639 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 08:33:21 ID:OFgYDUVE
>>634 お前は最低の糞やろうだな。
お前の言ってることは差別主義者の自己正当化の屁理屈そのままだ。
「俺は自分の言いたいことを言ってるわけだから、いやなら聞かなければよい」
この腐った独善的な思考が全ての差別思考、差別発言を生んでいることが
わからんのか?
「ボクシングは、わかった上でやっている」だと?
ならば、「輪廻転生、業論というのは、『仏教という宗教内だけのお話です。
仏教にはそういう思想があるというだけであり、仏教徒ではない人には起こらない
現象です。ただの一宗教の話であって、現実に起こることではもちろんありません。」
と、お前たち「業論肯定論者」は言うわけか? 違うだろ?
「転生業報は『仏教徒以外のものにも起こる普遍的現象です。』」とこう主張するわけだ。
「単なる一宗教内限定」の話ではなかろうが?
仏教徒でも何でもない家庭の赤ちゃんに対して「この子がこのような障害をもって
生まれてきたのは前世の悪行が原因である。自業自得だな。」
と勝手に『規定』する。この子も両親も決して、そんな風に見られたくはない
わけだ。それが宗教者の論であろうと、無宗教者の個人的な見解であろうと
関係なく「そのように見られたくない」のが、わからんのか?
「宗教である」という看板を掲げれば何を言っても良いというのか?馬鹿が。
「俺は自分の思ってることを言ってるだけだ。嫌なら聞くな。」
この独善的な腐った思考がお前ら「転生業論支持者」の共通見解なわけだ。
640 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 09:03:53 ID:L3mRcoKF
>>634 >で、自爆テロなどは、世俗の法律上も犯罪です。
君は、人が殺されるまでは待て、というのか。中東では、宗教によって、殆ど
毎日のように、多数の人々の生命が、理由なく奪われている。この現実を直視
せよ。殺されてからでは、遅すぎるのである。
現代では、科学は、いかなる宗教の奇跡もはるかに及ばない発達を遂げた。
科学について無知蒙昧であった、迷信と妄想に満ちた古代ではないのだぞ。
人類の歴史は、迷信と妄想からの脱却の努力である。
宗教を語るなら、開祖たちが現代の科学の時代に生きていたら何を語るかを探索
せよ。開祖は、あくまで、「当時の」知識水準における、「当時の」人々に対
して語ったに過ぎない。現代の科学の発達は、夢想だにしていなかった。彼等
は、当時における最先端の改革者のはずである。彼等が現在に生きていたら、
「2000年前の知識と思想を信ぜよ」などというアホなことをいう訳がない。
古代人も、「当時における」彼等の精一杯の「現実性・害理性・科学性」に
よって生存の努力を続けたことを、忘れてはならない。現代の宗教者のように、
生存の「手段」としての宗教を、生存の「目的」とするという倒錯には陥って
いなかった。
君は一体何の為に義務教育を受けたのか。いい加減で「時代錯誤」と「倒錯」
から脱却せよ。
643 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 12:34:00 ID:aJyM2jHj
>>640 仏教にかぎって言うなら、殺生を戒めている。
テロをやる過激派と同じに考えるのはおかしい。
それに、輪廻肯定派がみんな、障がい者を自業自得のような目で見てるわけではありません。
私は輪廻肯定派ですが、病人や障がい者を見ても、
いちいち輪廻のことなんか頭をよぎりませんよ。
644 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 12:47:42 ID:aJyM2jHj
>>640 あなたのそのセリフ自体が、輪廻を信じていない立場のセリフなんです。
もしも輪廻があるならば、どんなに科学が発達しても、
今も昔も悟らないかぎりは輪廻するでしょう?
あなたは、科学が発達した現代人の方が昔の人より、
いかなる方面でも優れてると考えるのかもしれませんね。
私は、神通力や瞑想については昔の人の方が優れてる可能性があると思います。
昔の人の能力ではわかっていたことが、
今の人にはわからなくなった、と考えることもできます。
まぁそれはいいとして、仏教徒にとっては、
輪廻があると思って修行の励みにすることもできますが、
しかし、過去や未来について
あれこれ妄想するのもよくありませんね。
考える必要のあるときには考え、
考える必要のないときには考えないのがいい。
障がい者を見たときにも、
輪廻について考える必要があるなら考えるべきですが、
考える必要がないときには考えないほうがいい。
645 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 13:16:16 ID:i7glaCZN
>>644 開祖が現代に生きていたら何を教えるか、ということを常に考えろということ。
まさか、「輪廻転生」など教えないだろうw。
>>645 釈尊が現代に生きていたら、
バラモン教の儀式を否定したように、オカルトや宗教を無明であるとして否定するだろうよ。キッパリ。
釈迦が現代に生きてても、修行者のみに真理を説くのだろうか?
