269 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 11:13:11 ID:RvGsSI3b
270 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 11:17:34 ID:RvGsSI3b
他のみなさんへお願い。
以後、このスレ主に関わることを禁じます。
271 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 11:23:18 ID:RvGsSI3b
272 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 12:41:10 ID:Lr5h2XKs
さぁ・・・
新聞配達も終わり昼飯も食ったし、夕刊までからかってやるとするか!!!!!!!!!
「元気はつらつオロナミンC」だと? バカこくでねぇ〜 このスカポンタンヤロー。
それではまるっきりこれっきり大川霊言の猿真似だろーがよ?
よくもそんな創作霊言を白々しく長々と図々しく淡々と貼り付けたな?
エテ公のセンズリみたいな自己満足かいな?
高橋信次も「あちゃ〜!! このヤロー打ち殺してやる!!」と思っている鴨ネギな。
まあ、東京では丸餅を入れます。本当はね、なぜ丸い餅を入れるかというと、丸い餅っていう
のは円満、夫婦円満、家庭円満、これを象徴しているから丸い餅を入れなくてはいけない。
そういうことで四角い餅でも、こんがり焼いてまあるくしてから放り込むのが本当の餅の食べ方です。
これはお雑煮(ぞうに)の話ですから、ちょっと話がずれました。
そういうことで「今日はスキヤキにしようかな」って、考えながら道を歩いている人たち、あるいは
彼女を一時間待ったけれどとうとう来てくれない。シュンとしている男性ね、いますよ。木枯らし
吹いちゃって寒いところで、マフラー首にまいちゃって、彼女はとうとう来なかった。
「やっぱり僕たちは、もうダメなんだろうか。神様、仏様、高橋信次様、私たちの愛はもう
ダメなんでしょうか。私は不滅の愛というものを信じていたのに、もうダメなんでしょうか。
神様がおられなければ仏様。仏様がおられなければ高橋信次様。どうか私を救って下さい」なんてね。
GLA誌パタパタしたってダメなんです。
そんなことをしても私は上から笑っているだけで、どうしようもないんです。エレベーターを
降りていっていたら、彼どんどん先へ行っちゃうから、降りてるひまがないんです。
そういうことで、いろいろ見ています。
あるいはね、鳩か何かがちょろちょろと飛んできてね、道端に止まっている。で餌(えさ)か
何かを啄(ついば)もうとしていると、人間の変なのが出てきてポンと蹴飛(けと)
ばそうとするからあわてて、飛び去ったりしてね。「ああ心臓に悪かった」なんて、
鳩が心臓を押さえて飛んでいっている姿、こんなのをよく見ているのです。』
■高次元の霊は、地上人の心が手にとるように分かる
『こういうふうにたとえて言っているんだけれども、あなた方ごぞんじのように高層ビルから
見ると、地上が、そういうふうに見える。それだけではなくて私たちの世界にいると、こういう
下界にいる人たちの考えていること、心の中で思っていることが、一つ一つ手にとるように
分かるのです。こういうところが違いなんですね。
とくに高次元にいると、地上にいる人たちの心の中の動きというのが手に取るように分かります。
地上の人たちだけじゃなくて、あの世の諸霊たちの考えていること、これも手に取るように
分かります。それも一人、二人の心を凝視すれば分かるという感じじゃなくて、スーッと
分かってしまう感じなんですね。
たとえば新宿なら新宿の交差点あたり、今、紀伊國屋か何かあるけれども、紀伊國屋の前で、
いっぱいデートの待ち合わせしているけれども、ああいうのをパッと見るとだいたいスーッと
分かるのですね。このうち大体一割が待ちぼうけ、多分ソデにされるであろうと一発で
分かってしまいます。見ていると、大体分かるのです。
カップルが三十組ぐらい公園の入り口あたりでうろうろしているけれども、そのうちの
十八組は別れるであろう。十二組は結婚しそうになるけれども、その中の四組は多分同棲
(どうせい)のままで終るだろう。こんなの、見ただけで分かっちゃうんです。一瞬です。
皆さんはこういうことを信じられないだろうけれども、私たちの世界に来るとすぐ
分かっちゃうのですね。手に取るように分かります。こういう不思議な世界なのです。
ただ、こちらの世界に住んでいると、だんだんそういうふうなことが通常のこと、
ごく普通のこと、そう感じるようになってきます。』
■高次元世界は波動の世界
『そういうことで、私のいる世界に、地上にいる皆さんを、ご案内してお
見せするとしましょう。どういうふうになるかっていうことを説明しますと、
まあ、視覚的に言えばどうかっていうと、まわりは、さっきも、若葉緑と言いましたけれども、
非常に美しい緑があるのです。私たちの状態を、ガス体みたいだって言っている人もいます。
けれども、もちろん、実体はそういうふうに言えるのだけれども、やはり人間的感覚に
訴えて見ることは可能なのです。
たとえ話をするなら、テレビなんかがそうですね。テレビ局は電波を一生懸命流している
わけなんだけれども、あなた方は買い物していても、散歩していても、コーヒーを飲んでいても、
あるいはハブ茶を飲んでいても、そうぃう電波の存在というのを忘れています。
ところが、そこにテレビを置いてね、東芝さんかソニーか何か。ソニーの色がいいとすると、
ソニーのカラーテレビを置くと、それでスイッチ入れちやうと、あら不思議ですね、
アフリカの景色とか、オーストラリアとかいろいろ映るわけです。オーストラリアで
