>>377 もし、具体的に「以下の場合はどうなのか?」と問うているならば、
ケースバイケースと言わざるを得ない。 (けど、違うだろ?w 「全員が」という問いだろ?w)
たとえば、(これは、貴方自身が、問いを発する際に想定しているかどうかとも関わるが)、
0:そもそも、Bというグループは何人なのか? ・・・・・・(は、とりあえず措くとしてもw)
Bの構成員のうち
イ:一人が、或いは数人が望んだ場合は?
ロ:3分の1が望んだ場合は?
ハ:半分が望んだ場合は?
ニ:3分の2が望んだ場合は?
ホ:一人を、或いは数人を残して望んだ場合は?
・ホは、残りのものを説得する道もある。(拉致して、洗脳して、折伏するかい?w)
が、
・ニの場合どうか?
ちょうどこれからの高齢化社会、少ない若者で多くの高齢者を支える形を想像して貰えばいい。
それってアリか?w 支える者達が納得するかどうか・・・。他の宗教を信奉する者もいるかもしれない。
・ハの場合、社会的権力・存在感をどちらが握っているかによるかもしれない。
(今の日本は、宗教者としての【社会的】特権は無い。
行政システム上平等だ。所得税も払うし、保険料も年金も住民税も払う。
当然、《それに見合うだけの【個人的】収入》が無ければならない。家庭を持っていたら更に【金が要る】www)
・ロの場合は、これまでの年金システムのように、何とか回っていきそうにも思う。w
・イは、ロと同じく、現状或いは当時の出家と在家の関係そのままだ。
緊張を孕むのは、やはり「ハ」と「ニ」ということになるし、
考究すべき問いとしては、(極論としての377ではなく)、
『現実的な「ハ」や「ニ」のような事態に対して、仏教はどう対するべきか?』
であろうと思う。真剣に考える価値がある。(現代日本仏教を考えることでもある。)
「全員が出家を望んだ時」或いは「一人も出家を望まない時」という条件なら、
《皆で飢える》か《一人で寿命を全うするか》、どちらかだろう?w 何も難しいことはないwww