無記はお喋りせずに座れって意味だからね。世俗人相手でないのを考慮するべきだね。
釈迦の教えは、まず瞑想しろだから
648 :
前世は一在家:2009/11/27(金) 16:51:06 ID:wpPt6c3D
>>640 >現代では、科学は、いかなる宗教の奇跡もはるかに及ばない発達を遂げた。
>科学について無知蒙昧であった、迷信と妄想に満ちた古代ではないのだぞ。
科学技術が発達して大量破壊の為の核兵器が誕生しましたよ。
科学技術が発達して大量消費の為に地球温暖化が進展しましたよ。
どうしてだと思いますか??
科学技術の進歩に人間の精神(心)の成長が追いつかなくなってきているから
ではないしょうか。
貴兄が馬鹿にしている二千年前の人達に比べて、果たして現代人の精神は成長
していますか? むしろ荒廃しておりませんか?
隣人を助けることもなく、弱者をいじめておりませんか?
自称元科学者の一人としまして、科学と宗教との収斂を希求しております。
>>636 ほう・・・w
で、このスレは、
「そうした法話の席だ」と仰りたいので?w
仏教を肯定的に受け止め、肯定的に語る人のみが聞くことを許される、
そうした(会員制的な)法話或いは講演、或いはシンポジウム、或いは対論の場だと仰りたいので?w
それならば、否定論者達こそがその態度を責められてしかるべきだし、
そもそも、このスレの答えは「最初から決まり切っている」w
《今まで通り、伝統的法話通りに、「因果応報」が語られるべきだ》、と・・w
《それ以外の語りなどあり得ない》、と・・・w
650 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 17:02:34 ID:OFgYDUVE
>>643 何もわかっとらんな、お前は。
>それに、輪廻肯定派がみんな、障がい者を自業自得のような目で見てるわけではありません。
私は輪廻肯定派ですが、病人や障がい者を見ても、
いちいち輪廻のことなんか頭をよぎりませんよ。
いいか?「業報論」というのは、各個人の「生まれ」を決して偶然によるもの
なのではなく、「過去の業」により、「そのように生まれついた」とするものだ。
お前は、障害をもって生まれてきた赤ちゃんに対して、
「この子は、生物学的、医学的要因により、運悪くこのように生まれ付いて
しまった。」 このように認識するのか?
ならば、お前は「転生、業論」を信じていないことになる。
それならば、其れでよし。 しかし違うだろ?
お前は「この赤ちゃんは、過去世の業によってこのように生まれついた」
と認識するわけだ。「転生、業論」を信じているのであれば、当然、その
ような帰結になる。
「いや、僕は転生、業報は信じてるけど、この赤ちゃんが過去のカルマに
よるものとは思わない。」 こういうわけか?
これは全く通らんぞ。
「転生、業報論」を信じてるという時点で「この赤ちゃんの状態は過去の業
によるものである」と認識しています。
このように言ってることになるのが、わからんのか?
いいか?俺が言ってるのは「この赤ちゃんをかわいそうに思え」とか言っている
のではないぞ。勝手に「他人の状態を過去の業のせいに規定するような見方」
を止めろといっているのだ。人の心の中に土足で踏み込んでくるのを止めろと
言っているんだよ。
「信じるのは勝手」というなら、「人前で二度と口にせず、林の中に引っ込んでいろ」
わかったか?
前にも書いたが、たとえば自分が障害をもって生まれた場合、
それを自分の過去の業として認識することには意味がある。
自分の環境、自分の状態というのは、結局自分自身の心が作り上げていくものだ、
ということを理解すること、他人や環境のせいにせず、己の心のあり方に
責任を負っていくということを貫いていくことには意味がある。
しかしながら、他者を批判したり評価したりすることに輪廻思想を用いることは
有害でしかないだろう。でもそれは輪廻や業報思想に咎があるのではなく、
他人事視点で、他者を批判したり評価したりするという、
愛情のない冷たい生き方に問題がある。
>>651 だから、(逆に?)、
>>177が挙げた法王の態度は素晴らしいわけさ。
つまり、
あそこまで徹底できた者だけが、“過去世からの応報”を語る資格を持つのだろう、と・・・。
半端な人間が語り続けた結果が、或いは、
利用の仕方に「監視が行き届かず“独り歩きした応報”」が、差別問題の縁であろう、と・・・。
653 :
前世は一在家:2009/11/27(金) 18:35:41 ID:wpPt6c3D
>>650 >いいか?「業報論」というのは、各個人の「生まれ」を決して偶然によるもの
>なのではなく、「過去の業」により、「そのように生まれついた」とするものだ。
一つ大切なことを言い忘れておりました。
自分が誕生する環境を知っていて生まれて参ります。
ほとんどの人は入胎時に記憶を失いますが、菩薩とその次のクラスの魂は
入胎時には記憶(意識)を持っております。
ただし菩薩以外は出胎時には記憶を失うそうです。
このような「四つの入胎の法」は度々紹介しました長部経典の「等誦経」に
記載されております。
>>653 だから何なんだ?
