【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15

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>>557
> あのですね、これは初めから「極論における思考実験」でしょ?
でしたら、>>333(或いは>>437)の返答で全て終了でしょう?
極論に於ける思考実験で極論としての問いならば、
極論としての、定型的な答えがでるのは当然です。
(さりながら貴方自身が、その定型外のことを問うているように見えたのです。)

> それなのに、何故このような発言がでるのですか?
ただ、それでは満足されていないようなので、違う答え方をする為に、
極論としてのレベルを一旦少し下げました。その上で、もう一度定型的答えに戻った形になります。
また、何よりも、
 >>554に於ける
 > それの障害になる「在家への解脱の薦め」などは、もちろん拒否。
や、
 > 2は、「自己の修行が最優先。その妨げになるなら、出家を薦めること自体をしない。」
という言い方が、(問いとは別に!)極論だと感じたのです。
なぜなら、少なくとも私は、「自己の修行の【障害・妨げになるから】」とは言っていない筈です。
また、
 > 「もし問われるならば」仏法を説くこともしよう。しかし、自ら進んで仏法を
 > 説いて回ったりはしないし、ましてや在家に仏道を勧めたり、その最善の形態と
 > 考えられる出家を薦めたりすることは、もちろん行わない。
これも、極端な誤解である、と。
問われずとも説く。そして、相手が現状で良いと考えるなら、それはそれで尊重する。
なんとなれば、「おしえ」は、その殆どが【出家の素晴らしさを讃える】ものだからです。
だから、その上で、出家を望む者には「来なさい」と言うし、
そうでない者には「善をなし悪を為さないようにしなさい」と言われるのです。
出家に関することを、秘匿し、私物化し、外へ出さないということはありません。
出家は常に薦められているのです。