【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3

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279宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
>>274
>宝珠は、>>268-273に、どう反応するかね・・・w

 たぶん、セブンは物事をあまりに難しく考え過ぎているのではないか、と私は思います。また
これは、“嘘つきのクレタ人なるパラドックス”(「クレタ人は嘘つきが多いから信用ではない」と、
あるクレタ人が言っている等々・・・)とも、また話が違うし・・w

 本当は、これは簡単な話なのですよ!
 自覚というものは、意識があって初めて生じるものであり(思考もそう)、その意識というもの
は、「私」という第一人称をいうのです。それ以外の一切すべては、この「私」という第一人称の
後に生じたものです。
 母も父も外の世界のすべても、「私」の後に顕れたのです。そういうと中には、「いや、そうとも
いえない。母も父も外の世界のすべても、それらを見ることで自分を自分であるとして認識した
ともいえる」などという反論する人もいます。
 しかし、それは絶対にないのです。母を母として認識する為には、先に「私」を認識することで
それ以外(「私」ではないもの)の存在として捉えることができ、それが母なり父なり、そして外の
世界の様々なものであるとして認識するのです。
 これが「自我(意識)」というものであり、これは人から教えられたものではなく、生命であれば
自然と目覚める自己本能なのです。認識と自覚というは、この自己意識無しには起こり得ない。

 仏教的に、肉体の死後と共に自己意識が無くなると説くのが断滅論というものであって、これ
は間違いであるとゴータマは説いて様々にその証明をしたのです。これは先の片山氏論文の後
半にも出てくる「無余涅槃」というのも、このことに通じていくわけです。

 「涅槃は無我であり、そこには“個”というものはない。」「実体ではない。」などと自覚するのは
一体、誰なのか? 
 実際、これを自覚している存在というのは、実在論で否定しているような存在とはすでに異なる
次元意識なのです。単に言葉上、「存在」と呼称する以外に手段がないから使うだけに過ぎない。
この存在は“「個」の概念を超越した普遍的な次元意識”なのです。正確な表現はできないのです。