212 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:
山本周五郎著<髪かざり>の中の「菊の系図」
重田主税は鶴岡藩の藩校の助教を勤め、藩勢を尊皇の大義の一途に導こうと
努めていた。藩の佐幕派が彼の家を襲った。「貴様が鶴岡藩士ならご主君の外
に身命を捧ぐべき御方はない筈だ」「それに間違いはないが、それが武士の道
の究極ではない。主君に忠節を尽くすべきだが、日本人である限り、根本とし
て朝廷の御為に身命を捧ぐるのが道だ。大義とはそれを指すのだ」「問答は要
らぬ斬ってしまえ」「人間を斬るだけでは道は亡びない。貴公達が誠に君家を
想うならば時勢をよく見ろ。大義に生きぬ限り鶴岡城の運命も長くはないぞ」主
税は一人に斬られて倒れた。「断じて道は亡びぬ、断じて」声と共にこと切れた。
主税の妻・お琴は倅の保太郎を隠して事の成行を窺っていた。「御家の為に重
田は斬った。保太郎と申す倅をこれへ出せ」「保太郎は私の実家に泊まってお
ります」彼らは家中を捜索したが見つからなかった。お琴は主税の亡骸に近づ
いて、震え出すのを堪えながら、そこへ両手を突いて「貴方、お見事でござい
ました」と言った。涙が堪え切れず溢れて来た。「私すぐに退国致します。ご
遺骸の弔いを致しませんのは辛うございますが、保太郎の身が危のうございま
すからお赦し下さいませ。仰せ通り、保太郎はご遺志を継ぐ立派な武士に育て
ます。どうか心安くご往生あそばせ」と亡き夫の魂に語り掛けた。納戸の中か
ら噎び声がした。「泣いてはいけません。父上は亡くなっても、心は貴方の中
に生きておいでです。これからは貴方がそのご遺志を継いでゆくのです。苦し
くても父上のご最後を思い出して、御国の為に役立つ武士になるのですよ」は
いと言う声がした。お琴は夫が大切にしていた菊の株を持って、葛塚に潜んだ。
時勢は大きく変わり、北陸鎮撫総督軍が近くまで来た。保太郎は官軍に加わる
と言ったが、母は許さなかった。「父の仇を取るのは私怨です。過去の恩怨憎
愛を棄てて、身も心も清浄にならねば天皇の御心に反します。正しい兵となる
覚悟があるのなら、母は喜んで送ります」菊は保太郎の心にも根付いていた。