「縁起」って仏教?

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1神も仏も名無しさん
日本人って縁起が良い、悪いって事を結構気にするけど、それって仏教的な行動なの?
2神も仏も名無しさん:2009/12/30(水) 13:55:08 ID:gxGStfpK
かな?
3おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2009/12/30(水) 14:08:52 ID:biEPoySF
そうですよ。
4神も仏も名無しさん:2009/12/31(木) 10:15:17 ID:LRthN1YB
5神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 06:26:08 ID:tj/iZUZH
「縁起」は仏教の重要な考えの一つです。
空間に物質Aというものを考えますと、空間はAに非ざるもの空間非Aとに分かれます。
空間非Aには物質Aを除く総てが存在します。非Aには物質E、F、Gなど多くの物質があります。
Aが原因「因」となり、E、F、Gが条件「縁」となり、この「因縁」により、Aは変り
物質M、Nとなります。こうして総ての物質は移り変り、この世は「諸行無常」であります。

仏教の重要なポイントです。難しい?
6神も仏も名無しさん:2010/01/10(日) 06:44:59 ID:kPjyIv2Z
ID:tj/iZUZHは大学で論文書いたら落とされるタイプだろうな。

物理学を文系が教えるとこうなるのかもしれない。
ただ、物理法則と縁起は一致しない。
関連性を無理につけるとそこには必ず論理的飛躍が生まれる。

わかったような気分になって説明するとまさに
>>5みたいな文章になる。
7神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 06:21:17 ID:nGjtVGBi
>>5
この考え方は、仏教本来の縁起ではなく、一般的現代人が考える原子論的、あるいは素朴実在論的因果関係、
またはヒンドゥー、ヴァイシェーシカ等の和合、内属と訳されるサマヴァーヤに近いでしょう。

本来縁起はそのような原子論、実在論的思考とは相容れないものです。
縁起は非常に多層的複合的な意味を持つものと思われますが、
関係性に基づく認識論とか、認識論的因果関係と言い換えるられる部分が意味の中核になるのではないかと考えてます。

その根拠は、『勝義空性経』『中論』『因縁心論』あたりを中心とする中観文献と、『華厳経』と法蔵菩薩の諸論あたりです。
8神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 06:31:41 ID:KAqP98bA
よくいう「縁起が良い、悪い」という言い回しは実際の縁起の考え方にかなったものなんですか?
9神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 06:45:27 ID:+YwAHL/2
呪的な原因が仕込まれたために良からぬことが起こりやすい、という考え方だから、
呪的な原因を認める立場なら、少なくとも>>5とは矛盾しないですね。
10神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 08:44:10 ID:nGjtVGBi
>>8
矛盾しません。その場合の縁起が良い悪いは、巡り合わせが良い悪い、
現れが良い悪いと言い換えられるでしょう。

よく文献学者で日本でいう縁起がよいという言い方は本義を外した言い方という人がいますが、
そういう人こそ縁起を実体的、実在的な因果関係あるいは論理関係で捉えるという
間違った縁起理解をしていると思います。

以上を裏付ける一つの例としてチベットでも縁起がいいといいます。
11神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 09:29:31 ID:A7Zl5OZC
超自然を認めつつも「○○が良い、悪い」という考え方と矛盾する世界観ってありそうでないような。
12神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 09:55:46 ID:nGjtVGBi
>>11
そこが縁起の絶妙なところ。勝義と世俗の接点となるものです。
たしかに勝義では空で一味平等で、x と指示し表現できるものなどありません。

ですが、縁起で x と指示され表現される意味・内容・対象・本質・実体などと言われるものは、
業・カルマ・過去の習慣と多様な縁が縁起して、それぞれの言語習慣などと結びついて x と認識されるだけのことです。

ですから、良い悪いも単に習慣的なものに依存して x に仮設されて認識されるだけのことです。
ですから、善悪などの価値や意味・内容などは、それぞれの言語習慣が適当に用いているものを、あるがままに適当に用いるだけのことです。

