信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することです。
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛されました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神様の御言葉で創造されたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのです。
信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ、信仰によって
神様の御前で正しい者と認められました。神様が、彼の供え物をよしとされたからです。
彼は死にましたが、信仰によって今もなお語っています。
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に引き上げられました。神様が天に引き上げられたので、
彼は突然、姿を消したのです。彼が天に引き上げられる前に、神様に喜ばれた者と、あかしされていたからです。
信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません。
なぜなら、神様に来る者は、神様のおられることと、ご自身を求める者に報酬を授けて下さることを、必ず信じるからです。
(ヘブル人への手紙11:1-6)
リンゴ訳
天の御国の招待にあずかっている聖なる皆さん。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使いであり、
大祭司なるイエス様を思っていなさい。
彼は、モーセが神様の家の全てに対して忠実であられたように、ご自分をお立てになったかたに対して
忠実であられました。
豪華な家を造る人が家そのものよりもはるかに尊ばれるように、彼は、モーセ以上に、
大いなる光栄を授けられるにふさわしい者とされたのです。
家はすべて、だれかによって建設されるものですが、すべてのものを造られたかたは、神様です。
さて、モーセは、後々に伝えられる事柄についてあかしをするために、奉仕する者として、
神様の家の全体に対して忠実でしたが、 キリストは神様のひとり子として、神様の家を治めるのに
忠実であられたのです。
わたしたちが、希望の確信と誇りとを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神様の家となります。
(ヘブル人への手紙3:1-8)
リンゴ訳
ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。
そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。
十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。
(詩篇150)
670 :
神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 19:24:15 ID:QtlQiGam
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにありますように。
わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって授けられた神様の恵みを思って、
神様に感謝しています。
あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にも
すべての知識にも恵まれて、キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、
こうして、あなたがたは恵みの賜物に少しも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの
出現を待ち望んでいます。
主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえてくださり、わたしたちの主イエス・キリストの日に、
責められるところのない者にして下さるでしょう。(第一コリント1:3-8)
リンゴ訳
逆さ十字を掲げよ
主、われらの主よ、あなたの御名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。
あなたの栄光は天の上にあり、 みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。
あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。
わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少し人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これに御手のわざを治めさせ、
よろずの物をその足の下におかれました。すべての羊と牛、また野の獣、空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。
主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。
(詩篇8:1-9)
キリストは、神様の身分でありながら、神と等しい者であることに、こだわろうとは思われず、
かえって御自分を無にして、しもべの身分になられました、そして人間と同じ者になられたのです。
人間の姿で現れになり、へりくだって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで忠実であられました。
このため、神様はキリストを高く上げ、全ての名にまさる御名をお与えになりました。
こうして、天にあるもの、地上にあるもの、地の下にあるものすべてが、イエス様の御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主です」と公に宣べて、父なる神様を褒め称えるのです。
(フィリピ人への手紙 2-6〜11)
リンゴ訳
675 :
みかん:2009/12/28(月) 09:11:43 ID:GiOK/QVz
おはようございます!
吉田由美です。
リンゴさんは、デボーションされてますか?私は、以前はハーベストタイムの中川先生のデボーション冊子クレイから、聖書を学んでいました。今は、朝夕十分ぐらいを祈りと聖書朗読しております。今年もいよいよ、仕事納めですね。来年は良い年になりますように。
在主。
ゆみゆみ
>>675 みかんさん。
☆デボーションといいますか、祈りは毎日しています。
朝、夜、また歩きながら。
聖書朗読はリンゴの引用する聖句をおもに読んでいます。
(^^)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口で『イエス・キリストは私の主です』と告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
主イエス・キリスト復活後の御言葉
「彼らは、イエス様と共にいっしょに集まったとき、こう尋ねた。
『主よ、イスラエルのために御国を再興してくださるのは今、この時なのでしょうか。』
イエス様は言われた。『そういうことはあなたがたは知らなくてもよろしい。
父がご自分の権威をもって、それがいつなのか、どういう時なのかをお定めになっています。
(使徒1:6〜7)
リンゴ訳
主イエスの御言葉
「どんなことがあっても、心配したりあわてたりしてはいけない。
