昔って、洗礼にかける期間は今よりも長かったんですよね?
ここ最近ですか、教会のサイトに「洗礼について…通常半年から1年ほど、
勉強会を経て、司祭が準備にふさわしいと認め、求道者がキリストの信仰を
求めることを望むならば、授洗の恵みを受けることができます」
みたいに書いてありますが、俺の親父のころ(30年ほど前)は、少なくとも
2年平均くらい、それ以上の人も多かったとのことだけど。
いや、もう勉強に参加して1年以上になるんだけど(入門式は執行済)、
今年の復活徹夜祭にはどうしても両親が参加できなくて
(両親がなんだ…?という意見もあるでしょうが、両親が仕事上大変お世話になっている
ルーテルの人を招いて、講演をするので)、居残り。で、指導いただいた神父様が
4月5日の人事異動で転任されてしまうので、新しく着任される神父様から
ゼロからご指導いただくわけだけども、集いで仲のいい信徒さんたちや、
いろんな教会の信徒さんたちも、異口同音に「今年はチョット都合が惡くて…」と
申しあげると、少し驚いたような表情になるし、「受けちゃいなよ~」なんて
云われる方もおられるのですがね。
自分の認識としても、もっと勉強をしたいし(それは聖書の内容や、カテキズム、教会の祈りなど)、
雑念がなるべく少ない状態、晴れた気持ちで受洗したいという思いがあるので。
なんか皆さん、「残念。いい機会なのに」みたいな、言葉にこそしませんがね、
「まず洗礼ありき」ということは古参の信徒の方が云っておられました。
…本当にそういうものなのですか?「もっと聖書の勉強・時代背景・カトリックの魅力を掘り下げたい」
と云ったら、「洗礼後のほうがいい」って云われちゃったんだけども??