†宗教に依存した所で死後は平等なんだよ†

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69宝珠愚者
>>64
>>輪廻転生の是非、真実性とはその理論と思想の整合性とにあります。
>>これは実に理論的で納得のいくものであり、
>>これを否定することは逆に因果律に反する愚かな見解だと、この私は思います。

>え〜と、この部分だけが聞きたい所なんですが…。
>一体いつになったら解説してくださるんでしょうか?

 話しは実は簡単なことなのです。「またまたゴータマが言ったから正しい、という主張ですか!」と
憤慨されるかもしれませんが、ゴータマの説く輪廻転生思想の根本理論というのは“因果律”にあ
るのです。つまり、「これをあなたは認められますか?」という単純なことなのですよ。

 もし、あなたがこれを認めないならば、輪廻転生の思想などは拒否すればそれで済むことであり、
仏教の教えなど信奉する必要は一切ありません。けれども、もしもこれを認めるというのならば、こ
の理論の更なる延長腺上において、この死後の転生という考え方もあるのだ、ということを理解し
ていく必要があるということになる。

 因果律というのは、“原因と結果の法則”ということであり、事象の一つの「結果」には必ず「原因」
が先行する(過去に起こった原因に拠って生じた結果である)という事象の根本的な法則です。仏
教的な言い方をするならば、善因善果と悪因悪果(良い行為には良い結果が、悪い行為には悪い
結果が自己にもたらされる)です。この基本を認めますか?ということ。
70宝珠愚者:2009/11/04(水) 11:07:26 ID:eq00El/O
 この因果律を絶対視するならば、肉体死を以って因果の流れを中断することなどは有り得ないの
です。今生の行為の受けるべき果報(結果と報い)というのは、基本的には来世に課せられるとい
うこと。例えば、意図的な殺人行為を犯した者というのは、人生において牢獄で暮らして服役して
様々な苦境を味わいます。死刑に処せられる場合もあるでしょう。しかし、それですべてが終るとい
うものではなく、今生における行為の総決算として来世に相応しい境涯が与えられることになります。
ましてや殺人を犯していながら、たとえ旨いこと警察に捕まることなく済んで生涯を終えても、それ
で終わりとなる筈はないということ。因果律の受けるべき果報を待たずに終了することはできない。
人生の行為の結果は再び同じく人生における果報として課せられるのです。それが「来世」です。

 「そんな馬鹿な!人間、死んだら終わりだろ!!」という考え方しか出来ない人は、どうぞご自由
に。ゴータマは、人は死んだら終わりという唯物主義は断滅論といって最も真理から遠い見解とし
てこれを戒めました。そして、『来世を信ぜざる人は悪を行う。』(Dhp.176)と、ハッキリと“来世を信じ
ない者は悪事を行う”という見解を示しています。これは受けるべき果報がない、という考え方であ
るから、人は好き勝手をするという意味です。


つづく