>>720 難しいな。 その「行」とやらだが、これが実に怪しく思える。
これは様々なものを指して言うのであろうが、その主なものは「瞑想」
禅的に表現すれば「座る」か? あるいは「観察」と言ってもよいかな?
この宗教板をみれば、わかるように「自称悟ったさん」が、驚くほど
たくさんいる。これらの人たちは、別にウソをついてやれ、あるいは
悟ったふりをしてからかってやろうというつもりなのではなく、何かしらの
体験により、「本当に自分は悟った。あるいは、そこまで行かなくとも、
少なくとも一般人よりは悟りに近づいている。」このように信じ込んでいる
のだろう。 セブンが以前、言っていたように、この「行」には、常に
このような「思い込み」という危険が付いて周り、必然的に「独我論」を超えられ
ないのでは?という危惧がついてまわる。
あるものは「だから師匠によるチェックが必要だ。」というが、師匠そのものが
悟ってなければ「全く悟ってない師匠が、弟子に『よし、お前はもう悟った』
などと印加を授ける」笑い話にもならない事態が起こる。
だから「師匠の選別が重要」と言ってみたところで、「悟ってない者」に
どうやって「この人は悟っている」と判別ができようか?