カンガルーが跳んだりしているのが映りますね。こういうふうなんですね。
だから、本当は目にみえぬ電波が飛んでおっても、それを分かるようにすれば、
つまり視覚化すると、テレビの中でカンガルーがピコピコ飛んでいるような感じですね。
実際にそこにオー・ストラリアがあるかといえばありゃしないのです。ありゃしないけれども、
そういう装置を設けるとオーストラリアみたいなのが見えてきます。そしてカンガルーは
生き生きと動いていますね。
こういうふうに私たちの世界でも、本当は実体として見れば、これは意識の世界であり、
想念の世界であり、波動の世界なのです。ですから皆さん方でいえば、目に見えぬ電波の
世界のようなもので、実体はなかなかつかめないのです。手にとってつかむわけにはいかないのです。
ただ地上にいる人間に分かるような形で、訴えかけるとどうなるか。つまり、地上の
人をこちらに、九次元世界につれてきて、「じゃあ九次元をご案内しましょう」という
場合にどうしたらいいのかというと、今、いったテレビ装置と一緒なのです。
こういうものを見せるわけですね。テレビ装置みたいなのを見せる。あるいはそういう
特殊なメガネみたいなのをかけさせて見せると、まわりの世界が映像として見えるのですね。
そういう電波の世界が景色となって見えるわけです。
ですから私なんかは、まだ地上を去って短いから、そういう景色を結構楽しんでいるのです。』
■三千二百年前、地上のモーゼを指導した私
『ところが古い人というか、モーゼみたいな三千二百年も地上では何もしとらん男というのは、
そんな景色の中を歩いてもしょうがないから、電波みたいな形をとっておってピカピカ
光りながら飛んでおるのです。だから「モーゼ」って呼ぶと稲光がピカピカと飛んできてね、
「オッ、この稲光は、もしかしてモーゼか」とか言ってね、稲光が飛んでいくところをパッと
手でつかむのです。パチっと右手でつかむと、「ウーン、見破られたか」ってね、姿を現すと、
そこに古代エジプト時代の姿のモーゼが立っとるわけです。身長ニメートル越えています。
大きな男です。こういう男がどんどん歩いておったら、田舎の景色が壊れちゃうから、
普通は見せるわけにはいかんのです。だから稲光みたいにピカピカと飛んでおるわけです。
東京には、大きな地震が少なくとも三つは来ます。
おそらく、一九九八、一九九九年ごろに来る地震が
最大のものであろうと思います。
(中略) この、首都圏を中心とした次なる大震災に、
いかに対応すべきか──。
私もここ一週間ほど考え抜いたのですが、
残念ながら、現実的方法として、打つべき手はほとんどありません。
すでに、世紀末まで押し迫っているこの時期において、
こうした大きな震災を止めうる手段はないと思います。
(大川隆法著『奇蹟の時代を生きる』 22〜24頁)
天上界のプリズムの光でいうとモーゼの色というのは赤い色ですから、赤い稲光が
ピカピカ飛んでおるのです。だからこれを目にも止まらぬ早さでパチッとね、打ち落とす
わけです。蝿叩(はえたた)きのようにパチッと打ち落とすと、そこで、「アッ、イテッ」
と頭を押さえながら出てくるのはこれはモーゼです。
ムクッと起きて、「お前やったな。貴様、よくもやってくれたな。俺をモーゼと知ってのことか」
と、こういうわけですね。「おう、知ってのことだよ。お前は、俺をだれだか知っているか」
「ウーン、おぬしは高橋信次だろう」「ウン、そのとおり高橋信次に対して意見が言えると思うか」
ってね。そうはいかんのです。「モーゼさん、今から三千二百年前にあなたが地上に出た時に、
あなたを天上界から指導したのはだーれ。言ってごらんなさい。言ってごらんなさい、だれですか」
「ウーンそうですね、あの時にシナイの山に登った私を指導してくれた霊人がいましたねえ」
「そうですね。シナイ山であなたを指導した霊人がいます。その人はどういう指導をしたのですかねえ」
そうすると、「いやあ、あのシナイの山で『我はありてある者だ』とか、
『イスラエルの神だ』とか、『ヤーヴェって神様だ』と、そういうふうに名のった神様がいました。
メラメラメラと炎みたいに芝が燃えちやって、そんな神様の声が聞こえてきました。
そしてその神様を信じとったらいろんな奇蹟が起きました」ってね。
「エジプトで王様に追いかけられた時も、紅海を真二つに割って私たちを逃がしてくれたのも、その神様でした」と。
あるいはシナイの山でモーゼが四十日間、まあこの四十日間というのは、大袈裟(おおげさ)
だけれどもね。腹がへったから長く感じて四十日間いたように思ったわけです。
実際は四十日間いなかったわけだけれども、山へ登って一応四十日間ってことになっている
からその間瞑想しておると、天が裂けて声が聞こえてきた。「モーゼよ、我は汝の神。
汝らイスラエルの神。我以外に神なし」という声が聞こえてきました。それで有名な
「十戒(じっかい)」というのがモーゼに授けられましたね。これは皆さん、
内容はご存知です、「我以外に神なし」と言って、偉い神様がいばっていました。
「だれですかそれモーゼさん、それ言ったのはだれですか」って言ったら、
「ウーンそれ言ったのはまあヤーヴェとかエホバとか言っているけれども、本当は
最近で肉体を持った人というと、もしかして高橋信次っていう人だったりして」
「そうだろう。ねえ、それであなた私に説教するつもりか」
「ウーン、でもタンコブ痛いから言いたいんだよ」なんて言ってね。
「そういえば、その時にお世話になったなあ」って、タンコブをさすりながら
モーゼがすごすごと帰ろうとします。』
285 :
神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 19:21:02 ID:Lr5h2XKs
じっかい ×
じゅっかい ○
おメェー馬鹿だなぁ、朝鮮人か?
