深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判。

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1基本 ◆B3GGdKkeNk
現在の、天理教教団教理は、教祖七十年祭に過熱化した教理研究熱の中、諸井慶徳、深谷忠政の二人の学者によって、展開された「神学」系の弟子達によって、構築され、展開されてきた。
特に、深谷忠政氏の教理研究は、天理大学おやさと研究所などの研究者のひとつの規範として、おやさま百年祭までの間に、天理教団全体を衰退に導くという結果をもたらす、悟り違いの様相を呈した。

そこで、特に、深谷忠政氏の教理研究の中でも、「元の理」についての研究の、批判をなし、少なくとも明らかな逸脱点を認識することは極めて大切だと思う。
きちんと議論し、「虚構の神学」と言うしかない、「勇みの神学」なるものの、いかさまを、世界に対して示すこととしよう。

教団内部の宗教指導者の、「から」を分けてしまうことは、大切な事とおもう。
2基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:05:36 ID:qHzKZU4w
>>1
昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
そのはしがきには、このように記されている。
 
・・教祖七十年祭を契機に教内にまき起こった教理研究熱にこたえ、教理研究に「みちのとも」の頁を割こうとする編集部の要望にこたえるもので、筆者の試論にすぎないことを、特にお断りする次第である。・・・

だが、現実には、この筆者の試論は、おさしづに知らされた「風・説・理」の順で、結果として、「悪理」となり、今日の天理教団の信仰を歪めている事、これを議論しようというものである。
3基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:20:38 ID:qHzKZU4w
おやさまは、「皆めんめん口で言わす」と教えられていて、それを基本教理として「自白の教理」と呼ぶが、深谷忠政氏は、先ずはしがきに、何を自白しているかと言う事である。
それは、天理教典第三章「元の理」が、未信者に教典を渡す上で不都合だという事を原因として、何らかの解明の手がかりが必要だとして、それを痛感して書いたという、自白である。

おやさまは、みかぐらうたにて、特にこのように教えられている。
「この元を詳しく聞いた事ならば、いかなものでも皆恋しなる」
詳しく聞くということは、おやさまの教えられたことを、聞くということであり、人間が解説すると言うことは、人間の解説を聞かせるという事であり、それは、神意と必ずしも合致しない。

神様の話を詳しく聞くという態度と、初心者にも分かるように解説するという態度には、人間の中途半端な思い上がりがあるという事だ。

もともとの初代たちは、教祖の教えとして、元を取次ぎから聞いた。詳しく聞いた。
そして、恋しくなった。

元を詳しく聞く気のない人には、聞いてもらわなくてよいというのが、逸話にきちんと示されたおやさまの態度である。

聞く気のない人に、それが解説で聞く気を起こす糸口になればという人間思案は、まさに、とんでもない理の間違いである。
解説という「一見した未信者への親切」は、実は、教師と称する人たちが、おやさまの話を詳しく取り次げないと言う現実をどうにかして糊塗使用という、厚化粧の醜さだと、そろそろ分かっても良い頃だろう。
4基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:36:35 ID:qHzKZU4w
>>3
> 初心者にも分かるように解説するという態度には、人間の中途半端な思い上がりがあるという事だ。

頁1には、「元の理は新しい別席のお話台本にも出てくるし、これを表に出す以上、何等か解明の手がかりがあたえられなければならぬと考えた」と、あります。

「何らか解明の手がかり」・・
なんと中途半端な志でしょう。

おやさまは、こう言われています。
「この世の 元始まりの根をほらそ 力あるなら掘りきりてみよ」。と。

それは、力対力の問題です。
解説とか手引書とか、まさに、おやさまの「力あるなら掘りきりてみよ」と言うお言葉の意思に反した、脆弱さ。

世間に対して、解説して見せる、その本心の軽薄さを、知らずに「みちのとも」に自白する。
それを拍手で受け入れた天理教団マスコミ。
力ないんだろう、お前たちと、天体戦士サンレッド様にお叱りを受けるような、ギャグ漫画並みの、滑稽さ。
気づいてみましょう。
5黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 01:19:39 ID:coyGJ46T
天理教は、政府の宗教政策の統治下、元の理を説けない時代があって、明治教典と呼ばれる教典を公開していた。
それが、敗戦から、新教典を世に公刊する事となったが、それまで説かないことにしていた元の理を、説くことは、信者獲得の邪魔になると言う事態をまねいた。
そこで、学者が動員されて、信者獲得用の教理解説本を世に出すことが試みられた。

まさに、おやさまの教えに対する異端的行為であり、その先導的役割を、深谷忠政著「教理研究・元の理」は果たすことになった。
天理教教団衰退は、信仰的には「理の親信仰」という異説・異端。
天理教教団衰退は、教義的には「天理神学・天理教学」という異説・異端。
この相乗効果で、理の間違いを増幅させたことにある。

