708 :
旧7:
そうだ。 前、誰か気にしてたが、Dhp277-279の片山訳。
やっぱり下巻にあったw
277:
あらゆる行は無常なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
278:
あらゆる行は苦なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
279:
あらゆる法は無我なり、と
智慧をもって観るときに
かれは苦を厭い離れる
これ清浄に至る道なり
片山さんの特徴として、従来の漢訳語をそのまま使うことも多いという点はあると思う。
これは、下手に意訳し、意味を拡散させるよりも
従来の訳語とその語義・概念を踏襲し、それをより鮮明に或いは微調整する形の方が弊害が少ない、
という配慮だろうか・・・? (中村訳という崩し過ぎへの反省も?)
或いは、「術語として成立しているものは、そのまま使うべき」というものかもしれない。