ヤーヴェって、ヤベーくないか? ヤバイだろーよ?
つまらん霊言モドキはこれにておすまいだわさ! か〜るい高橋信次で生前の威厳がまるでないねぇ〜。
大川隆法と父親・善川三郎の吉本漫才みたいなペラペラな内容とそっくりだーーーな!
286 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 12:11:08 ID:jKoDIIIp
あ!
>283の「芝が燃えちゃって・・・」ってさ、レスってるお前はテポドン級のバカだな?
芝じゃなくて、柴だよ「柴」。 柴の女王が燃えて焦がれて焼けたんたんだよ。
口語体で誰が喋ってる霊言なんだよ? 当人なら間違えようにもこんなドジは有り得んぞなモシ?
だから何度も言うように「恐山イタコ風・イカサマ霊言」だって断定してるのよ?
新復活なんて抱腹絶倒もんだーね。 笑い過ぎての珍腹割なら解るがな!!
ワン・ツー・スリーと名乗る古代エジプトの霊が出て来て、「高橋信次よ、
お前、何をやっておるか。お前そんなことをしている暇かあるのか。お前ね、
コンピューター機器だけ使っているのが仕事じゃないぞ。お前、電気屋じゃないぞ。
お前、そんなことをしてね、お風呂屋なんか始めるつもりか。最後にはお前。
×xx風呂。改め゛○○○ランド゛なんかやるんじゃないか」なんてね、
そういう厳しいお声がかかってきました。ワン・ツー・スリーっていう人から。
そうすると、「そうですか、ばれましたか、私の醜(みにく)い心の中が。
いや金儲けさえできれば私は……」「何を馬鹿なことを言っとるかお前は。
心を入れ替えてお前は反省しなさい、三日以内に悟れ。悟れなかったら、
お前の家庭はめちゃくちゃ、お前はもう狂い死にするぞ。それでもええのか、悟れ」ってね。
そして、「厳しくあなたを指導したのは一体だれであったか」
「はー、ワン・ツー・スリー」「ワン・ツー・スリーとは一体だれであるか」
「ウーンまあよく考えてみれば、モーゼっていう人でしたね、本当は。本名は」。
「それみたことか。私は三千二百年前にあなたにご指導を受けたけれども、最近、
あなたを指導したのは一体だれか」「はあーモーゼ様です」「そうだろう。
折角(せっかく)人が気分よくビカピカと稲光で飛んでいたのに、よりによってそのモーゼを
蝿叩(はえたた)きで打ち落とすとは何事であるか」と言い返されます。
「ウーン、言われてみりゃあそうかな。古い恩というのは忘れられるものだけれども、
最近の恩というのは忘れちゃいけない。恩を忘れるようじゃいけない」。
私は生前よく言いました。感謝ということにはね、報恩という行為がともなわなければ意味がない、
感謝に対しては報恩です。こう言いました。「そのことを教えたのはだーれ」「モーゼ様です」
「そうでしょ。私があの世から、インスピレーションを与えて、あなたにそう言わせたのでしょ。
じゃ、あなたその教えを実践していますか。ね、あなた生前『心行(しんぎょう)』とかいう
お経をつくって、人間は心と行いが大事ですよ、なんて言っていたでしょ。
心の中だけで感謝と報恩を思っていても、行いはどうなったの」と言われ、「あーモーゼ様、
大変失礼しました。あなた様のおかけで現在の私があります。
本当にありがとうございました。あなた様のおかけで、私は未熟な悟りを得て、
未熟に教えて、そして死後GLAが混乱しました」なんて言ったらモーゼ怒っちゃいますから、
そういうわけにはいかないですね。「いやそうじゃありませんけれども、
あなた様のご指導のよろしきを得て、私は見事に悟り、人びとを救うことができました」。
こういうことを言うと、これでモーゼの気分が良くなります。
「まあそう言ってくれればね、いい気分だから、ちょっとまたひとっ走りいくか」
ってピカピカしながら向こうの山まで飛んでいくのです。こういう世界です。』
■九次元の世界はスイスの別荘地のようだ
『これはあなた方に分かるように言っているのだけれども、こちらはそういうふうに
本来は、光とか、想念の世界です。ところが人間的に分かるように言えばね、やはり
私たちの世界でも、風光明媚(ふうこうめいび)な景色もあるし、丘もあれば池もある。
湖もある。そういうきれいな世界です。
まあ表現してみるとすれば、そうだね、スイスか何かの非常にきれいな
景色のああいうところです。住みたいでしょう、別荘か何かを建てて。
しかもいいことには、「別荘を建てたいな、別荘がほしいなあ」と思うと、