> これを表に出す以上、何等か解明の手がかりがあたえられなければならぬと考えた

この黒い人間思案は、全天理教団を闇夜にかえていった。
それが、黒の基本である。
6基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/08(金) 01:58:41 ID:coyGJ46T
頁2には、
「元の理は、即ち、いわゆる泥海古記というように考えられているが、これは正しくない」
と、記述されている。

明治教典制定以前には、「元の理とはいわゆる泥海古記」だと、それが定説であったが、
ここで、深谷忠政氏は、それを一変させている。
「元の理とは泥海古記というのは正しくない」と言う、新説。
これは、現在一人歩きしていて、「泥海古記」をきちんと語り、きちんと読むという信仰態度を喪失させてしまっている。

もともとおやさまが、わざわざ呼び寄せて、話を語り、語った内容を各人にまとめさせたというものが泥海古記なのだから、
「全面一致」ではないかもしれないが、貸し物借り物の教理テキストとしても泥海古記は、元の理を伝えているテキストには相違が無い。
お筆先やお指図とは、原典とは理の重さが違うとしても、教祖伝の逸話のようなものと、何ら変わらない資料としての重さがある。
それを、「元の理はすなわち泥海古記」は正しくないと、語った意味は、善意的に見れば、数学の元の理=泥海古記 を間違いだと指摘したのであるが、
それが一人歩きして、実は泥海古記中心だった初代たちの形成した天理教団が、泥海古記軽視の天理教団に変質していく動機を与えたことになっている。

改訂版天理教辞典が示すように、
「親神は明治13、14年頃集中的に教理を説いて、これを取り次ぎに記憶させられた。」

このように、「泥海古記」は、聞き取った人間ごとの判断が混入しているとしても、親神の教えそのものであることは、史実の示すとおりである。
天保九年の立教時の記憶、記録よりも、この明治13、14年頃の記録は、「取次ぎ人」と言う役目の人もいて、専門家の聞き取りと言う判定で間違いないわけだ。
これを、理を重く見ないということは、まさに学者のご都合勝手な解説であり、こふきの理の軽視である。
「こふき」とは、お筆先に知らされているもので、「こふきをつくれ」というおやさまがいて、作成された。
それは、逆に言えば、元の理=泥海古記と言ったほうが正しいとさえ言える内容である。
7基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/08(金) 02:08:48 ID:coyGJ46T
>>6
> 頁2には、
>「元の理は、即ち、いわゆる泥海古記というように考えられているが、これは正しくない」
と、記述されている。
この事だが、
明治13、14年の泥海古記による教理公開は、明治政府の弾圧を生んだ。
門は閉ざされ、教祖は拘引されたのは、この泥海古記を原因としている。
それ故に、明治政府以後、政府は天理教団に元の理を禁止した。
それで「泥海古記」は伏せられた。
つまり、信仰実態として元の理=泥海古記だから、禁じられたのだ。

復元ならば、元に復するのだから、泥海古記が元の理の教えの記録として、最優先されて当然であろう。
そして、現実には、政府の弾圧の中、この泥海古記が元の理として布教されて、初代たちは日本中にたすけの嵐を起こして、天理教団は飛躍的な発展を遂げる台となっている。
これを、まさに、元の理として認識することのほうが、ひながたの道であり、これを、イコールではないと断じた、深谷教理は、方便としての異説を教団内部に広め続けてしまう。

深谷忠政氏は、入り口において大きな理の間違いを、説いてしまっていると、ご理解いただけたであろうが、何ゆえに、それは教団の指導者層に受け入れられたのか。
それは、高学歴。
東京大学や京都大学の哲学科を出ているという学者信仰者の、高学歴を正当性の証明のように認識し、
浅はかさに惑わされた人たちは、二代真柱が学歴東京大学だからと敬うというような体質の精神そのもの。
インテリであること。そこに、世間に解説するための方便の基準を求めたわけだ。

このように、まるでおやさまを無視し、表面的な元の理研究だということ。
最初の二ページまでの本人の自筆の自白で、十分に理解される。

これが、皆めんめんの心どうりに言わせてしまう親神様の理の怖さである。

8黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 02:21:08 ID:coyGJ46T
政治権力に妥協し、元の理を語る布教師を懲戒免職するなどした教会本部の、戦前の実務権限は山名系信仰であり、それは、戦後の復元においても、初代表棟梁として、信者の信仰の中心的指導をなした。
それは、諸井政一というこふきの伝承者を長兄に持ちながら、こふきを軽視した理の間違いの悪因縁の姿であって、諸井、深谷という信者側から見た権威は、天理教の泥海古記を、自ら封じていくという、まさに「通り返しの道」に、天理教団を誘導する。