それが、
>>650(のその2行)とどういう関係があるんだ? ん?
お前はいつも、【無意味な引用】ばかりだw
その引用にどのような意味・効果があるのか、お馬鹿な俺の為に解説してくれよwww
>>652 まったく同意します。
輪廻を自分で知覚できるようになってさえいないのに
輪廻の意味や重さを自分自身で知ってさえいないのに
仏典にこうあるから、とか、神秘主義者がこう言ってるからなどといって、
聞きかじりで人を批判・評価して裁くことには疑問がある。
そもそも人を裁いたり断罪するのは神仏の領域であって、
人にはそんなことは許されていないのではないだろうか。
人はただお互いに無条件で助け合っていればいい。
656 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:17:08 ID:FhuIDqLT
レスが遅くなりました。
>>586 @
つまり、論拠は「仏典」ではなく、「仏典の内容を自分で実際に確かめたから」という事でよろしいですか?
そして、「業報輪廻」と「非言語的境地」は同じく仏典に既述が有るものだけど、
輪廻は「検証不可能」だから、「検証可能」な「非言語的境地」とは別物だという意見ですね?
なるほど。ここまでの主張は納得しました。
ただ、そうすると「非言語的悟りの境地」が、「検証可能で有る」という論拠が気になります。
どのようなロジックで、非ロジカルな境地を検証なさるのでしょうか?
(後の方でも書きますが、あなたは、「非言語的境地」は、検証不可能だとお認めになってませんか?
>>591)
657 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:17:46 ID:FhuIDqLT
>>588 A
この部分は、表現の仕方が違っただけのようですね。
B
むう。やはりこの部分が何を言いたいのかが把握できないんですよ。
貴方の分類は、現象には@)元々分別されているものとA)分別されていないもの の二種類があり、
悟りは後者であると言う事ですか?
もしそうなら、全ての現象は、人間が分別しようとしまいと存在し、ある意味、全ての現象がA)なのではないでしょうか?
658 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:18:03 ID:FhuIDqLT
>>589 C
「扱える」とは、「ロジカルに思考することが出来る」というような意味で用いました。
結局、非言語的悟りの境地は、そのままでは無意味で、言語化しないと活用できず、
かといって、非言語的である為に、完全には言語化できないというものなのですか?
そして、悟りの境地=全ての現象 ならば、貴方の言う悟りとは、「自然現象全体」を示しているんですか?
659 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:18:49 ID:FhuIDqLT
>>591 え〜と、前に某人にも指摘しましたが、目的地もそこへの行き方もわからないまま突っ走るのは、少々アブナイ人かと思います。
もし、有る人が「悟った!」と思った非言語的「凸凹◇○」の境地が、全然悟りでも何でもなく、
むしろ、害になる境地だとした場合でも、「本人次第だし、悟りの境地も様々だから」で済ませてしまうんですか?
九州を目指して走り出し、青森に到着して「俺は九州についた!」と言っても構わないという主張ですか?
貴方は、悟りを指して「目から鱗が落ちる」と言ってますが、じつは「目に鱗が飛び込んだ」のかもしれませんよ?
ついでに言えば、貴方の引用したブッタの嘆きは、「到達できない人間も居る」と言うものであって、
「全然別の目的地に行ってしまう」事を危惧した嘆きではないですよね?
660 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:19:30 ID:FhuIDqLT
>>599 >生存がそれほど苦なのに、何故死が「最大の苦」かw。
>言ってることが矛盾しているよ。
はて?どこが矛盾しているんですか?
「生存しているときに受ける時の苦」<「死という苦」
と主張してるだけですが?
もしかして、大小関係も把握できないほど支離滅裂になってきたんですか?