仏教で「あるがまま」というのはこのような意味と考えます。
13神も仏も名無しさん:2010/01/24(日) 19:44:52 ID:iI+opXD5
日本でいう縁起がよいという言い方は本義を外した、という人はただの唯物論者じゃ・・・
14神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 21:21:48 ID:jcwE79tD
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課

二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
15神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 23:29:40 ID:krFpds0L
釈迦の「縁起・空」は、竜樹によって「相互依存性・関係性の原理」として、
初めて解明された。従って、竜樹の「中論の頌」を読まなければ、「縁起」は
理解できない。

「縁起」は、「因果関係」とは、似て非なる概念。
16神も仏も名無しさん:2010/02/25(木) 23:33:00 ID:XgXOx99B
>>15
> 釈迦の「縁起・空」は、竜樹によって「相互依存性・関係性の原理」として、
> 初めて解明された。従って、竜樹の「中論の頌」を読まなければ、「縁起」は

厳密にいえば、それは違います。
初期仏教においては、「相互依存性・関係性の原理」は説いていません。
これは龍樹によって発展的に解釈された新しい縁起観であって、
本来は、存在のあり方を説いたもの、つまり、原因があれば結果が生じるという現象を説いたものです。
17神も仏も名無しさん:2010/02/27(土) 09:47:11 ID:k0xQ7Hqc
君たちがいて、僕がいる

君たちのものは、僕のもの

僕のものは、僕のもの
18紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/02/27(土) 12:11:25 ID:YGp+DhVK
以下、教科書より。

仏教
仏教は、ゴータマ=シッダッタ(ゴータマ=ブッダ)がひらいた。
彼が悟った真理とは、あらゆるものはたがいに依存しあって生起しており、
それだけであるような固定的なものはないという縁起の理法である。
これを理解せず、かわらないものを求めつづけるために、人は執着や煩悩に
とらわれ、生・老・病・死という人生の苦(四苦)からのがれられないという。
19神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 23:20:28 ID:G8HWmYxl
でも存在しないものが、存在しないものに依ることも、依られることも不可能だから、縁起という言葉は、物の有を説いていながら、全く同時に物の無を説いている。
つまり有は無であり、無は有である(これが般若経に説かれる「色即是空・空即是色」)

有るとは何かが有ること。
無いとは何かが無いこと。

何かが有る・何かが無いということは、その何かと、それ以外のものを分別すること。
なので何も無い(=空)とは何も分別しないことを意味する。
20神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 23:22:04 ID:G8HWmYxl
上田義文って人の本には、こんなふうに書いてあった(自分なりの理解に基づく要約と解釈)

AはBに依って成立し、同時にBはAに依って成立する。

AはBに依って成立するので、Bが成立する以前には、Aは未成立である(つまりAは存在しない)

でも同時にBはAに依って成立するので、Aが成立する以前には、Bは未成立である。

すると縁起とは、存在しないAと、存在しないBが、相互に依存して存在している、ということになる。
21神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 23:23:32 ID:G8HWmYxl
でも同時にBはAに依って成立するので、Aが成立する以前には、Bは未成立である。

すると縁起とは、存在しないAと、存在しないBが、相互に依存して存在している、ということになる。

でも存在しないものが、存在しないものに依ることも、依られることも不可能だから、縁起という言葉は、物の有を説いていながら、全く同時に物の無を説いている。
つまり有は無であり、無は有である(これが般若経に説かれる「色即是空・空即是色」)

有るとは何かが有ること。
無いとは何かが無いこと。
22神も仏も名無しさん:2010/03/03(水) 23:24:22 ID:G8HWmYxl
何かが有る・何かが無いということは、その何かと、それ以外のものを分別すること。
なので何も無い(=空)とは何も分別しないことを意味する。