明治政府が弾圧したから、軍部が禁じたから、泥海古記を説かなかったと、人のせいにするが、それは、違う。
諸井系、川原町系が、進んで戦争協力した事実に明白なように、「泥海古記」を封じたかったのは、封じたのは、まさに心どおりなのだ。

この世に、人の所為など何一つ無い。
まいた種が心どおりに現れただけのことである。

七十年祭が来て、敗戦が、泥海古記を説ける時代に変えてくれたというのに、それの中の、「元の理」というエッセンスのみを強調して、ひながたを軽視した悪理は、黒く天理教団を覆っていたという事になる。
9白の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 02:28:55 ID:coyGJ46T
七十年祭の旬に、二代真柱は、七十年祭の歌を作詞しています。

以前に、基本さんは、こんな事書いていましたね。
http://religion.bbs.thebbs.jp/1163859118/247-249
教祖の数理は、3625の数理だけではない。
 一日=一年=一生=(60年)の数理の基本があります。
これに、時間と月の数理も、同様のものと教えられています。
 一日=五年、という、数理も成り立ちます。

 すると、八十八夜は、八十八夜=88年、=17、6年と、なります。

 明治二年(1869年)の陰暦1月、から、八十八夜は、1870年の陰暦1月までが、一夜に相当します。
 以後、一夜二夜と数えまして、八十一夜は、1949年の陰暦1月から、1950年の陰暦1月までが、八十一夜ですから、
八十八夜は、1956年の陰暦1月から、1957年の陰暦1月までの期間です。

新暦の1956年の事でした。
この年、1956年には、おふでさきが、全教会に、下付・送付されました。
そして、毎日の「かぐらつとめ」が、ぢばで勤められました。
午後二時の「サイレンのメロディ」が「みかぐら歌」になりました。
教祖伝が、本部から公刊されました。

八十八夜の出来事でした。

年表には、このように記されています。

「教祖70年祭執行」
「1/26(12/24)より2/18(1/17)までを年祭期間とし、毎日つとめを、つとめる。」

天理市において、天理教が「おふかん道」に出たのは、「八十八夜」の旬でした。
・・・・・・・・・・・・
10白の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 03:00:29 ID:coyGJ46T
>>9
> 七十年祭の旬に、二代真柱は、教祖七十年祭の歌を作詞しています。
七十年祭の一番は、記憶ですが、こんな内容でしたね。

扉開いて七十年 年祭数えて 九のたび 旬にまかねば 芽が生えぬ 心入れ替えて つとめましょう

七十という数理は、七つ何にも言う事無いの旬ですから、信仰の復元も出来て、新教典も出来て、七つなんにも言う事は無い状態。
九のたびという数理は、九は苦が無くなると言う理ですから、弾圧も無いわけで、そこで、苦が無い年祭となった。
ここまで、まさに、旬の理ですね。

「旬にまかねば目が生えぬ」。確かに、その通りですね。
「心入れ替えて つとめましょう」ここですよね。 七十年祭前の心、それを「入れ替えて」ですよね。
基本さんは、こう言われています。
>>8
> 明治政府が弾圧したから、軍部が禁じたから、泥海古記を説かなかったと、人のせいにするが、それは、違う。
そうなんです。心が、泥海こふきを説かない、そういう心だったのですよね。
それを入れ替えてつとめる旬に、「七つ」は大食天の神様の数理です。
「慾」の心がお嫌いです。
信者獲得という「慾」を忘れなければならないのに、信者獲得に「元の理」を利用しようとした。
新教典を利用しようとした。七の数理の神様に、お嫌いな心でした。
九柱目の神様は、「種」の神様。
種とは、精神の誠真実ですから、「嘘の無い」まことの天理教を説けばよかった。
だが、・・・飾り立てた、インテリ向けの教理を語ってしまった。それを種として撒いた。
撒いたのは、私たち人間。
おやさまのご守護で、七つ何にも言う事無い、九つ苦が無くなる年祭となり、
御神楽歌のサイレンが流される天理市となった時、私たち人間は、皆心得違いをするものなのです。

ですよね。基本さん。
11基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/08(金) 03:13:02 ID:coyGJ46T
>>2
> 昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
> そのはしがきには、このように記されている。
頁1、「天理教教典が出た時、"第三章元の理が無ければ、未信者にそのまま読んで貰っても、まとまっていて大変匂いがけに都合が良いのですが、あれがある為に、一般の人にそのまま教典をお渡しするわけにいかなくなる"という声を何度か聞いたことがあった。」
「現在でも同様の思いをしておられる方が多いのではないかと思う。」
「元の理は新しい別席のお話台本にも出てくるし、これを表に出す以上、何等か解明の手がかりがあたえられなければならぬと考えたものの、それは極めて困難なことであることを自覚せぬわけではない。」