もう湖のほとりにポンと別荘が建っちゃう、これが私たちの世界なのです。
別荘の中に入って、「安楽イスがはしいな」と思うと、ポンと安楽イスが出ちゃう。
安楽イスでウトウトと揺れていると、「暖炉(だんろ)がほしいなあ。
ちょっと冬になってきたかな」と思うと暖炉がポンと出てくる。ああ嬉しいね、
暖炉が出てくる。「薪(まき)がほしいなあ、柴(しば)刈りにいこうかな」と
思ったら柴刈りにいく必要がなくて、薪がポンと着きます。「火をつけたいなあ」と
思ったら、火がメラメラと燃えてきます。こういう素晴らしい世界です。
「ミルクが飲みたいなあ」と思えばミルクが出てくる。
「蜂蜜(はちみつ)をなめたいなあ」と思えば、蜂蜜がなめられる。
とにかく素晴らしいです。
私はあの世で、そういうようにスイスの湖畔のようなところで暖炉に火が燃えている
部屋にいます。そして皆さんに分かるように言えば、目の前に水晶玉みたいのを
ポンと出してね、その水晶玉を見つめていると、下界の姿が映ってきます。
下界が映るとGLAの八起ビルか何か、もう閑散としちゃって、
「あーもう寂(さび)れてきているなあ」とかね。
水晶玉が分からない人は、これはテレビでもいいですね。テレビ局のテレビで、
もう何十台もテレビがあって、今、ロケシーン中のいろんな角度から映ります。
こういうふうに次つぎと地上のいろいろな姿が見える。こういうテレビと言ってもいいです。
そういうようにも、できるんですね。ま、こんな世界です。』
■テレビ局のような私の住まい
『だからあなた方、地上からみれば、「高橋さんもすいぶん淋しい思いを
しているんじゃないか。一人で孤独なんじゃない」なんて言ってくれるけれども、
孤独なんです。実際そうなんですよ。私の友だちは古い人ばっかりでね。
もう三千年前、二千年前、五千年前とか一万年前とか、こんな古い人ばっかりがいて
話が合わんのです。
今言ったように、水晶玉を通して地上を見るなんていうと、彼ら古い人も
分かってくれるんですがね。実際は、私の場合、近ごろはNHKの番組を見るように
テレビを使っていますから。この部屋の中を見て下さい。テレビが十台あって、
チャンネルを変えれば、アフリカだって、日本だって、アメリカだってみんな映ります。
これ四次元映すテレビ、これ五次元映すテレビですよ。これ七次元映すテレビね。
スイッ千はこれです。手で押すだけでポンポンチャンネルが変わります。
こんなのあなた方知っていますか。実際ノコノコと畳の上をはっていって、スイッチを
変えるんじゃないんですよ。そんなことするから、夫婦で喧嘩が絶えなかったのです。
「1」チャンネルを見るとか「3」チャンネルを見るとかいって、夫婦で喧嘩が絶えなかった
こともありましたね。「おまえが行ってチャンネル変えろ」と。「私は今、ご飯を食べている
のにあんた行って変えて来なさい」ってね。こういう夫婦喧嘩がありました、昔は。ところが
最近はあなた、テレビもリモコンですよ。ポチポチとボタンを押せば、チャンネルが変わるんですよ。
これで夫婦喧嘩も、なくなりました。古い人たちは、こういうことを知りません。
私だけです。こういうことでリモコン式のボタンを押しながらいろいろなテレビの番組を見て、
地上とか、四次元、五次元を見ています。こういうことをしています。』
■モーゼ、イエス、ブッダ、ゼウス、孔子の住居
『そういう新しいことを私はしているけれども、モーゼなんか掘っ建て小屋に
住んでいますから、「ずんぶん変わったじゃないの。あんたいいことやってくれるじゃないの」
と言ってるわけです。
イエス様なんかどうしているかっていうと、そりゃあイエス様っていうとイメージがあります。
もちろん教会です。あの世、九次元世界に教会をつくっています。教会みたいなところで、
やはり十字架かけて、一生懸命朝の祈り、夕べの祈りをやって、地上の皆様に一生懸命恵みを
垂(た)れているのです。これがイエス様の世界です。
まあブッダの家ってね、今、ちょっと留守していますけれども、ブッダの家というのがあります。
ブッダの家っちゅうのは、やっぱり、まあどっちかというと、洞窟だというと怒っちゃうだろうから、
洞窟じゃないんですよ。洞窟で六年間修行はしましたけれども、洞窟に住んでいるわけではありません。
ブッダの家っちゅうのはやっぱり束洋風のね、何ともいえない家なんです。
インド風でもないし、仏教が中国に渡ったから、中国風でもあって、日本建築でもあったりして、
