の範疇にあった人であった。
だからスッタニパータもジャイナ教的苦行主義文学表現に満ちているではないか!
言っておくが、苦行なんかやったら悟れない。
で、ナーガールジュナが(当然彼が研究把握し、イメージする)本来の釈迦大乗仏教に帰ろう(帰敬序)としたのだ。
>>543 > はい、問題はココでしょう!「言及されたに過ぎない」というのが意味不明なのです。
>では、どう言及したというのか?「そんなものはない」とでも言及したのですか?
>その言及部分が経文全体としての意味と関りの中でどういう解釈となるのか?
相変わらず、「否定されて無いんだから全面肯定したんだ理論」ですか……
貴方は、
「輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。(
>>342 ) 」と、
明確に「Sn.4-5章は、輪廻を『説いている』経ではない」と主張したにも関わらず、
「輪廻を否定する文章が無い」と言う事だけを根拠に、「釈尊は輪廻を説いた」と主張しています。
何度言っても理解されないので、小学生レベルに落としてもう一度説明しますが、
貴方の主張は、「ウルトラマンが存在しない事を論文に書いた科学者は居ない」事を根拠に、
「科学者はウルトラマンが実在すると主張している」と、言っているようなものです。
「否定していない=肯定した」ではありません。
「肯定した」と言いたいのでしたら、
「否定していない」ではなく、「肯定した」と言う論拠を提示してください。
>>544 >“このような人”、つまり解脱者は涅槃に達して、この現世/現象界には還ってこない、といってるのです。
>ならば、解脱者でない者は還ってくることを意味するでしょう。
>違いますか?つまり死後、再び輪廻転生して母胎へと宿るのです。
違いますw
何度も言いますが、「A⇒B」が真であっても、「¬A⇒¬B]が真であるとは限りません。
簡単に言えば、「タマならば猫である」が真であっても、
「タマで無いなら、猫で無い」は真で有るとは限りません。
(何故なら、ミケという猫である場合があります。)
同様に、「解脱者⇒還ってこない」が真であっても、
「¬(解脱者)⇒¬(還ってこない)」すなわち、「解脱者で無い⇒還ってくる」が真であるとは言えません。
>『また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。』(Sn.865)
> “それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり、それに基いて来世の成就は起こると
>いっているのです。
コレについては、
>>548の通りだと思いますね。
>>544 >でないと、ただの心理カウンセリングのレベルに留まるのであり、
>仏教などは特に無用ということになるのです。
>あなたの話は宗教ではなく、ただの道徳観や倫理、そして、ただの心理カウセリングのレベルです。
>それだったら、現代社会にはすでにいっぱいあり、益々、需要が叫ばれ大活躍しています。
>仏教など無用ですね。
>ただの苦の滅なら仏教は無用なの。それなら、心理カウンセルにでも伺えばいい。
「なんで、仏教がカウンセリングじゃいけないんですか?」
「なんで、仏教が無用じゃいけないんですか?」
「ただのカウンセリングじゃ嫌だ、仏教が無用じゃ嫌だ」というのは、貴方の願望に過ぎません。
貴方の主張は、貴方の願望を根拠に「こうあって欲しい仏教」を投影しているだけです。
>>549 >あなたの話を正しいものとして認める仏門などはありません。
だから、何度も指摘しているように、「仏教で認められるか」と、
「真実はどうであるか?」は、全くの別問題ですよね?
例えば、貴方は「南無阿弥陀仏」と唱えれば成仏できると唱える宗派があるから、
それは真実であると主張するんですか?
どうせまた、「俺の意見は多数の人が信じているから正しいんだ!」と仰りたいんでしょうが、
「多数派だから正しい」とは言えません。
中世ヨーロッパにおいては、数人を除いて全ての人が天動説を信じていましたが、
太陽は地球の周りを回っていたんですか?w
>では引き続き、どう「ただの言及」なのか?を、
>あなたによる経文の解説を宜しくお願いします。
>(楽しみにしています)
貴方の要求は、「釈尊が輪廻を説かなかったと言う証拠を出せ」と言う、
「悪魔の証明」を求める行為ですよ?w
「説いた」と主張したい、「貴方の方」に「説いた」と立証する責任があります。
なお、某氏が言っているのは、
「説いたという証拠は無い」から「説いたとは言えない」と言う主張だと思うんですがね?
>>556 >あなたの理論では、何故、仏教においては世俗を捨てて出家修行を理想とするのかが説明できません。
>普通に幸せを求めて感受する道がいいのではありませんか?
既に何回も指摘されていますが、「出家の価値観」と、「在家の価値観」の違いでしょ?w
在家のまま、世俗の楽しみを楽しむ代わりに、苦しみからは逃れられないか、
出家して、世俗の楽しみを捨てる代わりに、根本的に苦から逃れるか、
そのどちらを選ぶかと言う問題に過ぎないと思いますがね?
>>559 >超常部分を排除したら「宗教」とはいわない。
>唯物論者の犯す間違いは、すべての宗教の聖典経典から神秘を除外すようとすること。
>彼は後世の信仰者による神格化と実際の神秘部分の区別が付かない無知。
主張をするのに、根拠を提示しないなら、同じ論調で、こうもいえますな。
超常部分を認めたら「釈尊の教え」とはいわない。
輪廻肯定論者の犯す間違いは、聖典経典の神秘を盲目的に認めること。
彼は後世の信仰者による神格化を、実際の神秘であると誤解する無知。
ついでに言えば、ここで議論しているのは、
「仏教は宗教か?=仏教は超常現象を信じるか?」ではありませんよ?w
「歴史上の釈尊が輪廻を説いたか?」ですよね?
だから、wikiの宗教の定義を引用しても無意味です。
論点をずらそうと頑張っているようですが、この板には、それに釣られる論者は少ないようですよw
>>561 >これを仏教の何も知らない学生に質問したら、素直に肯定している文章だと答えるでしょうね。
「多数派だから正しい」の次は、「素人意見なら自分の意見の方が支持される」ですかwww
なんで、「仏教を何も知らない学生」の意見が、
仏教の論議に影響を及ぼすのか、とっても知りたいですw
例えば、「血液型占いは正しいか」を、女子高生に聞くと「むっちゃ当たる!」というから、
「血液型占いは正しいんだ」と言うんですか?w
>>569 >「言及した」か「してない」かではなく、
>これが、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であるか、
>または「否定してる」文意であるか、もしくは、「そのどちらとも摂れない」文意となっているか?
「言及しただけ=そのどちらとも取れない」であると言ってるじゃないですかw
>これらは、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であり、
いや、だから、それを散々議論して、
貴方は「説いていない」(
>>342 )とご自分で言ったじゃないですかw
あなたは、ただ輪廻転生の事実性を認めたいから、
「書いて無いけど釈尊の真意は輪廻を説く事にあったんだ」といってるだけでしょう。
>そうすることで全体の文章としても整合性が成立している、
だから、何度も指摘しているように、(
>>216)
釈尊が輪廻を説いたと仮定して矛盾がないとしても、
それは、矛盾のない理論であることを示しているだけであって、
その理論の正しさを証明していません。
なぜなら、「釈尊が輪廻を説いていない」と仮定しても矛盾が生じないからです。
よって、
「釈尊が輪廻を説いたと仮定すると、文章に整合性があるから、釈尊は輪廻を説いた」
と言う主張は無意味です。
「釈尊が輪廻を説いた」と主張なさりたいんでしたら、
「否定していない」「矛盾しない」などではなく、
「説いた」事をお示し下さい。