教えを復元するという、その元の根を掘るという姿勢は、微塵も無いと、冒頭から、あからさまな、信仰者エゴの自白であると、改めて読み直し、痛感する。

この書を参考書として学んだ、七十年祭から八十年祭の頃の自分の中の、心の慾。
「道慾」と言われるものを、自分もさんげしなければならない。
12基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 21:37:34 ID:coyGJ46T
頁2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「元の理と泥海古記の関係」
「泥海古記」には元の理がよくまとまって記録されている。しかし元の理は泥海古記にだけ示されているのではない。」

「元の理は天上、地上、泥海と三界に分かれて示されていると思う。」
「即ち天上では月日を中心とした星を以って、また地上では教祖(おやさま・月日のやしろ)を中心とした人々を以って、また泥海中では大竜大蛇を中心とした水中動物を以って示されている。」

「泥海古記は元の理を泥海を舞台として示されたものである、と申すべきものであろう。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、「元の理と泥海古記の関係」については、深谷氏は、
「元の理」とは、三つの世界、天上界、地上界、泥海界の、三界に分かれて示されていて、
泥海古記は、三界のうちの、泥海界を舞台として語られたものだと、その関係を語っている。

これは、事実だろうか。

参考に、元の理と世界たすけ [編集原稿-3]松谷 武一 (H15.05.22) を見ておこう。
http://www.h6.dion.ne.jp/~nanka/motonorisekai.html
こふきに対する態度が、少しづつだけれども、深谷教学の頃よりは成人してきていると感じます。

原典には、元の理について、おさしづがあります。
「この処神一条、五十年以前からの元の理を聞いて心におさめなら、なるほどの理も治まろう」(明21.7.21)
おやさまのおひながたの、五十年が、元の理である事。
松谷 武一氏は、それを踏まえて、泥海古記を教祖の道とリンクして解説されています。
教理の素人さんとしては、なかなかに、基本を踏まえています。

おやさまについての、由来・縁起話として、元の神・実の神の根拠として、「こふき本」は語ると言う口調と理解することも出来ますが、泥海古記は「おやさま物語」だと、理解すべきもの。
原典がそれを、示しています。
                      
13基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 21:59:27 ID:coyGJ46T
基本として、「元の理」とは、おやさまの理についてのお話です。
>>12
> 参考に、元の理と世界たすけ [編集原稿-3]松谷 武一 (H15.05.22) を見ておこう。
> http://www.h6.dion.ne.jp/~nanka/motonorisekai.html
おやさまの理の話として、読めば、まるで違う世界が見えると言う事になります。
引用します。ご紹介した松谷氏の原稿の一部です。
・・・・・・・・・・
最初の生みおろしのときには母親のみいが子を生むと、父親のうをがひとりひとりの子に息をかけました。
二度めと三度めのときは、母親が自分で生み自分で息をかけました。
この元の理によって、
月日のやしろとなられたおやさまのお体には、世界中のすべての人間におかけくださる親の息がこもっていました。

「復元」11 に掲載された初代真柱さまの手記 12 をよみましょう。
「天保九戌年 (1838)、秀司君十八才ノトキ足痛起リ、身体戸板ニテ自由用スルニ至ル。
是ニ於テ教祖様御手ツカラ御息ヲカケナサレ、御紙ヲ張リ、此ノ如クナサル事十日間ニシテ全快ナサレタリ。
是レ御イキノ始メナリ」 

 この手記の文章は『稿本天理教教祖伝逸話編』「三 内蔵」13 のお話におさめられています。
『逸話編』には「この年」とのべられて、月日は記載されていませんが、これは立教直後に相当する、陰暦十月二十七日 (1838.12.13) から十二月末 (1839.02.03) までの間のふしぎな出来事でした。
一年もつづいた秀司さまの足痛が、どれほど修験者 14 が頑張ってもすっきり直らなかったのに、
おやさまの息で十日間で全快したのはまさに、
その息が人間生みおろしのときの母親の息であったからでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 22:10:39 ID:coyGJ46T
>>13
> 基本として、「元の理」とは、おやさまの理についてのお話です。

元と言うが、元とは何か、おやさま。
その基本を喪失した「深谷忠政氏提唱の天理教学」。

泥海古記とは、おやさまの理の物語。天理王命の元の、天理王命の原因の、親神様の元の、元の理であるのに、
信者に教えるために、布教に用いるためにと言う、方便が先走った研究態度。
「慾の心」に「目」がくらんでいた。 それは又、昔話ではなく、今の話です。
>>10
> 七十という数理は、七つ何にも言う事無いの旬ですから、信仰の復元も出来て、新教典も出来て、七つなんにも言う事は無い状態。
> 九のたびという数理は、九は苦が無くなると言う理ですから、弾圧も無いわけで、そこで、苦が無い年祭となった。