神様を信じ、わたしに何もかも任せなさい。父の住んでおられる所には、住まいがたくさんあります。
もしなかったら、はっきり言っておいたでしょう。
実を言えば、あなたがたを迎えるため住まいを準備しに行くのです。 すっかり準備が整ったら、迎えに来ます。
わたしがいる所にあなたがたも、いつまでもいられるようにしてあげるためです。」
(ヨハネ14-1〜4)
愛する兄弟の皆さん、主の御来臨の時まで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つでしょう。
あなたがたも忍耐し、心をしっかりと保っていなさい。
主の御来臨の時が迫っているからです。(ヤコブの手紙5章)
わたしは、主から直接聞いたとおりの御言葉を伝えるのですが、生きながらえて
主の御来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないでしょう。
すなわち、主は大号令と、天使長の声と、神様の召集ラッパが鳴り響きわたると共に、天から御降臨されます。
その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり復活し、 それから生き残っているわたしたちが、
彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主にお会いし、こうして、いつまでも主と共にいることになります。
ですから、あなたがたは、これらの御言葉をもってお互いに慰め合いなさい。
(テサロニケ第一の手紙4:13-18)
リンゴ訳
愛する皆さん。もちろん、それらがいつ起こるかということについては、私は何も答える必要がありません。
その時を知っている人などいないことは、よくご存じのはずです。
あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜に来るように来ます。
人々が「平和だ、安全だ」と言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、
突如として滅びが彼らに襲いかかって来ます。そして、それから逃れることは決してできません。
しかし愛する皆さん。あなたがたは暗闇の中にいないのですから、その日が、盗人のように
あなたがたを不意に襲いかかることはないでしょう。
あなたがたはみな光の子、昼の子なのです。わたしたちは、夜の者でも闇の者でもありません。
ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。眠る人は夜眠り、酔う人は夜に酔います。
しかし、わたしたちは昼の者なのですから、信仰と愛との胸当を身につけ、救いと希望のかぶとをかぶって、慎んでいましょう。
神様は、わたしたちを御怒りに会わせるように定められたのではなく、
わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたからです。
(テサロニケ第一の手紙5:1-9)
リンゴ訳
愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊様の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によって清められ、
神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、今では神様の家族の一員として、
迎えられたのです。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
それは純粋で、しみ一つない完全な状態で、天に保管されており、絶対に変質したり、腐敗したりしません。
神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく天で永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。
あなたがたが、神様を信じているからです。
(ペテロ第一の手紙)
やがて来る終わりの日に、この永遠のいのちは、あなたがたのものとして、
だれの目にも、はっきり示されるでしょう。 ですから、心から喜びなさい。
今しばらくの間、地上での苦しみが続きますが、行く手には、すばらしい喜びが待ち受けているからです。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。
それによって、信仰が、どれほど強く、純粋であるかが量られます。
それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。
しかも神様には、 あなたがたの信仰は、金などより、はるかに貴重なのです。
ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強化されるなら、
あなたがたは、イエス・キリストの再び来られる日に、多くの賞賛と栄光と名誉とを、受けることになるでしょう。
(ペテロ第一の手紙 1:2-7)
685 :
神も仏も名無しさん:2009/12/29(火) 11:10:17 ID:t4GOhJFc
>りんご
チミは進化論を否定して、人間の始まりはアダムとイブって真剣に思ってるのかね?
686 :
神も仏も名無しさん:2009/12/29(火) 13:29:23 ID:vI9tQDoY
687 :
神も仏も名無しさん:2009/12/29(火) 13:55:55 ID:t4GOhJFc
>>685 詩篇と箴言を読みなさい。そういうのを愚問というのです。
リンゴはちょっとは聖書を疑うことを覚えたほうがいい
>>689 あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口で『イエス・キリストは私の主です』と告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選別され、召されて使徒となったパウロから。
この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、
神のひとり子に関するものです。
神のひとり子は、肉によればダビデの子孫から生れ、 聖霊によれば、死人からのよみがえりの復活により、
御力をもって神のひとり子と定められました。これがわたしたちの主イエス・キリストです。
わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、
彼によって恵みと使徒の務めとを受けたのであり、あなたがたもまた、彼らの中にあって、
招待を受けイエス・キリストに属する者となりました。
ローマにいる、神に愛され、召された聖なる者一同へ。
わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
まず第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられていることを、
イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神に感謝します。
(ローマ人への手紙1:1-8)
リンゴ訳
わたしは、祈るたびに、いつもあなたがたを覚え、いつかは御こころにかなって道が開かれ、
どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願っています。
このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが霊により、
御子の福音を宣べ伝え仕えている神様です。わたしは、あなたがたに会うことを熱望しています。
