○●Я親鸞仏教質問箱R(その6)●○

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177神も仏も名無しさん
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http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1258966686/66

【21】 またいはく(序分義)、「定善は観を示す縁なり」と。
【22】 またいはく(同)、「散善は行を顕す縁なり」と。
【23】 またいはく(散善義)、「浄土の要逢ひがたし」と。[文]{抄出}

【21】と【22】は『観経疏』「序分義」からの引文である。
元来、善導大師の造語である科段の句「定善示観縁」と「散善顕行縁」を独特の訓点を付け転意されている。

「定善は観を示す縁なり」というのは定善の行が成就した結果得られるものは念仏三昧であるからである。
http://wikidharma.org/4b0bc26235a83

「散善は行を顕す縁なり」というのは、散善は、究極において、定散の行に堪えられない機に与えた称南無阿弥陀仏こそ、如来の本願の行であり、真実行であることを彰すための方便であるといわれるのである。

【21】「浄土の要逢ひがたし」は「散善義」後序の「ひそかにおもんみれば、真宗遇ひがたく、浄土の要逢ひがたし」という冒頭の言葉から「浄土の要逢ひがたし」を引かれている。

この「要」とは「玄義分」の要門の意で、第十九願を示しているのである。
弘願(十八願)、要門(十九願)、真門(二十願)の要門の意である。

功徳大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲。
蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。
http://wikidharma.org/4b0bc6a370e14

「正信念仏偈」の天親章のこの文は、
「本願の名号を受けいれ、海のように広大な本願の世界に帰人した人は、阿弥陀仏の脊属になり、かならず仏になる位に定まる」、と現生正定聚の徳を讃嘆し、

「蓮華蔵世界といわれる浄土に往生すれば、直ちに真如をさとり、迷える人びとを救うために、煩悩の世界に還り来て、不可思議の力を現し、相手に応じてさまざまな姿をとり、思いのままに人びとを救う身となるといわれている」と、還相の相を表現されているのである。
蓮華蔵世界が涅槃界の意味である事は『唯信鈔文意』の「極楽無為涅槃界」の釈によって自明である。
http://wikidharma.org/4ae500f693b8f

「念仏成仏はこれ真宗なり」と、念仏と禅・律を対判して、禅・律を捨て念仏を取られている事は>>32によって明らかである。