おやさまについて、語るための元の理であるのに、いったい何を理の間違いしたのでしょう。
それは、応法として権力に迎合した「高山因縁」そのものと言えます。
諸井系は戦争協力の態度を堅持して、そして泥海古記を封印したままに、元の理を説く者を弾圧した幹部達、山名系の教団指導の大きな理の間違いがそこにあって、まいた種は生えると言う事。
衣を着替えても、心の因縁はまるで切れていない。
実は、七十年祭から、私たちのさんげの道が開始されたと、言う事になります。

天理教団内部の「高山因縁」こそ、さんげさんげさんげ、「理の親信仰」を「理の親への孝心」を、「お尽くし信仰」を提唱した、諸井初代表棟梁。
それを、選挙で選出した天理教幹部達は、おやさまの神名が「天理王命」さまであることすら、教えることも出来ない、おやが誰かすら知らない、稚拙で高慢な方々ばかりだったと言うことです。
15基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 22:22:35 ID:coyGJ46T
>>14
> まいた種は生えると言う事。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99#.E6.95.99.E5.9B.A3.E3.81.AE.E7.B5.84.E7.B9.94.E5.8C.96.E3.83.BB.E5.9B.BD.E5.AE.B6.E7.B5.B1.E5.88.B6.E6.99.82.E4.BB.A3
・・・・・・・・・日中戦争勃発後は、遂に内務省や文部省宗教局の指示により教団運営に関して様々な制限、改変が加えられた。
主なものに、三原典の内「おふでさき」と「おさしづ」の使用を禁止(各教会から回収)し、
天理教教典(明治36年編集の明治教典)のみを教義とする事や「みかぐらうた」から「よろづよ八首」、「三下り目」、「五下り目」を削除する事。
泥海古記に関する教説配布の禁止。
全国各教会を通しての鉄材、金物の供出協力。天理教輸送部への満州、南方作戦の軍事物資と軍隊の輸送協力等が指示された。
教団側はこれらの内、特にみかぐらうたの改変や泥海古記の禁止等に難色を示したが、これより前に宗教界では大本事件に対する危機感から主立った宗教は諸手を上げて国家へ協力さぜるを得ない空気が流れ込んでおり、
天理教でも二代真柱の中山正善が諭達第7号、第8号を相次いで公布[9]、全教一丸となって軍部、国家へと協力するようにという指示が出された。
・・・・・・・・・・
16基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/08(金) 22:30:41 ID:coyGJ46T
>>14-15
> まいた種は生えると言う事。
・・・・・・・・
>>14
> まいた種は生えると言う事。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99#.E6.95.99.E5.9B.A3.E3.81.AE.E7.B5.84.E7.B9.94.E5.8C.96.E3.83.BB.E5.9B.BD.E5.AE.B6.E7.B5.B1.E5.88.B6.E6.99.82.E4.BB.A3
・・・・・・・・・・この決断を天理教内では「革新」と呼称している。
以降、教団内ではかぐらづとめに於ける十柱面の着用中止。
「みかぐらうた」から「よろづよ八首」、「三下り目」、「五下り目」を削除した「新修御神楽歌」の刊行。おふでさき、おさしづの引用自粛と冊子自体の回収。
天理教一宇会の結成(青年会や婦人会も統合された)。天理市内の「詰所」の名称使用を中止し「寮」に改め、軍関係の宿泊施設として提供。

「革新教理」と称して、軍部の要請に合わせての戦争協力教理を説明する「革新講習会」の定期的な開催。
全国各地に「いざひのきしん隊」の結成を奨励(戦地への男子信者徴発協力や若草山炭坑掘りひのきしん)など、強制、自発問わずあらゆる形で戦争へ突き進む国家への協力が終戦まで続けられた。
・・・・・・・・・・
「革新教理」の先頭に立っていたのが、諸井慶徳氏、おやさまを「天理王命」と呼べない、神の残念の当事者であった。
軍事協力に積極的だったのが川原町・深谷系。
これが、因縁だから、・・戦争協力のさんげ無くしての美化に走る。
元の理を弾圧した諸井が深谷がなすべきことは、先ず、さんげ。
それを、東大京大の学歴で、哲学で、さんげなく美化しての教理、「神学・教学」。

まいた種とは、この「高山因縁」そのものの、権力志向。
自分達が指導者であるために、何でも利用する、慾・高慢そのものの体質です。

泥海とは、まさに、そういう教団体質そのものと言うことです。
17基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 05:37:04 ID:IdzG5vc3
さて、深谷天理教学の内容においての本質的な間違いと言うものは、以下の文章にある。

