【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13

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654神も仏も名無しさん
>>650

ども、

>「 attan 」を「アートマン」と解すか、「行動・思考の主体としての自己」(≒五蘊仮和合の自己)と解すか、
>「実存的自己」と解すか、はたまた「真我、“真実の、煩悩に埋もれ・覆われた、本来の在り様・存在”としての自己」と・・・、
>或いはまた、「肯定的に述べられている」のか「否定的に述べられている」のか、と、
>文脈、前後関係等により、都度都度吟味せざるを得ないんでしょうね・・・。

アートマンでも自己でも同じこと。そこが釈尊の凄いとこ。
言語習慣として仮設の自己はありだけど、
実体・実在として自己があるとしたら、それは恒常なアートマンと同じこと。
だから、アッタンに自我意識の本質・実体概念と恒常な実体としての
アートマンの両方の意味を含めて説かれていると思われる。

釈尊の説き方は、このようにあらゆるところで重層的で、
各人の意識状態に応じて、それぞれ有意味になるように説かれている。
その最たるものが縁起だと思う。