何かよく分からないんだけれども、そういうふうな束洋風の建物があるんです。
そこにブッダの家ってのがありましてね。まあ、そういう家があるんです。
それがブッダの家です。いわば日本建築です。
他にもありますけれどもね。たとえば、何からいこうかね。有名な人からいくと、
まあゼウスさんて有名ですね。九次元にゼウスさんているけど、ゼウスの家なんてあなたどんな
家だと思いますか。そりゃそうです、もうパルテノン神殿です。もうそりゃ格が違います。
立派な大理石です。大理石で建っています。素晴らしい白い大理石です。階段があってね、
トン、トン、トン上がっていって「ゼウス様」なんていうと、奥の方の大理石でできた噴水から
パーツと水が噴いちゃって、紅色に霧がかかってきちゃって、そして「何か用か」って
ゼウスがスーツと体を現してきます。こんなところに住んでいるのがゼウスですね。
こういうような違いがあります。
高橋信次みたいにテレビ局とか、そんなのを持っている家に住んでいるんじゃありません。
向こうはパルテノン神殿です。 あるいは他に何だろう、あー孔子、孔子様がいます。
あなた分かっていますでしょう。チャイューズですよ。そりゃ、あなた来々軒(らいらいけん)
です。来々軒の世界で、もちろんそういう中国の王宮に住んでいます。これが孔子様の世界。
まあ分かるように言えば、そういうことですよ。長い衣裳を着てやっています。
チョビ髭生やしています。なます髭ですか、生やしてやっとります。まあ、こういう世界なんです。』
■個性の差はあれ愛と慈悲は九次元人の専売特許
『ただね、私たちの世界の本当にいいところは、何かというと、それぞれの人が
それぞれの個性を持ってやってるけれども、皆さん共通しているところがあるのです。
今言った高橋信次みたいにネクタイしめて、そしてテレビを見てみたり。あるいは、
チャンチャンコを着てね、私も、もう還暦ですから、チャンチャンコを着て、
茶の間でひっくりかえったりしている人と、パルテノン神殿の中を歩いている人、
あるいは、来々軒のラーメン食べながらのれんをくぐっている人、こういう人たち、
外見はいろいろな違いがあるんですけれども、そういう個性の差はさておいて、
私たちの世界は、本当に愛と慈悲という、この二つの言葉で貫かれているのです。
愛といえばイエス様ね。慈悲といえばブッダ。そういうことですけれども、
イエスとブッダだけの専売特許ではなくて、愛と慈悲ということはね、みんなの
やっぱり専売特許なのですよ。
299 :
神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 15:59:33 ID:jKoDIIIp
つまらん。
こんなキチガイのうわ言みたいな物貼り付けて満足している暇人。
おとぎ話の方がまともに思えるから、この霊言は比較にならんほど荒唐無稽だぜ。
宗教オタクもここまで狂うと始末に終えないもんだーね。
そういう意味で、皆さんがね、九次元でも、多少競争もしているんだけれども、
どれだけ愛と慈悲とを下次元の世界へ垂れていくかということを皆研究しているのです。
イエス様は教会で十字を切りながら一生懸命考えているし、孔子様は来々軒の中を通りながら、
ラーメンのドンブリの模様なんか考えながら、中国人民をどうやって教おうかと、
そういうことを思っています。
モーゼはモーゼで、まあ杖を振りながら、「この杖はもう蛇にならん。昔はよく
蛇になって、空中を飛んだものだけど、最近の杖は蛇にならんから、新式のを買わにやいかん」
なんて考えながら、「しかし私は、地上の人たちを救いたい」こういうことを言っています。
とくにモーゼっていうのは今、地獄霊たちの要するに掃討(そうとう)作戦、
掃討っていったらまずいかな、地獄霊たちを救出するというような大きな役目を持ってて
忙しいんです。だから赤い稲妻になって九次元からピカピカ光って四次元まで飛んでいくんです。
そして地獄の軍隊を一生懸命やっつけております。これがモーゼです。こういうことをやっています。
こういうふうに私たちの世界というのは、ほんとうに愛と慈悲の世界なのです。』
301 :
神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:15:47 ID:mxiQV1cm
報復の我楽
大皮被りUFO主宰ならぬ、「恐妻」先生の著書でしか?