通常、人間は自分を中心として、自分と自分以外の一切の物を分別し、
一切の物の中に、親・兄弟、親戚、友達、赤の他人……etcと分別し、自分に近しい程に好意的、疎遠である程に無関心、または敵意や恐れを抱く。
また、自分に好ましいものもあれば、忌まわしいものもあるだろう(例えば、金があるのは好ましく、金がないのは好ましくない)
23神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 00:34:29 ID:YQwc/J/3
高校生ですかな
24神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 15:35:21 ID:baUlYIeB
仏は縁起(=空)を悟って分別をしない知恵(これが般若。唯識では無分別智という)を得ているので、自分も他人もなく、苦も楽もない。
竜樹は空を知る者は実相を見ると言ってるので、仏にとっては世界は唯一の実相あるのみで、世界は実相そのものである。

なので一切衆生は最初から救われており、誰もが自分と不二の、尊極の如来であると仏は見る。

でも、衆生の側は泣き、笑い、楽しみ、苦しんでいる。
25神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 15:37:29 ID:baUlYIeB
仏は無分別智によって、衆生の苦楽を自分の苦楽として感じるので(これが慈悲)、悟りの涅槃にいるからこそ、迷いの生死に帰って来て、自分と一切衆生を救済する。

仏が生死にあるのは涅槃にいるからで、でも生死にある以上、煩悩を起こす(生死即涅槃・煩悩即菩提)

仏は人々と共に苦しみ、楽しみながら、人々に救済の道を示し、その道を共に行くのである。
26神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 15:39:30 ID:baUlYIeB
般若(=無分別智)という知恵も、悟りが究極に達した仏の知恵でなく、まだ悟りを極めていない、菩薩の知恵であるらしい。
だから菩薩は究極の悟りに向かって向上していかねばならないんだけど、その向上の過程、言い換えれば人々と共に行く道の過程の、どの地点にあっても、悟りは既に究極に達しているのだという。

つまり真実の悟りとは、人々と共に進む向上の道そのものだと言えるし、その道をたゆまず歩き続ける人や人々こそが仏だと言えるだろう。
だから仏というものは、決して超人的な、特別な人ではないのだ。
27神も仏も名無しさん:2010/03/04(木) 16:26:19 ID:baUlYIeB
縁起という概念は、こうした仏の悟り(=無分別智)を表現したものであり、
AがBに依って存在している、ということは、AはAとしての本体を持たず、Aの全体は全くBである。
と同時に、Bは単なるBなのではなく、BこそはAの本体に外ならないのだから、Bの全体は全くAである(つまりBがAに依って成立している)、ということを意味している。

そして、このAやBには、大乗の様々な概念(それは生死と涅槃、煩悩と菩提のように、相互に否定的に対立する概念)が当てはめられ、大乗の悟りが表現されている。
28神も仏も名無しさん:2010/03/06(土) 22:08:45 ID:9rcCaf9I
>>27
まあそれは小乗のクシャ論とか複雑な論理学の果てに
竜樹が打ち立てた縁起論だな

そういう縁起のいろんな解釈は人それぞれいろんな論説があり
そうやって考えるのが仏教のあるべき姿だからそれは正しいことだが
そもそもは、結果には必ず原因がある。その複雑系により世は成り立っており
そこを把握すれば因果をわきまえれるというだけのはなし。
29神も仏も名無しさん:2010/03/07(日) 06:50:29 ID:iogXzokW
>>28
>そもそもは、結果には必ず原因がある。その複雑系により世は成り立っており
>そこを把握すれば因果をわきまえれるというだけのはなし。

こういう考えは縁起でなく、サマヴァーヤ
30神も仏も名無しさん:2010/03/07(日) 07:54:38 ID:PSups6/o
>>21
>でも存在しないものが、存在しないものに依ることも、依られることも不可能だから、

この点は全く仰る通りです(『中論』10.9、10.11)。
したがって、可逆的相依は無謬ではないし、縁起でもないのです。
ナーガールジュナにおける縁起の何たるかは、『縁起心論(縁起の心髄)』を精読せねばなりません。

