>>666 > 「バラモンは間違い」「ヴェーダは間違い」という迷信(勘違い)に陥っている人ばかりです。
> しかし、ゴータマのとった姿勢のすべてというのは、
> 正しいバラモンの姿と正しいヴェーダの理解を説くもの(それを示そうとしたもの)でした。
真のバラモンやヴェーダの達人などという言い方がされているからといって、
バラモン教や「いわゆるヴェーダ」を説いているわけではありません。
これは文字だけで考えた場合に陥りやすい誤謬です。
ゴータマはバラモン教の根幹であるカースト制度を否定していますし、
真のバラモンといいながら、結局はバラモン教を換骨奪胎して自分の思想を布教しているわけです。
「換骨奪胎」というのがここの本質ですから、ヴェーダを説くといっても換骨奪胎されています。
つまり従来のヴェーダをそのまま継承して説いているわけではないわけです。
この辺のところは経典の内容から明らかでありまして、
既にこのスレでも指摘がありますが、
アートマン説などに関しては「愚かな教え」との烙印がキッチリと押されていたりするわけです。
こんな風ですから、本当にヴェーダを説いているかと言われれば、説いているとはとてもいえないわけです。
ただ、インドにおいては尊敬されるべき人という意味で「バラモン」が代名詞のように使われます。
同様に「叡智に満ちた教説」として「ヴェーダ」が代名詞のように使われるわけです。
> >それはゴータマの叡智に対する尊敬を表わした言葉ということであって、梵我一如を説いたとか
> >アートマンがあるとか、ブラフマンがあるとかいった風には、あまり捉える必要はないわけです。
> それは分ります。
> しかし、それと同時に梵我一如を否定せずむしろ認めていた、
> という可能性も浮上したわけです。
とくに否定していないだけで、認めているという部分が全く「浮上」しているようには見えませんが、
どの辺りでそう思うのでしょうか?
もし個人的な願望としてそのように思いこみたいだけ、ということではなく、
根拠があるようでしたらご指摘願えればと思います。