>死亡時の苦痛が苦なのなら、医学的には、楽な死に方はいくらでもあるよw。
いやいやw またどこを縦読みしたんですかw
「死」が根本的苦なのであって、「死亡時の苦しみ」は、別問題ですよw
ギロチンで一瞬で死んでも、「死」と言う苦はなくなりません。
>「生存苦」なら、死んでしまえば、苦は完全になくなるだろ。
だから、死苦のほうが生存苦よりも大きいと何度・・・(ry
その解決法はありえないと、一番最初に指摘したじゃないですかw
記憶力も減退してきたんですか?
661 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:20:24 ID:FhuIDqLT
>>620 確か貴方は輪廻肯定論者でしたよね?
前にも指摘したと思いますが、その発言は、業報輪廻理論を崩壊させる発言だと理解してますか?
662 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:21:01 ID:FhuIDqLT
>>636 いやいやw
ここで「輪廻は有る!」と発言している人たちは、
輪廻は「仏教限定」ではなく、「普遍的真実だ!」と言ってる人が殆どですよ。
貴方のボクシングの例でいうならば、イキナリ場外乱闘で観客を殴っているようなものですw
場外乱闘するなら、「理由を言うか、リングの中に戻るか、殴るのを止めろ」、と言うのが普通だと思いますが?
私たちはその中で、わざわざ一番穏当な「理由を聞く」と言う選択をしてるのに、
暴走したボクサーは、「理由は無い!殴られたくなかったら、殴られるな!」といって、暴走し続けてるわけですw
だったら、「リングに戻るか、殴るのを止めろ」と言うのが当然でしょ?
663 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:21:11 ID:FhuIDqLT
>>648 科学技術の発達と、その使用法は、貴方の仰るように全くの別問題です。
そして、「昔は良かった」なんてのは、年寄りの懐古趣味みたいなものです。
二千年前に比べれば、大分ましになってきたと思います。
664 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:24:03 ID:FhuIDqLT
>>629-631 内容については毎度の繰り返しなんで、突っ込みませんが、
『こんなに長文書いている暇が有るなら、質問に答えてください!』
665 :
前々スレ10:2009/11/27(金) 20:27:58 ID:FhuIDqLT
>>653 >自分が誕生する環境を知っていて生まれて参ります。
つまり、
「そんな環境に生まれたのは、(前世のおまえの責任ですらなく)おまえ自身の責任だ!」
と言いたいのですか?
666 :
前世は一在家:2009/11/27(金) 21:10:15 ID:wpPt6c3D
>>665 >「そんな環境に生まれたのは、(前世のおまえの責任ですらなく)おまえ自身の責任だ!」
レベルの高い魂ほど、あえて厳しい環境で生まれてくるかもしれませんね。
自らの成長の為にあえて厳しい環境を選ぶ人達がいるように。
668 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/27(金) 21:26:50 ID:FrwPjfaD
>667
(^。^;)いや、単なる外道だろ?(笑)
669 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 23:54:45 ID:OFgYDUVE
実に進むのが速い。
んで、> ID:aJyM2jHj よ。
>>650 に対するレスは無しか?
わかったのなら、よろしい。 以後、二度と人前で「転生、業報論」を口に
するようなことは慎むように。
670 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 23:56:27 ID:OFgYDUVE
あと、なんか在家が横レス付けてたみたいだが、別に答えんでいいな?
大王
そろそろ、奥駈け、滝行の季節だよ
ピシッと決めたいもんだけどね
672 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/11/28(土) 00:40:40 ID:1IY1J16G
>>633 >俺は俺が掴みえたものを書いている。どこかに書かれていないと不安なか?
あなたの見解。あなた独自の見解はそれそれでもいい。好きにすればいいのです。しかし、仏典中
にそのことを保証する裏付けする根拠がなければ仏教とはいえません。別思想・別宗教はいろいろと
在るのだから、ご自由にどうぞ!