あなたがたに霊の賜物を幾分でも分け与えて、力づけたいからです。
それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互いの信仰によって、
共に励まし合うためにほかならない。愛する兄弟のみなさん。このことを知らずにいてもらいたくない。
わたしはほかの異邦人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、
あなたがたの所に行こうと何度となく計画をたてましたが、今まで妨げられてきました。
わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い人にも無知な人にも、果すべき責任がある。
そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのです。
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、
救いを得させる神の御力があります。(ローマ人への手紙1:9-16)
リンゴ訳
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせます。
これは、「神の御前に正しい人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信仰と不義とに対して、天から啓示される。
なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされました。
神の見えない性質、すなわち、神の永遠の御力と神性とは、天地創造以来、被造物において知られていて、
明らかに認められるからです。したがって、彼らには弁解の余地がない。
なぜなら、彼らは神を知っていながら、神として礼拝せず、感謝もせず、かえってその思いは虚しくなり、
その無知な心は暗くなったからです。
彼らは自ら知者と称しながら、愚か者になり、 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や
獣や這う物の像に似せました。
ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互いにはずかしめて、
汚すままに任せられました。
彼らは神の真理を変えて偽りとし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのです。
創造者こそ永遠に賛美されるべきかた、アーメン。(ローマ人への手紙1:17-25)
リンゴ訳
あなたがたは自分の持っている確かな信仰を放棄してはいけません。
その確信には莫大なる報酬がともなっているからです。
神様の御心を行って約束のものをいただくため、あなたがたに必要なのは、忍耐です。
「もうしばらくすれば、来たるべき方がお見えになります。遅くなることはありません。
神様の御前に正しいと認められた人たちは、信仰によって生きるのです。
もし信仰を捨てるなら、神様は喜ばれない」。
しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅んでしまう者ではなく、信仰を持ち、永遠の命を得る者です。
(ヘブル人への手紙10:35-39)
リンゴ訳
信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認すること。
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛されました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神様の御言葉で創造されたのであり、したがって、
見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのです。
信仰によって、アベルはカインよりも優れた生け贄を神様に捧げ、信仰によって
神様の御前で正しい者と認められました。神様が、彼の供え物をよしとされたからです。
彼は死にましたが、信仰によって今もなお語っています。
信仰によって、エノクは死を経験することなく天に引き上げられました。神様が天に引き上げられたので、
彼は突然、姿が見えなくなりました。
彼が天に引き上げられる前に、神様に喜ばれた者と、あかしされていたからです。
信仰がなくては、神様に喜ばれることはできません。なぜなら、神様に来る者は、
神様のおられることと、ご自身を求める者に報酬を授けて下さることを、必ず信じきるからです。
(ヘブル人への手紙11:1-6)
リンゴ訳
天の御国の招待にあずかっている聖なる皆さん。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使いであり
大祭司なるイエス様を思っていなさい。
彼は、モーセが神の家の全てに対して忠実であられたように、ご自分をお立てになったかたに対して
忠実であられました。
豪華な家を造る人が家そのものよりもはるかに尊ばれるように、彼は、モーセ以上に、
大いなる光栄を授けられるにふさわしい者とされたのです。
家はすべて、だれかによって建設されるものですが、すべてのものを造られたかたは、神様です。
さて、モーセは、後々に伝えられる事柄についてあかしをするために、奉仕する者として、
神様の家の全体に対して忠実でしたが、 キリストは神様のひとり子として、神の家を治めるのに
忠実であられたのです。
わたしたちが、希望の確信と誇りとを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神様の家となります。
(ヘブル人への手紙3:1-7)
リンゴ訳
愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊様の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によって清められ、
神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、今では神様の家族の一員として、
迎えられたのです。
キリストが死人の中からよみがえり復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
それは純粋で、しみ一つない完全な状態で、天に保管されており、絶対に変質したり、腐敗したりしません。
神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく天で永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。
あなたがたが、神様を信じているからです。
(ペテロ第一の手紙)
やがて来る終わりの日に、この永遠のいのちは、あなたがたのものとして、
だれの目にも、はっきり示されるでしょう。 ですから、心から喜びなさい。
今しばらくの間、地上での苦しみが続きますが、行く手には、すばらしい喜びが待ち受けているからです。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。
それによって、信仰が、どれほど強く、純粋であるかが量られます。
それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。
しかも神様には、 あなたがたの信仰は、金などより、はるかに貴重なのです。
ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強化されるなら、
あなたがたは、イエス・キリストの再び来られる日に、多くの賞賛と栄光と名誉とを、受けることになるでしょう。