GLAの方向音痴どもが、こんなまやかし物で誘われてエロ姦ターレの所に駆け込んだだもんなぁ・・・?
バカだよなあ・・・ 何のために高橋信次に師事したのか、商法は覚えても正法は身に付かんかったんだろうよ。
こうやって、まやかし霊言モドキを連綿と綴るアホもいるようだし。
■地上の人たちよ、愛と慈悲の世界を目指せ
『地上で皆さん愛と慈悲なんて、言っている人多いでしょうけれど、本当の愛と
慈悲というのはね、人間の一日二十四時間すべてが、人類救済のために使われている、
そういう生き方っていうのが、本当の愛と慈悲なんですよ。
ところが、地上の人はどうしてもそうはいかない。それはね、「今日のお昼ごはん
何を食べようか」とか、「今日のカップラーメンがまずかったんでねえ。
やはり孔子様にお願いして、もっとおいしいカップラーメン買わにゃいかん」とか、
「晩ごはんのチヤンコ鍋はあまり食べ過ぎると、相撲取りみたいになっちゃうから、
普通の人は、そんなに肥っちゃいけない」と、こういうことになります。
こういうふうに地上の人たちは、束縛されることが非常に多いから、
どうしてもそこから脱出できません。ところが私たちには束縛がないから、
精一杯人びとを救うことができます。こういう自由な世界です。
ですから、私たちは、今毎日、八次元をどうするか、七次元をどうするかです。こういう如来、
菩薩の人たちを指導したり、あるいは地獄で迷っている人たちをどうやって救おうか。
あるいは地上の人たちに、法の神理をどうやって伝えるか。こういうことを
日夜みんなで話し合っています。九次元世界十人の人たちと話し合いながら、
そういうことを日夜やってそれぞれで努力しています。
そして力が足りない時には、お互いに協力しながらやっています。私とモーゼが
協力したり、あるいはイエス様とブッダが協力したり、孔子様とマイトレーヤという
人が協力したり、いろんなことがあります。そういうことをしてるんですよ。
そういうふうにすべての時間を人のために生かせる。
地上にいたら、そうはいかないのです。風呂に入ったらシャンプーで頭を洗わにゃいかん、
こういう苦労がありますけど、私たちの世界にはそういうことがない。すべてを
人のために使える。こういう愛と慈悲の世界に生きています。
皆さんはね、こういう九次元世界に、できるだけこの地上の世界を近づけるために、
努力していただきたいのです。それが地上に出ているあなた方、光の指導霊たち、
あるいは光の指導霊の指導を受けて、学んでいる人たちの仕事なんですよ。
そういうことで今日はまあ、大ざっぱにね、私のいる世界の話をしましたけれども、
愛と慈悲との世界というのはまさしく、私の住んでいる九次元世界のことなんです。
今日でどうですか、私の世界が分かったでしょうか。稲妻の世界でありNHKの
世界なんです。ま、そういうことで今日のお話は終りにします。』
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正義の時代
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■正義の教えは両刃の剣
『今日は正義の時代ということについてお話をしたいと思うのです。現在はね、
宗教を見てみると、とくに日本の宗教を見てみると、正義ということが
忘れられているような感じがするのですね。まあ正義って何かというと、
正しく筋が通っていることということですね。あるいは正しい者は要するに、
屈してはならない。筋を通さねばならぬと、この世的にも勝利をせねばならぬということね。
これが正義です。これが、今ちょっと薄れているかもしれません。
まあ正義というのが今、残っているとすれば日蓮宗系ですね。
これはやっているかもしれない。日蓮さんの教え、過去説いたという教えに関しては
結局、何と言いますかね、正しいのは、これしかないんだということで、
他を折伏(しゃくぶく)する。説得して、それに改宗させると、こういうことを今だにやっていますね。
連綿(れんめん)と七百年やっとるわけです。まあこれは、一つの正義の顕(あらわ)れかもしれません。
ただ正義ということはね、非常に難しいところがあるんです。この世的にいいもの
というのは、どれも諸刃(もろは)の剣、両刃の剣であって、いい面もあるけれど、
悪い面もあるというところがあります。正義の持つ二面がまさしくそうですね。
いい面としては、本当に神理が正しいものを正しいとして、太陽のもとで認められると、
太陽のもとに正しいものはこれしかないと、こういうことが明らかになるという意味でいいですね。
悪い面は、これが正しくて、これは間違いだというのは、非常にくっきりと、
はっきりとなるために争いを呼びやすいと、こういうところがあるのです。
これがあやうい面です。まあそういうふうにいろいろ見てくると、正義の悪い面も、
いい面も両方ありますね。』
■かつて裁きの神エホバとして名を残した高橋信次
『歴史的には、たとえばモーゼの時代、まさしく、これは正義の時代でした。
