【根本仏教】中観仏教について語ろう【龍樹】U

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641不説 ◆AnATTa/dJc
「外道」という言葉が「異教」という意味とほとんど同一視されているようですが、
本当は、道から外れていれば「外道」、道の中にいれば「中道」なんじゃないかと。
特にパーリ語学だとかの言語学的な見地からの話ではないんですけどね。

仏教徒か異教徒(ex.バラモン教徒)かというところで外道論争をするのは実はおか
しいのではないかと、そんな風に思っています。梵網経などの経典の読み方にして
も同じですね。信仰(サークル)の「内外」の違いではなく、道に中【あた】って
いるか外れているかの違いしか、当のゴータマ仏陀は述べられていなかったのでは
ないかと私は思います。

信仰的な意味合いでは、外道の師たちといえども、仏陀と共に、涅槃を志向してい
るという点では違いはなく、むしろ同じ輩だったと言えます。しかし、外道の師た
ちは、実際には「涅槃への道」から「外れて」いたので、実際は涅槃を得られては
いなかった。だから「外道」と呼んだ(特に蔑称的な意味は少しもなかった)。彼
等は道から外れているでしょう、だから、後に師と同じように阿羅漢になる弟子が
輩出しないでしょう、というのがゴータマ仏陀の主張だった。一方見なさい、私の
弟子には数多くの優れた、自らも涅槃を得た者(阿羅漢)たちが続出しているでし
ょう。これが論より証拠です、と(大パーリニッバーナ経)。