(ペテロ第一の手紙 1:2-7)
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口で『イエス・キリストは私の主です』と告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
わたしたちは、信仰によって神様の御前に正しい者とされました。
それによりわたしたちの主イエス・キリストにあって、神様に対して平和を得ています。
さらに、わたしたちは、彼により、いま立っているこの恵みという信仰によって導き入れられ、
神様の栄光にあずかる希望をも喜んでいます。
それだけではない。患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は練られた品性を生み出し、
練られた品性は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに授けられている聖霊によって、
神様の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5:1-5)
リンゴ訳
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時が来て、不信仰な人たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいません。
よい人のためには、進んで死ぬ人が、あるいはいるかもしれない。しかし、まだ、罪人であった時、
キリストがわたしたちのために死んで下さったことにより、神様はわたしたちに対する愛を示されました。
わたしたちは今、キリストの血によって神様の御前に正しい者とされているのです。
そうであるなら、彼によって神様の御怒りから救われるのはなおさらです。
わたしたちが敵であった時でさえ、神様のひとり子の死によって神様の和解を受けたのですから、
和解を受けている今は、なおさら、彼の命によって救われます。 そればかりではありません。
わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神様を喜んでいるのです。
(ローマ人への手紙5:6-11)
リンゴ訳
このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、罪によって死がはいってきたように、
すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込みました。
というのは、律法以前にも罪はこの世にあったのですが、律法がなければ、罪は罪として認められないのです。
しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、
死の支配を免れることはありませんでした。このアダムは、来たるべき者のひな型です。
しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっています。
すなわち、 ひとりの罪のために多くの人が死んだとすれば、まして、神様の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる
賜物は、 さらなる豊さによって多くの人々に満ちあふれるのです。
尚かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっています。
なぜなら、裁きの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになりましたが、恵みの場合には、多くの人の罪が、
神様の御前に正しいとされる結果になるからです。
(ローマ人への手紙5:12-16)
ひとりの罪過によって、その人をとおして死が支配するようになったのなら、まして、あふれるばかりの恵みと
神様の正しさの賜物を授けられている人たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、
さらに力強く支配することになります。
こういうわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの人の正しい行為によって、
いのちを得させる神様の正しさがすべての人に及びます。
すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたように、ひとりの人の従順によって、
多くの人が神様の御前に正しい人とされるのです。
律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためです。しかし、罪の増し加わったところには、
恵みもますます満ちあふれました。
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた神様の正しさによって支配し、
わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させることになるのです。
(ローマ人への手紙5:17-21)
リンゴ訳
では、わたしたちは、なんと言いましょうか。恵みが増し加わるように、罪にとどまるべきであろうか。
決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるでしょうか。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、
彼の死にあずかるバプテスマを受けたのです。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのです。
それは、キリストが父の御栄光によって、死人の中からよみがえり復活されたように、
わたしたちもまた、新しいいのちに生きるのです。
わたしたちが、彼に結ばれてその死と同じになるなら、さらに、彼のよみがえりの復活と同じになります。
(ローマ人への手紙6:1-5)
リンゴ訳
わたしたちは、この事を知っています。わたしたちの中の古い人はキリストと共に十字架につけられました。
それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためです。
それは、すでに死んだ者は、罪から解放されています。 わたしたちが、キリストと共に死んだなら、
彼と共に生きることを信じます。キリストは死人の中からよみがえり復活されて、もう死なれることはありません。
死はもはや彼を支配しないことを知っています。
なぜなら、キリストが死んでくださったのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、
神様の御前に生きておられることになるからです。
(ローマ人への手紙6:6-10)
リンゴ訳
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神様に
生かされている者であることを、認識しなさい。
ですから、あなたがたの死ぬべき体を罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをしてはいけない。
また、あなたがたの体を不義の器として罪にささげてはなりません。
むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神様にささげ、自分の体を正しい器として神様にささげなさい。
なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるのですから、罪に支配されることはないからです。
(ローマ人への手紙6:11-14)