正義の時代の神っていうのは、何かというと裁(さば)きの神でしたね。裁きの神
ということで、ヤーヴェの神というのが出て来て、短気で怒リっぽくて、不寛容で、
要するに言うことを聞かないと怒っちゃうと。まあ、こういう神様がおりましたね。
谷口雅春さんの霊言集というのが先般出たようですけど、谷口雅春という方は、
大ベストセラーの『生命の実相』を書かれたり、いろいろな本を書かれているけれども、
彼は昔、大昔から「エホバの神って、ありゃ邪神(じゃしん)だ」と言っておられたそうです。
なぜ邪神か。「妬(ねた)みの神、怒りの神、こんなのおかしい。なんで神様が
妬むことがあろうか。怒ることがあろうか」そりゃそうですね。宗教人の常識から言えば、
そうです。ですから谷口さん、そう思ったんでしょう。
ところがあの世に来てみると、その妬みの神、怒りの神が、こっちにいましてね。
「いやあ谷口さん久しぶりですね」と言って待っているのですね。「もしかして」
なんていうとね。「あなたが邪神といわれた方は、この私なんですよ」「ああやっぱり
そうですか。GLA起こした高橋信次。やっぱり邪神だと思ったら、ああそうですか。
私も高橋信次って名前は知っていたが、これは邪神だと思っていましたよ」なんてね。
こういうことを言われることがあります。
それはね、神理の一面だけ見ているから、そういうふうになるんであってね、
別に谷口さんがどうこうっていうことじゃないんです。まあ、時代時代があるんですね。
法というものも時代に合わせていろんな説き方をされるんです。そして神理のいろんな
面が出てくるんですね。』
■時代の特色
『イエス様の時代には、つまり二千年前のイスラエルの時には、愛という点を全面に
押してきましたね。愛という面ですね。イエス様は愛以外説けないかというと、
そんなことはないです。もちろん何でも知っています。万能とまでは言えませんけれども。
イエス様はそれは大工(だいく)仕事は知ってても、スペース・シャトルの組み立て
方は知らないかもしれません。けれども、まあ彼の時代は愛ということを中心に
説いた時代でした。
あるいはイエス様の千百年か千二百年前のモーゼの時代っていうのは、これは、
正義の時代だったのです。正しい者が強くなければならぬという、正義の時代だったんです。
あるいは「義」、「義の時代」だったわけです。
釈迦の時代って何か。二千六百年ぐらい前ね。釈迦の時代っていうのは、「慈悲の時代」、
あるいは「法の時代」、こういうことなわけです。
あるいは中国の孔子様って何ですか。儒学(じゅがく)ですね。あるいは儒教。
儒教って何だろう。立身出世なんてあるけれども、人間としての完成の道ですね。
それを中心に説かれた。主に道徳的に、あるいは人間の知性と理性に訴える形での
「秩序」、そういうものを説かれましたね。
同じく秩序を説かれたのは、日本だと古代の天之御中主之神、天照大御神様、
こういう方がたが秩序と礼節ということをしきりに説かれました。』
■神理は七十二面体カットのダイヤモンドのように光を放つ
『こういうふうに、神理は本当はいろいろな面があるんですよ。ところが、
それをいっぺんに全部出しても分からないし、特色がないから、何か一つの
特色を出すんです。その時代に。出版社なんかでもそうですよ。今、日本に
出版社何千あるか知らないけれども、みんな同じような本を出していたら、
意味がないのです。それぞれの出版社に特徴があるから、それでいいんですね。
たとえば、こういう霊言ものでもそうです。ある出版社は本当に内容がいいような、
諄々(じゅんじゅん)と説得するような内容のものしか出さないという出版社もあります。
あるいは悪霊専門でね。悪霊でもなんでもいいと。とにかく売れればいいと。
悪霊篇でよく出している出版社もあります。
あるいは予言がやたら好きで、予言ばっかり出している出版社もあります。
こういうふうにいろいろあるのですね。霊的なものが好きといっても、
こういうもんであって本当にいいのです。特色があってね、それぞれがやる意味があるんです。
だから私たちの法というのもそうで、いろいろな時代にいろいろな面が出てくるんです。
ですからそれを、あるものは正しくて、あるものは間違っているなんて言ったら、
これは違うんですね。そうじゃありません。
やはり、ダイヤモンドみたいなものでね。ダイヤモンドでもいろいろなカットの
仕方がありますね。十二面体、二十四面体、三十六面体、七十二面体。私は持ったことが
なくて知らないから、人づてに聞いたことでしゃべっているんだけれども。
三十六面体カットとか、七十二面体カットとかいろんなのがあるんでしょ。
持ったことがないのでよく分からないんですが、一度ぐらい手にしたいと思うんですけれども。
そういうカットの仕方がある、と聞いています。
そういうふうに神理っていうのは同じようなものなんですよ。多面体なんです。
そしてそれぞれの面が、いろいろな時代に、地域に合わせて、チラチラ出てくるんですよ。