頁3
「教義的に最も大切なものは地上を舞台にしたもの、つまり、つとめの人衆についての魂の因縁の話だと思う。」

これは、本末転倒の、論理である。

「教義的に最も大切なものは地上を舞台にしたもの、つまり、つとめの人衆についての魂の因縁の話だと思う。
 というのは、元の理を説かれる真意は、かぐらつとめをつとめられる意義づけにありともうすべきである。」

この、本末転倒の、深谷教学の記述を、しっかりと、その理の間違いを心得ておかねばならない。
18基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 05:45:35 ID:IdzG5vc3
>>17
深谷教学は、こう言う。
「教義的に最も大切なものは、つとめの人衆についての魂の因縁の話だ」

基本教理に基づくならば、こういうべきである。
「教義的に最も大切なものは、おやさまについての、元の理だ。」

両者の相違点は明確である。
深谷教学の教義は、「かぐらつとめを勤める人間の問題」を最も大切と認識していて、
基本的な教義は、「かぐらつとめを教えたをやの問題」を最も大切と認識している。

「人間」と「人間始めたをや」では、「をや」が元であり、そのおやさまの元の理として、深く認識できていない弱点が、とんでもない、本末転倒を、天理教団内部に、悪理としてもたらすこととなった。

ここをきちんと、把握したい。
19黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 06:02:35 ID:IdzG5vc3
教義と信仰。
対立するかのごとく、理論と実践の如き関係として、教義学を構築する。
それは、詐術的手法そのものである。
おやさまは、「通らぬことは道とは言わん」と断じておられる。

天理教おやさと研究所によれば、「神学」「教学」とは、改定天理教辞典にて、自白し、
「自らが信仰している事の真理性を自己確認し、それの自己主張と弁証を課題としている。」
と、述べている。

おやさまの、「通らぬ事は道とは言わん」に照らしたならば、基本教義とは
「おやさまの教えられた事の真理性を自己実践し、おやの教えとその証拠を課題とする」
と、このように、書き改めるべきと、なる。

水は低きに流れるを「真理」とするならば、「落ち込め落ち込め、貧乏せい」を自己実践し、それが天理であることを証拠とすべきである。
おやさまのお言葉の、なんでもない真理すら、自己実践できないとしたら、それは嘘であり、から(空虚)である。
20黒の基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/11(月) 11:41:17 ID:IdzG5vc3
>>19
天理教団を昼から夜へと暗転させたものは、「理の親信仰」という心違いである。
その思想背景として、「選ばれた魂の者がつとめ人衆」という悪理から生じた、「選民思想」がある。
「選ばれた魂の者」とは「聖人」、「選ばれた宗教家」、そのように自己増殖した悪理は、天理教専門職は選ばれた人間として君臨すると言う、理の親信仰を生み育て、はびこらせた。

教祖は「落ち込め」と言う。
神学者たちは、「高みを目指せ」と言う。
それは、まさに、教内高山の横暴そのものであった。
この悪事を、掃除する旬は来ていて、神の返しがある時節となっている。
21基本 ◆XE./kJ00CA :2010/01/14(木) 01:36:03 ID:MtxsWB2t
お筆先にお知らせ頂いているように、「元の理」とは、「病の起こる事が無いようにしてくれる」理。
[教理研究  原典に示された「甘露」について]に、関連しているので、引用します。
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/
34 名前: 基本。◆./kJ00CA 投稿日:2010/01/10 04:05 ID:OucGM5BQ0

 このよふは にぎわしくらしいるけれど
 もとを知りたるものハないので     三号92

 このもとをくハしくきいたことならば
 やまいのおこる事は ないのに     三号93

甘露が、寿命薬とか、食事なしで済むとか、色々に言われます。
病まない、死なない、弱らない。そのシンボルが、「甘露」です。

賑わしい暮らしをしていても、病は起きる。
この元を知ったら、病は、起きない。

・・・・・・・・・・・
病の元を無くしてしまう物としての「元の理」。
そういう、根源的な思案が必要です。
22基本:2010/01/14(木) 01:41:19 ID:MtxsWB2t
>>21
> [教理研究  原典に示された「甘露」について]に、関連しているので、引用します。
> http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1262809625/

17 名前: 基本。◆./kJ00CA 投稿日:2010/01/07 23:52 ID:ncDRxw1U0

>>15
天から甘露が降るというのは、思想としては古典的なものですが、その天から降る甘露を受けるために、わざわざ、神殿の中心に穴を開けてある神殿。
それが天理教会本部の神殿です。
これは、まさに、カルト的な発想そのものです。

空から甘露が降るというのは、それを信じるということだけならば、宗教思想、信心として、別段駆るとでもなんでもない。
だが、その甘露を受けるために、穴あきの建物を建てるという不合理を、平然となすのは、カルト的行為ということです。


