>>557 > あなた自身が
>>526でかいているでしょ?
(私の書き方のせいでしょうが・・)誤読です。
受験の倍率を下げるような形で他者を排除するものではない。
結果として餓死が待っていようとも、受験を望むものに受験をあきらめろとは言わない。
倍率が上がることを已む無しとして受け入れる。
> 建前の裏に「自己満足」や「自分の救済」が強固な前提と と記した後、(・・・この文ですね?w)
なぜ、《【自己の精進に】【付随する】もの》 という言い方をしたかと言えば、
『他者の向上を排除するものではない』ことを示したかったからだ。そのよう利己的なものではないからだ。
単純に、「噂ではあの店、美味しいらしいよ?」ではなく「あの店は確かに美味しいよ」だからです。
この違いが解って頂けるだろうか・・・。
> 自己の解脱以外に優先する価値を設定するのであれば、
優先順位が1番2番であったとしても、そして、たとえ極論に於いても2番を却下はしないのです。
1番と2番はセット物です。少なくとも、そのように考えることが、
釈尊が菩提樹下から立ち上がった意義を伝承してゆくことだからです。
ですから
> 結局、1と同じになりますね。
その通りです。
>>555最後の行となるわけです。