>(1)二項相対妄想では“生成されたもの”⇔“生成されないもの”という妄想があると明言している。
>そのような妄想から離れた不生不滅を説く趣旨だよ。
>だから>生成されたものからの離脱・・とは両極を離れた中道を意味するのは当然だ。
妄想であるという意味合いは一体、どこに書かれてありますか?「形成されないものがある」(無為
=涅槃が在る)といい、形成されないものがあるからこそ、「形成されたものからの出離が覚知される」
(現象界/輪廻からの解脱を自覚できる)といっているのです。妄想なんて話はどこにもありません。
そして、勝義の視点に立ったときには涅槃に立脚した意識だけが本質であり、究極的には輪廻どこ
ろか、この物質現象界の一切すべてが実在ではないと体感されるのです。それをヒンドゥーはこれを
マーヤーといい、仏教はこれを「空」と呼んでいる。
>ここからも宝珠の>《「作られざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。》
>(アートマンスレ13/
>>789)という主張、論理構成は
>『まったく愚かな教えである』と結論的に明解に批判されているのだ。
『没することなき解脱の境地である。』(ウダーナヴァルガ26:29)
私は、このように仏典に根拠を置いて述べています。
>(2)さらにいえば 「弟子たちよ、『我』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものでは
>ないのであるから、このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、
>『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』というような教えは、まったく愚かな教
>えであると言えないだろうか。」 「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わ
>ねばなりませぬ。」 (マッジマニカーヤ、22:25)
673 :
神も仏も名無しさん:2009/11/28(土) 00:41:28 ID:yjECO2Ss
>>651 なんか言ってることのポイントがずれているので指摘しておくが
障害をもって生まれついたものが「自己の」障害の因を過去世のカルマであると
「自己規定」するのであれば、それは問題ない。自分のことなんだから好きに
考えなさいというだけだ。しかし、他者について言及するのであれば、全く話し
は変わるぞ。
>でもそれは輪廻や業報思想に咎があるのではなく、
他人事視点で、他者を批判したり評価したりするという、
愛情のない冷たい生き方に問題がある。
これは全くの間違いだ。
業報思想そのものが本質的な邪論なんだよ。
いいか?障害者は、「他人事視点で見られる」ことを嫌うのではなく、
「愛情をもって見られること」を望んでいるのでもない。
『人のマイナス面(それも個人の努力ではどうしようもないもの)を
勝手にその個人の過去世のカルマ、すなわち自業自得であるなどと規定するな』
こう言ってるのがわからんのか?
「・・・・が、〜のようになっているのは、過去のカルマのせいだ。」
などと勝手に他人の境遇を規定するんじゃんねえ! こう言ってるの。
「批判」「評価」などではなく、勝手に『事実認定』するんじゃねえよ。
業報肯定論者が、よく言うセリフに
「差別はいけない。業報思想は差別思想ではない。障害をもって生まれてきた
赤ちゃんには暖かく接しなければならない。」と言うのがある。
この偽善で誤魔化したセリフを見るたびに吐き気がするな。
障害を過去世のカルマのせいであると『事実認定』することが、即、
差別なんだよ。 そのように規定されること自体が嫌なわけ。
そのように、見られたうえで同情されても「ふざけるな!」となる
だけなんだよ。いい加減に、そのへんを理解しような、肯定派は。
674 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/11/28(土) 00:41:30 ID:1IY1J16G
これは一つには、五蘊の我の永遠なることを願う愚かさへの戒めであり、更にはバラモンの説く
アートマン論には単純には同意しない、というだけのこと。
では、真実はどうなのか?というと、その詳細については大王のような者は曲解するだけだから
教えるつもりはない。自分で修行して実体験すれば分ること、という態度です。では、これはどうな
のか?ゴータマが人の死後に行く末について解説をしていたという事実を。
『このように、アヌルッダたちよ、弟子が死去し死亡したとき、如来が「この者は、このところへ生
まれる。この者は、このところへ生まれる」と、再生する場所を予言するのは、人を欺くためでなく、
人に吹聴するためでなく、利益や尊敬や名誉や、功徳のためでなく、「わたしは、このような超能
力があることを人は知れ」というためではない。アヌルッダたちよ、信をもち、広大な信仰をもち、
広大な喜悦をもつ、良家の子はそれを聞いて真理に心をはせる。アヌルッダたちよ、かれらにとっ
ては、それは長いあいだ利益をもたらし安楽をもたらす」以上のことを世尊は説いた。尊者アヌルッ
ダは、歓喜し、世尊の教説を信受した。』(中阿含経・第77・帝三族姓子経)
*まっ、勝手にすればいいのです。
あなたにはあなたの自由(意志)というものがある。
半年うなったり、坐っても進まない様な時
氷水割って、バケツでも樽でも、頭からひっかぶると
その一杯が、半年分の坐と同等になったりすることもあるよ
心臓が悪くなきゃ、やってみたらいいのさ
ダライラマが言うなら、傷つかないが
そこいらへんの、新興宗教の、宗教ばばあが言ったら腹立つわけ輪廻
677 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/11/28(土) 01:04:31 ID:1IY1J16G
そもそも業報輪廻思想が差別思想というのは誤解です。
差別に利用?している一部の人間(僧侶)もいるし、
いたという事実があることについては確かにわかった。
これについては、セブン氏がウェブページなどでその事実を示してくれた。
けれども、そもそもの基本前提として、
では、仏教とは完全に同じではないにせよ
業報輪廻思想が根付いてこれを信じて暮らしているインドの大衆において、
これを差別となる酷い思想などと問題視にして批難している実態はありますか??
