【最終】日本仏教はこのままでいいのか?!【決着】2

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728神も仏も名無しさん
>>724-725
正常な反応、感想だと思いますよ。

ですから、今度は僧伽の側に「誠実さと真剣さ」が要求されるわけです。
まさしく「未信者に信を生じせしめる」要素が必要なわけです。
  ※このことの(一例としての)具体的列挙が、梵網経(沙門果経)で触れられる、
   (縁起馬鹿氏が「“凡夫が”知り称賛するとこと」と強調・注意喚起するw)如来や比丘の
   「戒」(≒(目に見える)具体的在り方)なわけです。

戒定慧の三学と言いますが、その内実としては「信・戒・定・慧・信」と進むのです。
舎利弗がアッサジを尾行したように、五比丘が、無視しようとした釈尊のもてなしをしてしまったように、
スジャータが乳粥を捧げたように、パセーナディ王が再会・説法を約させたように、
そのように、(阿羅漢は勿論)、修行者は(比丘は、僧侶は)あらねばならないのです。
また、律や学処もこの側面を有しているわけです。勿論、本人の向上の為であるのは当然としても、
紙の表裏の如く、不可分な要素なわけです。
(その具体性・中身は、状況によってバリエーションを持ったとしても・・・。)

その意味で、このスレのテーマは果てしなく重いわけですw