リンゴ訳
それでは、どうなのですか。律法の下にではなく、恵みの下にあるから、わたしたちは罪を犯すべきか。
断じてそうではありません。 あなたがたは知らないのですか。
あなたがた自身が、だれかのしもべになって服従するなら、あなたがたは服従するその者のしもべなのです。
死に至る罪のしもべにもなり、あるいは、神様の御前に正しいとされる従順のしもべともなるのです。
しかし、神様は感謝しようではありませんか。
あなたがたは罪のしもべでしたが、 伝えられた教えの基準に心から服従して、 罪から解放されました。
そして神様の御前に正しくされるしもべとなったのです。
(ローマ人への手紙6:15-18)
わたしは人間的な言い方をしますがが、それは、あなたがたの生まれながらの肉の性質の弱さゆえです。
あなたがたは、かつて自分の体を汚れと不法とのしもべとしてささげて不法に陥りましたが、
今は自分の体を神様の御前に正しいしもべとしてささげ、清くならねばならない。
あなたがたが罪のしもべであった時は、神様の正しさとは縁のない者でした。
その時あなたがたは、どんな実を結びましたか。それは、今では恥とするようなものでした。
それらの行きつくところは、死です。
しかし今や、あなたがたは罪から解放されました。そして神様に仕え、清い実を結んでいます。
その行きつくところは永遠のいのちです。罪の支払う報酬は死です。
しかし神様の授けてくださる賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちです。
(ローマ人への手紙6:19-23)
リンゴ訳
愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊様の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によって清められ、
神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、今では神様の家族の一員として、
迎えられたのです。
キリストが死人の中からよみがえり復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています。
神様は自分の子供たちのために、お金では買えない永遠のいのちを贈る、と約束してくださいました。
それは純粋で、しみ一つない完全な状態で、天に保管されており、絶対に変質したり、腐敗したりしません。
神様は超自然的な力によって、あなたがたが、まちがいなく天で永遠のいのちをいただけるよう、守ってくださいます。
あなたがたが、神様を信じているからです。
(ペテロ第一の手紙)
やがて来る終わりの日に、この永遠のいのちは、あなたがたのものとして、 だれの目にも、はっきり示されるでしょう。
ですから、心から喜びなさい。
今しばらくの間、地上での苦しみが続きますが、行く手には、すばらしい喜びが待ち受けているからです。
これらの試練は、あなたがたの信仰をテストするためにあるのです。
それによって、信仰が、どれほど強く、純粋であるかが量られます。
それはちょうど、金が火によって精錬され、不純物が取り除かれるのに似ています。
しかも神様には、 あなたがたの信仰は、金などより、はるかに貴重なのです。
ですから、信仰が火のような試練のるつぼの中で鍛えられ、なお強化されるなら、
あなたがたは、イエス・キリストの再び来られる日に、多くの賞賛と栄光と名誉とを、受けることになるでしょう。
(ペテロ第一の手紙 1:2-7)
あぐねすも。
心に植え付けられたキリストを受け入れなさい。
この お方は、あなたがたの魂を救います。
十字架を行う人になりなさい。
自分を欺いて、見るだけで終わる人になってはいけません。
(ヤコブ一章21〜22 あぐねす・ごん 訳)
>>711 聖句は正確に引用してください。正しくはこうなります。
「心に植えつけられている御言葉を、素直に受け入れなさい。
御言葉は、あなたがたのたましいを救う力があります。
そして、御言葉を行う人になりなさい。
自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。」
ヤコブの手紙1章21-22
☆ところで、あぐねすくんは東京の人ですか。
>>713 いや、べつに気にすることはありません。
しゃべりかたが東京っちみたいでしたから。
あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口で『イエス・キリストは私の主です』と告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(ローマ人への手紙10:9-11)
愛する皆さん。わたしが以前あなたがたにお伝えした福音、あなたがたが受け入れ、それによって立ってきた
あの福音を、思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も授けられたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわば、未熟児のような
私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、
使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様の恵みは
むだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。 とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、
そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです。(コリント第一の手紙15:1-11)
リンゴ訳
さて、キリストは死人の中からよみがえり復活されたと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、
死人のよみがえりによる復活などはないと言っているのは、どうしたことなのですか。
死人の復活がないならば、キリストも復活されなかったでしょう。 もしキリストがよみがえり復活されなかったとしたら、
わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。すると、わたしたちは神様にそむく偽証人にさえなります。
なぜなら、死人がよみがえり復活しないとしたら、わたしたちは神様がよみがえらせなかったはずのキリストを、
よみがえらせたと言って、神様に反するあかしを立てたことになるからです。
もし死人が復活しないなら、キリストも復活されなかったでしょう。
キリストがよみがえり復活されなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、
いまなお罪の中にいることになる。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もしわたしたちが、
この世の生活でキリストにあって単なる希望を抱いているだけだとすれば、
わたしたちは、すべての人の中で最も哀れな存在となります。
☆しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえり復活されました。
それは、死がひとりの人によって来たのだから、死人のよみがえりによる復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあるすべての人は死にますが、キリストにあるすべての人はよみがえり復活するのです。
(コリント第一の手紙15:12-22)リンゴ訳