そして、その面を通してね、ダイヤモンドを感じ取りなさい。そういうことなんですよ。
そういう意味で、神理が七十二面体だとするとね、七十二面体の一つが、たとえば「愛」
であり、「礼節」であり、あるいは「慈悲」であり、あるいは「義」であると。
こういう一つ一つの面なのです。
あるいは里見ハ犬伝みたいなのを出してくりゃあ、「忠」だとか「孝」だとかいっぱいあります。
昔からあるものは、「仁」だとか「信」だとかあります。こういうのが面なんです。
こういう面がチラチラ出てくるんですね。』
■正義の時代のエホバは「偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)」を排斥した
『じゃあモーゼの時代、つまり、正義の時代のエホバ神というのは本当の邪神であったか。
これの検討に入らねばならぬと思います。そうじゃないんです。皆さんは、今の時代だから
そう思うだけでね。当時はそうじゃなくて、非常に人殺しのはやった時代なのです。
それと今もありますけれども、いわゆる邪教、本当に間違った信仰というのが多かったのです。
とくに人びとは偶像崇拝というのをやっていまして、要するに金儲けの神様です。
今流に言えば、銭儲けの神様を一生懸命信仰しておったのです。まあバール信仰
なんていうのもそうですけれども、分かるように言えば「招き猫」ですね。招き猫の
信仰というのをやっておったのです。
皆さん今、招き猫の大きいのを、五メートルぐらいのを作ってね、これを本部にすえて、
招き猫の前でみんなで右手なんか曲げちゃって、「はい、これが招き猫のポーズですよ」
「これが正しい精神統一の方法です」と。
ご本尊の招き猫の前で、こうみな手を立てちゃって、「はい、これで商売繁盛です。
儲かります、儲かります。招き猫です、招き猫です」と、これをやっとるわけです。
とんでもないです。
こういうのを見ると天上界からエホバの神は、「そういう間違った信仰はやめなさい。
招き猫なんか、いくら拝んだってあなた方、本当に正しい生き方できないんですよ。
本当に神理っていうのが分かんないんですよ」と、そういうことを言ったわけです。
「そういう招き猫なんかやめて、人間としてちゃんと働きなさい。汗水たらして朝から
晩まで働きなさい。そして人とうまく調和しながら生きていく中に、人間としての
繁栄があるのです。本当の発展があるんですよ」と。
だから招き猫は打ちこわして、捨てちゃって、猫の一匹や二匹飼ってもかまわんけれども、
そうぃう猫におこぼれあげるくらいの収入を得るように、ちゃんと働きなさいよ。
そういう招き猫を拝んで利益を得るよりは、あなた方日常生活の中で、日々コツコツと
努力し商売し、他人との関係を調和しながら、立派になっていきなさい。それが
最高ですよと。まあこういうことを教えたわけです。
その時にたとえば、こういうようにエホバ神はね、「我以外には神なし」と。
「招き猫と我とは違うぞ」と。「諸君よ、招き猫の神は偽物(にせもの)である」と。
「招き猫の神は捨てなさい。我以外に神としてはならぬ。拝んではならぬ。奉(たてまつ)
ってはならぬ」と言ったわけです。じゃあこれは妬(ねた)みの神だから
邪宗かっていうとそんなことはないですよ。
別に、招き猫と私は競争しているわけじゃなかったんですけど、そういうのはおかしい
ですと。招き猫のお化けなんか飾っちゃいけないのです。そういうことを言ったわけで、
まあ、これを称して「妬(ねた)むもの」というのは勝手です。「妬むもの」というのは
言い過ぎであってね、「我は排斥する者」と。要するに「我は悪しき者を排斥する」
するという意味ですね。
ですから、寛容ということも宗教には大事です。けれども、かたや左側には高橋信次の
肖像画をかかげて、右側に招き猫の、五メートルかね、実物大以上かね、招き猫のお立ち台
か何かつくっちゃって、両方に手を合わせちゃったりして、こっちも正しい、
あっちも正しいよ高橋信次っていうのは高電工業で金儲けうまかったけれども、
他人に金儲けはあまり教えなかったと。そういったところで法に欠陥があると。
そういうことで、招き猫の神というのは、その欠陥を埋めるに余りあるご利益(りやく)
がある方たっていうんで、高橋信次の肖像に向いて、経典の「心行(しんぎょう)」
なんか読んじやって、「大宇宙、大神霊、仏よ」なんてやっているんです。
そしてそれが終ったと思ったら、じやあ、ちょっと次は銭儲けの方をやらなきやって、
チーンと叩きながら、「ハイ招き猫ね。今日は、これが目刺しの頭の残りですよ。
これでご利益下さいよ」とやったら、やっぱり高橋信次の肖像画が、ガタガタガタガタ
ゆれ始めてね、「こら、何やってるんだ、そんなことをしちやダメだぞ」と。
「俺だってあなた、目刺しの頭ぐらい食べたいぞ。こっちへ持ってこい」なんて、
やっぱり言うわけですよ。そして、「その招き猫やめなさい」なんて、言うわけです。
まあ、これを妬みの神と言うか、目刺しの頭食べたいといって妬んだか、
まあ言い方はあるでしょうけれども。』