>>673 >業報思想そのものが本質的な邪論なんだよ。
>勝手にその個人の過去世のカルマ、すなわち自業自得であるなどと規定するな』
>こう言ってるのがわからんのか?
>「批判」「評価」などではなく、勝手に『事実認定』するんじゃねえよ。
>この偽善で誤魔化したセリフを見るたびに吐き気がするな。
>いい加減に、そのへんを理解しような、肯定派は。
これらの言葉はすべてただの仏教否定であり、ゴータマを愚弄するものに他ならない。
あなたは仏教を信奉しなければいいのであるし、このような見解は仏教を邪教扱いするものです。
別にそれも結構なことです。あなたは仏教邪教論、仏教不要論を説けばいいこと。
ただ勝手に仏教を曲解するな、と。それだけのことです。
678 :
神も仏も名無しさん:2009/11/28(土) 01:29:29 ID:yjECO2Ss
また糞宝珠かい。
お前は今まで全く「転生業報思想が差別思想でない」ことが説明できて
ないだろ? ただの一度もだ。 反論できずに「感情論には興味がない」
などと逃げ出すだけ。 なら初めから出てくるなカスが。
お前の言ってることは
「仏教は業報思想を説いている」→「だから業報思想を拒絶することは
仏教を否定することだ」→「ならば仏教を信じなければ良い」
という、いつもの糞理論だ。 馬鹿かい?
全く「業論が差別思想でないことの説明になってない。」
俺は初めから言ってるように「仏教徒」ではないわ。
仏教であろうとなかろうと、そんなことに関係なく「業報」は
差別思想であると言っているんだよ。そんなこともわからんのか?
>>673 > いいか?障害者は、「他人事視点で見られる」ことを嫌うのではなく、
> 「愛情をもって見られること」を望んでいるのでもない。
そうは思わない。人間は本質的に冷たくされることを嫌い、温かく接されることを望んでいると
いってまず間違いない。
言い換えれば、障害者にとっては温かくされることが重要であって、
それが輪廻肯定で温かくするのだろうと、輪廻否定を理由に温かくするのであろうと、
そんなことは些末な問題にすぎない。
> 「・・・・が、〜のようになっているのは、過去のカルマのせいだ。」
> などと勝手に他人の境遇を規定するんじゃんねえ! こう言ってるの。
> 「批判」「評価」などではなく、勝手に『事実認定』するんじゃねえよ。
言いたいことは分らないじゃないが、逆にいえば「事実ではないと認定」するのも
どうかと思う。霊視できたりしない限りは、その辺は「わからない」とするのが妥当。
> 業報肯定論者が、よく言うセリフに
> 「差別はいけない。業報思想は差別思想ではない。障害をもって生まれてきた
> 赤ちゃんには暖かく接しなければならない。」と言うのがある。
> この偽善で誤魔化したセリフを見るたびに吐き気がするな。
本心からの実行を伴わない発言であるなら、吐き気を催すのはむしろ健全といえるだろう。
> 障害を過去世のカルマのせいであると『事実認定』することが、即、
> 差別なんだよ。
輪廻が事実であるかどうかは、それを人に話すべきかどうかとは別の問題であり、
差別とか何とかいうロマンチックな気分に浸ってどうこうなる性質のものではない。
もし事実であるならば、事実認定する以外にはない。
680 :
神も仏も名無しさん:2009/11/28(土) 02:09:55 ID:yjECO2Ss
>>677 >業報輪廻思想が根付いてこれを信じて暮らしているインドの大衆において、
これを差別となる酷い思想などと問題視にして批難している実態はありますか??
お前はアンベードカルと共に「輪廻転生業報思想を否定する」仏教に改宗した
60万もの不可触民を知らないのか?
インドの被差別民と直に話した経験はないので、その意識がどのようなものであるか
は、正直わからん。しかし、「日本の被差別部落民の心情」ならば、その奥底に潜む
部分まで分かるぞ。
日本で何故、そんなに問題視されないのか?