18 名前: 基本。◆./kJ00CA 投稿日:2010/01/07 23:56 ID:ncDRxw1U0

病気を神に願って助けてもらうというのは、普通の信心ですが、神に助けてもらうからと、薬を川に流して捨てさせてしまう。
それは、カルト。
医者にも診てもらいながら、神に祈るというのなら、普通の宗教です。

つまり、「甘露台」という台を立てて、甘露を受け取るようにと、それを具体的に実行すると、カルトのなすわざになるわけですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

元を知ることで、病の根を切る。
それは、まさしく、元の理の第一義的な実践分野であり、先人は、「こふき話」にその根を求めて、おたすけに活用したと言うことです。

深谷忠政著の元の理は、「おつとめ」の人衆の「たましいの因縁」の問題に重要度をおく。
そういう、悲しい「こふまん」に性を、自己批判することは、大切です。
23普通の天理教徒:2010/01/14(木) 01:43:24 ID:MtxsWB2t
病助けというものが、元の理を知ることで出来ると言うこと、そういう意味でしょうか。
24おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2010/01/15(金) 06:49:26 ID:c+ZNOVqx
>>20
>「選ばれた魂の者がつとめ人衆」という悪理から生じた、「選民思想」がある

本部月次祭なんかでも、その「つとめ人衆」がしばしば、「をてふり」で間違った動作をすることがあるのはどうしたものか?
それに、真柱なんかだって実際には「かんろだいづとめ」でミスばかり連発しているのが実状なのではないのか?

「理を振る」はずの「をてふり」でミスが連発されるようではいかんな。
25基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/16(土) 00:24:04 ID:dSYtDUCZ
>>24
「理を振る」事に<意味や価値があるのではなく、「理」に価値があるわけです。
{手}を、振り間違うのは、「理」が、体解・理解されていないという事を、意味していて、
> 「理を振る」はずの「をてふり」でミスが連発されるようではいかんな。
まず、「理」の理解を自分においての理解を、深めないと、意味無いことです。

>>23
元の理を知ると言うことは、「病の起こることはない」(お筆先)原因ですから、病助けを出来て、「理」を体解できる。
おつとめは、魂の因縁の問題よりも、「理」を理解しているかどうかの、問題と、悟れます。
26基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/16(土) 00:40:54 ID:dSYtDUCZ
頁3
「教義的に最も大切なものは地上を舞台としたもの、つまりつとめの人衆についての魂の因縁についてのお話であると思う。」
「と、言うのは、元の理を説かれる真意は、かぐらつとめをつとめられる意義付けにありと申すべきである。」
「お筆先一一号70-71に、中山氏と言う屋敷、人間はじめ道具見えるでと、仰せられ、(中略)・・順次元の屋敷に引き寄せ、かぐらつとめの役割をふりあて、たすけ一条の道をすすめられたのであった。」
  (略)
「和歌体十四年本によれば、魂の因縁は左のとおりになる」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうして、元の理の原典による理解ではなく、人間の興味の中心である「魂の因縁」と「つとめ人衆」という問題が、一番重要だと、語りかけられていく。
深谷忠政氏の、山名系教理論の正体が、透けて見えてしまう内容と言える。

「たすけ一条」の道の、わが身のためしは、おやさま流産の後始末であった。
勤め人衆の魂と言うなら、はたしてその魂の持ち主とやらは、「元の理」を理解していたか、たすけ一条であったか、調べて見ることである。
まるで「理」を理解していなかったとか、病助けをなさっていなかったとか、そういうメンバーが、中にいるのではないか。
事実が、その、人衆の理の実態をきちんと示してくれていて、
深谷忠政氏の説は、まさに、幼稚な選民思想そのものと、透けてしまうだろう。
27基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/18(月) 02:06:03 ID:ZArFydKn
頁3〜4
「天保九年十月二十六日、年限の到来と共にこの四柱の魂の因縁ある方々四人を親子もろとも貰いうけ、
後なる道具はこれから後に、順次元のやしきに引き寄せ、かぐらつとめの役割を振り当て、たすけ一条の道をすすめられたのであった。」

