【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15

このエントリーをはてなブックマークに追加
5241a/3 旧7
>>466
とりあえず、真偽やその確からしさ、現実的「リアリティ」はともかく、
仏典或いは註釈で言われているフレーズを見てみましょう。
《涅槃は、「時をおかず、ただちに見られる」ものである》、と・・・。
(まじめに、正しく、怠らず、無駄な時間なく)行じれば、完遂できるものである、と。
よーするに、【まじめにやれば、あっという間】だってことさw
 (※俺は勿論w、【誰かさん】もまた、あんまり真面目にやってないのかもしれんwww)
飢え死にする前に、みんな「覚悟完r・・・いや、「解脱完了」だw
 ※勿論、ここでの「時をおかず」とは、本来は上のようなニュアンスではなく、
  《「行じた途端に」「突然に」という「禅的な頓悟」或いは「時間的前後の瞬間」》 を意味するものでなく、
  《(行じる中で)『気付き、理解、頷き』があった時、『その時ただちに』》 というもの(≒論理的直結)ではあるが・・・。
   (※ここを指して『現観(abhisamaya)』と言うのかもしれん。)

また、「共に歩む仲間」を拒む理由もない。
たとえコンスタントに食を得ることができていたとしても、不慮の事故で命を落とすこともあるかもしれない。
が、不慮の事故で道半ばで死ぬとしても、布施者がなく飢え死にするとしても、
両者には何の違いもない。 ただそこに、五蘊の滅があるだけだ。
 (輪廻するなら次のチャンスもあるwww)
だから、貴方の問いは単純で簡単だというのです。