「被差別部落民は自己の境遇を他人に知られることを絶対に避ける」からだよ。
両親は、自分の子供さえ「自分たちが被差別部落民」であるという事実を隠して
いる家庭が数多くあるんだよ。(まあ、子供の成長とともに、いずれ知らさなくては
ならない時期が必ず来るのだがね)
そして、彼らは「未だに差別され続けている」んだよ。これが現実なの。
そして、彼らは「自己のその境遇」を過去の政治的、政策的理由による階層制度の
被害者とされるのなら、まだ納得がいく。しかし、「自分らが過去世において
犯した悪行のせいで、このように差別される境遇に生まれついた」などと見られる
ことは我慢ならんというわけだ。当たり前だな。自分らが置かれてるいる、この
わけのわからん被差別状況が、「お前ら自身が過去世で犯した悪行のせいだ。
自業自得だ。」なんて言われてみろ。
そら、腹も立つわ。「何、勝手に決めつけてんだ。ふざけるなクソ」
となるのも最もなことよ。
わかったか? 差別主義者のクソ宝珠よ。
681 :
神も仏も名無しさん:2009/11/28(土) 02:25:08 ID:yjECO2Ss
>>679 あのなあ、
>霊視できたりしない限りは、その辺は「わからない」とするのが妥当。
業報論者は「わからない」とするのではなく、「過去のカルマのせい」と
規定するんだろ?
>輪廻が事実であるかどうかは、それを人に話すべきかどうかとは別の問題であり、 ・・
だから、「純粋に個人の信仰として、人前でそれを決して口にしない」
のであれば問題はないだろう。しかし、違うだろ?このスレをみても
わかるように肯定論者は、それが「全ての人間に起こる『普遍的事実』である」
と主張するわけだ。そして、「嫌なら聞くな」とほざくわけだ。
>差別とか何とかいうロマンチックな気分に浸ってどうこうなる性質のものではない。
ロマンチックな気分? 意味わからんが。
>もし事実であるならば、事実認定する以外にはない。
そこよ。「もしそれが事実であるならば」たとえそれがどんなに惨い
事実であろうとも受け入れざるを得ない。「事実であれば」ね。
問題は、『何の確証もない』自分らだけに通じる思想をもって
それとは無関係の人間に干渉してくる。ここが問題なんだよ。
事実であれば、それでよし。
早く実証してくれ。
>>677 > これらの言葉はすべてただの仏教否定であり、ゴータマを愚弄するものに他ならない。
アートマンを肯定するのもゴータマを愚弄するものに他ならないわけです。
自分のことを批判せず、他人だけ批判するような書き方には問題があると思います。
> あなたは仏教を信奉しなければいいのであるし、このような見解は仏教を邪教扱いするものです。
> 別にそれも結構なことです。あなたは仏教邪教論、仏教不要論を説けばいいこと。
> ただ勝手に仏教を曲解するな、と。それだけのことです。
人にはこう言っておいて、自分は外道ですから別にいいんですよ、と言ってのけるわけです。
完全に人をなめた態度だといっていいと思います。
>>681 >
>>679 あのなあ、
> >霊視できたりしない限りは、その辺は「わからない」とするのが妥当。
> 業報論者は「わからない」とするのではなく、「過去のカルマのせい」と
> 規定するんだろ?
私は業報論者ではなく、輪廻に関しては中立な立場です。
あるかもしれないしないかもしれない。しかし、自分に対して使うのであれば
有益であり、他人には基本的に使わない方がいいだろうというスタンスです。
> >もし事実であるならば、事実認定する以外にはない。
> そこよ。「もしそれが事実であるならば」たとえそれがどんなに惨い
> 事実であろうとも受け入れざるを得ない。「事実であれば」ね。
> 問題は、『何の確証もない』自分らだけに通じる思想をもって
> それとは無関係の人間に干渉してくる。ここが問題なんだよ。
> 事実であれば、それでよし。
干渉するかどうかと事実かどうかは別の問題です。
それが事実であるからといって干渉していいことの理由にはなりません。
> 早く実証してくれ
それは業報論者と、否定論者の双方に言えることで、
否定する人は、輪廻が事実ではないということを証明しなくてはならないでしょう。
早く実証してもらいたいものです。
私は実証することも確信もありませんから、肯定否定どちらの立場もとれません。
684 :
神も仏も名無しさん:2009/11/28(土) 03:35:54 ID:yjECO2Ss
>>683 >しかし、自分に対して使うのであれば
有益であり、他人には基本的に使わない方がいいだろうというスタンスです。
→だからな、「自己限定」であれば、なんの問題もないと言っている。
自己の善行を積むための動機付けにするのであれば、それはそれで良いだろう。
要は「それを他者に適用するな」ということ。しかし、業報肯定論者は違うだろ?
