SDA嵯峨野教会を斬る パート2

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619narumi ◆Rosalie/G.
1830年にスコットランドのカトリックの少女マーガレット・マクドナルドが、脱魂中に世の終わりの幻を見て、その内容を筆記させました。今もインターネットで閲覧できます。
http://www.link2000.net/homes/users/preacher/margemac.htm

反キリストが支配する時代に神不在の時代になり、信仰を守り抜く人は天に挙げられて、キリストとともに永遠の至福にあずかるという内容です。

その中に1テサロニケ4:17がそのまま引用されていますが、マーガレットは聖句を引用しただけで、生きたまま天国にいくとは書いてません。当然です。脱魂している人は1テサに書かれているとおりの天上の至福にあずかるからです。至福直感といわれるゆえんです。

ところが、プリマスブレゼレンの牧師ジョン・ダービー(フリーメーソン)がマーガレットの幻を再解釈して、艱難前空中携挙説を作り上げました。リバイバル運動たけなわだったので、多くの人が影響されましたが、カトリック教会は「異端」の烙印を押しました。

この異端説がアメリカに流れて福音派に大きな影響を与えます。まずウィリアムミラー(フリーメーソン)の再臨運動に影響を与えて、ミラーを絶望と悲嘆の死に追い込みました。その後も多くの人がこの異端に感化されて再臨カルトを作っています。

ダービーに影響されたスコフィールド(フリーメーソン)が聖書の注釈に入れてしまったのが運のつき。以来、福音派はカトリックの異端説を聖書解釈に入れて大喜びするのです。

70年代にハルリンゼイが前艱難携挙説に立つ「地球最後の日」を書きました。ちょうどオイルショックの頃で本はベストセラーになりました。90年代にこの異端説を小説化したレフトビハインドが出ます。やはり世紀末だったのでベストセラーになりました。

21世紀になっていろいろな出来事が起きて、皆が不安になった頃に、2012年のアセンション預言にかこつけて同じように艱難前空中携挙説に飛びつく人々が現れました。
620narumi ◆Rosalie/G. :2009/10/26(月) 03:46:13 ID:x9bnY2BF
ブレズレンとアドベンチストは関係深いですね。
http://en.wikipedia.org/wiki/United_Seventh-Day_Brethren
ここも参考になるかと。
http://en.wikipedia.org/wiki/Aleister_Crowley
621narumi ◆Rosalie/G. :2009/10/26(月) 05:18:12 ID:x9bnY2BF
「審判を受けず死なずに変身して昇天する」という空中携挙説は、福音派の一部とニューエイジが信じている異端説です。

「人は例外なく、一度死に、審判を受ける」これがキリスト教の正統信仰です。

人は死なずによみがえりません。生きたまま復活しません。イエス様は無数の霊を黄泉から天国に引き連れました。同じことがずっと繰り返されていて世の終わりにはそれが集合的に起きる。それが唯一の携挙です。

黙示録20章に、「首をはねられ」、「獣を拒否した」聖徒が、生き返ってキリストとともに千年王として治めると書かれていますが、この人たちも一度死んでいるじゃないですか。

ミレニウムとはキリストから最後の審判までの長い時代を意味する言葉で、文字通りの1000年ではありません(詩篇50:10など)。字句通りの1000年なら、預言計算では一年=360年ですから、1000年=36万年になってしまいます。

また、神の国は1000年どころか永久に続きますから、文字通りの千年というのは誤りです。復活についてはっきりさせます。

「第1の復活」
キリストから世の終りまで続けられているキリスト者の復活。死者は臨終の床の上でキリスト、諸聖人、諸天使により審判され、不朽体=霊体=栄光体を与えられて天国に入る。
この人たちは聖人、福者で、世の終りまでキリストとともに地上の民を治める。それ以外の死者は生前の行為に応じて賞罰を受けます。

「第二の死」
どうしようもない極悪人だけが火の池地獄を受けます。 第二の復活はありません。

福音派が乱用する「ラプチャー」という語は聖書をラテン語に訳した聖ヒエロニムスが最初に採用した言葉。1テサ4:17の「引き上げられる」、2コリ12:2でパウロが生きたまま第三天に「引き上げられた」も同じ言葉でギリシャ語ではharpazoです。

でも、「ラプチャー」には生きたまま肉体が変身するという意味はありません。意識が天に引き上げられて神の至福にあずかるという意味です。魂が肉体から抜けて天上の至福に浸ったパウロならではの表現です。

「空中に引き上げられる」には審判を受けず死なずに変身して天国に行くという意味は皆無です。