頁4
「注 和歌体十四年本によれば、魂の因縁は左の通りになる。
(1) 教祖様     当時八十四歳       いざなみ
(2) 前川菊太郎様  当時十六歳        いざなぎ
(3) たまひめ様   当年より三十年後に誕生  くにさつち
(4) 秀司様     当年六十一歳       つきよみ
(5) たまへ様    当年五歳         くもよみ
(6) 飯降政甚様   当時八歳         かしこね
(7) マツエ様    当時三十二歳       たいしょくてん
(8) 真之亮様    当時十六歳        をふとのべ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おやさまは、「たすけ一条の道をすすめられた」。
これは、間違っていない。
しかし、「前川菊太郎」は「前橋事件」を起こした、当事者で、成人しては後、謀反に加担している。
「たまひめ様」は、「小寒様」の生まれ変わりであるので、「たすけ一条をすすめられた」。
「秀司先生」は、おやさまのいいつけに従わないと言う面が「応法」としての道であり、「たすけ一条」をすすめられたと、簡単に言い切るには、説明がなさすぎる。
「たまへ様」は、お屋敷の女主人として、上下の身分関係をお屋敷内部に厳しく強いた人であり、たすけ一条
進めたと言えるのか、これも判断が難しい。
「飯降政甚様」は、まじめに仕事せず、道楽と散財の人で、たすけ一条を進めたという判定は、無理だと思う。
「マツエ様」は、おやさまから、「こじまつにするとこじまつになる」と叱られた方で、信者の邪魔を多くしたことで知られているし、応法の道を秀司と共に実践した意味でも、たすけ一条を進められたとは、言いがたい。
28基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/18(月) 02:09:28 ID:ZArFydKn
つまり、おつとめ人衆と言うが、魂の因縁では、○○命さまの魂かもしれないが、神一条、たすけ一条の邪魔者の方もいて、
そんな事は、こふきの中心課題ではなく、「一列兄弟の魂」の因縁の方が、大切なのである。
29基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/19(火) 20:51:48 ID:crg/jXcG
頁6
元の理の文献として最も早いものは、明治七年のおふでさき第六号中のお歌であると思う。
元の理を説かれたのは、おやさまのご晩年に至ってであったと推定される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、的を外れている。
「おやさまの五十年の元の理」という思案が基本です。
つまり、お筆先で言うのなら、第一号の冒頭から、全て「元の理」と、そういう基本に立たねばなりません。

「元の理を説かれたのは、おやさまの晩年にいたってから、、」と言うことも、天理に外れていて、採用してはいけない。

最初から、元の理を語って道を付けられたと、自然に理解するのが、基本である。
30基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/21(木) 22:10:20 ID:5OwhyupK
>>29
> 最初から、元の理を語って道を付けられたと、自然に理解するのが、基本である。

お筆先とは、「これまでに述べたことを忘れるから、記述したもの」である。
お筆先をお書きになる前に、言葉で語られている。
それが、説き流しのおうた時代にも、語られていたと言うことに意味があると、解するべきである。

「匂いの事は早いがよい」とおやさまは仰せられている。
それは、「元の理」においても、同様であり、元の理も語られていたと、そう見なければならない。
31神も仏も名無しさん:2010/01/28(木) 18:31:02 ID:An4VyGb5


163 原稿用紙(愛知県) sage 2010/01/28(木) 18:19:39.99 ID:rXC7qSik
光の戦士原口が、「いかに日本国を転覆させるか」考えていると自白

辛坊たまらん!もっと言っても委員会(2010.01.24版)
ttp://www.youtube.com/watch?v=bL4FPkNwgz4

39秒付近にご注目。



基本さん、こういうのも「自白」の教理にあてはまるのでしょうか?
32神も仏も名無しさん:2010/02/01(月) 00:13:31 ID:+WuUO2Yn
基本。とやらは「とふじん」とは 西洋人 だと言っていて、しかも天理教組織の中に「とふじん」がたくさんいるといっているんだが、
天理教の中にはそんなに 西洋人 がいるのかね?




33基本:2010/03/04(木) 06:05:20 ID:IAJW/alE
>>31
自白の教理に当てはまります。
神様は「国会ではおさまらない」と言われています。
それは、権力を取り巻く「側の者」に実質支配されるからです。
キャラクターや、人柄では、その周辺の利権欲を制御しきれない。
民主党のキャラではない部分が、結局は、「高山」の因縁に負けると言うことで、谷底そのものが、せりあがらなければ、民主主義という言葉だけでは、おさまらないと言う事です。

>>32
{とふじん}とは、「武力と文明・科学」で、視野の範囲を全て我が物にしたいと言う思想の持ち主の事です。
何故、とふじんかと言うと、「懐疑」。神への懐疑というものが「真」にあるからです。
聖書の神を、「空虚な懐疑で疑いつつ信じて」、それでも幸福になりたい場合の、手段は、「とふじん」の手段です。

> 天理教の中にはそんなに 西洋人 がいるのかね?
天理教には、戦争中も戦後も、「本当は親神を信じていない」「懐疑」の唐人が、大勢いました。
「大」教会という権威や、「人間完成の道」という、哲学的思考で、教団を支配したと言っても良いでしょう。
かれらは、「理の親」と称して、己の「懐疑」「空虚」を、「宗教方便」で高圧的に、隠しこんでいます。

結局は、教会支配の国家神道的「唐人」を、はびこらせていますが<
それは<{悪ははびからす}でしょう。
理は、神であり、理によって、とふぢんころり。
これを、待つなり、です。
34神も仏も名無しさん
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