上田氏は途中まではナーガールジュナの述べていることに従っているのですが、
途中から可逆的相依に牽強付会する為に、聖者が述べていることを反対に解釈していると思います。
31神も仏も名無しさん:2010/03/07(日) 08:35:54 ID:iogXzokW
>>30
『縁起心論』漢訳だと『因縁心論』の縁起は、『勝義空性経』に一致するよん。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
32神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 23:31:52 ID:vP1vr3PA
>>31
サムケータ周辺については、論文から梵本からの和訳を所持しております。
もし、宜しければ梵本『勝義空性経』を全訳して頂くわけにはいかないでしょうか?
あくまでも、御時間が許し、その気になったときで結構です。
33神も仏も名無しさん:2010/03/09(火) 07:28:34 ID:M6BP/Gpa
>>32
え〜、それは大変です。上のリンクで示した論文の青山さんなど何人か和訳してますよ。
なぜ、大変かというと自分で諸断片から梵本を再現する作業しないと、多分、納得できる訳はできないと思うからです。
34神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:04:21 ID:nOB+n0Pr
哲板で自演と言われ飛んで来ましたオイラっすよ〜
35神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:05:06 ID:RbIpVIs0
自作自演の巣窟へようこそ
仏教全般 3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1269694670/
36神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:06:09 ID:RbIpVIs0
40 名前:考える名無しさん New! 投稿日:2010/03/28(日) 12:52:52 0
フィッシングの次は身分詐称か?
これだな。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1264233178/972

972 名前:考える名無しさん 投稿日:2010/03/27(土) 18:57:56 0
>>970

君は主張だけでなんの根拠もないな。
オイラは真言宗のアジャリなんだが。
自内証は勉強するものじゃなくて、
体験するものだろ。
意味分かって使ってないぞ。

マジでお寺の関係者なんだろうな?
3730:2010/03/28(日) 15:08:08 ID:wETAxgFL
>>仏教全般3、自演

>>32も私です。
ですから、>>34さんの方が遥かに高いレヴェルだと分かるはずです。
38神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:12:19 ID:nOB+n0Pr
>>37
どうもお付き合いいただき、ありがとうございます。

これで、とにかく、自演じゃないことは分かってくれたかな?>>35RbIpVIs0
39神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:18:20 ID:4JLI/108
>>38
>自演じゃないことは分かってくれたかな?

なんで自演じゃないと分かるの?
頭悪いので、わかりやすく説明してくれ。
40神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:27:49 ID:4JLI/108
説明がないな。
私は仕事にもどらないと・・・
41神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:31:47 ID:4JLI/108
何で止まってるんだ・・・
一気に同時に書き込んで、いきなり同時に止まるのはおかしいだろw
42神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:33:24 ID:nOB+n0Pr
>>39
ID が違うからだが、それでも自演だってんなら、
勝手にすれば、付き合いきれんよ。
43神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 15:38:36 ID:4JLI/108
>>42
あー、なるほど。
それを見せたくて、すぐここに移動してきたのかぁ。
移動し方があまりに不自然だとは思ってたんだけど。

じゃ、私は仕事・・・w
44紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/03/28(日) 19:25:41 ID:OuiVc5Ik
>>24
そなわち、こういうことだな。
http://www.youtube.com/watch?v=gxZXjgOJZ1w
45神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 20:30:39 ID:jTjOVaxV
人の存在の苦しみと救いを離れて縁起の法を解説しても殆ど無意味。
こんなことが積み重なって印度では佛教が消滅したのだよ。
 修行法として密教の縁起観法が僅かに形になっているが<言説不可得>
と逃げているもんね。


46神も仏も名無しさん:2010/04/08(木) 14:11:03 ID:I1GpWeSl
>>29
そもそもブッダの縁起の法を悟ったというのは、そのようなものを踏まえた上で
厳密な因果があることに気付いたということかと思うが
47神も仏も名無しさん:2010/04/08(木) 14:13:08 ID:vUSe9PWC
>>46
それってサマヴァーヤみたいな原子論的因果関係を言ってる?

48神も仏も名無しさん:2010/04/17(土) 20:14:54 ID:ApT4HRuf
臭い匂いは、
元から断たなきゃダメ!
49神も仏も名無しさん
歳がバレる