「これは『全ての人間に起こる普遍的な現象である』と主張する。」
そこが問題なわけ。勝手に他人を規定するな。こういうこと。
>干渉するかどうかと事実かどうかは別の問題です。
それが事実であるからといって干渉していいことの理由にはなりません
→これは論点が把握されてない。
俺が言っているのは『事実であると実証されてもいない、自分らだけに通用する
思想』をもって他者を規定するな。こういってるだけ。
>それは業報論者と、否定論者の双方に言えることで、
否定する人は、輪廻が事実ではないということを証明しなくてはならないでしょう。
早く実証してもらいたいものです。
私は実証することも確信もありませんから、肯定否定どちらの立場もとれません。
→何か誤解してるな。俺は『積極的否定論者』ではないぞ。
何度も言ってるように「100%確実にあること、また、0%絶対にあり得ない事など
現実にはない。確率的に0と1は数学的に仮設された理想空間におけるはなしだ。
しかし、限りなく0%に近い事例は無数にあるわけで、そのような事例は
『無いものと見なす』 これが適切なスタンスであることは何度も言っている。
お宅の言う「輪廻を否定する人」というのが、「現時点において実証されておらず
また、将来実証される可能性も極めて低い事例」により、その存在を『否定』
する者という意味であるならば、そのような『否定者』に対して『不存在証明』の
要求をすること自体、全く不合理な要求である。
ある事例の存否が問題となったとき、「ある」と主張するほうに立証責任があるのが
一般的であり、「無い」と証明できないからと言って「ある」ことにならないのは
言うまでも無いことである。
>>684 > →だからな、「自己限定」であれば、なんの問題もないと言っている。
それは私の最初の主張ですよ。昨日のIDを見てもらえれば分ると思いますが。
> 自己の善行を積むための動機付けにするのであれば、それはそれで良いだろう。
> 要は「それを他者に適用するな」ということ。しかし、業報肯定論者は違うだろ?
そうかもしれませんが、それを私に言っても意味ないでしょう。
私にレスを返すのであれば、私のスタンスを認識した上で話してほしいわけです。
> >干渉するかどうかと事実かどうかは別の問題です。
> それが事実であるからといって干渉していいことの理由にはなりません
> →これは論点が把握されてない。
> 俺が言っているのは『事実であると実証されてもいない、自分らだけに通用する
> 思想』をもって他者を規定するな。こういってるだけ。
それは知っていますが、別の論点を出しているわけです。
> しかし、限りなく0%に近い事例は無数にあるわけで、そのような事例は
> 『無いものと見なす』 これが適切なスタンスであることは何度も言っている。
分らないのに大体こうだろうというところで適当に結論を出し
それを一般化するのが適切とは思いません。
> する者という意味であるならば、そのような『否定者』に対して『不存在証明』の
> 要求をすること自体、全く不合理な要求である。
不合理かどうかなんて関係ありません。必要だというだけです。
その必要が満たせるかどうかはまた別の問題です。
そして必要が満たせなければ断定はできないのです。それこそ無理な話です。
686 :
神も仏も名無しさん:2009/11/28(土) 03:55:28 ID:yjECO2Ss
>>685 >分らないのに大体こうだろうというところで適当に結論を出し
それを一般化するのが適切とは思いません。
何言ってんだ?「限りなく0に近い事例は存在しない、または、無い
と認識する」 これはお宅を含めた世界中の全ての人間の共通認識
だろうが?
>不合理かどうかなんて関係ありません。必要だというだけです。
その必要が満たせるかどうかはまた別の問題です。
そして必要が満たせなければ断定はできないのです。それこそ無理な話です
何を言いたい?「不存在証明の要求の不当性」が理解できてないのか?
>>686 > 何言ってんだ?「限りなく0に近い事例は存在しない、または、無い
> と認識する」 これはお宅を含めた世界中の全ての人間の共通認識
> だろうが?
物理的な思考では、測定誤差を無視したりしますから、
X軸への漸近線を描いていれば大体ゼロということで「ゼロ」と結論します。
数学的思考ではX軸への漸近線は「決してX軸に接することはない」と結論します。
輪廻があるかないか、というのは「大体ある」「大体ない」という性質のものではありませんから、
物理的な思考で考えるのは妥当ではありません。
> >不合理かどうかなんて関係ありません。必要だというだけです。
> その必要が満たせるかどうかはまた別の問題です。
> そして必要が満たせなければ断定はできないのです。それこそ無理な話です
> 何を言いたい?「不存在証明の要求の不当性」が理解できてないのか?
不当かどうかは関係ないといっているわけです。
断定するための条件を満たさなければ、断定はできない、という事を言っているわけです。
その条件が満たせないのであれば「結論を出せない」という結論があるだけです。